【4:離れても?】 ③
「いい機会だと思ったんだ。……強制的に離れられる今なら、この関係を見直すことができるんじゃないかと。俺達もう三年近くなるけど、今ならまだ間に合うんじゃないか。そう思って」
言うと、俊也は未だ棒立ちのままでいる光に座るよう促した。
「初めて会った時、光はまだ二十歳だったよな? 付き合い出したのも。あのとき年上の俺がもっとよく考えればよかったんだ。俺が光の生き方まで変えてしまった気がして」
「生き方、って。俺は俊也さんとは関係なく、もともと男しか──」
俊也がどうにか言葉を並べるのに、光が反射的に言い返して来た。
「……男と付き合うこと自体じゃなくて。光は俺しか見えてないみたいで、他にあった筈の未来とか、そういうのも俺のせいで……。ホントにこれでいいのかって怖くなったんだよ。だから」
無意識にも顔を歪めて俊也が話すのを、光はとりあえずは黙って聞いているようだ。
「光のことが本当に可愛いから、……愛してるから。光には、誰よりも幸せになって欲しいんだ。それには俺に縛られてたら──」
「俊也さんはホントに何もわかってないんだね。あなたはもっと頭がいいと思ってたよ」
光が苛立ちを堪え切れない様子で、それでも表面上は平静を保ったまま告げて来た。
「幸せって自分以外の誰かが決めるものだったの? 俺はそうは思わないな」
敢えて感情を抑えるかのように淡々と話す彼の、その態度とは裏腹の立ち上るような怒りの炎を感じ取ってしまい、俊也は言うべきことが見つけられずにいる。
「第一、俊也さんの言い分じゃ今の俺が幸せじゃないみたいに聞こえるんだけど」
「いや! そんな。そんな事は言ってない!」
思わず反論した俊也にも、光は怯むことなく言葉を続けた。
「それに何より、俺は今だって自由だよ。それは勘違いして欲しくない!」
「光──」
言い切られて息を飲んだ俊也に、彼がさらに畳み掛けて来る。
「いま俊也さんも言ったじゃないか。初めて会ってからもう三年以上経って、俺はもう成人したばっかりだったあの頃とは違うんだよ。まだまだ新人のうちには違いないけど、もう社会人になってまる一年経つんだし」
言うまでもなく、光が俊也より四歳下だという事実は永遠に変わらない。
しかし、俊也が自動的に歳を重ねるのと同様に彼の時間も止まることなく動いているのだ。二十歳と二十四歳だった二人は、二十三歳と二十七歳になった。
そして今の光は、初対面のときの俊也と然程変わらないと言う事実にようやく気づく。
あの頃の俊也は、社会人としてまだ一年半しか経っていなかった。
「どっちにしても、俺はもう子どもじゃないんだよ、俊也さん」
そう、光はもう学生だったあの頃とは違う。その程度のことさえ理解できていなかった。
気づいて、俊也は絶句して双眸を見開く。そしてその反応に、光は逆に驚いたようだ。
……それはつまり、俊也にとって光はいつまでも出逢った頃の二十歳のままの、庇護の対象としての弱くて幼い存在だという意味にもなってしまう。
実際に、「二十歳の光」は俊也にとって『子ども』だったのだ。そう見做してしまっていたのだ。間違いなく。
それを察したらしい彼が、どういう感情を抱いたのかもなんとなく読み取れる気がした。呆れなのか、あるいは哀しみかもしれない。
「いや、それくらいわかってるよ。光がもう一人前に働いてることだって、もちろん!」
顔を顰める光に、俊也は言い訳をするように急いで付け加えた。我ながら説得力がないのは承知だが、無言で流すのはあり得ない。
「ただ……。ああ、そうなんだな、と、思って──」
「結局頭ではわかってても、実感できてなかったってことなんだね」
しかし俊也の慌てようと途切れ途切れの言葉に、内心も光には伝わったのだろう。嘆息しながら言われても否定のしようもなかった。
「ねぇ、俊也さんもわかってるよね? そもそも最初に誘ったのは俺だし、付き合うのだって自分で決めたんだよ。……もしかして、それも俊也さんの中では、俺が強引に何かされたみたいになってんの?」
光の強い口調に、俊也は虚を突かれて狼狽えてしまった。そうではない。いや、本当にそうなのか。
自分はいつの間にか「過去」を歪めてしまっていたのだろうか。罪悪感で?
「いや、そんな。そんなことは──」
しどろもどろのその場しのぎは相手には通じなかった。
「あのさ、俊也さん。俺はもう大人なんだから、あなたの言いなりになんてならないよ」
ここぞとばかりに光は、怯んだ俊也を追い詰める言葉を吐く。
「ううん。俺は今までだって言いなりになってたつもりもないんだけどね」
「それはわかってる! 俺はお前が『言いなり』だったなんて考えてないし、……本当にそうしたいと思ったこともないんだ」
どうにかそれだけ口にした俊也に、光は追及の手を緩める気はないようだった。
「そもそも恋愛って、二人が対等な関係で成り立ってるものなんじゃないの? 俺が俊也さんと付き合ってるのは俺の意思なんだよ。あなたに縛られてるわけでも、強制されてるわけでもないんだから。それくらいちゃんと理解してよ」
俊也が完全に口を噤んでしまったのをいいことに、彼は普段とは程遠い抑揚のない声で話し続けている。
この恋人は、ただ可愛くて何も考えていないわけではない。
そういう印象も確かにあるし、それも彼の一部ではあるのだろう。しかしあくまでも「一部」だ。
光がただ見た目だけの存在なら俊也はそもそも惹かれなかった筈だし、付き合うようになってもここまで続きはしなかったと感じている。
「だから、絶対離れない。距離は離れても、心はいつまでも俊也さんを想い続けるよ。それを止める権利は誰にも、あなたにだってないんだから」
いつもと立場が逆転したかの如く、まるで年上の恋人に懇々と言い聞かせるような光の言葉に、俊也は相変わらずまったく反論もしない、できないままでいる。
正論だからだ。
光は何ひとつ間違ってはいない。俊也の誤りを突いて、糺しているだけなのだ。
「俺を俊也さんに『依存』させた責任は、きっちり取ってもらうから」
覚悟してよね、と最後に言い放った恋人に、俊也は降参だ、と冗談めかして小さく両手を上げてみせた。自然と苦笑しながら。
光は本心では、俊也が責任を感じる必要があるとは思ってもいないだろう。もしかしたら「依存」しているとさえ。
当然だ。光と俊也はどちらも歴としたおとななのだから。
それでも彼が似合わない強い言葉を使ったのは、自分と俊也に呪いを掛けるためかもしれない。
──そうだ。この子の意外なくらいの一途さはかなりのものなんだろう。俺は、それもよく知ってるんだ。
「ねぇ、俊也さん。あなたももう諦めて心を決めてよ。俺たちは運命共同体なんだって」
抑えた声音はそのままに、それでもきっぱりと告げて来た光に、俊也にはもう抗う気力など残ってはいなかった。
「……ああ。そう、なんだろうな。運命、か」
光の言う通りなのだろうか。
出逢ったのも運命なら、今まで二人並んで歩いて来たのも、この先もこの子と手を取り合って生きて行きたいと感じるのも。
そう、まさしく「共同体」と言うに相応しいのではないか。
「そう。だから二人で幸せになるためにはどうすればいいのか、話し合いでもしようか。これから一晩掛けて、じっくりと。今夜だけで足りなかったら、何回でも」
妖しく輝く瞳でじっと見つめられて、俊也は微かに笑みを浮かべる。
「光には叶わないな。たぶん一生、俺は」
そう呟くと俊也は承諾の意を込めて、誘うように差し出された光の手をぎゅっと握った。
完敗だ。しかし悔しくもなんともない「負け」だった。
──この子は大人になったんだ。……いや、違う。出逢った二十歳のときから光は子どもなんかじゃなかった。俺がわかってなかった、わかろうとしなかった、だけで。
綺麗で可愛くて、少し天然なところもあって、──それでも芯は強い、愛しい年下の恋人。
これからも二人で生きて行くために、今できることを。ベッドルームで。




