学校編「よく学び、よく鍛えよ」16
召喚術の授業を受け始めてからひと月が過ぎた。
今日も成功したか否かわからない召喚術の実技だ。
最初の頃はぎこちなかった詠唱がずいぶん滑らかになっている。古代語は発音が難しく舌音や鼻音や破裂音や……その他諸々の厄介な技を駆使しないと詠唱できないが、さすがに一番簡単な詠唱はほぼ完璧に発音できるようになっていた。
うまく出来た、と思う。
また視界の端にあの姿がちらりと見える。
ルシアンは、もうその正体をわかったような気がした。
ルシアンの召喚の詠唱に惹かれてくるのだろう。
――今日は、もっとはっきり見えないかな。
古代語の詠唱を終えるその時、見えるよりも先に声が聞こえた。
『ねぇ、来てくれないの?』
それから、その姿が見えた……気がした。苗の姿だ。
幻のように見えたのは、苗がルシアンにようやく届けてきた自分の姿か。
――やっぱり、苗……?
精霊の魔力をなんとか感知した。
けれど、その姿を確認すると同時に、ルシアンはのん気にしていたことを後悔した。
――枯れてる……。
見えた姿は、苗と呼ぶのに躊躇するほど干からびていた。
小さくて萎びた葉が、か細い茎に絡むようにくっついた哀れな苗。
思わず指を伸ばしたが幻はふいっと消えてしまった。
おぼろげな精霊の魔力も、間もなく消えようとしているのがわかった。
ルシアンは机に戻ると鉛筆を削るナイフを指先に刺し、すっくと立ち上がった。
「ヴィオネくん?」
スニア教師が不思議そうにこちらを見た。
「すみません、うっかり指を怪我しました。治癒室に行ってきます」
ルシアンは血の滴る指を掲げた。
「あらま、気をつけてね」
戸惑うようなキュリス教師の声を背に聞きながら、ルシアンは走り出した。
苗の精霊が、なぜ魔法陣の中にいなかったのか。
魔法陣とは関係なしに、直接、ルシアンの声を聞いていたから。
――僕の魔力が直接、届いていた……。
召喚術の授業は大教室で行われていた。あの中庭の近くだ。
精霊の姿を初めて見た芝生。
息を切らせて中庭に走り出た。
焦って見回した。今は誰もいないおかげでいつもよりも魔力を多く放てた。でも、学園が設置している防犯の魔導具に感知されないくらいには抑えた、つもり。
感覚に残っている微かな魔力を探す。
木立の近く、木陰になったところ。
「あった!」
見つからないわけだ。
苗は小さく切られていた。芝を刈るときに、おそらく、芝刈りのたびに小さく刈られた。何度も刈られたのだ。まるきり成長できないくらいに。
おかげで、死にかけていた。
――これは……。
精霊樹の苗だ。
精霊樹は移植はできない。でも、こんなに小さければ根も小さいだろう。
ルシアンは土魔法を使った。小苗に土魔法の魔力が纏い付き、守るように瞬く。さらに土魔法で根を傷付けないように掘り取る。
上着を脱いで、土ごと包んだ。
セス・レフニア教授の部屋へと走った。
王立学園の動植物は持ち出してはいけない。
生徒手帳に記してあった。でも、この子はもうすぐ死ぬところだった。
気づかなかった学園が悪い。
セスは幸いなことに部屋にいた。
「レフニア先生、ユーシスの生徒会が終わるまで居ていいですか」
「もちろんだよ。その上着はどうしたんだい?」
セスは泥だらけの上着を呆れて見た。
「この子が死にそうだから」
ルシアンは上着の包みを開いた。
「これは、なんだい?」
セスはあまりにも小さい苗に目をこらした。
土はたっぷりと掘り返してあるが、それに比べて葉は干からびて細く小さく、正直、草とも塵とも言い難い有様だった。よく見ないとそこに枯れ葉色の葉があるとわからない。
「精霊樹の苗です。
死にかけてるんです。芝刈りで何度も切られたから。
丈夫な苗でも、もう……」
ルシアンは水魔法で水を生成し、苗にかけた。
まるで乾いた布が吸い込むように水は苗の中に消えていく。苗が魔力で瞬いた。
「根を張るのはまだ待って。
ちゃんと地面に植えるまで」
ルシアンが言い聞かせると、小さな苗は返事をするように揺れた。
「大丈夫か」
セスが心配そうに尋ねた。
「たぶん……。水を飲めたから、なんとか生き返ると思うんです」
ルシアンはそっと指先で苗を突いて、土魔法の「滋養」を注いだ。
小苗がまたわずかに瞬いた。
「こんなところにね。
私の前の職場にも精霊樹は生えていたよ。
でも、今はもうないが」
セスが苗を気遣うように静かな声で話した。
「ないの? 精霊樹が?」
ルシアンが顔を上げて思わず尋ねるとセスが頷いた。
「鉱山があってね、特別な石が採れた山だよ。
この腕輪の石だよ」とセスは自分の腕輪を指し示す。
「でも、鉱山ではただ単に鉄鉱石を採っていたけどね。
特別な石は、市場価格はごく安かったために放置だ。でも、あの石のおかげで、精霊樹はその場所を選んだ。私が思うに、この石は国神に願いを届けやすい波動を持ってる。単なる推測だけれどね。国神のご神体である精霊石に波動が似ていた。それは推測ではないよ、測った結果だ」
「それで、精霊樹が生えていたの?」
「その場所に種が落ちたときに成長できた理由だろうと思うよ。精霊樹が種で増えるかとかは知らないが。
だが、その場所は、一時期、ひどく瘴気が増えたときがあったんだ。捕まらない殺人鬼がいて。
惨く殺されたひとが多く出て、精霊樹は衰えた。
前に話したね? そこだよ」
「本当? ひどい。助けられなかったの?」
ルシアンは、母がいたところだと知った。
「残念ながら。
精霊樹が生えていると気づいたのが遅くなったし。殺人鬼を退治するのも遅れた。
そもそも、育ちきった精霊樹は移植はできないからね。根がずいぶん深くまで延びるそうだから。
その子は、根が小さくて良かった」
「弱っていたから根が伸びなかったみたいです」
「ヴィオネ家に運んであげるのかい」
「運びます」
ルシアンは言い切った。
「それがいいね。どうやってこの子はここに来たのかな」
ルシアンも不思議に思い、苗に視線を向ける。
『彼についてきた』と精霊樹が答えた。
「え?」
ルシアンはセスに視線を向ける。
精霊樹がどうやって種を飛ばすかなんて、誰も知らない。
どうやってかはわからないが、セスに付いてきたことはわかった。
「た、多分、セス先生についてきたんです。
その失われた精霊樹の種から育ったみたいだから」
ルシアンは、セスに自分の能力を告げていいかもわからず言葉を濁した。
「ハハ。本当かい。
そうしたら、私が恩人の知り合いだったからかな。
彼女のおかげで、あの精霊樹は種を飛ばすことができたんだろうね」
「そっか……」
苗を見ると、『嬉しい、嬉しい』と言っているのがわかる。
きっと僕らと縁のある苗だ、とルシアンは思った。
ユーシスは生徒会の用事が済むと、ルシアンがすっかり忘れていた召喚術の授業のノートや教科書、他の荷物も持ってきてくれた。
◇◇◇
週末。
ルシアンは精霊樹の苗を持ってヴィオネ家に帰った。いつものようにジェスが送ってくれる。ルシアンの送迎はジェスの仕事になっているらしい。
精霊樹はだいぶしっかりして苗らしくなっていた。
これ以上は、植木鉢で育てられないのでヴィオネ家の庭に植える。ルシアンが「うちに植えるまで根っこは小さくしておいて」と頼んでいるのでゼグは我慢していた。
ヴィオネ家に着くとすぐにハイネと父が出迎えてくれた。
「精霊樹を拾ったって?」
挨拶よりも先に父が楽しそうにそう言った。
「そうなんです。
この子はゼグ。
僕が名付けたら喜んでた」
ルシアンはゼグの鉢を掲げて見せた。拾ったと言うか掘り返したのだが、大して違いはないだろう。
「元気そうだな」
父が指で突くとゼグが揺れた。
「どこに植えられるんですか」
ハイネがゼグを観察しながら尋ねた。元の枯れかけたサイズの5倍くらいには成長しているがまだヒョロい。根が十分に張れないからだ。でも茎や葉の色は鮮やかな緑色でほんのりと輝いて艶があり綺麗だ。只者ではないことがわかる。
「ゼグに決めさせるんだ」
答えながらルシアンはゼグを持って庭を歩いた。
ゼグはまったく迷わなかった。裏庭の真ん中をゼグは選んだ。
庭の奥まったところで、やたら立派な鶏小屋の側だった。鶏小屋は日当たりは良いけれど夏に暑くなりすぎないように木陰に建てられていた。
「鶏小屋近いけど、大丈夫? クートたちに踏まれるかもよ」
ルシアンが心配すると『だいじょぶ』とゼグが笑うように揺れる。
ゼグが選んだ場所に土魔法を注ぎながら少し耕し、ゼグを植え付けた。
水をやると喜ぶ。
ゼグはふわりと魔法を使った。結界魔法だ。
――精霊樹はこんなのも出来るんだな。
でも学園では小さすぎて使えなかったようだ。
「……またひとに見せられない庭になりましたね」
付いてきたハイネが苦笑する。
「牧場の使用人は卵を買いに入ってるが……」
サリエルが少し渋い顔をしている。
「あの使用人の青年はうちの庭を『花壇もあまりなくて地味な庭』と仲間に話しているようですけれどね」
ハイネがどこからか仕入れた情報を伝えた。
「ハハ」
まぁ、そう思われるのも無理はないかな、とサリエルは庭を見回した。
居心地は最高に良いと思うが、魔草や薬草たちの花は地味なものが多かった。
塀や邸の壁を彩るゴラツィのバラはとても麗しいけれど、庭自体は緑ばかりだ。
ルシアンも見栄えの良い庭でないことは知っている。
――でも、長寿と健康には良い庭だから、いいか。
精霊樹は、空気を浄化し、葉は貴重な薬の材料になる。
きっと、ハイネが葉でお茶を作るだろう。
精霊樹の葉は落ち葉にならない。常緑樹で、古くなっても葉は青々としたまま老いない。
でも、頼めば葉を落としてくれるだろう。
――ハイネと父上の言うことも聞いてって頼んでおこう。
ハイネとジートには元気に長生きしてもらうんだ。
無事に植え付けが終わってハイネと父を見ると、ふたりとも楽しげに笑ってはいたが、眉が少し困ったように八の字になっていた。
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