下弦の月 奇妙な勉強会(下)
ルナと始める歴史の勉強。この世界の成り立ちとは―
ルナは本棚から分厚い古書を取り出した。
革表紙はひどく擦り切れ、表紙には月と太陽を象った紋章が刻まれている。
「まずは歴史です。この世界の成り立ちを知らぬ王候補など、話になりませんよ?」
ルナは静かにページを開いた。 古い文字が並ぶその紙面は、まるで祈りの言葉のように重く響く。
「この神話書にはこうあります。『太古の昔、光の世界で秩序を乱した者たちは、罰をして目をえぐり取られ、闇の世界へ落とされた』と」
ノックスは頬杖をつきながらルナの言葉に耳を傾ける。
「光を奪われた彼らは、闇の中で、自らの血液から新しい目を生み出しました。赤い瞳を持つ『影人』の始まりです」
ルナは視線を落とし、淡々と続けた。
「光の世界は太陽が輝き、沈むことはありません」
「一方で、闇の世界は常に過酷です。昼間は大地のあちこちで『業火』が燃え上がり、周囲を赤々と照らしますが、その炎は命を焼き尽くすほど強く、容易には近づけません」
「……そして夜になれば、業火はすべて消え、闇が訪れます。月明かりだけが頼りの世界で、作物は光が足りず、生育にも長い時間を要するのです」
ルナはふと、ベランダの鉢植えに視線を向けた。
「……あの花も、光が足りず、うまく成長しませんでした」
ノックスは街を見下ろす。下弦の月が銀色の影を落とし、静けさだけが支配していた。
「さらに街の外には、獰猛な魔獣が潜んでいます。一歩外へ出れば常に命がけ。だから影人は幼い頃から剣を握り、武術と魔術を学ぶのです。王に武力が求められるのも、民を守るために不可欠な資質だからでしょう」
「それだけではありません」
ルナの声が少し低くなった。
「瘴気が渦巻き、空気そのものが命を蝕みます。闇の病と呼ばれる病にかかれば、一巻の終わり。治療法もなく、死を待つしかありません」
ノックスはごくりと唾をのんだ。
「……この世界は常にそうです。 尽きぬ暗黒と、魔獣への恐怖、そして不治の病。だからこそ、光の世界を夢見ることは、影人たちにとって唯一の希望なのでしょう」
ルナは淡々と続ける。
「わたくしのような天女は、その唯一の希望のための生贄です。満月の夜にこの目を奪われるまで、あなた方に利用されるためにいるのです」
「……生贄……か」
ルナの話を静かに聞いていたノックスは顔をしかめた。
「……俺たちが教わってきたのは逆だな」
ルナが横目で見る。
「『光の世界の奴らが勝手に俺たちの目を奪って追放した』……俺たちは被害者だって、そう言われてきた。だからこそ……『満月の夜に天女の目を奪った者は、王になれる』って教わったんです」
「天女の目を得れば、影人の心を見通せるようになって、王になれる。王となれば、誰もが夢見る光の世界へ“自由に出入りできる”唯一の存在になれる…………それが俺たちの唯一の希望だって」
ルナは目を伏せた。
「……希望、ですか」
「そうです」
ノックスは強く頷いた。
「この暗い世界で生きるためには、そうするしかない。だから、俺は……いつか王になって、皆がちゃんと生きて笑って暮らせるように、闇の民のことを守りたいんだ」
ルナは何か言いかけたが、言葉を飲み込んだ。
その表情は月明かりに照らされ、少しだけ寂しそうに見えた。
「……まあ、歴史がそうだったからといって、未来もそうだとは限りませんけれどね」
ルナは本を閉じ、すっとノックスに顔を向けた。
「さあ、勉強の続きです。次は数理学を学んでもらいますよ!」
「うっ……俺が苦手なやつ……!」
下弦の月が西の空へと傾きはじめる。
月の光の下、二人の勉強会は月の入りまで続いた。




