新月 光を求める影
新月の夜に何が起こっていたのか、今夜明らかになる―
ノックスが王宮の回廊を歩いていると、後ろから突然リゲルに話しかけられた。
「そうだノックス。お前、明日の夜、闇夜当番だったよな?」
「え? あぁ、そうだけど……」
「じゃあいいもん見せてやるよ。明日、夜になったら月の塔のルナの部屋に来い」
ノックスはどきりとした。
「新月の夜は、出歩くのは厳禁だぞ……?」
そういいつつ、好奇心が隠せなかった。
言われてみれば、ルナは新月の夜、何をしているのだろう?
「いいからいいから、じゃあまた明日の夜な。」
そう言うと、リゲルは爽やかに去っていった。
◇
新月の夜――
それは月明かりすらない闇夜。
太古の昔から、新月の夜は愛する人や家族と星を愛で、安息を得る日とされている。
過酷な闇の世界を生きる影人たちにとって特別な夜だ。
リゲルに言われたとおり、ノックスはルナの部屋の前まできた。
緊張と好奇心で胸がバクバクする。
――ギィィ。
扉に手をかけると、鍵はかかっていなかった。
ノックスは一瞬戸惑う。
――開いてる……?
不安と好奇心に駆られながら、そっと扉を押し開ける。
「おっノックス、来たか。見てみろよこれ」
薄暗い部屋の中、ランタンを持ったリゲルがルナの横に立っていた。
ルナの方に目をやると寝ているようだった。
リゲルが続ける。
「本屋の息子やってるとさ、古文から神話、色んな知識が入ってくるんだよな。それで、お前、知ってたか? 天女は新月の夜、盲目になり著しく弱体化するんだ。闇夜で強い光が全くないからな」
確かによく見るとルナの様子がおかしい。死んだように眠っている。
「……それがお前が言っていた面白いものなのか? 天人の目が最も輝く満月の夜に目を奪わないと王にはなれないことは知ってるだろ。新月の夜に目を奪っても意味がないぞ」
「いや~、今回は目とかそういう話じゃないんだよね」
リゲルが不敵な笑みを浮かべながら言う。
「……お前、ルナに触ったことあるか?」
ノックスはギクリとする。
まさか、ルナを抱きしめたことがバレているのか?
いや、そんなはずはない。
質問には答えず、平静を装いながらノックスは言った。
「……なんでそんなことを聞くんだ?」
リゲルが意味ありげな表情で続ける。
「昔なんかで読んだんだけどさ、天人ってさ、影人よりも体温が高いんだよ。俺たちと違って、光を浴びて生きてきたからなのか……」
「それでさ、ある時、こいつの手を触ってみたんだよ。そしたら……自分が祝福されてるみたいな、そんな気分になったんだよ」
リゲルのきめの細かい美しい肌がランタンに照らされる。
「最初は驚いたよ。こんなに気持ちいいなんて思ってなかった。でもこいつ、俺らのこと見下してるし、逃げるの早いし、普段絶対に触れないじゃん」
リゲルの手がルナの方に伸びる。
「だから、新月の夜は……」
赤黒い邪悪な瞳が、ノックスを見つめる。
「……誰にも邪魔されずに、触れるんだよ」
リゲルがルナの手にわずかに触れた瞬間、彼女の身体がびくりと震えた。
けれど、逃げようとはしない。動かせないのだ。
新月の夜、彼女の肉体は力を失い、まるで蝋人形のように沈黙していた。
天女の顔がさらなる苦悶の表情に変わる。
ルナの手に触れながら、リゲルは安堵の表情を浮かべる。
「あぁ、この感覚……なんて表現すればいいんだ……懐かしい光に抱きしめられているような……」
すべての点が繋がった。
ノックス自身も、ルナを抱きしめたときに、まるで遠い昔の記憶が呼び覚まされたかのような、魂が震えるような不思議な気持ちになったこと。
ずっと前から、ルナがリゲルのことを嫌っていること。
……そして新月の後は元気がなかったこと。
――満月の夜は最強のルナが……
新月の夜は、毎月こんな目に遭わされていたのか……?
ただでさえ、何も見えなくて、身体も動かせないのに……
部屋に忍び込んで、無抵抗な相手に触れるなんて…
それが「手を触るだけ」だろうと、許されるはずがないだろ……
「リゲル……お前……自分が何してんのか分かってんのか……?」
ノックスの声が震える。 リゲルは切なそうに言った。
「別に悪いことをしてると思ってない。手をちょっと触ってるだけ……ただそれだけだ。それ以上のことはしていない。俺はただ、この冷たくて暗い夜に、温もりがほしいだけなんだよ…… こいつに触れてると、嫌なこと全部忘れて、光の中にいるような感覚になれるんだ」
美男子で、頭が良くて、努力家で、誰からも尊敬されているリゲル。
こんなに悲しそうにしているリゲルを見るのは初めてだった。
リゲルはルナの手に触れながら、自虐的に吐き捨てた。
「みんな俺のことほめちぎるけどな。俺は天才なんかじゃねぇよ。お前らに比べたら家柄も良くない。毎日、血反吐吐くような努力して……それでも届かねぇんだよ。どうやったって、満月の夜はルナには敵わねぇ」
「……でも、新月の夜だけは……俺の方が上だ」
闇の中で美しい顔が不敵にゆがむ。
「最初のうちは、目も見えないし、動けないくせに必死に逃げようとしてたけどな。……でも、もう諦めたんだろ」
「それに俺は王候補で、顔も悪くないし、頭もいい、そうだろ……?
……こんな素敵な影人に触られて、むしろ光栄だろ……?」
ノックスの方を向き、リゲルは卑劣な笑みを浮かべながら言った。
「お前も触ってみろよ。癖になるぞ、この感覚……取り返しがつかなくなるくらい」
リゲルがそう言い終わらないうちに、ノックスはリゲルの顔をぶん殴っていた。
吹き飛んだリゲルがルナの机をなぎ倒し、床に転がる。
ルナの指が、わずかに、動く。
声は出せなくても、そこに、確かに安堵があった。
「いってぇな、てめぇ……何しやがる!」
ノックスは赤黒く光る瞳で、倒れたリゲルを冷たく見下ろす。
「黙って見てれば、何してもいいと思ってんのか? 見損なったぞリゲル」
ノックスは一歩近づくと、静かに、けれど鋭く言葉を続けた。
「今夜は闇夜当番の俺以外、出歩き禁止だ。つまり、お前は規則を破っている。これを、正式に報告すればどうなると思う?」
「……っ」
「王候補の資格どころか、実家の店も、全部終わりだ。お前の評判は、永久に地に堕ちるぞ?」
ノックスは拳を下ろしながら、低い声で言い放つ。
「今回は見逃してやるよ。でも次はない。二度と新月の夜にルナに近づくな。お前のような奴に、王の器なんかあるわけがない」
沈黙が落ちる。
やがて、リゲルはよろよろと立ち上がり、口元の血をぬぐった。
「……いい子ぶってんじゃねぇよ。情けとか優しさなんて、この世界で何の役に立つんだよ。こいつは……いつか俺たちに目を奪われて殺される存在だ」
「黙れ」
ノックスの声が低く響く。
リゲルは一瞬だけノックスを睨んだあと、吐き捨てるように言った。
「……優しさなんて足枷にならなきゃいいけどな。次の満月の夜が楽しみだな」
そう言って、闇に溶けるようにリゲルは立ち去った。
ルナの吐息はかすかに乱れたまま、夜の静けさに溶けている。
ノックスはルナを見下ろしながら、拳を握りしめた。
……俺たちは皆、この光を、奪うために群がっている。
そのことに気づかずに、甘えていたのは、俺も同じだった。
でも…
それでも…
せめて、俺だけは。
ルナの味方でいたい。
……本当は、俺も怖い。
ルナに触れたいと思ってしまう、自分自身が。
あのとき、あの温もりに救われたのは俺の方だった。
リゲルを殴りながら、心のどこかでその温もりを羨んでいる自分が一番嫌だった。
……でも、それを理由に、ルナを傷つけたくはない。
たとえ、いつかその目を奪う運命だとしても。
それまでは、光のない闇夜で、ルナにとっての盾になりたい。
月のない夜。
空には、星だけが、ひっそりと瞬いていた。
ノックスの胸には名もない怒りと言いようのない矛盾が静かに渦巻いていた。




