十日月夜 小さな疑問の芽
満ちゆく十日夜月が、南の空を過ぎた頃。
ノックスがカペラとアルビレと別れ、街の警備任務にあたっていると、街の人達がわらわらと寄ってきた。
「ノックス様、あの、天女様が闇の病を治せると聞いたのですが.......」
「ノックス様!!うちの息子が死にそうなんです!天女様に治療してもらえませんか!?」
「わ、わかった、ちょっと待ってろ!」
ノックスはホマムと一緒に月の塔へと急いだ。
◇
「ルナ、この前ミンタカさんの治療してたけど、あれから他に誰か治療してるのか?」
ルナの部屋は今や実験室のようになっている。机の上にはさまざまなガラス瓶や、書き散らかした羊皮紙が散らばっている。
「いいえ。人体じっけ......治療はしてあげたい気持ちはあるのですが、一人で街に行くと心ない言葉を投げられるのではと怖くて。あれから街には行っていませんわ」
(今、人体実験って言おうとしたよな……?)
そう思いつつも、確かにルナ一人で行くのは危ないかもしれない。
でも、これはルナに対する民衆の意識を変える絶好の機会だと、ノックスは確信していた。
(……俺が、ルナの盾になればいいんだ)
「そしたらさ、俺が護衛で一緒に行くから、街の皆を治療してやってくれないか」
「それならいいですわよ。フフフ、貴重なデータが増えますわね......」
ノックスは何か言いたげだったが、言葉を飲み込み、ホマムに乗って2人で街へと向かった。
◇
「あぁ、ルナ様......! ありがとうございます!」
ルナとノックスは、たくさんの家や病院を周り、月の花の夜露で闇の病の治療を行った。
ルナの訪問に、あからさまに嫌悪感をあらわにする影人もいたが、闇の病を治すやいなや、手のひらを返したように態度がころっと変わり、尊敬と感謝の目で見るようになった。
「皆喜んでて、よかったな」
「フフフ、今日だけで三十症例は集まりましたね......しかも老若男女幅広いデータ……早く帰ってまとめあげたいですわ......」
羊皮紙にたくさんメモしながら、ルナが青い目をギラつかせる。
もはや影人のためなのか、己の好奇心を満たすためなのかよくわからない。
でも、闇の民の皆が喜び、笑い、ルナに感謝している姿を見ると、ノックスはどちらでもいい気がしてきた。
(ルナを街に連れ出したのは正しかった。俺にしかできない戦い方だ……)
「……それにしても、月の花の夜露だからこそ、影人たちにはちょうどいいのかもしれませんね。太陽の花の朝露だと影人たちには強すぎるかもしれませんから。アンバー姉さまの花が、こんな形で皆の希望になるとは......」
「そうだな......あの二人のおかげだな......」
「……今は花がたくさん咲いているからいいのですが、あの花もいつか枯れてしまいます。闇の世界で咲いた花から、どれくらい種ができるのかまだわからないのですよね……」
「そうなのか……」
人だかりの中で休みながら、ノックスとルナは周囲の光景をぼんやり眺めていた。
老婆の荷物を持ってあげる男や、別の家では若者が水瓶を抱えて走ってくる。声を掛け合い、支え合う姿があちこちに見えた。
突然、声変わりがはじまったくらいの少年がルナに話しかけた。
「あの、ルナ様......」
先ほど闇の病の治療をしてあげた少年だ。ルナと同じように銀色の髪をしている。
「はい、どうされましたか」
「ルナ様は、また満月の夜に戦わないといけないのですか?」
周りにいた、影人の大人達の間に緊張が走る。
「そうですね、そういう決まりですから」
ルナは何事もないようにサラッと答える。
少年は腑に落ちない顔で続ける。
「僕の両親もよく言ってました。早く候補者の誰かが天女の目を奪えばいいのに、って」
「僕も今までそう思ってました。でも......それって、おかしくないですか? ルナ様は、僕の命の恩人なのに......王を決めるためだけに、ルナ様は殺されないといけないんですか......?」
周りの影人達をみると、皆バツの悪そうな顔をしている。沈黙だけが、彼の言葉の正しさを裏付けていた。きっと先月までは、皆、奪目の儀を楽しみ、ルナの死を願っていたのだろう。
ノックスはその様子を見て、胸の奥が熱くなった。
(やっぱり間違ってなかった。俺がルナを街に連れ出したから、民の考え方が変わったんだ。これならきっと、いつか制度そのものを変える力だって生まれる……)
ルナは手袋をした手で、優しく少年の頭を撫でる。瞳の色は違えど髪の色が似ているため、姉弟のように見える。
「安心してください、わたくしは次の満月も生き延びますわ......でも、そういう風に言ってくれて嬉しいですわ......ありがとう......」
ノックスには、ルナの瞳がかすかに震え、涙をこらえているように見えた。
少年が去っていった後、ルナはふと周囲を見回し、小さく呟いた。
「……闇の民は、こうして助け合って暮らしているのですね。光の世界では、誰も他人に興味など持ちませんのに……」
ノックスはその言葉に胸を突かれた。過酷な闇の世界で生きていくために、皆が協力しあうのは当然のことだからだ。
ルナの横顔は、どこか懐かしいものを思い出したようで、けれど少し寂しげでもあった。
この日を境に、影人たちのルナを見る赤い瞳から敵意は消え、感謝の気持ちが見られるようになった。
やがて闇の民たちの間には、「王を決めるために、なぜ天女様が犠牲にならねばならないのか」という小さな疑問が芽生えはじめた。
……まるで石畳の隙間から草花が芽吹くように、小さな「思いやり」が民の心に芽吹いていた。
ノックスはそんな民の変化を感じながら、ひそかに確信していた。
(この芽が大きく育てば、奪目の儀を終わらせられるかもしれない……)
そのことに王宮の他の誰もが気がついていなかった。
だが、確かに、街の中で変化が起こりつつあった――




