【3:ふたりの未来】①
俊也と交際を始めて四か月が経った真夏の土曜日。
恋人のサッカーチームの練習に姉と二人で訪れた光に、俊也の声が飛んで来た。
「あ、香ちゃんと光くん。いつもありがとう! 今日は特に暑いのに悪いね。もう夕方なのにまだ日も陰らないし」
「来生くんたちの方がよっぽどでしょ。よくこんな日に外で走り回れるわ」
日傘だけでは心許ない、と紫外線防止効果のある上着に汗を拭くタオルも完備の香が明るく返している。もちろん強力な日焼け止めは必須だそうだ。
「くれぐれも熱中症に気をつけて、こまめに水分取るの忘れないようにな。クーラーボックスにドリンクあるから遠慮しないで言ってくれよ」
「はい。水筒は持って来たんですけど、多分足りないからいただきます」
話し掛けられて光はつい俊也の顔を見てしまい、目が合って慌てて逸らした。
普段の練習でも試合でも、こういったドリンクの準備などはメンバーが担っていた。
量販店でまとめ買いしておくらしいが、重量のこともあり香や光が買い出しを頼まれることはない。当日、クーラーボックスから取り出して選手に渡すのが関の山だ。それも自主的な行動に過ぎなかった。
「終わったあと、ごはんだけにしようって言ってるんだけど来るよね?」
「そうね、行くわ。光も?」
彼に訊かれて答えた姉に振られ、無言で頷く。
チームの集まりはせいぜい月に一、二回のことだが、毎回飲み会になるわけではなく食事だけというのも珍しくなかった。
「ちょっと飲みたい気分だな〜。光くん、一緒にどう?」
お開きを告げられて、皆が退店のために荷物を手に取る中だった。
「はい」
事前に打ち合わせた通りに誘いを掛けて来た俊也に、端的に承諾を返す。
これ以上長く話すとぎこちなくなってしまいそうな気がした。その点、彼の自然な振る舞いは流石だ。
普段は週末に恋人と会う際、親には「大学の友達の部屋に泊まるから」と告げている。
実際に俊也と付き合う前から友人の部屋に泊まることは珍しくなかったし、以前の恋人たちとの外泊の口実にも使っていた。
そしてサッカーの練習や試合があるときは、打ち上げのあと俊也の部屋に泊めてもらう、と真実を告げていた。いくらなんでもそこから他の友人と、は不自然な気がしたのだ。
策を弄して墓穴を掘ることはない。姉の恋人の親友である、可愛がってくれる年上の男性と親しくするのは堂々としていれば疑われる余地などない筈だ。
「香ちゃん。俺、これから飲みに行って今日も俊也さんとこ泊めてもらうから。お母さんに言っといてくれる?」
いつも朗らかに「迷惑掛けないようにね〜」と送り出してくれる香が一瞬真顔になる。
毎回のことなので、迷惑だから頻繁に泊まりに行くなと咎められるのだろうか。
身構えた光に、姉は先程の表情は見間違いかと感じるほどの穏やかな笑みを浮かべて「わかった」と答えてくれた。
◇ ◇ ◇
「おかえり、光。楽しかった?」
「ただいま。うん、いっぱい喋ったし楽しかった〜。俊也さん話題豊富だしぃ……」
翌日帰宅するなり玄関先で迎えてくれた香に、光はどうにか平静を装う。できているかは疑問だが。
「ねえ。私は光が、……来生くんも大事だし好きよ。それだけ覚えといて」
そう言うなりぱっと身を翻し、自室に向かい廊下を歩き去る姉の背中を、光はその場で立ち尽くしたままぼんやりと見つめていた。
時間にすれば一分もなかっただろう。いきなり全身に震えが走る。今の香の台詞が指すのは、……まさか。
「か、香ちゃ──」
姉の私室のドアをノックして、応えを待ち開ける。
「光。何も言わなくていい。でももし何かあって『誰もいない』と思ったら私がいるから。それだけ」
着替えるから、とニヤリと笑った香に声も出ず、ただ頭を下げて部屋を出た。外出着でいる香も帰宅したばかりなのかもしれない、と思い当たる。
廊下を挟んで向かい側の自室に入ると、床にバッグを放り出してベッドに倒れ込んだ。
気づかれた!?
姉は光と俊也の関係を正しく察知したのだろうか。光が同性しか愛せない人間だということも?
心臓が早鐘を打つ。苦しいほどに。
しかし動揺が少し収まってくると、香の言葉の意味が身に沁みて来た。
「私がいるから」
味方などいないと感じても、この世でたった一人、……恋人と二人きりだと絶望する日が来たとしても。
光には姉がいる。
悪いことをしているとは、今も考えていない。人を愛しただけだ。その人と想い通わせただけだ。
ただその相手が、己と同じ「男」だったというだけのこと。
それでももうすぐ二十一歳になる光は、「世間」というものの一端くらいは知っているつもりでいる。この性指向が、決して万人に許容され、歓迎されるものではないくらいは。
だからこそ、香もわざわざ声に出したのだと感じた。
わかっている、と。誰に謗られようとも、自分だけは味方でいるから、と?
俊也に教えるべきだろうか。
しばし考えた結果、光は現段階では黙っていることにする。これはまだ、「家族」の問題だ。
もし彼に訊かれるようなことがあれば、そのときには知らせてもいい。あるいは彼がそのことで不安を漏らしたりしたら、安心させるために。
二人の交際は、誰にも理解も祝福もされないものだと思っていた。最初から諦めていた。もちろん、互いの気持ちさえあればそれでいいという思いは強いので問題はないとも。
ただ見守る、という姉の意思表示が嬉しかった。
そう、この恋愛は、誰に恥じるものでもない。




