学校編「よく学び、よく鍛えよ」4
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以前にユーシスが母から聞いた話は、
『ルシアンのお母様は、ルシアンのそばにはいられないの』
だった。
もしも、「亡くなったの」と言われたのなら、それきり忘れていただろう。でも、「いられない」だ。
それから、ユーシスは他所から噂を聞いたことがある。
『ヴィオネ家を継いだサリエル殿下は、ヴィオネ家の親類から養子をもらったらしい』
ユーシスはそれは違うことを知っていた。
なぜなら、サリエル伯爵とルシアンはよく似ている。
目元も、形の良い鼻も、顎の線も、綺麗な額も。一眼で親子とわかる。
それなのに、養子だと言うのだ。
好奇心で知りたがるようなことじゃない。
そう思うのだが、あまりにも中途半端な状態で、目の前に幼馴染の謎がある。
ただ、ユーシスの立場だから知り得る情報があった。
母ノエルは、ルシアンのことをとても気にかけていた。
『ルシアン様がまだほんの赤ちゃんの頃から、王妃様は気にかけてらっしゃいましたよ』と侍女から聞いたことがある。
同様に、国王である父も、ルシアンを気遣っている。
叔父サリエルのことも調べた。
王宮の閉架書庫には、王室関係の記事が多く載っているものは古い雑誌も保管されている。王家特集が毎号載っている、まるで王室御用達みたいな雑誌があるのだ。
それにはロベール叔父上が浮名を流している記事とか、ジュール叔父上がアマリエ妃に一目惚れする前に付き合った女性とか、父上がアルレス帝国の留学中に女性関係の噂が盛んに囁かれた話とかが載っていた。
なかなか興味深かった。
だが、どれだけ探してもサリエル叔父上の「そういった」記事は一つもなかった。
ただ、「婚約者選びが難航している」くらいしかない。
叔父は、ルシアンが生まれる前頃、事件に巻き込まれて大怪我をした、と記録にある。
腕の良い治癒師が救わなければ死んでいた、と当時の新聞に載っている。
おそらく、その腕の良い治癒師は父だ。
婚約者である令嬢が喧嘩の末に炎撃を放ったのを結界で防ごうとして怪我したのだ。
ふつうに考えると、その加害者である婚約者がルシアンの母で、叔父上との間の子供ではないか。
けれど、ゼラフィと言う母ノエルの姉は、処刑される代わりに過酷な刑務所に入れられた。
そういう場合、妊娠していてもほとんどの子は生まれないと言う。ふつうの場合とは違うのだ。赤ん坊に罪はないのだが、結果としてそうなってしまう。
例外は、出産直前に刑が執行されたケースだ。過酷な刑務所生活をほとんど過ごすことなく出産できたような時なら別なのだ。
だが、彼女が妊娠していたという記録は全くなかった。
どこを見てもなかった。
ゆえに、ルシアンの母親が婚約者の女性だと考える者は誰もいなかった。
――でも、その女性が刑務所で産んだのだと考えると辻褄が合うんだよな。
彼女がいたという刑務所についてもユーシスは調べた。
どういう風に過酷か。
囚人の死亡率が異常に高かった。
所内での事件、事故率が極めて高いために。
その刑務所は、囚人が携わる刑務作業もかなり厳しい。
だが、事件、事故率は作業とは関係ない。
問題のある刑務所だった。
所内で起こった事件は、どれも未解決だった。事故の類もみな原因不明で片付けられている。
惨たらしい現場に連日のように遭遇する看守や職員の精神的な重圧もひどく、離職率が高い。
国としては、たとえ、凶悪犯罪者であっても「そういう形で」過酷な刑務所に入れたいわけではない。
キツい仕事をして国と人のためになり、罪を償って欲しいだけだ。
刑務所を、殺人事件が多発する危険地帯にしたいのではない。
凄惨な事件事故の記録が並ぶ刑務所の資料を見ていると、ある時期から、ぷっつりと事件がなくなった。
不可解な事故もだ。
囚人の死亡率も、まともな数字になっている。
いったい、どうやって改善したんだろう。
特別な記載はない。
ただ、その年から、ルシアンの母がその刑務所に入った。
ゼラフィが入所して間もなく喧嘩による傷害事件が起こっている。
1対7という、喧嘩というよりリンチだろうと思うような事件だ。
ところが、怪我をしたのは7人側だった。
1人で闘った側は「ごく軽傷」と言う。
7人は、「全員、全身至る所に複雑骨折、内臓破裂などで全治半年以上の重体」。
生死の境を彷徨うレベルの重体だ。
「全身複雑骨折」では、おそらく完治したとしても普通の生活に戻るのは難しいだろう。
喧嘩をふっかけて最初に手を出したのは7人側で、武器も持っていたために、ボコった側の過剰防衛は不問にされた。
その後、刑務所内で「殺人事件」が起こらなくなった。
職員の離職率も改善された。
ユーシスは、思った。
――ルシアンの母上(仮)、かっけぇ。
だから、なおさらユーシスは、どうしても考えてしまうのだ。
そんな凄い女性なら、過酷な環境でも子を産めたんじゃないか、と。
4年ほど前。
ルシアンの母親と思われる女性は亡くなっている。
鉱山の事故は新聞に載り、ゼラフィと言う女性が多くの囚人や職員を助けて恩赦を受けたことが記されていた。
ルシアンの母は英雄だった。
ユーシスは、父がルシアンを気遣う理由がわかる気がした。
酷い有様の刑務所を改善し、数十人の囚人と職員を守り亡くなった彼女に、国として感謝を捧げたい。
そういう感情は、国王を父とするユーシスにもわかる。
ユーシスが父の立場でも、彼女の代わりにルシアンを守りたいと思うだろう。ルシアンが甥でなかったとしてもそう思う。
アンゼルア王国は、刑期を終えて罪を償った罪人に関してはみなで受け入れようと言う考えが根強い。国教の教えがそうだからだ。
その代わりか、罪を誤魔化して逃げたと思われると厳しい目でみられる。
国によって、そういう考え方と言うか、価値観はさまざまにある。
ユーシスは、アンゼルア王国の考え方が良いと思っている。
だから、ルシアンは母親の秘密――ユーシスの推測通りなら――を、明かしても良いだろうと思うのだ。
――でも、ルシアンは知らないんだね……。
それなら、自分が言うことではない。伝えたいと思うけれど、その役目は自分ではない。
ユーシスは、話題を変えることにした。
「気になるだろ。私でさえ、ヴィオネ家の香草茶を滅多に貰えないのに」
と、急拵えの言い訳で誤魔化した。
「包みが香草茶って知ってた?」
ルシアンは思わず隣を歩くユーシスを振り向いた。
「私の魔法属性を知ってるだろ」
ユーシスが声を潜めた。
「あー、なるほど……」
ルシアンが丹精込めて育てている魔草の多くは、光魔法属性が強い。ユーシスには感じ取れたらしい。
「ハイネはさすがだな。
レフニア教授は、不遇の研究者と言われてた。父上が教えてくれた」
「不遇?」
耳慣れない言葉に、ルシアンは咄嗟に脳内辞書を開く。
あの著名な研究者がなぜ不遇なのだろうか。
「知らなかったのか。王立研究所に、悪質なパクリ野郎が副所長やってた頃があって。
その時に、レフニア教授が研究員だったんだ。それで、彼の業績を自分のものにしていた」
「本当? 犯罪だろ、盗作じゃないか」
ルシアンの声がつい荒くなる。
「その通り。ロベール叔父上が気づいたんだけど、その時には遅かった。
レフニア教授はもうやめてしまって、他の作業場で技術者として働いていた。
昔の同僚たちが、副所長が始末された後に戻ってくるように誘ったんだけど、技術者の職場が気に入ってるからって。断ったんだ。
ただ、その職場はたびたび健康被害が出るようなところで、教授も体調を崩して辞めたという話だった」
その職場は、ルシアンの母上がいたところなんだよ、とユーシスは胸の内で想う。
「僕が会った時は、教授は体調良さそうだったけどな」
ルシアンは初対面の時を思い出しながら答えた。
「ルシアンの魔草茶のおかげじゃないのか」
ユーシスがジトッとした横目でルシアンを見た。
「あっ……そう言えばハイネが、教授が魔草茶を感謝してたって……。それのこと?」
ルシアンは思い至って、目を見開いた。
「にぶ過ぎ」
――ハイネがはっきり言わないからだよ!
いとこに思い切り貶されルシアンは心中で文句を叫んだ。




