居待月 はじめてのお出かけ
天女ルナに話しかけられたノックス。暇つぶしとは何なのか―
月の塔の一室で、サファイアの青い瞳がノックスをとらえる。
「わたくしはルナと申します。して、ノックス。あなたに聞きたいことがあるのです……」
(……暇つぶしって、そういう意味なのか?)
天女から歩み寄られるなんて想像もしていなかった。
ルナはおもむろに、本棚から薄汚れた本を出す。
「あなた、この本を知っていますか?」
「狩人オリオンの影」――それは闇の世界で流行っている少年漫画だった。
「えっ……まぁ知ってますけど。サイフ先生の漫画でしょ。狩人オリオンの影、今すごい人気ですよね」
「ほぅ、この絵と文字が入り混じった本を『まんが』というのですね。
光の世界の本は基本、文字だけで構成されているから、非常に興味深い!」
一人で目をキラキラさせながら興奮しているルナ。
「……というか、その本、どこで手に入れたんすか?」
「月の塔の前に、一巻から五巻まで束ねられて落ちていましたけれど?」
(多分、王宮の誰かが、昼間に燃やすのがめんどくさくて捨てたやつだぞ、それ)
「それで、本題なんですけれど、この本の続きってどこで読めるんですの?」
「あぁ、最新話は週刊雑誌で読めるんですよ。五巻が出てから、しばらく休載したけど、確か今週号から復活してたな」
それを聞いたルナの目がキラリと輝く。
「この続きが、今すぐに読めるのですか……!? その雑誌はどこにあるのです? 雑誌のある場所に連れてってくれませんか?」
(え、今から行くのか!?)
「……いや、街の本屋で売ってますよ。一人で行ったらどうすか?」
「わたくし、本屋の場所がわかりませんわ。だから案内してください!」
「俺、試験勉強が――」
「では、さっそく参りましょう!」
話を最後まで聞く気ゼロで歩き出すルナ。
(まじかよ、さっさと帰って勉強したいのに!めんどくさいことになったな……!)
こうしてノックスはしぶしぶ、ルナと本屋に出かけることになった。
◇
夜の石畳を歩くノックスとルナ。
ルナの銀髪は街の灯に溶け込むが、その瞳の青だけが月光を映して光っていた。
「……あれ、天女様じゃない……?」
「目……青い……宝石みたい……!」
民衆がざわめき、憧れと好奇の視線が集まる。
「はぁ……やっぱり光の民は違うな……」
「でも、いつか誰かがあの目を……」
羨望と残酷さが入り混じる沈黙。
「ノックス様と一緒に歩いてる……」
「この前の満月の夜、大剣振ってるノックス様、素敵だったわ〜」
「私はリゲル様に王になってほしいわ。クールでお顔が美しすぎる……」
ルナは何も気に留めない様子で歩いている。
ノックスは内心、舌打ちしそうになりながら足早に歩いた。
街の中央通りの突き当たりに、ウロボロス書店はあった。
扉は厚い木製で磨かれており、正面の看板には、尾を噛む龍――ウロボロスの紋。
長年の風雨で少し色褪せているが、老舗らしい風格があった。
「あっ、この雑誌ですね!」
ルナが店頭に並ぶ週刊コスモを取り上げる。今週はちょうど狩人オリオンの影が表紙だ。
「そう、それ……って! ちょっと! 何勝手に読んでんですか!」
「大丈夫ですよ、30秒で読み終わります」
「そういう問題じゃないんですよ! ここに立ち読み厳禁って書いてあるでしょ!」
「そうなのですか? なぜ立ち読みしてはいけないのですか?」
ルナはきょとんとしながら、全く悪びれずに尋ねる。ノックスはルナの世間知らずさにあきれてしまった。
「あのね……立ち読みされると、本が売れなくなってお店が立ち行かなくなっちゃうでしょ。みんな生きるのに必死なんだから」
「……そんなに、苦しい世界なのですね。光の世界では本屋も寛容で、立ち読みし放題でしたから」
「それにここはリゲルの親がやってるお店ですよ。俺、あんまり悪いことできないっす」
「リゲルとは? どなたですか?」
「王候補者のひとりだよ。君と同じくらい肌が白くて、髪が黒いやつ。氷の弓矢使ってる奴いるでしょ」
リゲルが王候補に選ばれたのは、家柄ではなく実力だ。努力でのし上がったことを、ノックスはよく知っていた。
ルナの眉がピクリと動き、冷やかな目を向ける。
「……あぁ、あいつの実家でしたか。こんな店さっさとつぶれて、一家全員路頭に迷ってしまうがいい」
その声色は普段より低く、刺すような冷たさを帯びていた。
「ちょ、ちょっと! 言い過ぎでしょ! リゲルのおやっさんに聞かれたら俺まずいんだけど! なんか個人的な恨みでもあるんすか?!」
ルナはふと我に返り、ずっと背筋を伸ばして言った。
「あら失礼、わたくしとしたことが、取り乱してしまいましたわ」
「(でも今の割と本気だったよな。)……まぁ、そういうわけなので、ほしいなら自分で買ってください」
それを聞いたルナはうなだれる。そして悲しそうに言った。
「……わたくし、この世界のお金を持っていないのです」
(――え……? 今なんて言った?)




