【第8章 第二十二話「潜入」】
「ばかなっ!何を無茶なことを!」
神代・柴川恒正は、霧丸に叫んだ。
「先日、第一陣も全滅させられた山中に
たった一人で乗り込むなど、ありえん!」
「今は、一刻も早く敵の状況を掴む必要があります。
無益な戦いはしません。偵察に行くだけです」
「お前の気持ちはわかる……ただ」
霧丸は、恒正の言葉を遮るように続ける。
「マダラを持つ者として……
オレにしか出来ない事です」
「…………」
「陣代は、知らなかった事にしてください」
「お前…………」
「勘違いしないでください。
必ず、敵の情報を掴んで帰ってきます」
恒正は、霧丸の目に宿る並々ならぬ決意を感じ、止めても無駄だと悟った。
「わかった。ただし……必ず生きて帰ってこい。
これは、命令だ」
「はっ」
霧丸は、一礼して幕内を出ていった。
恒正は、霧丸の目を思い出し、低い声で呟く。
「死ぬなよ…………」
日の沈んだ御伽山は、不気味さを増していた。
空も地も、すべてが墨に沈み、風さえ止んだ森の中にあっては、静けさそのものが支配者かのように森を支配していた。
鳥の声も、虫の羽音も聞こえない。
霧丸が踏みしめる音だけが森の中に響く。
——パキッ
足元で乾いた小枝が折れる。
——ザッ……
湿った落葉が滑り、わずかに土がこぼれる。
そのたび、
森が何かに目を凝らすような気配がした。
背後から誰かに見られているような錯覚が、息を潜めさせた。
月も出ていない。
わずかな星の光すら、木々の葉に遮られて、地面には届かない。
霧丸は身を低くし、地を這うように奥へと進んでいった。
ふと、
木立の先にぼんやりと灯が揺れているのが見えた。
火の気配。人の気配。
霧丸は息を殺して近づき、木の陰から覗く。
鉄籠灯を手にした男が一人、
── 敵だ。
炎は籠の中でくすぶり、
ぼんやりと辺りを照らしている。
異様な仮面を被り、
闇に溶けるような色の着流し姿。
その下から覗く筋肉は、
鍛え抜かれた実戦の肉体。
時折胸元から、灯りで光が反射する。
── 鎖かたびらか。
腰の刀も、どこか異様だった。
刃がわずかに曲がっているように見える。
太刀というよりは、“裂く”ための道具。
通常の武士が使うものとは明らかに異なる——
戦場のためだけに研がれた“殺す道具”
霧丸は、慎重に背後に回り込む。
── その瞬間
左手で首元を絞め上げ、
相手が息を詰まらせると、小刀を右手に持ち替え、
静かに、だが確実に急所を穿つ。
「……カッ……」
喉を詰まらせたような短い声を漏らし、
男はその場に倒れた。
倒れた男の仮面を外すと、
うっすらと見える異様な模様が皮膚に浮かんでいた。
「やはり……マダラか」
倒した敵を、木の陰に隠して森の奥へと進む。
見回りの敵には、何人か遭遇したが、
やり過ごして奥へと急いだ。
かなり奥まで進んだ頃、
ぼんやりと明るくなっている場所が遠くに見えた。
より慎重に、歩を進める。
ようやく明かりの全貌が見えた瞬間、
霧丸は思わず目を見開いた。
「こんな山奥に……どうやって……」
岩肌の隆起をそのまま削り出し、
積み上げるでもなく“穿ち抜いた”その建築は、
まさに自然と一体化した巨獣のようだった。
柱も梁もない。
剥き出しの地層が、天井を支えるように広がり、
斜面に沿って上層が積み重なる。
要塞というより、“地下から這い出た何か”が、
地上にそのまま根を下ろしたような……
一つ一つの開口部が、洞のようにぽっかりと空いており、黒く沈むその口の奥から、時折仮面の兵が姿を見せては消えてゆく。
火の気配も、人の気配も、音までもが、そこからにじみ出ていた。
「……どれほどの年月が……」
圧倒される、というより、思わず一歩後ずさるほどの異質さがそこにはあった。
周囲には、
一定の間隔を空け、まるで見えぬ線に沿うように、
仮面を被り武装した警護の者達が立っていた
「あの中に、一体何人いるんだ……?」
思わず身を乗り出す霧丸。
──その時、
「誰だっ!?」
背後で、仮面の兵が刀を構えていた。
咄嗟に、霧丸は腕を差し出す。
──だが、マダラ模様は浮かび上がってはいなかった。
「なぜ……?」
「敵だーっ! 敵が忍び込んでいるぞーっ!」
戸惑う霧丸をよそに、仮面の兵は大声で仲間を呼んだ。
── しまった。
すぐに数人の仮面の兵たちに周りを囲まれた。
「傷つけたくはないが……仕方ない」
霧丸は、刀を抜いた。
暗闇に刀のぶつかる音が響く。
霧丸は、鎖帷子を着ている胴体を避け
腕や足、頭に狙いを定め、一人また一人と倒していく。
ようやく全てを倒し、
陣に戻ろうと、敵の砦に背中を向けた瞬間、
背筋にゾクッと凍るものを感じた。
「おや? 全員倒されたのか」
仮面をしていない大柄な男が現れた。
先程の奴らとは明らかに風格が違う。
上半身裸で鎖帷子もしていない。
まるで見せつけるかのような、全身に浮かんだマダラ模様が、鎖帷子以上の存在感を示していた。
「貴様、何者だ?」
「…………」
霧丸は無言で、刀を構え直した。
「まぁ、いい。
どうせ死ぬ奴に興味はないからなっ!」
言い終わるか終わらないかのうちに、
細く鋭い刃が先に付いた鎖が飛んでくる。
霧丸は咄嗟に横に転がり、鎖を避けた。
── 鎖鎌か…… やっかいだな
敵の攻撃は止まらない。
何とか刀で弾き返し、懐に入ろうとした時には、直ぐに次の鎖が飛んでくる。
″ズッ…… ″
一瞬、地面の湿った落ち葉に足を取られた。
──しまった。
その瞬間を見逃さず、飛んできた鎖の先の刃が、
霧丸の足に突き刺さった。
「ぐっ…… あぁッ……!」
鋭い痛みが脳天を突き抜ける。
反射的に片膝をつき、息が漏れる。
「安心しな、毒はついてねぇ。
……まだ、楽しませてくれよ」
男は余裕の笑みを浮かべた。
足が使えない今、横には逃げられない。
──イチかバチか!
霧丸は、男に向かって突進した。
「はっ? やぶれかぶれか!
じゃあ、死にやがれっ!」
瞬時に、刃のついた鎖が、
霧丸に向かって飛んでくる。
霧丸は、男への突進を止めず
一瞬、地面まで膝を折って身を屈め攻撃をかわす。
そして、膝を曲げた反動を使い、
男に向かって飛び、首筋目掛けて、刀を振り下ろした。
「うおぉーっ!」
──届いたっ!
″ガキーンッ!″
鈍い金属音が響いた瞬間、腕に電流のような衝撃が走る。
── くっ、鉄の首輪かっ!
一太刀に賭けた想いごと、
断ち切られたようだった。
「はっ!……惜しかったな」
男の右手の鎌が、霧丸の左肩に突き刺さっていた。
「ぬっ……ぐっ……!」
男は、鎌から手を離し霧丸を殴り続けた。
″ガツッ″ ″ゴスッ″ ″ドガッ″…………
なすすべもなく霧丸は崩れ落ちた。
「はっ、ここまでのようだな」
霧丸の顔は腫れ上がり、
鎌が喰い込んだ肩と裂けた足からは、
赤黒い血がとめどなく滴り落ちていた。
意識が遠のいていく…………
掠れていく視界。
目の前には男の足元だけが見える。
あぁ、ここで終わるのか…………
── くそっ、動け!動けっ!
体はぴくりともしない。
ようやく、右手だけが、なんとか動き、
男が首から外した刀を取ろうと手を伸ばすが、距離があって届かない。
──無理……なの……か
霞んでいく視界の中に、
腫れ上がり、歪な形で固まった右拳が見えた、
──幼き日の河原での記憶が蘇る。
オレがあげた杖を守り、蹴られる凛の姿。
傷だらけなのに、オレを心配してくれた……
何も出来なくて…………
悔しくて、悔しくて…………
″二度と泣かせない″と誓ったあの日…………
……………………まだだ
── 絶対に帰る!
霧丸の目に光が戻った。
「うおぉぉーっ!」
霧丸は、低く唸るような叫びを上げると、
左肩に刺さった、鎌を引き抜き、
敵の足元目掛けて振り抜いた。
「ぐああっ……!」
敵が膝をついた隙に、霧丸は振り抜いた鎌を返し、
男の胸目掛けて鎌を突き刺した。
「がっ……!」
男は、前のめりに、崩れ落ちた。
霧丸は、ふらふらになりながら、
男の死を確かめると、陣へ向かって歩き出した。
「…………ただいま…… 言わなきゃな」
視界の奥に、揺れる灯火のように
──凛の姿が浮かんだ。
── 第三幕 了 ──




