【4:離れても?】 ②
◇ ◇ ◇
「おお、来生。決まったんだって?」
「あ、うん。情報早いな」
昼休み、朝から上司に呼ばれて内示を受けていた俊也に他部署の同期社員が声を掛けて来る。
「極秘で進行してるわけじゃないからそんなもんだよ」
「それはそうか。俺の耳にもあれこれ入って来てるし」
時期もあり、異動の話はそこかしこで口の端に上っていた。
そして入社以来の五年間を今の部署で過ごした俊也の「異動」は、周囲にとって意外でもなんでもない。
「確かに引っ越しもあって慌ただしいけど、まあだいたいわかってることだからなあ」
二人で昼食を取るために向かった食堂で、それぞれカウンターで食券と引き換えに定食のトレイを受け取った。テーブルにトレイを置いて腰を下ろすなり、彼が話し出す。
「まあね。本当の意味での『いきなり』じゃないもんな。それにいずれ戻る条件の出向だしさ」
「出向はまだいいよな。俺は次どこ行くんだろ」
この同期は入社時は地方支社に配属され、そこで四年勤めて一年前にこの本社に異動になったのだ。
「お前はまだしばらくは動かないだろ。というか、次も本社内じゃないの?」
「ならいいけどな。いや、別に『本社じゃないと!』ってのはないし、支社もやりがいあっていいんだよ。ただ引っ越しだけはもう勘弁だな……」
うんざりした表情の彼に、一瞬そこまでのことか? と疑問が過る。
「俺、就職した時に学生時代住んでたとこから引っ越したけど別にそんな『大変!』ってほどじゃなかったな。あー、まあでも今は、荷造り一つとっても大掛かりなのはわかる」
しかし話しながら、状況がまったく別だということにようやく思い至った。
大学卒業時は、家具や家電もほぼ買い替えで転居作業そのものが簡易だったのは大きいかもしれない。
確かに今ならまた話が違って来る。単純に、持ち運ぶ荷物の量が段違いだからだ。所謂引っ越しシーズンでもあり、業者に依頼するにも手間が掛かりそうだ。
転居を伴う異動に関しては、社の方で住居や運送業者の手配も協力が得られることになっていた。それでも、自分は何もしなくていいわけではない。
何よりも以前は学生の身だったが、今回は日々の勤務をこなしながらの作業になるのだ。
「多少高くついても『おまかせコース』にしといたほうがいいぞ! それでもやること結構あったからな」
「おお、ありがとう。助かるよ」
親切な同期の忠告に素直に返し、俊也は彼と別れて食堂をあとにした。
いよいよこの時が来た。連絡しなければ。恋人に。単なる報告を一つ、そしてもう一つは──。
《光。明日は時間取れるか? 話があるんだ。》
メッセージで済ませる気は最初からなかった。
規則でスマートフォンを置いたままになっているロッカールームで、俊也は恋人の都合を確認する。
明日は金曜日。
普段なら週末の休みにしか会わない二人だが、光が前もって約束した上で金曜の夜に俊也の部屋に来て待っていることはよくあった。
ただし俊也自身が何時に帰れるかわからないため、あくまでも「土曜の朝に動くよりは楽で早く会える」という光の意思からの行動に過ぎない。
だからこそわざわざ「その日に話がしたい」という俊也の誘いに、光の返信はやはり驚きが窺えた。
《大丈夫だよ〜。平日に珍しいね。じゃあ俊也さんの部屋に行っとこうか?》
《いや、その前になんか食おう。明日は俺ちょっと早く出られるから、って言っても定時は無理だから駅で二十時になるけどいいか?》
光の職場は、繁忙期以外は残業が入ったとしてもそこまで遅くなることはない。そのため金曜の夜に俊也の部屋に来ることが多かったのだが、土曜に外で待ち合わせても毎回俊也の部屋に来てそのまま泊まって行った。
今は彼も一人暮らしなので、家族に気兼ねする必要もないからだ。
しかし今回は時間があるので、夕食を外で取ってからにしようと提案した。
《了解〜。ちょっと行きたいとこあるから時間潰せるし大丈夫! もし予定変わったら連絡よろ〜。》
待つほどもなく送られてきた承諾に、《わかった。》とだけ返す。
スマートフォンを元通りロッカーのバッグに仕舞うと、俊也はオフィスに戻るため歩を進めた。
翌日、夕食の後に少し飲んで二人揃って俊也の家に戻って来た。
待ち合わせが二十時で食事を始めたのが少し遅めだったこともあり、もうすっかり夜も更けてしまってそろそろ日付も変わるころだろうか。
先程から、俊也は光とリビングルームのソファに並んで腰掛けていた。
いつもと変わらず何気ない雑談を交わしはするものの、なかなか肝心の話を切り出す勇気が出ない。
光の方も、ここに来た原因の話が気になって落ち着かない様子だ。
まだ就職して一年目の光は、本人が異動することはなかった。
しかし職員の部署異動自体はもちろん行われるし、そろそろ内示があるところが多いというのは理解しているだろう。
だからこそ、今夜の話の内容にも見当をつけている筈だ。
「仙台に出向することになったんだ。……たぶん先例から行っても一、二年で戻って来られるだろうけど」
こうして「話がある」と呼びつけて、いつまでもはぐらかすことなどできるわけもない。
覚悟を決めてようやく口を開いた俊也に、光が一瞬顔を強張らせたのが見て取れた。
しかしその表情はすぐに薄い笑みに変わる。
光はここで無理難題を言って困らせるタイプではない。
たとえ内心がどうであれ、すべて押し隠して俊也の話を受け入れてくれるのはわかっていた。
少し考えが足りなくて失言することはあっても、根は決していい加減な人間ではないのだ。
物理的な距離が離れることになっても、光の想いは変わらないと信じられる。
今までの付き合いでそれくらいは把握していた。
「じゃあ、これまでみたいにすぐには会えなくなるね。でも仙台で良かったかも!」
そう。東京から仙台ならば、実際にするかどうかはともかくとしてその気になれば新幹線で日帰りもできるのだ。
以前光にも出向になった同僚の話をしたことはあったが、出向者も定期的に東京に足を運ぶことにはなる。
だからわざわざ来なくても、俊也が仕事でこちらに戻るときにタイミングがよければ会うのは難しくなかった。
そもそもたった一年や二年。
確かに離れるのは辛いし気持ちとしては長いとは思うけれども、待てない時間ではないとは感じている。
普通なら。──今までのままであったなら。
「だってさ、今だってそんなしょっちゅう会ってないじゃん? 週末だけで、それも毎週必ずじゃないこともあるし」
光は、当然今までとは違ってくるだろう二人のこれからについて考えを巡らせている様子だ。
「だからメッセージとか今まで通りに──」
「いや……、光。もう、こういうことは終わりにしないか」
故意に出しているのだろう明るい光の声に被せるように、俊也は言葉を絞り出す。
「光はもう、俺から自由になっていい」
その瞬間、光は呆然とした表情で硬直したように見えた。
そして俊也の発した台詞の意味を理解したのか、弾かれたように立ち上がって腕を振り上げ、……そのまま動きを止めた。中途半端な姿勢で。
おそらく光は人間を殴ったことなどないのでないか。
四歳年上の姉との二人姉弟で、小さい頃も取っ組み合いの喧嘩などしたこともないと話していたのを覚えている。姉は気は強いが、手を出すことは一切なかった、と。
「光、落ち着いて」
無言でゆっくりソファから立ち上がると、俊也は不自然な格好で立ち尽くす光の右腕に手を添えて下ろさせる。
「……どうして?」
俊也から視線を逸らすかのように俯き加減で、彼がぽつりと呟いた。
「俺、あなたに暴力振るおうとしたんだよ!?」
そして突然きっと顔を上げ、声に力を込める。
「でもやめただろ。お前にはできないよ」
気を昂らせた光に釣られて声を荒げることもなく、俊也は静かにそう返した。




