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上弦の月 光の民の来訪(中)

「ルナ、一緒に光の世界に帰ろう。君がこんな場所に君がいるなんて……」  

 ソルは眉を下げて小さく首を傾げ、今にも手を差し伸べそうな仕草でルナを見つめた。その声音は優しかったが、どこか哀れみを含んでいた。


「こんな場所とはなんですか」


「だってすごい暗いし、土埃と錆びついた鉄が混じったようなにおいがするよ、ここ」


 言われてみれば、たしかにソルからは嗅いだことのない爽やかないい香りがする。


「……あぁ? 変なにおいだって?」

 リゲルの眉がひそみ、鋭い眼差しがソルを射抜いた。

 その瞳の奥には、見下された怒りが燃えていた。


「いや、ただの感想だよ。君たち、よくこんなとこで暮らせるなって……」


「だったらさっさと帰れよ、鼻が曲がる前にな」


「リゲル……」


 カペラは両手を宙で泳がせ、右へ左へと視線をさまよわせながら二人の間で立ち尽くしていた。

 ルナは、吐き気を催す汚物でも見るようにリゲルを一瞥し、すぐにソルへと視線を戻した。


「わたくしはここで、あなたたちのために生贄として必死に生きているんです」 


「……君がここでどんな目に遭ってるか、僕だって知ってる。目を奪われるってことも、生贄だってことも……全部。でも……それでも、僕は君と一緒に帰りたいんだ。君が生きててくれるだけでいい。……それじゃ、だめなのか?」


 ソルは頬を子供のように紅潮させながら、一生懸命ルナを説得しようとする。


「僕は君だけがこんな場所にいるなんておかしいと思うんだよ! 光の世界に帰ろうよ! また別の天女を送ってもらえばいいじゃないか……」


 それを聞き、腕を組んで見ていたアルトが静かに言った。 


「その意見には賛成だな。ルナ、お前は強すぎる。目を奪えないからこっちも王が決まらなくて困ってるんだ。」 


 ルナは青い瞳を伏せ、唇から漏れた言葉は氷の欠片のように鋭かった。


「わたくしが強いのではなくて、あなたたちが弱すぎるのですよ……」


 四人の影人は凍り付き、静まり返った。遠くで蝋燭がぱちぱちと燃える音だけが響いた。

 

「俺たちが弱い……か。……まあ一理あるな。そうかもしれない」

 アルトは眼鏡の奥の目を細めて苦笑した。  


 その時、ソルがふとルナの周囲を見回して、ぽつりと漏らした。


「影人って……目の色が違うだけで、見た目はほとんど僕たちと変わらないんだね」


「見た目が同じなら何だ。お前たちは、俺たちと同じ命だとでも思ってんのか?」

リゲルの足が石床を叩き、白い歯を食いしばる音がわずかに響いた。


「いや、そんなつもりじゃ……」

 自分の発言の軽率さに気がついたのか、ソルが焦りだす。


「言葉の端々に滲んでんだよ。俺たちのほうが上って、無自覚な差別がな」

 ノックスは知っていた。リゲルは見下されたり、からかわれるのが大嫌いなことを。リゲルは綺麗な顔を歪めてずっとイライラしている。 

 

 ルナは青い瞳を伏せ、小さく首を振った。


「……わたくしが光の世界に戻れる道は、もう閉ざされています。危険な思いをして来てくれたのは嬉しいですけど。帰ってください」


「……闇に送られた天女はもう帰ってこない、ってみんな言うけどさ、僕は全然気にしないよ? 僕は君がそばにいてくれたら、それでいい。光の民が何を言おうと、僕にとっては……君はあの頃のままだよ。」


「……自分は気にしないからと、あなたは言いますけどね。でも、わたくしが何を背負ってきたか、知ってなお、そう言えるなら……あなたはわたくしを見ていない。過去の、都合の良い『思い出の中のわたくし』と話しているのです。」


 ノックスは二人の距離に目を奪われた。胸の奥に、正体の分からない黒い影が蠢く。嫉妬か、それとも不安か――名前を呼びたくもない感情だった。


(この二人はどういう関係だったんだ? いつから知り合いなんだ?)


「……とにかく、わたくしは帰ることができません。ですから――」

 

 ルナは青い瞳を細め、冷たく言い放った。


「どなたかアストライオス王を呼んできてください。この人が帰るために、扉を開けさせましょう」


「えっ……? アストライオス王を? なぜだ?」

 いつも冷静なアルトが戸惑いを隠せない。


「闇の世界にある、光の世界への扉を開くには、王の持つ鍵が必要なのです」


 それを聞いたソルの目が大きく見開かれた。

「えっ……? だって僕、こっち来るときは普通に通れたよ?! 扉、勝手に開いてたし……鍵なんて――」


「闇の世界に来るのは簡単ですけれど、光の世界に帰るのはそうはいきませんのよ」


 ルナの冷たい声音に、ソルは目を見開いた。

 そこに立つのは、かつての無邪気な少女ではない。

 生贄として百年を過ごした、別の存在だった。


 ――つづく



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