婚約破棄された鶏ガラ令嬢は、出涸らし王子に美味しく餌付けされました。 ~おかわり~
「ミラベル、ただいま。ああ、君に早く会いたかった!」
広大なラディクス領の中で一番大きな屋敷の扉を開けるやいなやカリステは、迎えに出てきた妻、ミラベルへ向かい両手を広げて抱きついた。
結婚して一年。鶏ガラと呼ばれたミラベルの体も、大いなる自然と健康的な食生活のおかげで肉が徐々につき始め、頬も幾分かふっくらとし出した。
ただそれでもまだまだ痩せ気味の範疇であり、元気よく働く領民たちには、奥様は少し強い風が吹けば倒れてしまうのではないかと心配されるほどである。
そんな彼女をできるだけ優しく抱きしめたつもりだったのだが、はやく愛する妻を感じたいと気がせいたせいか、思ったよりも力が入ってしまったようで、「んっ」とミラベルの思わず漏れた声が耳に届く。
カリステは慌てて体を離し、その手を彼女の肩にそっと乗せた。
「ごめんね、ミラベル。つい、勢い余って……苦しくはなかったかい?」
「いいえ。あの、お帰りなさいませ。私も、ずっとお待ちしておりました……あなた」
頬を赤らめ、初々しく「あなた」と呼ぶミラベルの恥じらいを含んだ声に、カリステは悶え足から崩れ落ちそうになる。
よくもまあ、これほど可愛らしい妻を置いて二十日も領地を離れられたものだと。
しかし人手の少ないラディクス領では、農作物や食肉の販路を拡大すべく領主自ら他領地や隣国などへ出張る必要がある。それもすべては愛しい妻ミラベルがこの田舎領地でもなに不自由なく過ごせるようにするためだ。
それに――
「今回もちょっと珍しい作物を手に入れてきたんだ」
一時期は食べることに嫌悪感や罪悪感を覚えていたミラベルのため、彼女が見たことも食べたこともなく、興味をひくような新しい素材を見つけるためでもあった。
カリステはそう言うと麻袋の中から根土のついた茎を取り出した。葉脈のしっかりとした美しい青葉のついたそれは、確かにこの辺りでは見かけたことがない。
興味津々といったミラベルには紙に包まれた乾燥葉を手渡す。
「〝蓼〟という作物で、解熱や体の毒素を抜く作用があり、血行も良くなるそうだよ。東国では薬膳としても使用されるらしい」
「まあ、薬膳ですか。書物では読んだことがあります。たしか、東国の医食同源という考え方なのですよね」
「そうそう。いくつかレシピも聞いてきたから、一緒に作ってみようと思ってね」
カリステの言葉にミラベルの瞳がキラキラと輝きを増す。そんな彼女の楽しげな姿を見て、今回のお土産も成功だったとカリステは誇らしげに笑った。
「乾燥葉はお茶としていただきますか?」
「そうだね。細かく砕いて焼き菓子に入れてもいいらしいが、今日はせっかくだから生の葉を使おうか」
焼き菓子という言葉に、一瞬ピクンと跳ねたミラベルだが、何ごともなかったように蓼の葉をちぎり始めた。菓子を食べることにも抵抗感がなくなってきている証拠だと、カリステは小さく頷く。
(それでも、もっともっと自分から食べてみたいと言ってもらえるようにならないとな)
カリステの双子の兄で、ミラベルの元婚約者であったアトキンから受けた心の傷は大きく、ややもすれば衰弱死ということもありえたのだ。
そんな状態だったミラベルのことを思うと、カリステは未だ怒りは収まっていない。
それでも表面的には一切そんなそぶりも見せず、カリステは蓼の生葉を包丁で叩く。敢えて口には出さないが、アトキンの顔を思い描き包丁を振ったことは言うまでもない。
「鶏ガラスープが温まりましたよ。野菜もちゃんと煮えています」
「あ、うん。ありがとう、ミラベル」
にっこりと笑うミラベルにつられるように笑顔を返す。そうしてカリステは彼女が温めてくれた野菜入りスープの中に刻んで少しぬめりの出た蓼の葉を入れた。
「あら……綺麗な青色になりましたわ!」
「ああ。熱を加えると一瞬青になるらしい。ただすぐに葉の色へと戻るようだ。青色染料としても使えるようだから、その色なのかな?」
「……染料。まあ、まあ! そうなのですね!」
カリステの言う通り、鍋の中はすぐに変化し、緑の野菜スープができあがった。
味の方はといえば、葉ものらしい苦みが少しあるもののコクのある味わいであり、柔らかな風味の乾燥葉のお茶とともにミラベルのお気に入りの食材の一つとなった。
そうしてしばらくいろいろな調理法を試しながら何度か蓼の葉を食していたところ、ミラベルに薬膳としての効果がはっきりと現れてきた。
「最近、お肌の調子がとても良くなったように思います」
拒食が長く続いたせいか、肉付きが戻ってきたとはいえ肌荒れが気になっていたミラベルだったが、最近はいつになく肌の調子がいいと気がつき始めた。
乾燥しがちな肌があきらかにもちもちとした肌触りになり、体のキレも同様に良くなってきているように思える。
「お化粧のノリも大変よろしいのですよ。奥様はよりお美しくなっていらっしゃいます」
ミラベルに付いている侍女たちも、主に賛同して褒め称える。
「薬膳とは素晴らしいものなのですね」
「本当だね。今度あちらへ行くときは、薬膳についてもっと色々と聞いてこよう」
ミラベルが喜ぶのならなんでもすると決めているカリステは、うんうんと頷きながら話す言葉を聞いている。ミラベルと長期間離れるのは辛いが、彼女が幸せを感じることが最善なのだ。自分がさみしいと思うことなど二の次である。
カリステがこれ以上ないというほどの笑顔をミラベルに向けると、もじもじと指を触りながら頬を染め上目遣いで言った。
「あの……それでしたらついでで申し訳ないのですが、お願いがあります……」
***
今宵アプリゴ王国の宮殿大広間にて開催されている舞踏会は、第三王子アトキンとモパッソ伯爵家のマリーノ令嬢の婚約を祝ってのものだ。
いくら国王から婚約解消のお膳立てがあっても、前婚約者――ポンピーノ侯爵令嬢であったミラベルとの一方的な婚約破棄は貴族諸侯からは歓迎されるものではなかった。
だからこそカリステとミラベル、二人の結婚から二年半経った今になって、ようやく正式に婚約が結ばれることとなった。
つまりあの婚約破棄から三年が経過し、当時十七歳だったマリーノも二十歳。すでに同年代の友人たちはおおよそが結婚をして新たな生活に進んでいる。
いったい婚約はいつになるのよと、地団駄を踏みながら待ちに待たされたマリーノだが、ようやく自分が主役になれる場が来た。
ここぞとばかりにこの日のため二年前から特注した豪奢で華やかなドレスを身に纏う。ピンクダイヤのティアラも、透けるようなレースも、気に入ったものは全てドレスに組み込むようにデザイナーに頼んだ。
(この可愛い私をあの鶏ガラに見せてやったらどんなに悔しそうな顔をするかしら?)
アトキンの元婚約者であったミラベルの貧相な顔を思い出すと気分が浮き立つ。
あの出涸らし王子から、今日の婚約披露は欠席すると返事が来たときは残念だと思ったが、これからも何回かは機会があるだろう。
その時にはたっぷりと自分の幸せを見せつけてやるのだと、マリーノは決めている。
皆の目を釘付けにするのはマリーノ。
ピンクブラウンの髪色に萌え出づるグリーンのドレス姿のマリーノは、まるで薔薇のようだと隣に立つアトキンからも賛美された。
最近少しだけ顔つきがふっくらとし始めたものの、未だ王国一番と言っていいほどの美貌のアトキン。
(いいえ、これはむしろ尖った雰囲気が柔らかくなり、円熟味を増したというのよね)
そんな最上のアトキンと並び立つ。
男性からのうっとりとした視線も、女性からの嫉妬の形相も全て自分のものだと、アトキンのエスコートのもと意気揚々と大広間へ入場した。
した、のだが――。
「……ちょっと、これはいったいどういうことなのよっ……!」
マリーノの視線の先には、輝くような銀髪に白い肌、そしてそのきらめきをいっそう盛り立てるしっとりとした藍色のマーメイドドレスを身に着けた美女が皆に囲まれ談笑していた。
段々と濃い藍色から薄い水色へと変わりゆくグラデーションのそのドレスは今まで見たこともない風合いで、そこへ合わせられるプラチナとダイヤモンドの細工は至高の輝きだ。
マリーノが花壇に咲く薔薇ならば、まさにこの美女は夜の女王と言うべきだろう。
そして会場中の皆がその夜の女王へと吸い寄せられている。
「私の……そうよ、私たちの婚約披露の場で、こんな恥知らずな真似なんてバカにしてる……」
アトキンは仮にも第三王子という立場である。その婚約者のマリーノよりも派手な装いで目立とうとするなど、アトキンに対して不敬を働いたことと同じだろう。
そう感じたマリーノはぽおっとした顔で銀髪の美女を見つめているアトキンの腕から離れ、まっすぐにその美女のもとへと向かった。そして、ひとこと言ってやろうと口を開いた瞬間、美女の目がマリーノを捕まえた。
「あら、マリーノ様。今日の主役がこんなところでどういたしました? アトキン様は置いてきてしまわれたのかしら?」
クスリと慎ましやかに笑う姿にカチンときた。
「あのねえ、あなたずうずうしくないかしら?」
「……はい?」
「だからあ、アトキン殿下とお呼びしなさいよ。そして、私のことはマリーノ妃殿下でしょうよ。宮殿でのマナーも知らないのね。どうりでそんなドレスを着てきたわけだわ」
フンッと鼻であしらうように言うと、目の前の美女は片手を頬に当てて上品に首を傾げた。
「困りましたわ。わたくし、マナーでしたらマリーノ様よりは熟知していると思うのですが……」
「はぁ? バカにしないでちょうだい。だいだい身分が下の者が上の者へ勝手に声を掛けるだなんてありえないじゃない! あなたいったいどこの誰よ! アトキン様に言いつけて、出禁に……」
「馬鹿なことを言っているのはどちらだ」
怒鳴り声とともに振り上げたマリーノの拳がその冷ややかな声を聞いてピタリと止まった。この声は、さすがに聞き覚えがある。
「まあ、あなた。遅かったのね」
「すまない、ロクシーヌ。待たせたね」
「へ……? お、お……王太子殿下?」
アトキンの兄である王太子が銀髪の美女――ロクシーヌの腰に手を置き自分の方へと抱き寄せる。つまりそれは、この美女がロクシーヌ王太子妃であるということに他ならない。
「え、え、待って……。王太子妃殿下は確かに銀髪だったけれど、もっと太ってて肌だってこんなに綺麗じゃないし、地味で何よりダサいドレスしか……」
言うに事欠き、自分よりも身分の高い者へとんでもない言葉を吐き捨てる。
こめかみに血管を浮き立たせた王太子が、アトキンにさっさとこいつを連れていけと手で指示を送っていると、ロクシーヌがそれを制して艶やかに笑った。
「ふふふ。産後なかなか体が元に戻らなくて酷い姿を見せていたものね。ドレスもなぜか頼んでいたものが届かなかったりもして、大変だったのよ……」
チラリと向けた視線の先は広間の中でも一段高くなった場所。誰に向けた言葉なのか、確認しなくても一目でわかる。
「でもね、これからは大丈夫。ああ、それからわたくし、王太子妃として王子妃教育にも参加させてもらうつもりです。まずはマナーをきちんと教え込まないと、ねえ?」
涼しげな美女が凄みのある笑顔を向けると、マリーノの背筋にゾゾッと冷たいものが走った。
「あ、わ……私、少し、き、気分が悪いみたい……ですので……」
それだけ絞り出すとマリーノは派手なドレスの裾を翻し、バカみたいに呆けているアトキンの腕を掴んで大広間から立ち去ってしまった。
主役の消えた大広間は、一瞬だけ静まりかえったがすぐに何ごともなかったかのようにざわめき始める。
夜が終わる頃には、今日は何のための舞踏会だったかも忘れてしまうほど賑やかに和やかに――。
***
『――首尾は上々。カリステのおかげで全てが上手くいった。
感謝する。
ドレスも薬膳も、ロクシーヌが大層喜んでいたよ。
可愛い義妹にぜひまた会いたいと言っていた。
ウルティモ』
王太子ウルティモから届いた手紙を読み終えると、ちょうどミラベルが花壇から摘んできた花を抱えながら部屋へと入ってきた。
「ミラベル! とても綺麗に咲いたね」
「ええ。部屋に飾ろうと思って……あら、お手紙かしら?」
「ああ、ウルティモ兄上からだよ。ロクシーヌ義姉上がとても喜んでいたと。君によろしく言ってくれとも書いてあった」
ロクシーヌの名前を聞き、ミラベルの顔がパッと輝いた。
彼女は冷たくあしらわれていた宮殿の中で、ミラベルに唯一優しくしてくれた女性だ。立て続きに妊娠出産し、産後の肥立ちがよくなかったせいで、ミラベルが鶏ガラと呼ばれ始めた時にはあまり会うことが叶わなかったけれども、とても心温まる手紙を何度も送ってくれていた。
「それではドレスは間に合ったのね。ああ……あの藍色は、ロクシーヌ様の美しい銀髪によく似合ったでしょうね」
「あの兄上が、さっそく絵師を呼んで絵姿を描かせたと言っていたから当然だろうね」
「まあ! ふふ、素敵ね」
「それも、全部君のおかげだよ、ミラベル。あの蓼でドレスを染めることにしたのは君のアイデアだから」
手放しで褒め称えればミラベルは頬を染めて「そんなことは」と謙遜する。そんな姿までもがカリステにはいじらしく可愛らしく思える。
実際、ミラベルがあの蓼――正式には〝蓼藍〟という植物らしいが、それを使いドレスを染められないかと尋ねてきたのだ。
カリステとしては体に良い作物だからという認識でしかなかったが、東国ではまさにその染色としての用途の方が多いらしい。
熱で発色した青がロクシーヌにぴったりの色だと気がついたミラベルは、ぜひその青で作ったドレスを世話になったロクシーヌへ贈りたいと願い、カリステは当然ながらその願いを叶えた。
東国と交渉し、藍の染色した織物をアプリゴ王国と近隣諸国に卸す権利を一手に引き受けた。
それはミラベルの父親であるポンピーノ侯爵を通し、カリステは直接かかわってはいない工作をして。ついでに薬膳料理の材料とレシピもロクシーヌに渡しておいた。
この二つの独占により、宮殿内の勢力はガラリと変わった。新しい染料を使ったドレスは王太子派のポンピーノ侯爵を通さなければ手に入れることも難しいだろう。
肌を綺麗にして体のむくみも取れるという効果を体現してみせた薬膳はロクシーヌの茶会でしか味わうことができないとなれば、王妃側から離反する者も増えるに違いない。
ピンク頭も婚約披露で大恥をかいたという。
カリステは思いもかけずアトキンたちへの仕返しが進んでいくことに笑いがこみ上げる。
「青は藍より出でて藍より青し、か」
ぽつりとカリステの口からこぼれ落ちたのは東国の諺。
(出涸らしの私とアトキン、どちらが青でどちらが藍か……ヤツらが気がついた時にはもう遅いけどね)
「なんだか楽しそうね、あなた」
「勿論さ。愛すべき妻がいて、発展し続ける我が領地、そして……二人の愛の結晶がここにいる」
「ええ、本当に……」
カリステがミラベルのお腹に手を置くと、その上にそっと重ねられる手のひら。
そこにはもう鶏ガラと呼ばれたような可哀想なものはない。温かみのある、愛を知った美しい手のひらだ。
「幸せだわ、とても」
「もっと、もっと、幸せにしてあげるからね、ミラベル」
「私もよ、カリステ様」
手のひらにきゅっと力がこもる。その温かさを感じながら二人見つめ合い、お互いを幸せにするとあらためて誓い合った。