【第1章 第二話「見えない姫」】
いつからだろう…………
人の声が怖くなったのは
いつからだろう…………
話し方で、人の機嫌がわかるようになったのは
────
乳母屋の軒下に、
小さな木桶を抱えた少女の姿があった。
凛は、姫として生まれながら、
幼い頃に視力を失っていた。
それ以降、
城から離れ、この乳母の家で育てられていた。
「凛様」「凛様…… 」と乳母はいつも優しく語りかけてくれる。
手を引いてくれるぬくもりも、
笑った時のやわらかな声も──
なかでも、乳母が言ってくれる「ありがとう」の言葉が大好きだった。
見えなくても、役に立てた──
それが、何より嬉しかった。
だから、凛はお手伝いしたくて仕方がなかった。
「凛様っ、水汲みなら、ふみがやりますから!」
「ふみは忙しいでしょ!凛がお手伝いするの!」
「でも……川までおひとりでは……」
「大丈夫。いつも遊びにいってるから!」
「でも…………」
「凛、ひとりでちゃんとできるもん!」
ふみの言葉を遮るように、凛は木桶を抱えて戸を開けた。
いつもの小道を、ゆっくりと歩く。
野良猫の鳴き声に驚いて立ち止まり、
「……大丈夫、だいじょうぶ」
と小さく自分に言い聞かせる。
歩き慣れた道だからこそ、慎重だけど迷いはない。
やがて、水音が近づいてきて自然と笑みが浮かぶ。
川べりにしゃがみこみ、木桶に水をそっと汲む。
「……できた!」
ふみの「ありがとう」が思い出されて笑みがこぼれた。
水が入った桶を大事そうに抱え、
足元を慎重に探りながら、来た道に向かって河原を歩いていく。
河原の石に何度もつまずき、
そのたびに水をこぼさないよう必死に力をこめた。
──ようやく河原の半ばまで来た時
「あっ!!」
ふと足を滑らせて、凛は倒れてしまった。
水はこぼれ、桶は転がっていく。
凛は…… その場を動くことが出来なかった。
閉じられた瞼から、涙が滲んでくる。
転んだ痛みよりも、
こぼしてしまったことが、たまらなくつらかった。
ぽつりと声が漏れた。
「凛は……やっぱりダメなのかな……」
立ち上がる気にもなれず、項垂れるしかなかった。
その時──
誰かの声が聞こえた。
「……大丈夫か?」
聞いたことのない男の子の声だった。
「ほ……ほら」
頬に感じる風の動きでわかる、差し出された手。
──その手は、
暗い海の底にいた凛を、
お日様の下へ連れ出してくれる。
……そんな気がした。