騎士と婚活とお節介な人々「退治したのは誰?」(9)
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明日も夜8時に投稿予定です。
リュシルは隣で目を閉じる夫の端正な横顔をちらりと見て微笑んだ。
ヴァレンテは嬉しそうだった。
――ジェスの幸せを願っていたのだもの。
あの愚かな父親を始末してから、ずっと……。
ヴァレンテは、リュシルには隠し事が出来ないことをわかっているだろうか。
緊張したときの癖や、夜うなされて呟く寝言や、時折見せる険しい視線など、いつも側で支える妻だから気づくことがある。
13で婚約が決まった時からの付き合いだ。必死に隠されてもわかってしまう。
ヴァレンテには言わなかったが、リュシルはしばしば義父に迫られていた。
あの男は容姿は良かった。自信があるのだろう。義父の愚劣さを知っているリュシルには気持ちが悪いとしか思えなかったが。
幸い、リュシルは見た目ほどは大人しくも控え目でもない。それに「お祖父様に相談しますわよ」と言えば義父は引っ込んだ。
ただこういったことがリュシルの実家に知られると「離婚しろ」と言われる怖れがあった。相談する相手もなく悩みの種だった。
ヴァレンテの母は病で亡くなっていた。義父の不始末に追われる人生だったと聞いた。
――お義母様が存命のうちに解放してあげれば良かったのにね。気の毒に。
夫がいつまでも手をこまねいているのなら、よほどリュシルが代わりにやってあげようかとさえ思った。リュシルにしてみればあの男に穏便な隠居生活など手ぬるい。
――でも、結局、なるようになったわ。
夫が選んだのはシンプルで、だからこそ疑われにくい方法だった。
あの強突く張りの義父は割増料金を払った外壁修理のことでいつまでもブツブツと言っていた。おかげで疑うひとはいなかった――古い使用人の多くは何かに気付いていたかもしれないが。
誰一人として疑問を呈する者はいない。
いるわけが無い。
あの領主がいなくなることは皆の望みだった。
誰もが証言した。
「領主様は外壁を気にしていました。いつも始終、見に行っていました。何も不自然はありませんでしたよ」
領主の惨たらしい遺体を見て嘆く者は皆無だった。
リュシルもそうだ。
蝙蝠よけの薬草のことで領地中の民を敵に回したことを愚かな領主は知らなかった。
ヴァレンテは学園では法律とともに薬草学も学んだ。
それで、領地の蝙蝠よけの薬草をもっと増やす目処がついたと領地の役付きたちに話した。村長らにも話して補助金を出そうと動いた。手間と費用がかかるからだ。
だが領主が賭け事で金を使い込み、その後、領地のために借りた金の返済が重くのしかかっていた。よほど領主を糾弾しようかと思ったらしいが当時ヴァレンテは学生だった。
――あの時は、まだお祖父様がご存命だったわ。あの頃に手を打っておけば……。
国の法は子供よりも親が優先だ。子が親を糾弾して引き摺り下ろすのは難しい。だから、祖父が壮健なうちにすべきだった。その上、あの男は領主の座にしがみつく知恵だけは長けていた。
愚かな義父の使い込み事件の頃。
義父は隠居していた高齢の先代に杖でボコボコに殴られた。半殺しかと思うほどに。だが消えた金は戻らない。義祖父はさぞ悔やんだだろう。息子ではなく孫に家督を譲るべきだった。
だが、義父が泣いて土下座して謝ると、義祖父は許してしまった――それが間違いだった。
婚約者としてメルロー家に出入りしていたリュシルはその様を見ていた。
ヴァレンテは学院の勉強を繰り上げて領地に帰りリュシルと結婚した。
隠居していた祖父が亡くなると義父は己の愚物ぶりを隠さなくなった。
薬草の栽培は義父が「そこらで生えている草のために金を注ぎ込む気はない」などと毎度、反対して潰れた。薬草は「ただの草」ではない。領民の命を守るものだ。
そんなこともわからない男だった。
――ヴァレンテは、ジェスにはバレていると思ってるかもね。
大丈夫なのに……。
傍目で見ている方がわかることってあるのね。
あの兄弟は、お互いにお互いを尊敬しすぎてるのよ。
それに、ヴァレンテは自分ひとりでやり遂げたと思っているようだが本当は違う。
あの領主の遺体が見つかった朝。リュシルは枯草をバルコニーで見つけた。
見た感じは魔獣よけの薬草に似ている。
リュシルは知っていた。
死んだ領主はよく使用人に「魔獣よけの薬草を持って来い」と命じていた。
使用人たちは皆、必ず「薬草は品薄なのです」と申し訳なさそうに答えた。
渡すわけがない。
領主は日が暮れたら部屋から出ないが、使用人や警備の者は違う。どちらが薬草を必要としているかは明らかだ。ゆえに渡さない。
うるさく寄越せと言われる時は似た草を渡して誤魔化す。
リュシルは見つけた枯草をそっと踏んで隠し、ハンカチを落としたフリをして拾った。
万が一、捜査の者に「偽の魔獣よけの薬草が落ちていた」などと言われたら大事だ。
後で庭に放って捨てた。
ヴァレンテは確かに、義父が事故死するお膳立てをしたかもしれない。だが、それだけだ。どこに綻びがあっても事故は起こらなかった。
幾らでも綻びる箇所はあった。
リュシルにしてみれば謀略とも言い難いほどの緩い罠だった。
優しい夫の身内への甘さだ。
あの罠は、あんな親を持った嫡男の嘆きで作られ、絶望的に愚かだった父親は、緩い罠の逃げ道を自ら絞り上げていった。
もしもあの男が、領主らしく領内の魔獣について学んでいたら。
もしもあの男が、僅かでも領民を想う心を持っていたら。
もしも義父が左官屋に返金させようと考えなければバルコニーに出ることもなかった。まともな領主なら、領民に払った手間賃をいつまでも惜しく思ったりしない。
殊に、もしも、あの男が蝙蝠よけの薬草を手に入れてたなら? 義父は死ななかっただろう。彼が薬草を手に入れられなかったのは自業自得だ。
あの男を死なせたのが誰かなどリュシルには興味はない。ただ、愛しい夫は自分一人で罪を背負いたいと望んでいた。
自分の責務だと信じて疑わない。だから胸に仕舞ったのだ。
リュシルは『そんなところも好きだわ』と胸の内で呟きながら、居眠りを始めた夫の髪を撫でた。
◇◇◇
ジェスは見合いを終えてひとり宿舎に帰った。
――結婚したら、この宿舎も出ないとな。
小さな家でも借りよう。
ふと久しぶりに会った兄夫婦のことを思い出した。
わざわざ弟の見合いのために来てくれた。
――元気そうで良かった。
父が存命のころは苦労が絶えなかったからな。
兄にあの父親と魔獣だらけの領地を押しつけている気がして辛い時期もあった。
自分なりに出来ることは手伝っていたつもりだが、王都暮らしの身では限られている。
父と大喧嘩をしたのち、あの父親が亡くなったと聞いたときは正直ほっとした。
自分の父親を失ってほっとするなど、どうかと思うが仕方ない。気がついたらほっとしていたのだ。
良かったとしか思えなかった。
夜間に外壁を見るためにバルコニーに出て父が魔獣にやられたと聞いたときは信じられなかった。
あの臆病者の父親が? と。
昼日中でも父は魔獣が多そうなところにはひとりで行けなかった。
そのくせ、魔獣から領地を守る領兵たちを蔑ろにした。
最低最悪の領主とジェスは思っていた。自分の父親であるけれど、むしろ、父親であるからこそ歯がゆく許せなかった。
そんな男が夜間にバルコニーに出た? 闇蝙蝠が飛び回る時刻に?
――兄があんなにも清廉潔白なひとでなかったら、兄がやったと思うところだ。
兄には出来るわけがない。自分の兄ながら、完璧な人間だった。誰にでも公平で聡明で、先を見通す目を持ち、優男に見えるのに剣術の腕も良い。
――父は酔っていたと言う。痛みも恐怖も大して感じなかっただろう。
あの雑草を相変わらずお守りのように携えていたかもしれない。
幾度か父は、ジェスにそこらで採れる雑草を見せて、
「この魔獣よけの薬草は、蝙蝠にも効くか」
と訊いてきた。
なんの冗談かと思う。メルロー領では子供でも雑草と薬草を間違うことはしない。命がかかっているからだ。
のうのうと邸内だけで暮らせる者は雑草と薬草の区別がつかなくても良いのだ。
父は、だから魔獣よけの薬草を「ただの雑草」と戯言を言う。
ジェスはあの父になど、まともに答える言葉を持たない。
「大抵の魔獣に効きます。兄上に尋ねればいいじゃないですか」
嫌味を言ってやった。父が兄に訊けるはずがない。訊けばいいと思う。兄上は答えるだろう。
「必要なら、薬草の畑を作るのに予算をつけてください」
と。
――酔った父は、酒の力で魔獣の怖さを忘れたんだろう。
酒の神に感謝するよ。
ジェスはそんな非人情な自分をあざ笑うように、ひとり苦笑した。




