【1:溢れてしまう】③
それがすべての始まりだった。
光は香や、会う機会があれば謙太郎とも、会話の中でさりげなくサッカーチームの話題を出すようにした。
そして「誘われて仕方なく」という体を取りつつも、試合の応援や練習時の手伝いにまで行くようになったのだ。
考え過ぎかもしれないが、あまりにも頻繁過ぎて疑念を抱かれては不味いので行きたくても「予定があるから」と口実をつけて断ることもあった。
毎回必ずではないが、試合後の打ち上げに参加して、俊也と話すのが何よりの楽しみだった。
理由ははっきりしていたが、認めても良いものか判断できなかった。
光は性指向について公表はしていない。文字通り誰にも知らせていない。もちろん姉にも。
それがこんな身近な、「家族」を通じた付き合いの範囲で男相手に恋愛感情を抱くことが後ろめたく、怖かった。
「光くんはサッカーしないの? よく来てくれてるけど。やりたかったら遠慮要らないよ? 初心者お断りなんて言えるチームじゃないから」
特に含みもなさそうな俊也の問いに、どう答えようか迷う。正直に告げたら気を悪くされないだろうかと不安が過ったからだ。
しかし、核心に関わること以外では嘘を吐かない方がいい。真実に一部偽りを混ぜるのが、隠し事が上手く行く秘訣だ。
明らかにしてはいけないことは最初から決まっているのだから、それ以外ではありのままを告げるのが最善だろう。
「俺、スポーツってあんまり好きじゃないっていうか、得意じゃないんですよ。足も遅い方だし。俊也さんはすごい速いですよね! 最初すぐに見失っちゃって、速過ぎて!」
結局は本音で返した光に、彼は気分を害した様子もない。
チームメンバーは姓ではなく名で呼び合うのが習慣だったため、光も自然に影響された風を装って「俊也さん」と呼ぶようになった。
「サッカーはやっぱ足だからな~。俺なんて特別目立つ方でもないよ。光くんスタイルいいし、運動神経よさそうに見えるけどな」
それは買い被りというものだろう、と思ったが、密かに好意を抱く相手に褒められるのは純粋に嬉しい。
「いや、そんなことないですって。運動部入ったことないし。だから上手い人たちの観てる方が楽しいです。……あ、でもルール全然覚えられてないんだけど。すみません」
流石にルールくらいは把握しておくべきではないか、と一応「勉強」はしたのだが、所詮動機が不順なので頭に入らなかった。
俊也がそのことに不快感を示すようならまた別だっただろうと思う。
しかし話していればサッカーに詳しくないのは一目瞭然だったろうに、「応援来てくれるだけでありがたい」と気にしない様子なのに甘えてしまっていた。
そもそも光は、スポーツ観戦そのものにも一切興味がない。
ただ観ているだけの、他人がやっているに過ぎないスポーツによくそこまで夢中になれるな、と冷めた目で見ていたほどだ。
だからといって自分で運動する気にもならない。
学校の体育以外では無駄な体力は使いたくないとさえ考えていた。所謂「運動音痴」ではなく、俊足とは言えないもののそれなりに動けはするのだが。
「とりあえず相手ゴールに入れたら得点で手は使わない、ってだけわかってれば大丈夫だよ」
「それはさすがに知ってますよ。体育の授業でもやりましたから。まあ、確かにそれだけ抑えとけばOKかも」
いくら初心者向けとはいえあまりにも大雑把な総括に、反論する気はなくとも苦笑が漏れてしまう。
野球や他のスポーツに比べて、サッカーは観戦のハードルは低いと思っていた。
常に動いているため目が離せないという部分はあるが、細かいルールなど知らなくても特に困ることもないからだ。
「ただ……、えーとなんだっけ。オフ、何とかってあれが全然わかんなくて」
ふと思い出して口の端に乗せてみる。
「ああ、『オフサイド』かな。あれはよく知らない人には意味不明かもね。ポジションの問題だけどじっとしてないからさ」
「はい、たぶんそれです。ルール確かめてみたんですけど、なんか今一つよく……」
ここで詳細に説明されても、おそらく光には理解できない。
余計なことを言わなければよかったのか、と内心焦るが、彼はあっさりと流してくれた。
「とりあえず観てるだけなら、審判に止められたら反則で相手がフリーキックなんだ、と思ってればいいって。結局は時間内で点取り合うゲームだから。でも、もし詳しく知りたかったら教えるからいつでも訊いてよ」
「はい。ありがとうございます」
おそらく「知りたい」と思う日は来ない気がしたものの、光は素直に礼を述べた。
俊也はこういったケースには慣れているのではないか。学生時代からずっと競技を続けて来て、「素人」との間にルールが話題に上ることも少なくはなかった筈だ。
相手が本当に知的好奇心で訊いているのか、単なる場を持たせるための話題の一つなのか、場数をこなせば判別できそうな気がした。
特に強豪でもなく公式戦に出ることもない、大学生と二十代の社会人で構成されたサッカーチーム。
正直、定期的に姿を見せるのはメンバーの身内、……家族や恋人くらいのものだ。
光もその分類では身内に入るのだろうが、「貴重な応援要員」として間違いなく歓迎されている。
誰にも優しい俊也は、たまに他のメンバーの伝手でやってくる若い女性と同じかそれ以上に光に楽しそうな顔を向けてくれていた。
それが単に「どうせその場限り」の可愛い女性より、確実に常連として数に入れられる光を逃さないための接待だとしても構わなかった。
たとえ彼の想いがどこにあろうとも、どう解釈するかは光の自由だ。
穿って斜に構えるよりも、俊也の笑顔を、温かい声を、自分だけに対するものだと前向きに受け取る方がいい。
やはり集まりの性質からも、特に試合後は「サッカーの話」がメインになる。
ただ意味もわからず聞いているしかできない光より、メンバー同士や同じ応援の立場でも他のサッカー好きと話が弾むのは当然だった。
それを「せっかく来たのに放置された」と僻むほど身勝手ではない。
しかしそれも、俊也が相手をしてくれるからだ。流石にずっと一人なら誰かが、……少なくとも謙太郎か香が気づいて構ってくれるだろうが。
優しくて親切な、素敵な人。年下の光にも常に気配りしてくれる、少し罪な人。それでも、嬉しい。
いつしか本気で好きになっていた。
第一印象を裏切る本来の彼にも幻滅などしなかった。叶わなくてもいいから、そこまで夢見てはいないから、せめて共に過ごす時間が欲しい。
俊也と出逢う以前には袖を通すこともなかったモノトーンの服を身に纏うようになった。カラフルなウェア風に合わせるのは露骨過ぎる。せめて白黒のボールをモチーフにするのが精一杯だった。
自分でも滑稽なのはわかっている。
友人に「趣味変わったの?」と訊かれることもあったが、曖昧な笑みで誤魔化していた。
──想ってるだけなら構わないよね。誰にも、俊也さん本人にも迷惑なんか掛けてないんだし。
心の中で、密かに好きでいるだけなのだから大丈夫。そう自分に言い聞かせながら彼を想い続けた日々。
しかしその時間は、半年で光が思ってもみなかった終わりを迎えることになったのだ。