【2:ここから始まる】⑤
「あ! ねえ、今のサングラス! あれ、さっきの同僚じゃない? もしかして変装してあとつけてる!?」
ソファで並んでテレビ画面の映画を観ながら、光はつい隣の俊也の腕を掴んで話し掛ける。
「え? そうか? 服も髪型も、──ああ髪の色は同じなのかな。でも特に怪しい感じしないし……」
「ううん、あの大きいイヤリング! 主人公が『派手だな』って言ってたじゃん? 帽子でわかりにくいけど揺れたときに、……あ、ホラ!」
勝ち誇ったように捲し立てたあとでふと我に返った。
流石に映画館では無言を保つが、家で姉と観ているときも思ったまま口にしてしまうのだ。
その習慣がそのまま出てしまい、うるさかったか? と謝ろうとしたところに俊也の声が被さった。
「本当だ。よく気づいたな! ああ、なるほど、あの会話はそういうことか」
感心したような響きに、どうやら俊也の方も「じっと黙って観なければならない」という主義でもなさそうでホッとする。
映画は所謂ラブコメディで、よくメディアで宣伝しているような超大作ではないが、テンポもよく最後まで飽きずに楽しめた。
「えー、これ俺好きだな。俳優さんも知らない人だけど、そんなの気にならなかったし。ってか俺はホントにハリウッドのスーパースターとか有名な人しか知らないんだけどさ」
エンドロールが流れる中、光は俊也の方を向いて話し出した。
「映画なんてあんまり観ないし深いところはよくわからないけど、主人公とヒロインの掛け合いが凄い面白かった」
「そうだな、俺も面白かったよ。なんか芸達者が揃ってる感じしなかったか? コメディって意外と難しいって言うし」
勢いよく感想を語る光に、俊也も笑顔で同意してくれる。
「あ、わかる! 俺は演技なんて詳しくないけど、出てる人みんな上手かった!」
なんとか空気を変えたい、と気負っていたのは最初だけだった。すぐに映画の内容に引き込まれたのだ。これが『プロ』の仕事なのかもしれない。
「たまには映画もいいよな。譲ってくれた同僚にも言っとくよ。たぶん、『面白かった、好きだ』って感想がいちばん嬉しいだろうから」
「うん、是非そうして! こういうお薦めで当たり引くのってラッキーだよね」
それだけ言って、光は思い切って切り出してみる。
「……俊也さん。もう遅いし、寝ない?」
なんの脈絡もない突然の言葉に、恋人は一瞬目を見開いた。それでも、光がそこに込めた意味はきちんと受け止めてくれたらしい。
出逢ってまだ半年と少し。特別な関係になってからは一か月しか経っていない。
もしかしたら寛ぎ過ぎているのか。一つ間違えば致命的になりかねない失敗をする光を、温かく包み込んで見守ってくれる……、愛してくれる優しい人。
「そうだな。光、ベッド行こう」
おそらく故意にだろう。
すべての切っ掛けになったのと同じ言葉を口にした俊也に、光は黙って頷いた。
◇ ◇ ◇
「俺、ミルク零してばっかりだよね……」
「零したら拭けばいいだろ。飲みたければ新しく注げばいい」
ベッドで鼻まで布団を引き上げて呟いた光に、すぐ隣に横たわる俊也が軽く返して来た。シングルなので、嫌でも密着することになる。嫌なわけがないのは言わずもがなだ。
「……パックごと倒しちゃったら?」
「買いに行けばいいんだよ。コンビニまで二分だ」
仰向けの身体を横にして、手を伸ばし光の頭を撫でながら彼が続けた。
It is nouse crying over spilt milk.
英語で「覆水盆に返らず」に当たる表現だ。
俊也が知らない筈はない。たとえこの英文がすんなり出なくとも、「零れたミルク」が何を意味するのかくらいは。
失言を悔やむ光に、何を問うでもなくただ「気にすることはない」と言外に告げてくれる恋人。
光が俊也の年齢になったとき、この対応ができるとは到底思えない。たったの四年後なのだから。
敵わない。でも諦めたくはない。恋人に少しでも近づきたいと努力することは。
せめてこれ以上、離されないように。




