表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/5

2


都の空は遠くで淡く光り始める陽を見せず、重い灰色が覆った。この時間に動く人々はなく、広場にはぽつぽつと人がいる程度だった。この都ではとても珍しく、航路手段が閉ざされたらしい。今日はこの都は動かないだろう。


傭兵はリディスの店の前にたどり着いた。看板が外され、唯一とも言える店の面影は消えていた。たったそれだけでも、リディスにとっては最大の覚悟だ。傭兵は白い息を吐き、扉を叩いた。


「傭兵さん」


すぐにリディスが出てくる。格好は非常に簡素で目立たない。準備はすでにできている様子だった。傭兵はフードの端を少し持ち上げる。


「道は分かるのか」


リディスは黙ったまま固まる。傭兵は「だろうな」と小さくつぶやいて、固まったままのリディスの横を通り店に入った。


「今から行かないと日が暮れる。荷物を持って、鍵をかけろ」


リディスは言われた通りに動いたが、鍵をかける前に傭兵に尋ねた。


「どうして内側からなの?」


リディスの問いに、ただ視線だけで急かす。カチャ、と金具が降りると、傭兵はリディスを呼んだ。


「この都からでは辿り着かない」


「地図は確認したけど、前に行った森を抜ければ行けるはずよ」


傭兵は首を振った。


「なぜ禁忌へ挑む者が帰って来ないのか、それが答えだ」


「森がおかしいってこと?じゃあどうやって……」


傭兵は左の小指につけた小さな指輪を外して、棚に置いた。途端、二人が入るだけの紫色の光が床に広がる。


「ま、魔法?!」


高揚か驚愕か、複雑な感情がリディスの声音に現れる。傭兵の無表情のまま、口を開く。


「戻るなら今だ」


リディスは強く首を振った。


「いいえ、戻らない。魔石を見つけるまでは絶対に」


光が強くなり、体を包み込む。リディスは耐えられずに目を固く瞑った。


目を開けたときに最初に目に飛び込んできたのは、崖。その先には街が見える。


「わあっ、綺麗なところ……」


リディスは街の全貌を喰いるように眺める。ついでのようにリディスはあたりを見渡した。リディスの後ろには森があった。光とは無縁だというように、吸い込まれそうな闇。リディスの足は森へ向かう。あと一歩というところで傭兵は腕を掴み、体を引き戻した。


傭兵は腕を掴んだまま、黙って森を背にして歩き始めた。リディスは引きずられるように傭兵に従っていた。視線はずっと、森の方。森が全く視認できなくなるなると、リディスは息を吹き返したように激しく咳をし始めた。傭兵はリディスを座らせ、落ち着くのを見守った。


「ごほっ、私、何を……」


「あの森の正体だ。身をもって知れたな」


大きく咳き込み、リディスは力無くうなだれた。


「あれは一体何なの」


「魔法だ。ここは全て魔法で誤魔化されている」


傭兵はリディスが落ち着き始めたのを確認して、再び歩き始めた。リディスも一歩後ろで歩いていたが、傭兵に駆け寄って腕を抱いた。傭兵はリディスを一瞬見て、思わず喉の奥で笑った。


「怖かったか」


「ええ、ええ、そりゃもう!逆にどうして傭兵さんは何もないの?やっぱ人間じゃないんでしょ!」


心がないのよ!おかしい!と暴言とも取れる言葉を吐き散らかす。そうしていないと気がまぎれないのだろう。傭兵は聞き流して歩き続けた。


しばらくして気持ちも落ち着いてきたのか、黙って歩くようになった。そして、リディスは森の前で見た街が近いことに気がついたのだろう、首が痛くなりそうなくらい見上げる。


「君の目にはどう見えているんだ」


「かっこいい街よ!王都よりも無駄なものが削ぎ落とされているわ。王都が宝石大好き貴族なら、あの街は戦い一筋の兵士って感じ。って、どうしてそんなことを?」


リディスは傭兵の問いかけに首を傾げながら答えた。傭兵はリディスが見ていた場所を見つめる。無駄なものがないといえば、そうかもしれない。


「さっき言ったことが全てだ」


「『全て魔法で誤魔化されている』んでしょ。そうは見えないけど」


街に入る門が目の前に見えたとき、傭兵は立ち止まった。リディスは傭兵の腕を離し、走って門を見上げた。


「鷹に剣!かっこいい旗ね。傭兵さん、誰もいないけど入っていいのよね?」


はしゃぐリディスに傭兵は近づかなかった。何かを察したのか、リディスは傭兵のもとへ戻った。


「ここからは一人だ」


「傭兵さんは?」


「私はここには入れない。……リディス、今から言うことだけは絶対に守ってほしい」


傭兵は何もないところから、小さく折り畳まれた紙を出した。それをリディスは受け取って広げた。古ぼけた地図だった。中央に城が描かれたこの街のものだった。


「誰かに話しかけられても、無視をすること。それと、絶対に城には近づかないこと」


「分かった」


理由を知りたそうにうずうずしていたが、リディスは素直に頷き、傭兵に背を向けた。


「君の望む色は広場のあたりにはあるだろう」


リディスはもう一度頷いて、走って門をくぐった。


傭兵は、そっと目の前の見えない壁を触る。どんなに荒れ果て、跡形もない廃墟だとしても、ここに入ることは二度と許されない。風化しきった視界の先にある崩れた城に、思いを馳せることすら許されない。


この場所に陽の光は存在しない。暗く重い雲が永遠に覆い被さるだけの世界。雨すら降らず、草木は枯れ果て、生き物が生きていく術はない。そして、街に入れば二度と出られない。幻夢で生きて、気づかぬまま死ぬ。


どのくらい時間が経ったか、傭兵は崩れた岩を背もたれに座っていた。どれだけ待っても戻ってくることはないのに、なぜ待っているのかわからなかった。


傭兵は懐から懐中時計を取り出し、時間を見る。丸一日だ。踏ん切りをつけるように立ち上がった。そして、廃墟を背に魔法を展開する。その刹那。


「まさか、戻ってこないとか思って、帰るんじゃないでしょうね」


真後ろから聞こえる声に、傭兵は息を呑んだ。振り返ったそこには、簡素で動きやすそうな格好をした女。全身灰をかぶったように汚れていたが、右手に握られた深緑の石だけが煌々と輝いていた。


「商人リディスはやる女ってわかったでしょ。褒めたっていいのよ」


満面の笑みで魔石を傭兵に見せつける。傭兵は震える声を抑えられなかった。


「どうやって戻った」


「傭兵さんの言いつけを守っただけよ?」


魔石を傭兵に渡し、体についた汚れを払いながら、傭兵に話し続けた。


「話しかけてくる人をとにかく無視。追いかけられても無視。多分私の後ろは行列だったわ。見てないけど。それで、広場あたりで突然気がついたの。全然綺麗な街じゃないことに」


リディスは崩れ去った門だったものを見上げた。


「あまりにも朽ちていて、茫然とした。傭兵さんの言う通り、本当にただの幻。気を抜くと綺麗な街に戻ることあったけど、今は見えなくなっちゃった。傭兵さんにはそれが見えてたの?」


傭兵は黙って頷いた。リディスの髪についた細かな緑色の破片をすくように落とす。


「何も知らない者が戻ってきたのは初めてだ」


「じゃあやっぱり、傭兵さんはここを知っているのね」


傭兵は壁の前に立ち、壁に触れた。蜃気楼のように揺れるのに、傭兵の手は完全に阻まれる。


「誰よりも知っているはずだ。入ることは許されていないが」


「許されていないって、どうして」


傭兵は壁から離れ、街だったものに背を向けて歩き始めた。リディスは黙って傭兵の後ろに続く。荒れた地面。草木の代わりに瓦礫と、ごく薄い緑や紫の石が散乱する。坂を登ってしばらく、最初に魔法で降り立った森の前に着く。リディスが怖がった森などは存在せず、そこには断崖絶壁があるだけだ。


傭兵とリディスは崖の中央に立って、廃墟を見下ろした。かつての姿を思い描いて当てはめる。その行為が、街が存在していないことを色濃く証明する。傭兵はリディスを見つめ


「さっきの質問に答える」


足元にははっきりと紫の魔方陣が広がった。


「私があの街をーーーー」


魔法陣が、光と風で二人を包み込む。傭兵からは、リディスの表情は見えなかった。


リディスは、店についてから絵の具を作るまでの記憶が曖昧になっていた。いつ傭兵と別れたのか、お金は払ったのか、そもそも夢だったのかもしれないとか。それでも、手の中には深緑の絵の具がある。それだけが、夢ではなかったことを物語っていた。


すぐに邸宅へ絵の具を届けようと店を出たが、足は勝手に真反対の酒場へ向かっていった。向かう途中、リディスは言い訳をたくさん考えた。もう傭兵に会う意味はないはずなのに、何かにつけて無理やり会ってやろうと思っていた。そして考えが全くまとまらないうちに、酒場に着く。


リディスが酒場に入ると、傭兵に依頼をした日を思い出した。綺麗な灰色の髪、整った横顔。絵画の一枚のように、完成されたものだった。リディスは何も考えずに店主に紙をもらって走り書きで記入し、お酒を運ぶ途中の店員さんから酒を奪って、傭兵のいた机に座った。今なら言える。商人リディスの勘に間違いはないと。


「どうも、有名な傭兵さん」


リディスは傭兵の向かいに座る。窓の外を見ていた黒い瞳だけがリディスへ動く。


「もう依頼は終了した」


「融通がきかないわね。せっかく絵の具を見せにきてあげたのに」


机の上に絵の具の瓶を置く。日の当たらないこの席でも、なぜかぼんやりと光って見える。傭兵は少し眺めて、また窓の外へ視線を移した。


「それで本題は」


「うん、ごめんなさい。誤魔化せないわね」


リディスは顔を少し赤らめて、絵の具を鞄にしまった。


「えっと、内緒の情報を一つ、傭兵さんには教えようと思って」


「……興味はない」


「傭兵さんの秘密を教えてもらった以上、気が済まないの。忘れていいから聞いて」


リディスは深呼吸を二回した後、青みがかった黒い瞳を少しだけ潤ませた。


「私、多分殺される」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ