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そこからはあっという間だった。傭兵も久々の実戦で、少し気分が高揚していたのかも知れなかった。四十もの戦士たちは地面に倒れ伏し、ある者は泡を吹き、ある者はあらぬ方向に曲がった手足の痛みに悶える。


立っているのは、傭兵とナディアだけだった。うめき声のする地面を足で押して道を作りながら、剣を片手にナディアに近づいた。ナディアは後退りをするが、壁が行く道を閉ざした。ずるずると壁を伝って尻餅をついたナディアの表情は、傭兵の気持ちを落ち着かせるのに事足りた。


「あ、あぁ、貴方、人間じゃないわ!」


「昔からそう言われる」


傭兵は血がついた剣を布で拭きながら、後ろに転がった者たちを見た。


「誰も殺していないはずなんだが。……さて」


黒い瞳が向けられると、ナディアの体が跳ねる。傭兵はもう一歩近づいて、女の真横の地面に剣を突き刺してしゃがんだ。


「君はなぜ、リディスを殺すことにこだわった」


ナディアの額に汗が滲む。わなわなと動く唇から、言葉が紡がれた。


「お、お姉様は、何でもできた。画家の才能もあった。私は……いつも二番目で、羨ましくて、それで妬ましくて」


肩が震える。傭兵には、笑っているように見えた。


「お姉様の十二歳の誕生日に、私、呪いをかけたの。不注意で指を切りつけちゃったふりをして。そしたら、本当に絵が描けなくなった!もう、可笑しくてたまらなかったの!」


壁に身を預けて笑う姿は、王宮の画家とは思えない。遠くを見つめる瞳は、さらに話をし続けた。


「私は画家になった。お姉様は絵の具作りに励んだわ。私を支えるためにね。貴族だった地位も捨てて、商人に成り下がって、私のために命を削って魔石を絵の具にして。とても滑稽だった。……なのに、リディスは私を差し置くぐらい、名前を王都中に知らしめた」


女は笑うのをやめた。


「結局お姉様は、私の先を行った。それなら殺してしまえばいいと思った。そうしたら、私は一番だから」


傭兵は立ち上がって、剣を鞘にしまう。


「リディス。出てきていい」


傭兵が、女のすぐそばにあった瓦礫に声をかけた。刹那、地面に近い場所から光が昇っていき、人をかたどっていく。リディスは瓦礫に座り、ナディアを見下ろしていた。ずっと、そうしていたのだろう。


女がゆっくり頭を動かして見上げると、徐々に青ざめていく。


「お……姉様、?」


「うん。私、まだ生きている。騙してごめんね」


リディスは瓦礫から降り、女のそばに座った。


「実はね、ナディアの気持ちには気づいていた。妬んでいた気持ちも、死んでほしいっていう気持ちも」


リディスは女の手を取った。汚れていない綺麗な指を撫でる。


「でも、約束したでしょ?二人で一緒に作品を作って、個展を開こうねって。でも、嘘だったんだね」


「ご、ごめんなさい、許して」


「綺麗な手ね。私の手は汚い。魔石を扱うとね、指先から毒が染み込んでいくのよ。だからね、これ以上汚れたっていいと思わない?」


微笑みながら、女に背中を向けた。傭兵の横までうつむきながら歩く。目線には、地面に散らばったガラスと深緑の液体。


「傭兵さん。私の答えは変わらないわ」


傭兵はリディスの言葉を聞いてすぐに、腰の剣を抜いた。ナディアに歩み寄り、胸の一点に先端をあてる。


「助けて、お姉様、お姉様!私はまだ、まだ死にたく……」


女の叫び声に、リディスは優しく諭した。


「人のこと殺しておいて、死にたくないは贅沢よ。我が妹」


鋭い刃が、正確に急所を貫く。口からこぼれる血が、白い顔を赤く濡らし、青いワンピースが赤黒く塗りつぶされていく。傭兵は剣を引き抜いて、血をはらって鞘に戻す。依頼主と同じ顔をした人間を殺めるのは、あまりいい気分はしなかった。


最後の呼吸を確認し、傭兵は振り返った。リディスは地面に膝をついていた。


地面に落ちる水滴の音。小さな嗚咽。傭兵は彼女の震える肩に手を置いた。リディスは傭兵に一瞥もくれずに抱きついて、声を上げて傭兵の服を濡らした。傭兵は、彼女の背中をそっとさすることしかできなかった。


王都の芸術区には、数々の店が並ぶ。中でも広場にある店は選りすぐりだ。広場を囲うように建つ店、異国の人々の露店。数々の色が個性を出すこの場所に、ただの民家のような佇まいの店があった。扉に掛けられた小さい木製の看板が、店であることを語る。


朝日が昇る頃、リディスは店の扉を開け放した。心地よい暖かい風が、艶やかな黒髪を撫でていく。リディスはうんと伸びをした後、看板をひっくり返した。赤色の文字が開店を知らせる。


「リディスお姉ちゃん!」


小さな女の子が、パタパタと駆け寄ってリディスに飛びつく。リディスは受け止め、頬を引っ付ける。


「愛しのウェール、会いに来てくれたのね!嬉しい!」


「リディスさん、再開初日にごめんなさいね。どうしても会いたいって聞かなくて」


リディスはウェールの母に笑いかけた。


「こちらこそ、長い間お休みしてごめんなさい。今日から、リディスの店は復活よ。いい色ちゃんと作っといたからどんどん買ってよね」


「買うー!」


女の子はリディスから離れ、店の中に入った。まんまるな瞳は宝石を見るようにきらきらと輝く。リディスは、それを見るのが嬉しくてたまらなかった。


妹のナディアが死んでから、瞬く間に事が運ばれた。言葉のあやではなく、たった一日もかからなかった。


依頼が終了し、リディスは太陽が昇る前に王都に戻った。店の前ですれ違った顔見知りの商人が、「旅行は楽しかったか」と声をかけてきた。最初は話を合わせて笑顔で誤魔化したが、商人だけではなくお客さん、つまりはリディスを知る人達が口を揃えて「旅行はどうだったか」と訊ね、「突然いなくなるなんでびっくりした」と、リディスの死は笑い話になっていた。段々と、自分がおかしいのではと錯覚した。


その後すぐに、『顔が判別できないほど潰れた女の死体が、王都画家の邸宅で見つかった』と噂で耳にした。王都中を揺るがせた大きな事件となったが、女のことを憐れむというよりかは、償いだとか、罰だとか、蔑むようなものばかりだった。


リディスはそこで、やっと合点がいった。そして、再び傭兵に会わなければならないと思った。


日が沈む頃、看板を再びひっくり返す。外から鍵をかけ、芸術区から下り、旅人や傭兵の集まる酒場を通り過ぎた。細くいりくんだ道を進み、人の気配のない奥に入っていく。ぼろぼろになった木製の建物に、一軒だけ扉がついていた。リディスは扉を叩いた。


「開けないなら、私が開けるわ」


扉の奥からは、足音も声もしない。リディスは覚悟を決めて扉を開けようと引っ張った時、同時に扉が動き、リディスの体は後ろに投げ出された。頭に鈍い痛みが走ったが、出そうになった声を我慢した。目の前には、ぼんやりと明るい酒場が見える。扉を開けて立っていたのは、傭兵だった。


「なぜここがわかった」


「商人の記憶力を舐めないでほしいわ。ここも、貴方のことも忘れろって言うのは無理な話よ。情報は大事だから」


リディスは腕を組んで、一人でうんうん、とうなずく。傭兵は力が抜けたように息を吐いた。


「何の用事だ」


傭兵のいつものような鉄仮面は、心底面倒臭そうに表情を崩した。


「商人リディスは諦めが悪いのよ。全部聞くまでは帰らないからね」


リディスは片目をつむり、傭兵に笑いかけた。

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