【第6章 第十五話「かりそめの日常」】
凛の専属護衛になって、早一ヶ月が経った。
今までの鬱憤を晴らすかのように
凛は、霧丸に言う。
「霧丸っ、町に行こっ!」
今まで外出には、何人ものお付きの者達がいたが、
専属の護衛がついたことで、
近場であれば霧丸ひとりの付き添いでも、
当主様の了承が得られるようになっていた。
「あ……おう」
口調は……まだ慣れない
それに比べて、凛のはしゃぎっぷりたらない。
町では、あっちへ行ったりこっちへ行ったり、ついていくので精一杯だった。
── よほど、自由が嬉しいんだろう。
危ないところに近づいてくれるなよ。
と、霧丸が思った矢先、凛が駆け出した。
「なんだよっ!?」
慌てて追いかけた。
「もう!ダメでしょ!女の子をいじめちゃ!」
見ると、数人の男の子に囲まれた女の子が泣いていた。
「え!?お姉ちゃん誰?」
囲んでいた男の子が尋ねる。
「だ、誰でもいいでょ!男の子でしょ!
泣かせてどうするの!女の子には優しくしなくちゃ!」
「ちぇっ、うるせぇな。おい、行こうぜ!」
凛は、去っていく男の子たちを見送ると、
泣いている女の子に優しく話しかける。
「もう、大丈夫……」
優しく抱きしめる。
女の子は呟いた。
「お姉ちゃん、ありがとう」
「…… どういたしまして」
女の子は、軽く頭を下げて走り去っていった。
優しく見送る凛の姿を見ていた霧丸が、声をかける。
「…… 優しいんだな」
「そんなんじゃないの……
私も昔助けてもらった事があるから……
あの子の気持ちが痛い程わかるの」
──走り去った女の子の姿を
昔の自分に重ねているかのようだった。
「あっ!霧丸っ、お団子食べよ」
また、小走りで走っていく。
「やれやれ……」
「私、みたらしね。霧丸は何にする?」
「オレは……あんこだな」
二人で歩きながら食べる。
「おいしいぃー。 あ、霧丸のも一口ちょうだいっ」
霧丸の手を自分の方に引き寄せ
パクっと、1個を頬張る。
「うーん!あんこも美味しいっ!」
── 本当に美味しそうに食べるな
霧丸は、ハッと我に返り
「おいっ!皆が見てるだろ!仮にも姫様だぞ!自覚しろよ!」
一瞬、空気が止まる。
凛は、蚊の鳴くような声で呟く
「……わたしだって……」
── しまった。きつく言い過ぎた。
食べ歩きなんかした事ないか……
俯く凛に、霧丸は慌てて
「ほ、ほら。 もう一つやるから!
……機嫌直してくれ」
「ほんと!? やったぁ。いただきまーす」
頬張る姿を見て、霧丸はホッとして微笑んだ。
── 屋敷に戻ると、二人は庭に出た。
色とりどりの花が咲いていて、よく手入れされているのが分かる。
華やかだけど、どこか落ち着いた雰囲気の庭だった。
「かあさまがね、花が好きで……」
凛がぽつりとつぶやいた。
その声に、霧丸は何も言わず庭を見渡した。
花の並び方や、雑草の少なさに、誰かの丁寧な気持ちが残っている気がした。
凛は、花壇の前にしゃがみこむと、
小さな花の一輪にそっと手を添えた。
目を細めるその横顔は、まるで誰かに話しかけているようだった。
俯いた拍子に、
凛の胸元から首元の紐飾りが、わずかにのぞいた。
「ん?なんだその紐飾り」
凛は、さっと隠し
「なんでもいいでしょ!」
「姫様なら、もっといいやつつけられるんじゃねぇか?
なんだってそんなものを」
凛は、怒って
「そんなものじゃない!大切なものなの!」
すぐに手を添え、そっと着物の襟元へと隠した。
再び、視線を先ほどの花に移し、凛が言う。
「これね、小さい頃から咲いてるの。
……お母様が好きだったの」
「そうだったのか……」
「あっ、霧丸っ、こっちの雑草抜いてくれる?」
「なんでオレが……」と言いながら、
凛の隣りにしゃがみ、手を出す。
黙々と花の手入れをする沈黙の中に、
穏やかな時間が流れる。
凛がふとつぶやく
「小さい女の子は、お花を髪飾りにするんだって」
「お前だって女の子だろ」
「私…… 目が見えなかったし…… 」
…………霧丸は、沈黙する
「ちょっとこっち向け」
「えっ?」
凛が霧丸の方を向くと、
霧丸は、凛に少し近づき……
摘んだ花を、そっと凛の耳元に差す。
驚く凛に向かって、
「大事な花を勝手に摘んですまない。
でも……これで同じだろ……」
少し照れたように視線を逸らした。
「……うんっ!」
二人は、近づいた距離はそのままに……
花の手入れを続けた。
── その数日後、
練兵場には、木刀の音が乾いた響きを刻んでいた。
霧丸がひとり、黙々と打ち込みを続けている。
「…… 霧丸は、何でそんなに一生懸命なの?」
いつの間にか、凛が稽古場の縁に立っていた。
霧丸は木刀を肩に乗せたまま、しばらく黙っていた。
そしてぽつりと答える。
「……守れる強さが、欲しいんだ」
「守れる強さ……?」
凛は、思わず聞き返した。
霧丸は視線を落とし、
言葉を選ぶようにゆっくりと話す。
「昔、何も出来なかった。
ただ見てる事しか出来なくて…………」
木刀を握る拳に力がこもる。
「だから、二度と悲しい想いをさせたくないんだ」
凛は、その言葉を静かに受け止めた。
霧丸にも、痛みがあったのだと初めて知った。
「……そっか。
霧丸も、誰かを守る為に戦ってるんだね」
「オレ“も”?…… って?」
「うぅん、なんでもないっ。
おかげでスッキリした ありがと!」
「スッキリ?」
「じゃ、またね!」
「稽古、頑張ってね!」
凛は走り去っていった。
「何だったんだ?あいつ」
── 霧丸は不思議に思いつつ、木刀を振り続けた。
ふと、木刀を振る手を止めて、右手の拳を見つめる。
…………二度と泣かせたりしない。
──その頃、城の奥。
いつもは静謐な空気に包まれた政の間に、
微かなざわめきが走っていた。
「当主様、何やら只ならぬ動きがございます」
そう告げた家臣の声は低く、どこか怯えを含んでいた。
当主・久我沢重光は、手元の文を伏せ、顔を上げる。
その目が捉えた家臣の表情に、
ただならぬ空気を察した。
「申してみよ。……何があった」
「国境近く御伽山の山中にて、
武装した一団が目撃されたとの報告が入りました」
重光の眉がわずかに動く。
「御伽山…… ? 隣国の者か、何者だ?」
「詳細は、いまだ掴めておりません。
ただ…… 目撃者によれば、その中の一人……
その身に“マダラ模様”があった、と」
「……何……マダラだと……?」
重光の声が一瞬、かすれる。
「まさか……異形の者どもが……」
「恐れながら、そう見て間違いないかと……」
重光は膝上に手を置き、指先に力を込める。
血の気がわずかに引いたように見えた。
「何故……今に……なって」
声は、低く
誰に向けたとも知れぬ呟きだった。
その顔には、
深く沈むような苦悶の色が滲んでいた。
── 第二幕 了 ──