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短編にする予定でしたが、話が長くなってしまったので連載にさせていただきます。
三話完結なので、二人の恋物語をサクサク気軽に楽しんでいただければ幸せです。ハッピーエンドです。
「ねえ、ルカ! これ見てよ」
子爵令嬢のターニャ・シェルマンは悪戯っぽく笑いながら、幼馴染である伯爵令息のルカーシュ・バルテルスに古い本を見せた。
「なんだよ、その怪しげな本。拾ったなら今すぐ返して来い」
ルカーシュは、ターニャがまた面倒なことを言い出すのではないかと思い、嫌そうな顔をした。
「怪しげな本とは失礼ね! これはこの前お祖父様の家に遊びに行った時に、古い倉庫から出てきたの。なんとこれは『催眠術』の本なんだって」
キラキラした目で本を抱き締めているターニャを見て、ルカーシュは冷ややかな視線を送った。
「催眠術なんて嘘だ」
「やってみなきゃわからないじゃない」
「……時間の無駄だ。さっさと帰るぞ」
ターニャとルカーシュは家が近く、両親共に仲が良いため幼い頃からずっと一緒に過ごしてきた。だから、いつも何の疑問も持たずに共に帰っていた。
「これだから頭のいい男は現実的で嫌ね。私はゲームと装って、この催眠術をマクシム様にかけるわ。そして私のことを好きになっていただくの」
「マクシム……だと?」
「マクシム様は一つ上の先輩だけど、いつも本当に優しいの。この前、先生に頼まれて職員室まで荷物を運んでいたら『可憐な女の子がこんな重たいもの持っちゃいけないよ』って助けてくれたの! 可憐だなんて……キャー! もしかしたらマクシム様も私のこと好きかもしれない」
バシバシと机を叩きながら大興奮しているターニャの姿を、ルカーシュは睨みつけた。
「軟派なマクシムは、きっとお前じゃなくても助けたさ」
「酷いわ! でも優しいから良いじゃない。ルカはそんな優しくて気の利いた言葉を言わないもの」
「……お前相手に言う必要ないだけだ。さっさと準備しろ。帰るぞ」
ルカーシュに適当にあしらわれて、ターニャは腹が立った。
「先に帰って。私はマクシム様に催眠術をかける計画を立てるんだから」
プイとそっぽを向いたターニャを見て、はぁと嫌そうにため息をついてルカーシュは椅子に座り直した。
「催眠術なんていきなりやって成功するわけないだろ。とりあえず俺でそれ試せよ」
「え、いいの?」
「その変な術を他の人間にやって、もし何か迷惑かけたら困るだろ。幼馴染として犠牲になってやるって言ってんだよ!」
「優しい! ルカ、大好き」
「……現金なやつ」
ルカーシュは唇を引き結んで、ジロリとターニャを見つめた。ルカーシュが不機嫌なことには気が付いていたが、ターニャは気にしないふりをして本の該当ページを開いた。
美形の怒った顔はより冷たく見えるので正直怖いが、ルカーシュが本気で怒ってはいないことをターニャはちゃんとわかっていた。
「えーっと、恋を叶える方法。あ、これだわ。相手があなたに惚れる催眠術ですって!」
「ターニャ……お前、本気なのかよ。そんなよく中身を知りもしない男に、そんな術を使って好かれて嬉しいか?」
ルカーシュはムスッとした顔で、ターニャにそう質問をした。
「んー、正直わからないけど。優しいし格好良いじゃない? だって、私ももう十七歳だもの。恋人がいないなら、そろそろ婚約者の一人や二人作らないとだめだって両親から言われたの」
「……二人いたらまずいだろ」
「まあ、二人というのは冗談だけど。卒業時に恋人がいないなら、お父様が婚約者を決めるって言うのよ。貴族令嬢として政略結婚の覚悟は決めているけれど、できれば愛し合って結婚したいわ。だから、全く知らない人よりマクシム様の方が良いじゃない」
ハハハと呑気に笑うターニャを見て、ルカーシュは大きなため息をついた。
「あ、しょうもないとか思ったでしょう? ルカだって、そろそろ婚約者作らなきゃいけないんじゃないの?」
「……興味ない」
「由緒ある伯爵家の長男なんだし、きっとおじ様とおば様が清楚で可愛い御令嬢を探してくれてるわよ!」
「好きでもない女と結婚なんてできるか」
「そんなこと言うってことは好きな人いるの!?」
ターニャは瞳を輝かせて、興奮した様子でルカーシュを見つめた。
「……いる」
ルカーシュは俯きながら、小声でボソリと返事をした。
「ええっ、いるの? 私が知ってる人?」
「煩い。ぐだぐだ言うなら手を貸してやらないぞ。さっさと催眠術をかけろ」
「ああ、ごめん。えーっと……どれだったかな。ああ、これだわ!」
ターニャが開いたページには『好きな人から死ぬ程愛されるための催眠術』と書かれてあった。
「うわ……その表現は胡散臭え」
「やる前からそんなネガティブなこと言わないでよ! とりあえずやってみるね」
ペラペラと本をめくりながら、ターニャは催眠術をかけ始めた。
「ルカ、目を閉じてください。三、二、一……と唱え終わると、あなたは私のことが好きで好きで堪らなくます」
ターニャはルカーシュの肩を叩きながらカウントを始めた。
「三、二、一……! はい、あなたは今から私のことが大好きです」
パチンと手を叩くと、ルカーシュはゆっくりと目を開けた。
「ルカ、大丈夫?」
ぼーっと視線が定まらないルカーシュの姿を見て、ターニャは心配になり慌てて声をかけた。
「ターニャ……愛してる」
ルカーシュはいきなりターニャを抱き締め、すりすりと頬擦りをし始めた。
「きゃあっ!」
「どうして逃げるんだ。俺とターニャの仲じゃないか」
真っ赤になったターニャの頬を、大きな手で包み込みルカーシュはまるで宝物を見るような蕩ける表情をした。
「ちょっ……ちょっと。ルカ! 待って」
いくら幼馴染で子供の頃から知っている二人とはいえ、大きくなってからハグをしたことはなかった。
ターニャはルカーシュの太い腕や鍛え抜かれた厚い胸板、そしてハグを解こうとしてもびくともしない力強さを知って、彼は『男性』なのだと初めて意識した。
「待たない。好きだ、愛してる。ターニャと一秒だって離れたくない」
耳元で甘く囁かれ、ターニャの頭は混乱していた。
「こんなに効果があるなんて……! ど、どうしよう。とりあえず、催眠術を解かないと」
「ターニャ? 何を言っているんだ」
ルカーシュはキョトンとした顔で、不思議そうに首をかしげている。
「ご、ごめんね、ルカ。すぐに元に戻してあげるから。あなたが好きなのは私じゃないのに」
「俺はターニャが好きだ」
ターニャはルカーシュに真剣な顔で告白をされた後、頬にちゅっと口付けをされた。
「っ……!」
「真っ赤になって可愛い」
ルカーシュはくすりと色っぽく笑って、ターニャの耳を指でそっと撫でた。
「ひゃあっ! な、な、何するのよ」
「耳弱いんだな」
ターニャはルカーシュからなんとか逃れて必死に本をめくり、催眠術を解くページを探した。
「あ、あった! えーっと……三つ数えるとあなたは、私のことが好きではない元の状態に戻ります。三、二、一……はい」
パチンと手を叩いて、恐る恐るルカーシュを覗き込んだ。パチパチと不思議そうな顔で瞬きをしてターニャを見つめているが、なんの反応もない。
「ルカ、大丈夫? 元に戻った?」
「ターニャ可愛い」
ルカーシュはふにゃりと笑い、またターニャを抱き寄せた。
「ダメだ。どうしよう……解けてない! どうして」
「解けてないってなに?」
「催眠術! ルカに私を好きになる催眠術をかけてしまったの。それがなぜか解けなくて。ごめんなさい」
ターニャは申し訳なさでいっぱいになり、ルカーシュに謝った。
「俺がターニャを好きなのは催眠術なんかじゃない。だから何も気にする必要ない」
「違うの、きっとその気持ちも術によるもので……」
「ターニャ、そんなわけないだろ? 俺は君が好きだ」
ルカーシュほどの美形に真剣に「好き」だと言われると、ドキッとしてしまうのは仕方がない。催眠術の影響だとしても、ターニャの胸はドキドキと高鳴った。
「さあ、帰ろう」
「う、うん」
ルカーシュは当たり前かのように、ターニャの手を握り馬車へと向かった。いつも二人で下校してはいたが、もちろん手を繋ぐことなんて普段ならありえない。繋いだ記憶があるのは小さな頃だけだ。
ルカーシュは馬車に乗る時も丁寧にエスコートをし、普段なら二人は向かい合わせに座るのに……今日はターニャの隣に腰をおろした。
「ど、どうしてこっちに座るのよ」
「少しでも近くにいたいからに決まってるだろ」
ニコリと微笑んだルカーシュは、ターニャを抱き寄せた。
「ひゃあっ!」
「照れているのか? 可愛いな」
「や、やめてよ。離れて」
ターニャは真っ赤になりながら、ルカーシュから身体を離そうとした。
「今更恥ずかしがることはない。俺たちは付き合っているんだから」
「わ、私たちそんな仲じゃない! ただの幼馴染よ。ああ……どうしよう。私が催眠術なんかかけたから……どうやって解けばいいのかしら」
ターニャは持っていた催眠術の本を必死に眺めていた。
「さっきと違う解除方法は載っていないかしら」
ペラペラと本をめくっていると、ルカーシュに無理矢理本を閉じられた。
「ターニャ、本じゃなくて俺を見てほしい」
「え?」
「せっかく二人きりなのだから」
本を閉じた時に偶然触れてしまった指がきゅっと結ばれ、ターニャの身体はビクッと跳ねた。
「愛してるよ、ターニャ」
ルカーシュは優しい目で、彼女を見つめていた。彼が今までそんな表情でターニャを見たことはなかった。
普段クールなルカーシュが『好きな人』の前ではこんな風になるなんて、ターニャは信じられなかった。
「ひっく……ひっく、ごめんね。私が絶対に元に戻してあげるからね。催眠術なんてかけてごめんなさい」
ターニャはポロポロと涙を溢した。自分が催眠術なんてものをかけたせいで、こんなことになってしまったのだと後悔をしていた。
「泣かないでくれ。俺はターニャの涙を見たくない」
ルカーシュは困ったように眉を八の字に下げ、指でそっと涙を拭った。
「ターニャの言う通り……もし、この気持ちが催眠術によるものだったとしても構わない。俺は昔からターニャと一緒にいるのが幸せだから」
ニコリと笑ったルカーシュは、ターニャの濡れた瞼に優しいキスをした。
「また明日、迎えに行くよ」
「え……いや、いつも朝は別々に登校してるよね?」
「ターニャと一秒でも長くいたいから。本当は今だって家に帰したくない」
しょんぼりと哀しそうなルカーシュを見て、ターニャは拒否できなかった。
「わ、わかったわ」
「よかった。じゃあまた」
「うん」
やたら甘い雰囲気を出すルカーシュに戸惑いながら、ターニャは家に帰った。
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