【第7章 第十八話「戦慄」】
「先遣の偵察部隊よりの知らせが、ここニ日ほど途絶えております。」
報告を受けた恒正の顔は曇っていた。
「何っ!? ただちに、捜索隊を派遣せよっ!」
だが、その捜索隊も、
派遣からさらに二日経っても戻らなかった。
陣内には、
重く沈んだ緊張感が立ち込め始めていた。
──その頃、御伽山の奥地。
「各地に散らばる、同胞達はどうだ?」
「皆、来たる日に備え
夜毎、目立たぬよう集結しております」
「フッ……待ち遠しい」
男が低く笑う。
その声音には、狂気とも、快楽ともつかぬ熱が宿っていた。
「おかしなものだ……
待ち遠しくなる事など、一度もなかったのにな」
まるで人の形をした呪いのようだった。
眼前には、
仮面や布で素顔を隠した兵たちが整然と並ぶ。
だがその瞳だけは、異様な光を放ち、
燃えるような復讐の色に染まっていた。
それは、
かつて奪われ、焼かれ、
消された者たちの生き残り……そして、その子孫達。
追い詰められ、地の底に逃げ延び、
闇の中で牙を研いできた者たち。
──もはや「戦」ではない。
彼らにとって、
それは「報い」であり、「呪いの回収」だった。
「あと少しだ……この“国”という名の墓標を、崩すまで、あと少し」
男の言葉は、目の前の敵ではなく、
かつて“奪われたものすべて”に向けられていた。
── 偵察隊、捜索隊の消息が断たれてから数日。
陣の空気は、
日を追うごとに不穏さを増していった。
言葉にせずとも、
兵の間には不安と恐怖が渦巻き、
それは確実に凛にも伝わっていた。
(いけない……私まで、こんな調子では……)
落ち着かぬ胸を誤魔化すように、凛は立ち上がる。
「恒正、私、櫓に登ってみようと思うのだけれど……構わないかしら」
気を紛らわすためではあったが、
ただ黙って待つことなどできなかった。
「姫様、危のうございます。もし、何かあったら……お父上に、顔向けできませぬ」
恒正は慎重な口ぶりで止めようとしたが、
凛は構わず言った。
「大丈夫よ。陣の外に出る訳じゃないし、
霧丸にもついてきてもらうから」
恒正は渋々うなずき、二人は櫓に向かった。
櫓へ向かう途中。
準備や武具の手入れ、剣の稽古などに励む兵士たちの様子が目に入る。
だが、そのどれもが、どこかうわの空に見えた。
身のこなしが鈍く、心がどこかに置き去りになっているようだった。
(……不安で、戦う気力が失われている……)
櫓に着くと、凛の腰に安全用の紐が巻かれ、
上から兵士がしっかりと支える。
その下からは霧丸が登り、凛の背を守る。
やがて凛が頂上に辿り着くと、そこから御伽山の広大な景色が見えた。
尾根が視界を遮っており、敵の姿は見えない。
だが、
視界を覆う霧と、静まり返った空気に、
言い知れぬ不安が込み上げてくる。
「霧丸、あそこの……」
凛が何かを指しかけたその瞬間、
″ヒュッ″
風を裂くような音が響いた。
一本の矢が、
凛に向かって一直線に飛んでくる。
「── !」
咄嗟に霧丸が前に出た。
次の瞬間、彼の刀が一閃、矢を叩き落とす。
凛は青ざめ、櫓の上にうずくまる。
「姫様、ご無事ですか」
霧丸がそっと手を差し出す。
その手を取ろうとした凛は、
ふと、ある異変に気づいた。
「……あっ!」
霧丸の腕に、見たことのない赤いマダラ模様が浮かび上がっていた。
「そ、それは……?」
凛の問いかけに、
霧丸は無言で、差し出した手を引き下げる。
だが、その横で見ていた兵士が声を上げた。
「こ、こいつ!マ、マダラがいるぞー!」
その声を聞き、
下の兵士たちが一斉に構えを取った。
「オレは敵じゃない」
霧丸は、騒ぎに反応せず、淡々と答え、
凛の体に紐を結び、その端を、
叫んだ兵士に投げた。
「姫様を降ろす。しっかり握っとけよ」
言い終えると、
自らハシゴを降り、凛を続けさせた。
下の兵士達は、2人が降りてくるのを
戦闘体制を解かず、じっと待っていた。
2人が降りると、兵士達は周りを囲み、
武器を構え、ジリジリとにじり寄る。
外の騒ぎを聞きつけて、
恒正が幕を押し開けて飛び出してきた。
「この騒ぎは、何事だ!」
櫓の近くで、
兵士たちが何かを取り囲むように
武器を構えている。
恒正は眉をひそめ、兵の間をかき分けて進んだ。
その輪の中央にいたのは
——姫様と霧丸!?
「貴様ら!姫様に刃を向けるとは何事だ!」
怒声を上げる恒正に、
ひとりの兵が声を震わせながら叫ぶ。
「陣代、あいつはマダラです!」
指差す先、
凛を抱える霧丸の腕には確かに
真っ赤なマダラ模様が浮かび上がっていた。
「き、貴様っ!姫様をどうするつもりだ!」
恒正は、とっさに腰の刀を抜いた。
「勘違いするな!オレは敵じゃない!」
霧丸は冷静に言いながら、
凛の身体を庇うように一歩前へ出た。
「マダラがあるじゃないかっ!」
「これは、何故かは知らんが……
子供の頃からずっとこうだった。
……とにかく、敵じゃない!」
兵たちは戸惑いの色を濃くする。
驚いて、何も言えなかった凛は
ハッとして口を開く。
「先ほど、敵の矢から私を守ってくれたのは霧丸です!それは、上にいた兵士も見ていたはず!」
彼女の声は震えていたが、はっきりと届いた。
「本当に敵なら、そのような事はしないはずです!」
兵士達は沈黙し……誰も反論できない。
その静寂を破ったのは、
恒正の鋭い一喝だった。
「今は乱れるな!
奴らの狙いは、この混乱そのものだ」
恒正は、鋭い目で兵たちを見回した。
「姫を疑うことは、敵を利することぞ!」
—— その通りだった。
「まずは、姫様を御安静にするのが先決だ。
霧丸! お前には後で話を聞くぞ」
「……わかった」
霧丸はうなずき、
動じることなく凛を庇い続ける。
── その時だった。
櫓の上から、見張りの兵が叫んだ。
「陣代! 敵からの文が矢に結ばれておりました!」
「何っ!?こちらへよこせ!」
恒正は文を受け取ると、周囲を圧するような気迫で広げた。
そこに記されていたのは、たった数行。
────
我らは血の誓いを果たす。
隠れ住む者を狩ったように、
今度は我らが狩る番だ。
逃げても無駄。
降りても無意味。
次に霧が晴れたとき——
貴様らの国は、灰と屍になる。
────
──全員に戦慄が走った。