新月 それぞれの闇夜
闇の世界の昼。
街の外では、業火の熱風と灼熱の炎が暴れる。周囲を焼き尽くすかのような時間だ。
ノックスは鉄が焼けるような焦げ臭さを感じながら、月の塔へと向かった。
「ルナ、入るよ」
部屋に入ると、いつもより銀髪が乱れた天女がベッドに横になっていた。青い瞳は輝きが失せ、窓の外の陽炎が彼女の青白い顔を赤く照らす。
「ノックス、こんな月の出前からわざわざ来てくれてありがとう……」
ルナのいつもの高慢さは失われ、衰弱していた。
満月の夜は白鹿のごとく跳びはね、四人を見下すように戦う史上最強天女ルナ。
新月の夜はこんなにか弱い姿になってしまうなど、誰が想像できただろうか。
「今日は新月の夜だからな、約束通り来たよ。俺、横で暇つぶししてるけど、ずっと隣にいるから安心しろよ」
その声を聞き、ルナは安堵したようにわずかに笑う。
「一日中暇でしょう、好きに過ごしてくださいな。もうあまり見えなくなってきました。外の炎が消えると話すことも動くこともできません。……でも耳は聞こえてますからね」
そう言い終わらないうちに、ルナが突然、気を失うように眠った。
同時に窓の外の赤い炎は消えうせ、暗黒と静寂に包まれた。
長い新月の夜が始まったのだ。
ノックスはランタンを机に置き、隣のふかふかの椅子に座って、月の出ご飯をつまみながら次の試験に備えて本を読むことにした。
ルナが静かに眠っている横で、ノックスが本のページをめくる音だけが響く。
窓の外は月がなく、宝石を散りばめたような満天の星空が輝いていた。
(今夜はリゲルも来ないだろうし、安心して過ごせるだろ)
そう思いながらも、いつもとは異なり無防備に寝ている姿に、矛盾した気持ちが込み上がる。
――ルナ……君に触れたい……あの温もりを、もう一度感じたい……
……魂が震えて、胸の奥まで満たされる、あの感覚を……
けど、俺は……ただ自分の欲で触れたいのか?
それとも……君が好きだから触れたいのか……
もう、どっちなのか俺にはわからない……
――でも欲望に負けて、今の無防備な彼女に触れたら……
……俺はリゲルと同じになる。
それだけは、絶対に嫌だ……
ノックスは、握りかけた手をゆっくりと膝に戻す。衝動を抑えることは、剣を振るうことよりも辛かった。
その距離のまま、ただ彼女の呼吸を聞いていた。具合は悪そうだが、前回の新月よりは穏やかな表情をしている。
ノックスは眠り姫に触れたい衝動を抑え、本を読みはじめる。
窓の外では、満天の星が静かに瞬いていた。
その頃、別の場所では――
◇
カペラとエリナは、自宅の二階のテラスで星を眺めていた。
机の上にはヒカリゴケを練り込んだキャンドルが優しく光りながら周りを照らしている。二人で毛布に包まり、エリナが入れてくれたダークコーヒーを飲んでいる。
「あっ見て! 流れ星!」
カペラが空を指さして叫ぶ。エリナが目を瞑る。
「……お願い事をしたわ。あなたが王になれますようにって」
「え~。俺は、エリナといつまでも仲良く幸せに暮らせますように、ってお願いしたよ♡」
エリナは呆れたようにカペラを見つめる
「あなたには野心ってものがないのかしら。実力もあるしせっかく候補者にも選ばれるほどなのに……勿体ないわ」
(もし俺が王になって忙しくなったら、エリナと一緒にいる時間減るじゃん。責任も重いし。仕事だけの人生はいやなんだよ)
カペラは素知らぬ顔で、エリナの黒い髪を優しく撫でる。
「私は諦めてないからね。あなたが王座に就く日を今でも夢見てるわよ」
「はいはい、でも今は、俺の隣で笑っててほしいな〜」
そう言うと、カペラはエリナの顎を引き寄せ唇にキスをする。
「……もうっ、そうやってすぐごまかす!」
エリナは不意をつかれて頬を染める。
「……大好きだよ、エリナ。」
二人は腕を回してまた唇を重ねる。
夜空は星が煌めく。この世界は二人だけのものだ。
新月の夜はまだ始まったばかり。
それぞれの場所で、候補者たちは思い思いの時間を過ごしていた。
◇
月の光すら届かぬ新月の夜。
王宮の一室、机の上には地図と書簡が几帳面に並び、蝋燭の炎がほの暗く揺れている。
外のざわめきは一切なく、紙とペン先が擦れる音だけが室内に響く。
アルトは椅子に深く腰掛け、無表情のまま視線を地図に走らせる。
彼の目は、戦場を見る将軍のそれに似ていた。
――形式上は、天女の目を奪った者が王となる。
冷静に見れば、ノックスの戦闘力ははリゲルを上回っている。
この前の満月の夜は調子が悪かったようだが。
だが、民がついてこなければ王位は保てない。
人望のない者が座れば、すぐに民は離れ、反乱の火種になる。
――王位を手に入れることと、それを維持することは別なのだ。
その点、ノックスは人望も集めている……
リゲルは容姿で人気だが、感情のコントロールができない。
カペラはそもそもやる気がない。
そして私は……人望がない。
わかっているのだ。民からは冷酷だと思われ、信用されていないことを。
玉座に座る資格を民は認めぬだろう。
アルトの筆が一瞬止まる。
――戦闘力も人望も、最も優れているのはノックスだ。
ゆえに、王の座に最も近いのは奴だろう。
私が玉座につく可能性が低いのなら他の手を考えなければ……
ふと壁に飾ってある家族写真に目がいく。
――そうだ……妹のアルビレがノックスと上手くやってくれれば、王になった暁には義理兄として政治に口出しできる……
アルビレもノックスを気に入っていた。それならば好都合だ。
無理に押しつける必要もない。うまく行けば……
アルトの眼鏡の奥が赤く怪しく光る。
計算高く効率化の影人は、何やら企んでいるようだ。
新月の夜は刻一刻と進んでゆく。
星明かりが照らす場所で、別の物語が進んでいた。
◇
リゲルは久しぶりに実家に帰っていた。
本まみれの埃っぽい部屋で、わずかな明かりの元でペンを走らせ試験に向けて勉強していた。
ふと、ペン先が紙の上で止まった。先月の新月のことを思い出して胸糞悪くなる。
(今ごろ、ノックスはルナのところにいるんだろ。絶対そうだ。俺が来ないように。どうせ、あいつもどさくさに紛れてルナに触ってるに違いない……!)
そう考えた瞬間、胸の奥がざらついた。
ルナに触れたときの、あの忘れられない温もりを、ノックスが今感じているのかと思うと腹の底から苛立ちが込み上げる。
(クソが……!)
リゲルは一瞬、感情に支配され、自分が何を書いているのかわからなくなる。
怒りのまま机を殴ると、老朽化した羽ペンが折れた。それでも、新しい羽ペンに持ち替え、気を取り直して勉強する。
いつか王の座について、皆から認められるために。
星達は輝きながら空を回転し、新月の夜はどんどん更けていく。
◇
月の塔の一室では、影人と天人が同じ部屋で時を過ごしていた。
ルナは何も見えない。身体を動かすこともできない。
ただ、この孤独で絶望的な時間をひたすら耐えるしかない。
(新月の夜は毎月地獄でしたわ……まぁそもそも、この世界自体が地獄みたいなものですけど……)
それでも、今夜は違う。本屋の倅は来ない。
近くにノックスの気配を感じるだけで、こんなにも安心して過ごせるものなのか。
(この百年間、妹たちのことだけを思って生きてきましたが、こんな影人がいるなんて思いもしませんでしたわ……)
ふとルナの胸に熱いものがこみ上げてくる。
――ノックス……あなたは不器用で、時に思慮に欠けている。
けれど、それでも――あなたは、この闇の中の一筋の光です……
あなたの存在が、どれだけわたくしの支えになっているか……
ノックスは時々、ルナに近づくことがあるが、一切触れてこない。
ルナはそんなノックスに感謝するとともに、もどかしく思う。
(あなただったら、わたくしに触れてもいいのに……でも、優しいあなたは……きっと触れないでしょうね……)
影人の優しさが、余計に天女の胸を締めつけた。
暗闇の中で輝く星空のもと、それぞれの思いとともに新月の夜が終わろうとしていた。
◇
静寂の下で—―
アルトは冷徹に計算を重ね、今後に向けて駒を動かしていた。
リゲルは嫉妬に胸を焼きながらも、研鑽を積み、力を誇示する機会を待ち望んでいた。
新月の夜は静かに更けていく。
だが、影人たちの心の奥では、それぞれの欲望が静かに牙を研いでいた。
2章をお読みいただきありがとうございました。
ルナとノックスの禁断の恋は少しずつ、確実に進んでおります。
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第3章も引き続きお楽しみください。




