【第6章 第十四話「凛」】
姫様に呼ばれてから、数日が経った頃──
霧丸は、組頭に呼ばれた。
「……お前、先日姫様に呼ばれた時、何かしたか?」
ドキッとして、あの日、
姫様が自分に頭を下げた光景が脳裏に蘇った。
「あっ、いやっ……その……あれは……」
霧丸は俯いたまま、口ごもる。
「おかしな奴だな。
まぁ、どうあれお前に仰せが下ったぞ」
「えっ……!?」
── やっぱり、
あの侍女頭に見られていたのか!?
まさか……せ、切腹!?
呆然とする霧丸に向かって、
組頭は無言で一歩進み出ると、
懐から書状を取り出し仰々しく広げた。
「霧丸! 本日より姫様付きの護衛の任を命ずる」
「えっ……!?」
状況が呑み込めず、何も考えられない。
「ふっ……よかったな、出世だぞ」
我に返った霧丸は慌てて口を開く。
「ど、どうしてオレが!?」
「まさか、ご当主様からの仰せに不服か!?」
──組頭は、腰の刀に手をかける。
「いっ……いえっ!
と、とんでもございませんっ!」
組頭は、すっと刀から手を離し霧丸に命じた。
「ならば今すぐ、姫様の屋敷に向かえっ!」
「は、ははっ……!」
── なんだ、何が起こってるんだ……
霧丸は渋々と、姫の屋敷へと向かった。
心のモヤモヤは晴れない。
── 何なんだ、いったい。
姫の屋敷が見えてきた頃、
入口の前に立つ侍女頭の姿が目に入った。
思わず足を止め、咄嗟に近くの木の陰に隠れる。
そして、裾の埃を払い、襟元を整え……
「よしっ。」
気合いを入れ直し、ゆっくりと入口に向かった。
立っていた侍女頭が口を開く。
「遅かったですね」
──霧丸に緊張が走る。
「も……申し訳ございませんっ!」
侍女頭は、霧丸の返答を遮るように言った。
「申し遅れました。
わたくしは、姫様の侍女頭──志乃と申します」
「霧丸……と、申します」
「よろしいですか。
あなたは、姫様をお守りする立場だという事を、
くれぐれも忘れる事の無いように!」
「は、はいっ」
「では、中へお入りください。姫様がお待ちです」
屋敷の中に足を踏み入れるのは、これが初めてだ。
広く整った廊下、磨き込まれた床板──
当たり前だが、霧丸の住まいとはまるで違う。
屋敷の奥、襖の向こうに凛が待っていた。
「霧丸、ご足労かけました。遅かったですね」
霧丸は畳に膝をつき頭を下げる。
「誠に、申し訳ございません」
凛は、霧丸の近くまで来て囁く。
「もうそういうのいいから、楽にして」
「ら……楽に、と申されましても……」
霧丸は戸惑い、姿勢を直すタイミングを見失う。
「役目の話は聞いてる?」
「はい……姫様の護衛の任を、承っております」
「そう、私専属のね」
霧丸はどう返せばいいか分からず、再び頭を下げた。
「ほら、また畏まってる」
凛は、優しく微笑んで、語りかける。
「霧丸。あなたは私の専属の護衛だから、
私のお願いは……聞いてくれると言うことで……
いいのよね?」
「はっ、勿論でございます」
「じゃ、今後、私と二人だけの時は、
敬語や畏まった態度は禁止で、お願いします!」
「な……そ、そのような無礼は……できませぬ」
「私のお願いは聞いていただけないと言うことです……か?」
「い……いえ、決してそのような事は……
ただ、それは……」
凛は続けた。
「困らせてごめんなさい……
でもね、私はずっとお城にいるでしょ?
お城にいる時は、
いつでも姫様でいなくちゃいけないの……」
霧丸は、黙って聞いていた。
「たまの外出でも、何人かが付いてくれてるし……」
「だから、少しでも、
普通でいられる時間が欲しいなって……」
霧丸はじっと聞いていた。
── いくらご命令だとはいえ、果たしていいのだろうか。かと言って、ご命令に背くのも……
霧丸は、しばらく考えていたが
ゆっくりと顔をあげ、静かに口を開く。
「姫様のお気持ちは……わ……わかりました」
凛が、ふっと微笑んだ。
「ありがとう」
姫の笑顔に、霧丸も何か熱いものが込み上げた。
── 何もかも手に入れられる立場なのに、
手に入れられないものが、普通の生活だなんて……
「じゃあ、決まりね!」
霧丸もその笑顔に綻んだ。
「あ、私の事は、凛 と呼ぶように!」
「えっ……!?」
── さすがに、そこまでは……
霧丸は、またしばらく考えていたが
凛の嬉しそうな笑顔を見て
…………覚悟を決めた。
「わかった…… 凛」
凛は、満面の笑みを浮かべた。