【2:ここから始まる】④
「光、……ベッド行こう」
ソファで抱き合ってキスをしながら、俊也に耳元で囁かれる。
今日も泊まる予定で訪れている恋人の部屋も、週末ごとにもう何度目かでかなり馴染んで来た。
そろそろ半袖で過ごせる日も増えている。まだ冷房は必要ないが、密着すると互いの体温で多少汗ばむこともあった。
しかし恋人同士には、その程度たいしたことではない。結局は汗まみれになるのだから。
「……俊也さん、えっち好きだよね」
光の台詞に彼は弾かれたように身を離した。
「! ゴメン、嫌だった? 俺、全然気づかなくて──」
「違っ、そうじゃないから!」
ほんの照れ隠しで零してしまったに過ぎないのに、思いのほか真剣に返されて光は必死で弁解する。
軽く「うん、好きだよ~」とあっさり流してくれるかと思ったのに。
いや、俊也はどう考えてもそういうタイプではないか。
もともと光は思ったことをつい口にしてしまう方ではあるのだ。気をつけてはいたのだが、彼との付き合いにも慣れて来て、油断して気が緩んでしまったのかもしれない。
「違うんだ! ちょっと恥ずかしかったから、つい。その、俺も俊也さんとしたいから! それに、イヤだったら最初から泊まりになんて来ないよ」
「……本当に?」
どうにか光の本音を探ろうとするかのような、恋人の声と視線。
「うん、ホントに。ゴメンね、つまんないこと言っちゃって、俺」
先ほどまで漂っていた筈の甘い空気はすっかり霧散して、とても今からベッドへという雰囲気ではなくなってしまった。
光はその原因となった己の失言を悔いるがもう遅い。まさに『覆水盆に返らず』だ。
今日何もできなかったとしても、それは一向に構わない。身体の関係がすべてではないからだ。
しかし、俊也が気にして次からもぎこちなくなってしまうとまずい。
──ううう。俺のバカ! もうなんであんなこと言っちゃったんだろ……。
もう二人とも入浴も済ませて、それこそ「あとは寝るだけ」だった。それが完全にリセットされたような状態だ。
「……光。もう眠い?」
内心では頭を抱えていた光に、俊也が声を掛けて来る。
「え? ううん、まだ全然」
問われて、その意図はわからないものの光は素で答えた。
「じゃあさ、映画でも観ないか?」
「映画ってテレビの録画? それともソフト買ったの? 俊也さんて映画好きだったっけ」
予想外の俊也の問い掛けに、湧いた疑問を投げてみる。
俊也は、自分でプレーするだけではなくサッカーの試合を観るのも好きだと光は知っていた。
そのため有料のスポーツネット中継を契約しているので、それ以外のサブスクリプションには入っていないし必要もない、と以前話していたのも覚えている。
もともと彼は仕事が多忙で、家でゆっくり過ごす時間は然程ないというからなおさらだろう。
「いや、俺も普段はほとんど観ないよ。映画館行ったのなんて何年前だって感じだし、ソフトも買ったことないな。たまにテレビでやってるの観るかなってくらいで」
そう言って、俊也は何故映画なのかを説明してくれる。
「同僚が引っ越すからって、山ほどある映画のディスク整理したがってたんだ。捨てる気はないから売ろうとしたら、余程プレミアついたレア物以外は二束三文だって言われたんだってさ」
今まで映画の話題など出たこともなく、唐突に感じた理由が明かされた。
「ああ、それはわかる。中古本なんかもそうらしいよね。一冊せいぜい十円とか、中には『そのタイトル、店に在庫いっぱいあるから引き取れない』って言われてそのまま持って帰って来た! って奴、大学にいたよ」
アニメ化やドラマ化で一気に売れた作品は、ブームが落ち着くと売りに出されることも多いのだという。
光は売買双方で中古品を扱う店舗を利用しないのでよく知らなかったのだが、友人に教えられたのだ。
「みたいだな。その同僚も、金の問題じゃなくて好きだったから抵抗あるらしくて。どうせタダ同然なら『欲しい人に譲る』って職場で配ってて、つい勢いでもらっちゃったんだけどさ。俺は一人のときはサッカー観るから、なかなか機会も時間もないんだよ」
彼は以前、気になる試合を観たくても時間が取れない、と零していたこともあった。
それなのになぜ映画なのか、と余計に疑問だったのだ。なるほど、そういうことか。
「そうなんだ。……サッカーって、謙ちゃんが家に来た時にネット中継のインデックス見せてもらったんだけど、ありえないくらい試合やってるよね。こんなの全部観ようと思ったら、どれだけ時間あっても足りないだろっていう感じなんだけど」
姉の恋人の謙太郎とのやり取りを思い出して口にした光に、彼が補足してくれた。
「まぁ、ね。全部合わせたらそれこそ膨大なんだけど、人によって観たいものが違うから。たとえば海外リーグでも俺はラ・リーガ、……えっとスペインリーグが好きなんだ。ドイツのブンデスリーガが好きな人もいるし、ジャパン代表しか観ないって人もいる。ワールドカップとか大きな大会だけってのもよく聞くね。他にも国内リーグやらいろいろあるからさ。そういう意味では選び放題ではあるかな」
やはり好きなことだと饒舌になるらしく、俊也はいつにも増して口が滑らかだ。
「……はぁ」
間が抜けているのは承知の上で、他に言葉が見つからない。
光はこうして俊也と付き合うようになった今もサッカーには特に興味はなかった。
スポーツは体育の授業程度、観るのも不純な動機からの彼が所属するサッカーチームの練習や試合くらいだ。
そのため、やるにしろ観るにしろ「スポーツ好き」の気持ちは未だによくわからない。
正直なところ今の彼の話もあまり理解できなかったのだが、他の趣味にもある「ジャンル違い」のようなことなのだろう、と強引に納得した振りをした。
もしかしたら恋人の趣味に合わせるべきなのかもしれない、と悩んではいるのだが、俊也は決してそんなことは言わないし思ってもいないようだ。
そのため、結果的には彼に甘えている状態だった。
そもそも光といる時に、彼がチームの予定以外のサッカーの話題を出すこと自体がまずない。今も光が口にしたから説明してくれただけだ。
「どんな映画? 俺、あんまり難しいヤツだと途中で寝ちゃうかも」
「その同僚は小難しい映画マニアじゃないから、わりとメジャーなのも多かったみたいだよ」
これ以上醜態を晒すのだけは阻止しなければ、と恐る恐る確認した光に、彼が笑って答えてくれる。
「俺も全然詳しくなくて、タイトル聞いても知らないのばっかりだった。でも正直に話したら『わかりやすいの選ぶから』って渡してくれたんだよ。だから好みに合うかどうかはともかく、難しくはないと思う」
とりあえずそれなら大丈夫そうだ、と光は胸を撫で下ろした。
「そうなんだ。外国の映画?」
少し気が楽になって重ねて訊いてみる。
正直映画の内容は何でもよくて、単に会話の糸口だ。せっかく俊也が切り替えようとしてくれているのだから、全力で乗って流れを変えてしまわなければ。
「洋画も邦画もあったけど、俺がもらったのは洋画。字幕と吹き替え両方ついてる奴。……観る? 気が進まないなら無理することないよ」
「ううん、観る。観たい」
気遣わし気な彼にきっぱりと返す。
「そうか、じゃあ観よう。字幕でいい?」
光の様子に恋人も微笑んで、テレビ台の下のディスクを取り出すとレコーダーを操作した。