ある訪問者1
ヴィオネ家を訪れた訪問者の小話です。全3話です。
少々、入学の前振りみたいになってます。
ルシアンの10歳の誕生日が過ぎ、気の早いサリエルたちが、12歳から通う学園を検討し始めた頃。
この日、ヴィオネ家の通いの家政婦は休みだった。
週の半分は通っているミア夫人が休みだったのは、ハイネとその訪問者にとっては幸運だった。
ハイネが庭先を掃いている時だった。
ゴラツィが全く警戒をしていなかったために、彼が門扉の側にいることに気づくのが遅れた。
護衛の騎士たちを除けば、ヴィオネ家の王都の別邸を訪れる人はごく少ない。せいぜい、マリエ夫人の牧場から卵を買いに来る者くらいだ。
以前は、卵を買いに来るのはララだけだった。
ララがジェスと結婚し新居に引っ越してからは、ファロル家の使用人が来るようになった。
ジェスたちの新居はファロル家が「持参金の代わりに」となかなか良い邸を建てた。さすがファロル家と感心するほど良い邸だ。
王都中央とファロル家の牧場との丁度中間くらいの位置にある。ララは近いので頻繁に実家に帰っていて、その時はララが卵を買いに来るが、使用人の若い男が来ることが多い。
ハイネの見立てでは何ら問題のない青年と思っている。それでもゴラツィは、彼が来ると警戒してトゲの準備をするのだ。
ところが、門扉の側に佇む見慣れない男性には、ゴラツィはトゲを引っ込めたままだった。
つい声をかけたのは、その「謎」も理由だった。あるいは、彼があまりに顔色が悪かったので休ませた方が良いだろうと判断したのもある。
「お加減が良くないようですが、こちらで座って休まれますか」
ハイネは箒を動かす手を止めて声をかけた。
彼は、ハイネに初めて気付いたように目を見開いた。
30代の後半か40代初めくらいの男性だった。知的な雰囲気で、粗野な感じは全くない。中背で体付きは華奢だ。頭脳労働系の仕事に携わる人だろう。
顔立ちは悪くなく端正だが、印象が薄いのは痩せすぎているためと思われる。顔色も悪い。
ハイネはそういったことを速やかに見てとった。
彼は、ハイネの言葉に逡巡した。
迷っていると言うことは、ヴィオネ家に確たる用事があって来たのではないらしい。
それに、盗み目的などの不埒な輩でもなさそうだ。
彼がハイネの申し出に驚き戸惑っているのは演技とは思えなかった。
このヴィオネ家がある場所は、便利なところではない。王都中央からは馬車で1時間少々はかかる。
近くを通る長距離の乗合馬車はそれなりにある。幸いにも、隣の領に向かう馬車が、お隣のファロル大牧場の側に停まるおかげだ。
ただ、利用者の少ない時間帯は、当然、本数が減るし、午後早めの時間に最後の馬車が出てしまう。
おそらく、彼はその乗り合い馬車のどれかに乗って来たのだろうと、ハイネは推測した。
彼がぼんやりとヴィオネ家を眺めていたのはどういう理由かはさすがにわからない。
もしかしたら、彼がヴィオネ家の場所などを人に尋ねたら、たまたま丁度良い乗合馬車があったので良く考えずに乗ってしまった、とかだろうか?
ハイネはそんな風に考えてみた。
彼のぼんやりとした様子を見ていると、そういう経緯が想像されたのだ。
彼は、ようやく「では、お言葉に甘えて……」と答え、ハイネは門扉を開けた。
ゴラツィは、やはり青々とした葉を茂らせた蔓を揺らすだけで、凶悪なトゲは引っ込めたままだった。
ハイネは彼をガゼボのベンチに案内した。
サリエルがルシアンと共に町の書店に出かけているのでハイネは留守番だった。
こういう時に見知らぬ人物を邸内に入れるのはさすがに憚られたので、天気が良くて幸いだった。
ガゼボは土台だけ残して朽ちていたのを暮らしが楽になってから修繕したもので、まだ真新しかった。
ハイネは顔色の悪い彼の様子を見ながら運んでくる香草茶を考えた。
「私は当家の執事でハイネと申します」とハイネは綺麗にお辞儀をし、
「こちらで少々、お待ちください。香草のお茶はお飲みになられますか?」
と、ベンチとクッションを勧めてから尋ねると、彼は恐縮したように、
「何でもいただきます」
と答えた。
好みを言うのを遠慮しただけかもしれないが、一応、言質はとった。
ハイネは急ぎ邸に入ると、体調が悪い時に飲むと回復する効能のあるお茶を用意した。
もっと薬効のあるお茶もあるが、好転反応が出ると動けなくなってしまうこともあるので止めておく。
どれもハイネが自分で人体実験……そんなつもりはないのだが、味見をしているうちに実験のようになってしまったお茶だ。害はない。年寄りの自分が飲んでも問題はないものだ。
香草入りの甘い焼き菓子も皿に盛って運んだ。
さほど待たせなかったと思うが、彼はベンチに横になり無警戒に眠っていた。
――やはり、体調がよろしくないようですね。
ヴィオネ家の庭は、薬効のある香りであふれている。疲れが溜まっている時などは眠くなる。
魔草が多く植えられているためだ。ルシアンが好むのだ。
魔草は、ルシアンと会話ができる。魔力があるおかげで、彼ら魔草には、普通の草花よりも優れた能力がある。
薬効以外の能力まであるとは、ハイネは知らなかった。
魔草は知識を持ち、ルシアンに伝えてくれると言う。ルシアンはそれをハイネにも教えてくれるのだが、なかなか独特だ。
例えば、甘い香りのする蕩香という草は『今日は青い』『明日は赤』『あの種は黒緑だから食べると黄色になる』などとルシアンに教える。その暗号を解読しないと意味不明だ。
ハイネには何度生まれ変わってもわからないだろう。
庭の魔草は、ルシアンが選んだものばかりなので有益な魔草しかない。
安心して食べられるが、最近は、薬効があり過ぎるので人に勧めるのはよくよく考えてからにしている。
けれど、今日の客人には勧めた方が良いだろう。
ハイネは自分の直感に従った。ゴラツィが信頼しているのなら、助けるのもやぶさかではない。
しかし、外での居眠りは風邪が心配だ。膝掛けでもお持ちしよう……そんな風に考え事をしているうちに、眠りこけていた客人が不意に目を開けた。
「申し訳、ない」
名も知らぬ客人は、半分寝ぼけながらもまずい状態だと気付いたらしい。何とかもがくように体を起こした。
「いえ。お疲れのようですが、ごゆっくりされてください」
ハイネはにこりと微笑んだ。
彼は、茶の香りに誘われるようにカップを手に取り、一口飲んだ。
「これは……とても香りが良いですね。
……素晴らしく香りが良い」
彼はひどく感心したように言い、すぐに飲み干した。
「お代わりはいかがですか?」
ハイネは傍らに立ちそう勧めた。
「よろしければ、頼みたい」
彼は遠慮しながらも、3杯の茶を飲んだ。
よほど気に入ったらしい。
「そんなにお好きでしたら、お持ち帰りになられますか」
「よろしいのですか」
彼は目を見開いた。
「ええ。
ただ、どうしてこちらにいらしたのか、教えていただきたいですね。
この家をご存じでいらしたのでしょう?」
ハイネは品良く微笑み、僅かに首をかしげた。
彼は、ハイネの言葉にまた逡巡したが、うなずき答えた。
「お話しします。
よろしければ、こちらにお座りいただけませんか」
彼にそう言われて、ハイネは少々、困ったが、彼が話しにくいのなら譲歩しようと決めた。
「勤務中の身ではございますが……。
失礼いたします」
と腰を下ろした。
明日も8時か9時ころに投稿します。
 




