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「ターニャ! ルカーシュがお迎えに来ているわよ。あなた達やっと恋人になったの?」
「お母様……違います。私たちはただの幼馴染です」
「そうなの?」
疑わしい目を向けられて内心ビクビクしているターニャは、自分が催眠術をかけてこんな状態になったとは言えなかった。
「ターニャ、おはよう。今日も可愛いな」
「……っ!」
「ふふふ、なによ。もう! ただの幼馴染なんて言い張っていたけど、やっぱり付き合ってるんじゃない。ルカーシュがこんな甘い台詞を言うなんて初めて聞いたわ」
ターニャの母はニヤニヤしながら、娘の背中をバシバシと叩いた。
「違う……違うから!」
「もう、照れちゃって。ルカーシュ、我が家のお転婆娘のことよろしくね。私はルカーシュなら安心してターニャを任せられるわ」
「はい。必ず幸せにします」
二人の会話を聞いて、ターニャは青ざめた。この調子でいくと家だけでなく学校中にもすぐに私たちが恋人だという偽情報が広まってしまうのではないかと心配になったのだ。
「ルカ! もう行こう」
ターニャはルカーシュの手を取って、馬車に慌てて飛び乗った。
「やけに積極的だな。ターニャから手を繋いでくるなんて」
ルカーシュは口元を手で隠して、頬を染めていた。照れているルカーシュを見て、ターニャも恥ずかしくなってきた。
「ご、ごめん。お母様から逃げたかったから」
慌てて手を離そうとしたが、ルカーシュは逃さないとばかりにギュッと手を握った。
「このままで」
「え……」
「このままでいたい」
「う、うん」
二人はそれっきり黙ったまま、学校に向かった。まだルカーシュの催眠術は解けていないようだ。
♢♢♢
「ターニャ、昼ごはんを食べに行こう」
「え? い、いや。私、友達と食べるから……」
「そうか」
しゅんと哀しそうな顔のルカーシュを見て、ターニャはズキリと胸が痛んだ。なんか悪いことをしている気分だ。
「ターニャ! 照れてないで行けばいいじゃないか」
「そうだ、そうだ」
「ターニャのくせに、ただ幼馴染なだけでこんな美男子と一緒にいられるなんてラッキーだな」
ターニャは明るく元気なので、クラスの人気者だ。いつも男女問わず、気軽に話しかけられている。
「失礼ね! どうせ私は平凡な顔よ」
「拗ねんなよ。ターニャはそこそこ可愛いって!」
「なによ、そこそこって!」
「まあまぁ、機嫌直せよ。この前課題手伝ってくれたお礼に、今度俺が奢ってやるからさ」
男友達たちはケラケラと笑いながら、ターニャの肩に手をかけようとした。
バシッ
その手を勢いよく跳ね除け、ルカーシュは恐ろしい顔でギロリと男たちを睨みつけた。
「ターニャは俺のだ。勝手に触るな」
ルカーシュはグイッとターニャを抱き寄せた。
「目の悪いお前たちにはわからないだろうが、ターニャは誰よりも可愛い」
真顔で恥ずかしいセリフを言われたターニャは全身真っ赤に染まっていた。
「まさ……か。二人は本当に……」
ターニャの男友達は皆が驚いて呆然としていた。
「ああ、付き合っている。卒業したらすぐに結婚する。だから、君がターニャと食事をするのを認めることはできない」
「ちょっと、ルカ! 何言ってるの。い、行くわよ」
このままここで話されるのは不味いと思い、ターニャはルカーシュの手を取って走り出した。
「はぁ……はぁ……ここまで来れば大丈夫かしら」
ここは校舎の裏庭にあるガゼボだ。綺麗な場所だが、遠いのでお昼休みに来る人はほとんどいない。
ターニャは苦しくなるくらい全速力で走ったのに、ルカーシュは息一つ切れてなくて涼しい顔をしていた。
「ルカ! どうしてあんなことみんなの前に言ったのよ? 恥ずかしいじゃない」
ターニャと男友達のあんなやりとりはいつもの事だ。本気で馬鹿にしているわけでもないし、仲が良い仲間の軽口だ。
「本当のことを言っただけだ」
「本当のことって……」
「ターニャに他の男が触れるなんて嫌なんだ」
ルカーシュは何度も教室までターニャを迎えに来たことがある。その時ターニャはいつも男女交えた友達と話していたし、当然だが……それを見てルカーシュが今回のような反応をしたことは一度もなかった。
「男に簡単に触れさせないでくれ。あんな場面を見たら、嫉妬でおかしくなりそうだ」
「嫉妬って……」
そんなことを言うルカーシュが信じられないターニャは、驚いて声が出なかった。
「ターニャは可愛いんだから。ちゃんと自覚してくれ。あの男たちは君のことが好きなはずだ」
「か、可愛いですって!? そんなわけないじゃない。ただの友達よ」
「君にとってはな。だが、向こうはそうは思ってない」
怒っているルカーシュは、ターニャの肩を両手で強く掴んだ。
「ターニャはお人よしだから、自分のことを放ってでもいつも他人を助けているだろう」
「そんなことないわよ」
「そんなことある。それはターニャの良いところではあるが、心配なんだ」
「ルカ……」
「俺から離れないでくれ」
「ひゃあっ!」
そのままギュッと抱き締められ、頬ずりをされた。こういう触れ合いに慣れていないターニャはどうすればいいかわからず、カチンと身体が固まってしまった。ターニャは普段クールなルカーシュが『好きな人』に対してこんなに熱い気持ちを持っていることに戸惑っていた。
ルカーシュは催眠術にかかっている。だから彼が自分の意思で言っているわけではないのに、まるで本当に自分がルカーシュの恋人のようだと錯覚してしまいそうだった。
「ダメだってば。何度も言ってるけど、ルカは催眠術にかかってて……」
「かかってない」
「かかってる人は、かかってるって言わないのよ!」
ターニャはグイグイと肩を押して、なんとかルカーシュから距離をとった。
不満気な顔をしたルカーシュは、ジロリとターニャを睨みつけた。
「本当にごめんね。解く方法調べたけど、まだわからないの」
「だから、かかってな……」
ルカーシュが何かを話しかけたその時、後ろから声をかけられた。
「ルカーシュ様! こんな場所におられたのですか」
「……ミカエラ嬢」
そこに居たのは、ミカエラ・ストランド伯爵令嬢。学校でもかなり人気の美しい御令嬢だ。
「探しましたよ。お昼に生徒会の会議があるとお伝えしていたではありませんか。さあ、一緒に参りましょう」
「ああ……そうでしたね。すまない、忘れていました」
ルカーシュは優秀なため、生徒から推薦されて学校の生徒会に入っていた。
「あなたはルカーシュ様の幼馴染……たしかターニャ様ですね? お話されていたのに申し訳ございませんわ」
ミカエラはニッコリと微笑んで、ターニャに話しかけた。丁寧な言い方ではあるが、それはどこか棘のあるように聞こえた。
「い、いえ」
「急いでおりますので、失礼しますわ。さあ、ルカーシュ様。皆が待っていますので、行きましょう」
ミカエラはするりとルカーシュの腕を取って、引っ張った。
「ターニャ、悪いな。後で話しに行く」
ルカーシュは申し訳なさそうな顔で振り向いた後、校舎の中に消えていった。
ミカエラも一緒に歩き出したが、何を思ったのかしばらく歩いた後にターニャの傍に戻ってきた。
「ターニャ様」
「は、はい」
「私、ルカーシュ様をお慕い申し上げていますの。邪魔しないでくださいませ」
「……え?」
「彼は優しいから、ただの幼馴染のあなたを突き放せないだけよ。優秀なルカーシュ様に迷惑かけないでください」
ミカエラに冷たくそう言われて、ターニャは何も言葉を発することができなかった。
「これ以上、彼に近付かないでください。失礼致しますわ」
ミカエラはそれだけ言うと、プイッと身体を背けて去って行った。
「そういえばあの二人って……」
以前から『ルカーシュとミカエラが付き合っている』という噂があった。成績優秀で、家柄も良く、見た目も整った二人は周囲からとてもお似合いだと言われていた。
「ルカーシュの好きな人って、もしかして……ミカエラ様?」
催眠術をかける前、ルカーシュは好きな人がいると言っていた。
ズキッ
「なんか……胸が痛い」
あの優しい笑顔も、嫉妬して怒った顔も、抱き締められた時の熱い体温も。本当はミカエラに向けられるべきものだったのだと気が付いてしまった。
♢♢♢
それから、ターニャはルカーシュを避け続けた。ルカーシュが迎えに来る前にさっさと一人で帰り、朝も普段より早く登校した。
ルカーシュは家に何度も来てくれたようだが、私は『体調が悪い』という理由で両親や使用人たちを通じて会うのを断ってもらっている。
「ターニャ、一体どうしたの? ルカーシュと喧嘩でもしたの」
「……違うけど。会いたくないの」
「ターニャ」
「お母様、心配かけてごめんなさい。今はルカと距離を取らないといけないの。でも、自分で解決するから」
「……わかったわ。あなたを信じる。何か助けて欲しいことがあればすぐに言うのよ。この家のみんなターニャの味方よ」
「ありがとう」
ターニャはあの日以来、いろんな文献を読み催眠術を解く方法を調べていた。しかし、どれも同じような解除法しか書かれておらず行き詰まっていた。
「諦めちゃだめだ。ルカを元に戻してあげないと」
幼い頃から、ルカーシュはずっとターニャを守ってくれていた。意地悪なことを言われることはあるけれど、いつだってルカーシュはターニャの味方だった。
苦しく哀しい時は黙って寄り添ってくれて、楽しい時は隣で微笑んでくれた。勉強がわからない時だって、呆れながらも『お前はできる』と励ましながら丁寧に教えてくれた。ルカーシュが根気よく教えてくれなかったら、きっとターニャは今の進学校に入れていないはずだ。
「ミカエラ様とお似合いだわ」
ターニャは自分が二人の邪魔をしていると自覚していた。ルカーシュとミカエラが両思いならば、ターニャと『付き合っている』なんて噂を聞いたら……ショックを受けるだろう。
ミカエラはとても評判の良い御令嬢だ。ターニャへの態度は少し怖かったが、好きな人と変な噂がある相手に優しくはできない気持ちもわかる。
「私、ルカのこと好きなんだ」
ターニャはその気持ちを素直に認めた時、ポロリと涙溢れた。
あんなに長く一緒にいたのに、失恋が決定してから恋心に気がつくなんて……ターニャは自分で自分の鈍さに呆れてしまった。
「そろそろ幼馴染を卒業しないとね」
ルカーシュには幸せになって欲しい。そのために、ターニャは催眠術の解除方法がわかるまで近付かないことに決めた。