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Overflow  作者: りん
10/20

【2:ここから始まる】⑤

「あ! ねえ、今のサングラス! あれ、さっきの同僚じゃない? もしかして変装してあとつけてる!?」

 ソファで並んでテレビ画面の映画を観ながら、光はつい隣の俊也の腕を掴んで話し掛ける。


「え? そうか? 服も髪型も、──ああ髪の色は同じなのかな。でも特に怪しい感じしないし……」

「ううん、あの大きいイヤリング! 主人公が『派手だな』って言ってたじゃん? 帽子でわかりにくいけど揺れたときに、……あ、ホラ!」

 勝ち誇ったように捲し立てたあとでふと我に返った。

 流石に映画館では無言を保つが、家で姉と観ているときも思ったまま口にしてしまうのだ。

 その習慣がそのまま出てしまい、うるさかったか? と謝ろうとしたところに俊也の声が被さった。


「本当だ。よく気づいたな! ああ、なるほど、あの会話はそういうことか」

 感心したような響きに、どうやら俊也の方も「じっと黙って観なければならない」という主義でもなさそうでホッとする。

 映画は所謂ラブコメディで、よくメディアで宣伝しているような超大作ではないが、テンポもよく最後まで飽きずに楽しめた。


「えー、これ俺好きだな。俳優さんも知らない人だけど、そんなの気にならなかったし。ってか俺はホントにハリウッドのスーパースターとか有名な人しか知らないんだけどさ」

 エンドロールが流れる中、光は俊也の方を向いて話し出した。


「映画なんてあんまり観ないし深いところはよくわからないけど、主人公とヒロインの掛け合いが凄い面白かった」

「そうだな、俺も面白かったよ。なんか芸達者が揃ってる感じしなかったか? コメディって意外と難しいって言うし」

 勢いよく感想を語る光に、俊也も笑顔で同意してくれる。


「あ、わかる! 俺は演技なんて詳しくないけど、出てる人みんな上手かった!」

 なんとか空気を変えたい、と気負っていたのは最初だけだった。すぐに映画の内容に引き込まれたのだ。これが『プロ』の仕事なのかもしれない。


「たまには映画もいいよな。譲ってくれた同僚にも言っとくよ。たぶん、『面白かった、好きだ』って感想がいちばん嬉しいだろうから」

「うん、是非そうして! こういうお薦めで当たり引くのってラッキーだよね」

 それだけ言って、光は思い切って切り出してみる。


「……俊也さん。もう遅いし、寝ない?」

 なんの脈絡もない突然の言葉に、恋人は一瞬目を見開いた。それでも、光がそこに込めた意味はきちんと受け止めてくれたらしい。

 出逢ってまだ半年と少し。特別な関係になってからは一か月しか経っていない。

 もしかしたら(くつろ)ぎ過ぎているのか。一つ間違えば致命的になりかねない失敗をする光を、温かく包み込んで見守ってくれる……、愛してくれる優しい人。


「そうだな。光、ベッド行こう」

 おそらく故意にだろう。

 すべての切っ掛けになったのと同じ言葉を口にした俊也に、光は黙って頷いた。



   ◇  ◇  ◇

「俺、ミルク零してばっかりだよね……」

「零したら拭けばいいだろ。飲みたければ新しく注げばいい」

 ベッドで鼻まで布団を引き上げて呟いた光に、すぐ隣に横たわる俊也が軽く返して来た。シングルなので、嫌でも密着することになる。嫌なわけがないのは言わずもがなだ。


「……パックごと倒しちゃったら?」

「買いに行けばいいんだよ。コンビニまで二分だ」

 仰向けの身体を横にして、手を伸ばし光の頭を撫でながら彼が続けた。


 It is no(零れた)use cry(ミルクを)ing over(嘆くのは) spilt mi(無駄だ)lk.

 英語で「覆水盆に返らず」に当たる表現だ。

 俊也が知らない筈はない。たとえこの英文がすんなり出なくとも、「零れたミルク」が何を意味するのかくらいは。

 失言を悔やむ光に、何を問うでもなくただ「気にすることはない」と言外に告げてくれる恋人。

 光が俊也の年齢になったとき、この対応ができるとは到底思えない。たったの四年後なのだから。

 敵わない。でも諦めたくはない。恋人に少しでも近づきたいと努力することは。

 せめてこれ以上、離されないように。


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