蔓薔薇の独り言1
ユーシスやルシアンたちの学園編の予定がなかなか投稿に至りませんで、先に小話を。
ゴラツィを覚えておられますか? ヴィオネ家の蔓薔薇の騎士です。
全2話になります。
私の名はゴラツィ。
生まれたところは小さな町の種苗店だった。
やり手の店主は種や花を仕入れるだけでなく、苗を育てたり、あるいは育てた草花から種を採取したりと商いを広げ店は繁盛していた。
……そういったことを、私はあの頃はよくわかってなかった。
「あの頃」とは、蔓薔薇の苗として売られていた頃だ。
肌に感じられる光と影と空気の振動から得られる情報はいくらでもあったが、それに興味を持ったり理解することはなかった。する気もなかった。
名前もなかった。
ある日、さわさわする魔力がやってきた。
なんと言えばいいんだろう?
力が染み込んでくるような。
快い波動が肌を撫でてゾワりとした。
近づいてくるそのひとの方に惹き込まれていく。
そのひとには、太陽よりも明るく光が感じられた。
言葉を持たなかったころの私には、全ては印象でしかないが、ただ強烈に惹かれて、目があれば泣きたかった。震える心臓があれば脈打たせたかった。
そんな誰かがやってきた。
種苗店の皆が沸き立っていた、もちろん、人間以外の皆……だけだが。
彼らに買われた種や苗たちは皆、喜んでいた。きっと、人は誰も気付いていなかっただろうけれど。
私も買われていった。
なんて幸運なんだろう、そんな風に思った。でも、あの時はその言葉さえも自分は持っていなかった。
喜びを表現する言葉を持たないことを、あの頃は気づいてもいなかったし、その物足りなさや歯痒さも知らなかった。
彼は……後から彼の名前を聞いた、ルシアンは、私を植える土に土魔法の「滋養」を与えてもらった。それを施したのはルシアンの父だ。彼の土の魔法は優しかった。土を柔らかくまろやかにする。彼は才能のある土魔法使いだった。
「嬉しい、嬉しい、嬉しい」、胸の中はただそれでいっぱいだった。
それから、私は、その土の中に根を下ろした。
根が喜びで震えた。葉にもその喜びが伝わってきた。
ルシアンは、私の新しい住処に水を注いだ。その水は独特だった。「水」と言う名で呼ぶのも合わないほど、ふつうではなかった。まるで光のような水だった。私の葉脈の一筋一筋にまで力を染み込ませた。
彼は言ったのだ。
「ゴラツィ。お前は、蔓薔薇の騎士ゴラツィだよ。
大きく、強く、鋭く育って。
この邸を護るんだ。
でも、家族は傷つけたら駄目だからね」
その瞬間から私はただの蔓薔薇ではなく、ゴラツィというこの世で唯一のものになった。
閉ざされていた世界が広がった。
私はその時はまだ言葉をうまく理解していなかったのだが、彼の「言葉」は心そのものが注がれるように伝えられるので、拙い言葉よりもよほど正確に分かった。
「ゴラツィ」という名前の音に、ルシアンの期待と心象が込められていた。伝わってきたそれは、誰よりも強い傭兵の姿をしていた。
「大きく、強く」という言葉に、伝説の龍のような壮大さが込められていた。
「鋭く」という言葉に、私のまだ小さな棘たちが武者振るいをしたのだ。
「この邸」というのは、私が暮らすことになったここのことを言う。
「守る」という言葉は、つまり、岩よりも硬く堅固に全ての災厄を打ち払えば良いのだろう、私の棘という武器で。
「家族」という言葉の中に、優しい父や、大好きなハイネという執事や、仲良しのジェスという騎士や、鶏の友人たちの姿が思い浮かんでいる。
それから、その家族たちが気を許す者たちも含まれるようだ。
誰を排除すればいい? それが少し曖昧だ。
とりあえず、私はこの邸を囲い、棘を育て固く鋭く磨くことにしよう。
私をただの綺麗な蔓薔薇ではなく、名前を持ち、言葉を知る賢い心を持った存在にしてくれた主の期待に応えようか。
でも、後に少し思ったのだ。
あの種苗屋の店主は、私にいつも言い聞かせていた。ただの蔓薔薇だった私の記憶にさえ残るほどに熱心に言い聞かせたのだ。『最高に美しい薔薇』と、それはもう、とても自慢げに。
だが、ルシアンの願いには「美しく」とか「麗しく」が一つも込められていなかった。
私は美しく育っても良いのだろうか?
◇◇◇
出会った頃。
ルシアンはまだ上手く土魔法が使えなかった。
ルシアンの得意は、「水」と「風」の魔法だった。
魔法の水は幼い頃から簡単に湧き出させることができた。まるで小さな泉のように。
ルシアンが水を手のひらから溢れさせると、周りの植物たちは歓喜に震えた。
私もだ。
つい、根の先を伸ばしたくなる。
ルシアンは風の魔法も上手く使えて、高い枝の果実取りはカマイタチの魔法でやるようになった。
やがて、土魔法も使えるようになった。
ルシアンの土魔法はとても強力だった。
強すぎるんじゃないか、と不安になるほどだ。
ルシアンは、「水」の魔法や「風」の魔法の方が得意だ。「土」の魔法は3番目だ。それなのに、下手くそなルシアンの「土」魔法はあまりにも影響が大きい……植物たちにとっては。
あぁ、神様は上手くするものだな、と思ったのだ。
ルシアンの土魔法を3番目にしたのは、わざとだろう? 私は神様に尋ねたくなる。
ルシアンの強すぎる土魔法に、ルシアンの甘美な水を与えられた香草は、もう元の香草ではなかった。
違うものになってしまった。
ハイネはそれを摘み取ってシチューに入れたり、鶏肉や豚肉の香草焼きを作っている。
それから、焼き肉を挟んだ弁当を作り、若い騎士にあげた。
若い騎士は母想いの息子だったらしく、美味すぎる弁当にびっくりして半分、母にあげたらしい。
母親が長年患っていた腫瘍が完治してしまったが、原因は不明だと話しているのを聞いた。
こういうのは、隠蔽した方が良いのだろうか。
私は家族たちがルシアンの力を隠しているのを知っていた。
私はそれから、根を伸ばして強すぎるルシアンの滋養の力を吸い取るようにしている。
周りの植物たちからは若干、恨まれているようだが、ルシアンと家族を守るためだ。
時折、ヴィオネ家には、ユーシスとオディーヌと言うルシアンのいとこが来る。彼らも家族だ。だから、守らなければならないだろう。
二人の魔力はルシアンに似ている。
オディーヌがある日言った。
「美しさは女の武器よ」
幼い少女の口からとは思えない、なかなか攻撃的な言葉だ。
ルシアンはこの言葉を、否定はしない。肯定もしないが。
これが真実なら、私は美しい花を咲かせても良いと言うことか?
実のところ、ルシアンの滋養を与えられているおかげで、私はこれ以上ないくらいに健康体だ。
すこぶる調子が良く、大輪の花を咲かせている。花弁は透き通るように輝き、クリーム色がかった柔らかな桃色をしている。我ながら美しく気品のある色だ。
美しさは主に求められていなかったが、美しさが武器にもなるなら良いのではないか。
そう思ってルシアンの様子を見てみると、若干、呆けた顔をしている。
あ、これは、わかってないな。
と私は気づいた。オディーヌの話の意味がわからないことが、ルシアンにはしばしばある。
だが、しつこく尋ねるとオディーヌが軽蔑の目で見てくるし、「こんなこともわからないの」と言われるので訊けないのだ。
ルシアンは、その後、ハイネにこのことを尋ねた。
ハイネが「そうですねぇ。私自身は、女性の武器は単純な美しさではないと思っていますので少し困るのですが……」
と本当に困り顔をしている。
「オディーヌの言ったこと、間違ってる?」
ルシアンが首をかしげた。
「いえいえ、言葉と言うものはなかなか真っ直ぐには届かないものです。それでオディーヌ姫の仰りたかったことをそのまま解説はできかねるのです。
とりあえず、一般的なことをお話しましょう」
「うん。一般的でいいよ、わかりやすければ」
ルシアンがうなずく。
「承知いたしました。
例えば、このゴラツィはとても綺麗です。こんな綺麗なバラはめったにないくらいです。
それで、もしも泥棒がやってきて、ゴラツィのバラに気づいたとします。
そうしたら、どうなると思いますか?」
ハイネはたまたま間近で咲いていた私の花を指し示した。
「盗んで売る、とか?」
ルシアンはしばし思考してから答えた。
「そうですね、そういうこともありそうですね。
もうひとつは、おそらく、油断する……だと思います。
こんな優しげなバラなら危険はないと思ってしまいそうです。
それで迂闊に蔓を払おうとして、棘にグサっとやられるかもしれません。
美しさはひとの心に踏み込んでくるものです。
つまり、美しさは一種の武器になりえます。心理的な武器です」
「そっかぁ……」
さすが年の功、うまく答えたものだ。
私は、だから、美しい花を咲かせて良いということだろう。
お読みいただきありがとうございました。明日も9時の予定です。
 




