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Overflow  作者: りん
8/20

【2:ここから始まる】③

 駅に戻って、電車に乗って移動する。

 今更のように確認すると、彼の部屋の最寄り駅はここから乗り換えが二度必要らしかった。

 会うために希望の場所を訊かれ、いくつかの候補の中から二人であの駅を選んだのだが。そもそも光が挙げたのは、自宅から大学への定期券で行ける駅ばかりだ。

 今日は「会いたい」というだけで、どこかに行き何かをするといった目的があるわけでもない。最初から教えてくれれば、俊也も行きやすいところを候補に挙げるのに。

 光の都合に合わせてくれようとするのはありがたいが、今後のこともあるのでそれはきちんと言ってくれた方がよかった、と考える。

 もちろんそれが彼の優しさだというのは重々承知だが、長く付き合うつもりなら、……光はそのつもりなので不要な遠慮はかえって喜べないと感じてしまった。

 いや。それ以上に、選定を委ねられたとはいえ「自分の便利」しか頭になかった、とようやく浅慮に気づく始末だ。

 互いについて言えることだが、「合わせる」ために我慢や妥協を重ねるのは歪な気がした。

 あとで、機会をみつけて話しておかないと。もちろん、光もこれからは気をつけるから、と。


 少し郊外になる駅から徒歩十分ほどで到着したのは、予想していたよりこじんまりとしたマンションだった。

 俊也の部屋の間取りは1LDKらしい。

 リビングに通された光は、彼と並んで勧められるままソファに座った。二人でゆったりお喋りして過ごしながら、光は初めてとは思えないほどリラックスしている自分に気づく。


 ──なんか居心地いいっていうか、俊也さんの部屋だな~って感じ。いや、当たり前だけど。


「光、急に無理言って来てもらってゴメンな」

「え? な、何を急に──」

 そんなタイミングでの唐突な恋人の謝罪に、光は意味もわからず戸惑った。自分はなにか不興を買うようなことをしでかしたのだろうか!?


「……俺たち、最初があんな感じだっただろ? あのあともホテル出ていろいろ話したし、俺の考えとか、──本気だってこともちゃんと伝えたつもりなんだけど、あれから会えてなかったしさ。だから早く家に呼びたくて、なんか焦っちゃったみたいで」

 彼の方もいろいろと思うところはあったということか。


「実は俺、こんな風に誰かと付き合うの初めてだから。いい年して変だよな」

「数で競うことじゃなくない? 俊也さんはそれだけ真面目で、軽率に行動しないってことでしょ?」

 正直意外ではあったが、光自身「恋人との交際経験」はあまり自慢できるようなものではないし詳細は知らせたくない。


「それに俺は俊也さんの気持ち、ちゃんとわかってると思うよ。でもそれとは別に家に呼んでくれたのはホント嬉しいんだ。だから俊也さんが気にすることなんて何もないよ」

 彼は言葉だけではなく、「その場限りではない、真剣な交際をしたい」という意思をはっきりと形として示したかったということなのだろう。

 誠実な人だから。そしてそれは、光がずっと「恋人」に望んでいたものだった。


「そう言ってくれると安心する。ありがとう」

 本心から告げた光に、恋人も納得してくれたようだ。ほっとしたような俊也の声に、光は敢えて話題を変える。


「ねぇ、俊也さん。このソファいいね! すごく落ち着く。俺の家にはソファってないから、ちょっと憧れてたんだよ」

 取ってつけたように聞こえるかもしれないが、これはこの部屋に来て腰を下ろしたときから感じていたことだ。

 二人掛けで大きくはないが、クッションの具合がちょうど良いと感じる。


「あー、これな。俺が学生の時に使ってた家具や家電って、入学したときに大学で斡旋してもらったリサイクルだったから、卒業する時にまたリサイクルに回して全部買い替えたんだよ。小型の冷蔵庫と温めだけのレンジと洗濯機と炬燵に本棚くらいで、古いし欲しい奴いるか不明だったけど」

「そういうのあるんだ。俺の大学は、……ああでも一人暮らしのやつしか知らないかもしれないしなあ」

 光は自宅通学で、地方から出て来た一人暮らしの友人宅を訪ねたことはあるがそういった具体的な事情は考えてみたこともなかった。


「そうだなあ、割と似たようなことやってる大学ありそうだけど。それで、この部屋のために一から揃える時に家電とベッドと食卓とって考えててさ。せっかく部屋広くなったんだし、なんか寛ぐコーナーが欲しいなって」

 リビングを見回しながらの彼の台詞に、光も釣られて室内に目を走らせる。


「それはわかる気がする。俺はずっと実家だけど、自分の部屋ではついベッドに座っちゃうんだ。勉強机の椅子もあるけど、休むには向かないんだよね」

 腰掛けるのみならず、スマートフォンを弄るにも本を読むにもベッドに寝転んでというのも珍しくない。

 そのまま寝落ちしてしまい、朝起きてやるべきことが済んでおらず顔面蒼白になったこともあった。


「そうそう。で、その時にこのソファがセールでお手頃価格だったから、纏めて配達してもらえるし買ったんだ。思った以上に便利だし買ってよかったよ。それにこれ、ラブソファだしやっと本来の使い方できる」

 意味ありげに笑った俊也に、光も笑顔で返す。


「これから何回でも来るから。いっぱい使わせてもらう」

 すぐ脇の座面を掌で軽く叩きながら、少しだけ上になる恋人の目を見た。


「そうだな。どうせ一人でも横になる長さもないし、中途半端なんだよ。二人でこそって感じだからさ」

 楽しそうな彼の様子が伝染したようで、光は心が浮き立つ気がする。


「でもこの部屋、結構広いよね。あと寝室もあるんでしょ? 社会人ならこれが普通なの?」

 光は再度リビングルームを見回して、彼に問い掛けてみた。

 恋人が気に入っているというだけでよく見える側面もあるのかもしれないが、友人、つまり学生の住むアパートやワンルームマンションしか知らない光には相当に「いい部屋」だと感じる。


「どうかなぁ、それこそ人によるだろ。収入も仕事形態も違うだろうし。ただ、狭くはないと思うよ。俺にとっては十分広い方だから」

「そっか」

 生まれた時からずっと今の自宅で、一人暮らしどころか転居さえ経験のない光には想像も及ばない。


「とにかく便利な都心がいい、狭くてもいいって人もいれば、不便でも広い方がいい人もいるし、駅から近いとか通勤時間が短い方がいいとか、重視するポイントはホントそれぞれだからさ」

 その通りだ、と言われてみて気づいた。何もかもを満たそうとすれば、おそらくは金銭的に折り合わないことも。


「そういえば大学の友達も言ってた! 駅から近い方がいいと思ったけど、古いし結構やかましいし後悔してる~、とか。だって大学なら自転車で通うやつも多いしね。もっと部屋そのものとか環境とか考えればよかった! って」

 友人の愚痴を思い出して話す光に、俊也も大学時代を思い返したらしい。


「俺は学生のとき住んでたアパートがあまりにも安普請で、騒音ってレベルじゃない音でかなり苦労したんだ。だから何よりも防音って感じだったんだよな。ここ、立地は便利とは言えないけど建物は結構しっかりしてるから」

「なんか掃除機や洗濯機の音とか? そういうの、前にテレビで見たことある気がする」

 気軽に尋ねた光に、彼の返答は予想外だった。


「それならまだマシ、って言い方もなんだけど、俺の場合は隣の部屋の音どころか気配がわかったりしたからな。静かにしてたら照明のスイッチ入れる音が聞こえるんだ。流石に光は漏れないけど、紐引くカチって音が」

「……え?」

 俄かには信じられないような俊也の話に、光は返す言葉もない。


「あ、言っとくけど隣の住人は何も悪くないから。逆に、向こうは俺の生活音が邪魔になってただろうし。ただひたすらにアパートそのものの問題だったんだよな」

「そ、そう、なんだ」

 ……いったいどんな建物だというのか。いくら古くて安いとはいえアパートならば、一応でも賃料を取って人が住めるということだろうに。


「だから今はほんっと快適! 卒業したらやっとこの部屋とお別れできる! って、ウキウキで新しい部屋探してるときに『防音ならワンルームとかの単身用より、ちょっと広めの方がちゃんとしてる物件が多いですよ』って不動産屋に言われて」

 彼の声が弾んでいるのに、よほど嬉しかったのだな、と微笑ましく感じる。


「それはわかる気がする。一人暮らし用の部屋って長く住む前提じゃないのかな?」

「回転率上げたほうが手数料で儲かる、って考えもあるんじゃないか?」

 なるほど、そういう観点もあるのか。光にはまるで縁のなかったことばかりだ。

 光も薄っすらと卒業して就職したら家を出たいとは考えていたか、あくまでも曖昧なものでしかなかった。

 姉の香が、今も自宅にいる影響もあるかもしれない。

 彼女は地元の市役所勤務なので、通勤にも便利な自宅からは結婚するまで出る必要がないと考えているようだ。


「まぁそれはそうだろうなと納得したし、いろいろ内見もする中でここ紹介されたんだ。実は分譲貸しなんだよ」

「え!? じゃあ他の部屋の人はみんな買って住んでるってこと?」

 分譲と賃貸の違いくらいは知っていても、「分譲貸し」という形態は言葉の意味でしか掴めない。

 つまりこの物件は「分譲マンション」らしいということだけは伝わった。

 光の疑問に、彼は「賃貸で入ってる人が多いみたいだよ。資産用に買って貸す、って形なのかな」と説明してくれた。


「正直、確かにすごく気に入ったけどちょっと高いなって迷ったんだよ。でもここ見たら、他はどこも不満出ちゃってさ。もう思い切って決めたんだ。俺、金使うとこがあんまりないから。いやよかった、生活の質が全然違う」

 目を輝かせて語る俊也に圧倒されてしまい、掛ける言葉も見つからず光は黙ったままでいるしかできない。


 彼の生活は、聞く限り「仕事と休日のサッカー」でほぼ塗り潰されているのではないか。

 それ以外は食事と睡眠に最低限の家事、空き時間はサッカー中継を観るくらい、のようだ。確かに余分な金を使う余地もなさそうだ。


「まぁ、前の部屋ほど酷いとこはそうそうないだろうけど。それに前の部屋だって、貧乏学生にはありがたい存在なのは間違いなかったんだよ。そりゃもう安かったから。大学まで歩けるから余計な金掛からなかったし」

 朗らかに話し続ける恋人を見ながら、光は考える。


 以前の部屋の文句よりも、今の部屋のいいところに喜びを表すあたりが如何にも俊也らしい気がした。いや、話だけでも前の部屋があまりにもという感じではあるし、不満を漏らしてもまったく問題はないと思うのだが。

 それでも光は、「こういう俊也」がとても好きなのだ。


「ホントにいい部屋だよ! 俺もここで過ごす時間増えるだろうから、居心地って大事だしね」

 その言葉で何か思い出したのか、彼が肩に触れて来た。


「そうだ、光。ベッドルームも見る? あ、今日は見るだけな」

 恋人の提案に微笑んで頷き、光はソファから立ち上がる。

 始まったばかりの二人の関係において、この部屋の果たす役割はきっと小さくはないだろう。


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