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絵の具売りの商人、リディスが死んだことは、瞬く間に王都中に広まった。それほど彼女の死は突然だった。


リディスの店の前は、数多くの花や絵画で埋め尽くされたらしい。芸術家にとって、彼女の存在はあまりにも大きかったのだと、王都の酒場では、彼女の話で持ちきりだ。芸術とはかけ離れた、傭兵や旅人たちが一商人の話をするのは滅多にあることではない。


そのおかげで、傭兵は隠れて都の様子を見に行く必要がなかった。が、彼女を死なせてしまったのは失敗だったという思いが、日に日に強くなっていく。やっぱり生きてました、では済まされないと、今では透明な幽霊のリディスも嘆いている様子だった。


傭兵はこの四日間、いつも通り酒場で過ごしていた。しかし、あからさまな監視に気づいていないふりをし続けるのは、骨の折れる作業だった。特に店主は、昨日から態度が違った。今まで店主自身が近寄ってくることはなかったが、今はリディスの話を異様に持ちかける。うっかり口を滑らせるのを待つように、時には周りの監視役の傭兵を交えながら。


傭兵は嫌気がさし、うっかり口を滑らすことに決めた。リディスの無茶な依頼を引き受けた者同士、大変だったと話をした次の日、店主から封筒を手渡された。傭兵は封筒を受け取ると、用がなくなった酒場をすぐに後にした。


そこからは、リディスのいる場所に戻るだけだった。いつものように追手を振り切り、廃墟となった建物に入る。


中は廃墟ではなく、小さな酒場へと繋がる。傭兵が昔から拠点としている場所だった。今は酒場としての機能はない。傭兵は酒場の奥に入り、扉を開けた。


「お帰りなさい、傭兵さん。今日はずいぶん早いわね」


リディスは椅子に座って、優雅にお茶を嗜んでいた。


「手紙だ」


傭兵は懐から手紙を取り出した。彼女はカップを乱雑に机に置いた。


「中は見た?」


「これから見る」


青色の蝋をはがし、中の便箋を取り出す。一枚に半分ほどの文を読み流していると、横からリディスが背伸びをして、傭兵の肩から覗いた。


「ふむふむ。つまり、傭兵さんと取引をしたいって感じね」


傭兵は手紙を折りたたんで、近くの暖炉へ放った。リディスは口をぽかんと開けて、手紙だったものが灰になっていく様子を見つめた。


「また証拠が燃えた……」


「証拠も何も、明日わかることだろう」


傭兵はリディスが座っていた向かいの椅子に座る。リディスは「私の手紙もああやって燃やしたんだわ」とぶつぶつ言いながら、椅子に座って紅茶を一口ふくんだ。傭兵は聞こえないふりをして、空いたカップに紅茶を注いだ。


「明日、君を殺した張本人と会うことになる。会いたいか」


「……ええ、もちろん」


少し間が空いて、リディスは答えた。


「会って、どうしたい」


リディスは再び紅茶を一口飲んだ。目を伏しがちにカップの中を見つめる。


「そうね」


傭兵は黙ってリディスの言葉を待つ。しばらくして、彼女は溜まった息を吐いて、顔を上げた。


「殺してって、言ったら」


込み上げてくる何かをこらえるような、息が詰まった掠れた声。傭兵はすぐにうなずいて、口を開いた。


「私は君の言う通りに動くだけだ。傭兵の立場として殺しはご法度だが、やり方はいくらでもある」


傭兵がそう言うと、リディスはぎこちなく首を縦に動かした。


「だが、実際に出会ったら気が変わることもあるだろう。その時になったら、また訊ねる」


「うん。分かった」


リディスは自分の紅茶を飲み干した。傭兵は自分が注いだカップに手を伸ばそうとしたが、リディスが奪取し一気に飲み干す。


「ふぅ、緊張して喉が渇くわ」


行き場を無くした手を、傭兵は黙って引っ込めた。


月明かりを拝めない日が続いたからか、明かりのない夜でも明るく感じる。人々が通って固められた道から逸れて歩いても、行き先を見失うことはなかった。夜空に浮かぶ銀色は、黒いローブの刺繍を同じ色にきらめかせた。


傭兵はとリディスは、都から離れた旧砦跡へ向かっていた。リディスについては、魔法によって誰からも見られない、幽霊のような状態でいる。傭兵がリディスの身代わりとなった日も、同じことをした。


彼女は依頼者だ。知りたいと思う当然の気持ちを、傭兵が汲まないわけにはいかない。リディスは自分の目で見て判断することを望んだ。見た後に、決断をする。それが葛藤を生むのか、強固な意思となるのかは、彼女次第だ。


砦跡がすぐそばまで迫ると、傭兵は見えないリディスに小声で話しかけた。


「ここからは、君をいないものとする」


リディスの声は聞こえない。


「合図があるまで、何があっても魔法を解くな」


昨日から何度目かの忠告だ。見えないが、傭兵に対して不満や文句を好き放題言っていることだろう。


傭兵はフードを深くかぶり直し、砦に足を踏みいれた。


砦としての機能は失われており、ここからどう壊れたとしても誰も気づかない。傭兵は砦を囲む大勢の人の気配に、フードの下で微かに笑った。


「よく来てくださいました」


冷たい風が、傭兵の頬を撫でる。傭兵は砦の奥に立つ、声の主ーーーー帽子の女に近づいた。砦の中央あたりで足を止めると、女はくすくすと笑った。


「さて、まずは自己紹介をしなくてはね」


そう言うと、女はつばの広い帽子を取り去った。


「ナディアと申します。今は亡きリディスの、双子の妹ですわ」


微笑みかける顔に、傭兵の心臓が大きく音を立てる。考えていたことではあったが、あまりにもリディスと似ていた。


「貴方はなんとおっしゃるの?」


「君に教えることは何もない。本題はなんだ」


傭兵の声音はいたって静かだった。ナディアは途端に笑みを消し去る。氷のような青黒の瞳が、傭兵を捉えた。


「貴方、リディスと“禁忌の地”へ入りましたわね?」


ナディアは傭兵に、絵の具の入った装飾瓶を取り出した。女の周りが淡く深緑に光る。


「リディスはそこで死んでもらう手筈だったのですよ? ……でも戻ってきた。考えられるのは貴方の存在のみ」


でも、とナディアは手を頬に当てて、ため息をついた。


「正直なことを言いますと、それを知ってからリディスに興味は無くなりました。でも、目障りでしたので死んでいただきました。お姉様のことは昔から大嫌いでしたので」


女は瓶から手を離した。硬い地面と衝突し、液体が流れ出す。


「“禁忌の地”へ入る道を知っている貴方が、ただの傭兵のはずがありません。気になってずいぶん調べたのですが、不自然なくらい何も情報がない。なので、直接お話をしようと思いました」


同じ顔で微笑んでも、隠れた黒さが滲み出る。傭兵は目を閉じた。彼女の言動ひとつひとつが、あまりにも不愉快だった。


「聞かれても答える義理はない」


「そうも言っていられませんわよ。私の声は、国に届きますわ」


ナディアは靴音を響かせて傭兵に近づいた。目の前に来ると、傭兵の顔を見上げて目のはしを歪ませた。


「ナディア・フォーラナンドは、国王に使える画家。貴方とは身分が違う。誰の言葉を信じるかは言うまでもなくてよ」


くすくすと笑うナディアを、傭兵は鋭く見下ろした。


「何が望みだ」


「物分かりが早いわ!禁忌の地へ行く方法を私に教えてくださらない?もしくは、私に仕えるのもいいわ。その代わりに、貴方が特別な傭兵だということは、絶対に伏せます。どう、悪い条件ではないでしょう」


傭兵は腕を組んだ。目線をナディアから外し、考えるように砦を見渡した。


「答えは今すぐに聞きたいわ。考えて頂戴」


傭兵はナディアから離れるように一歩、一歩と後ろへ下がった。


「君の言いたいことは分かった」


フードを取り払い、髪をかき上げた。


「私も、目障りなのだろう」


腰に差した剣を抜き、上からの斬撃を斬り払う。その勢いで跳ね返って地面に着地したのは、全身に闇を纏った男。


「あ〜あ、やっぱりそうだよなぁ。そうだと思ったんだよ」


男は傭兵を見るなり、刀を流れる手つきで鞘に戻した。傭兵に軽く頭を下げた後、ナディアにひざまずいた。


「依頼主、あの傭兵の相手はできかねます」


「なっ、何を言っているの?!貴方の一存で決められることではないわ」


「いやぁ、頭領に直接ご依頼されたのは知っていますよ。でも、頭領の言葉を思い出していただければと」


ニコニコと笑いながら、はね放題の黒髪を指先でいじる。


「そんなの覚えていないわ!貴方たちは暗殺者なのだから、誰でも殺せるんでしょう」


「ん〜、あの傭兵殿に手を出すと、もれなく僕たちが頭領に暗殺されちゃいますね。あはは」


ふざけた態度の男に、ナディアは翻弄されるように顔を赤くする。男と傭兵に背を向けて、足早に砦の奥に戻ると、帽子を拾い上げた。


「あの二人を殺しなさい」


ナディアの一声で、砦のあらゆる影から武装兵が這い出る。男は口笛を吹いた。


「僕、逃げます。傭兵殿、切り掛かっちゃったことは頭領には内緒でお願いします!」


男が魔法陣を展開したところで、傭兵は男に話しかけた。


「首絞め、みぞおちのことも許す」


「さすが、心が広いです!って、え?嘘、冗談ですよね、え?!」


騒がしいまま光に包まれて消える。傭兵は一つ息をつき、あたりを見渡した。


見た目は、傭兵のようにさまざまな防具を身につけているが、一人も見たことはなかった。恐らく国の兵士か、傭兵ではない別の荒くれ者を雇ったのだろう。およそ四十。これを一人で相手をするのは時間がかかるだろう。


「ここで死ぬか、私の元へ下るか、選ばせてあげますわ」


帽子で隠した口元は、見えなくても歪んでいる。傭兵は左手の剣を持ち直した。


「選択肢はいらない。結果はひとつだ」


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