【21】後日談、サリエル王子その後2
読んでいただいてありがとうございます。今日の1話目です。
2話目は、また夜9時に投稿いたします。
サリエルは、荷物と一緒にヴィオネ邸の前に降り立った。
ヴィオネ家は廃墟のようにひどい有様だ、と聞いていた。
聞いておいてよかった。
おかげで、さほど驚かなかった。
まさしく廃墟だった。
丈高く生い茂った雑草に埋もれて、崩れかけた邸がようやく建っている有様だった。
渡されていた鍵を使って中に入ると、邸内のものは全て処分されていた。
売り捌かれ、賠償金の足しになったのだ。
サリエルは、国が買い上げた邸と、国が抵当として管理していた領地を、臣下に降る時の予算で手に入れた。
ヴィオネ伯爵家を継ぐことは病床の陛下に許可されていた。
領民たちへも派遣されている官吏から説明がなされ、領民たちはサリエルがゼラフィの婚約者だったことに思うところはあったが政略結婚であることは理解していて、サリエル自身は優秀だということも噂で聞いていたらしく、「村長たちは歓迎しています」という話だ。
こっそりと調べた領民の反応としても、偉ぶらない良い方ならいいな、と話していたという。
ヴィオネ伯爵はひどい悪辣な領主だったので心配していたが、官吏たちがサリエルはそういう人物ではないと、誤解のないようにしてくれた。ありがたいと思った。
話によると、ゼラフィは領民の子にも炎撃を放ったことがあるらしい。
その話を聞いた時は怒りに血が上りそうになった。
官吏に頼んで、後遺症などが残っていたら治癒士を派遣するように頼んでおいた。
そのことも良かったらしく、サリエルはすんなり受け入れられているという。
「それにしても、ひどいな。
まずは修繕か」
庭もひどいが、住むためには邸の修繕が先だろう。
よくも邸がここまで傷むまで放置していたものだ。
これで伯爵一家が住んでいたと言うのだから、信じ難い。
一階から歩いていく。
サリエルは、もうただの落ちぶれた伯爵となったので従者も護衛もいない。
攻撃魔法も少しは撃てる。
大した威力はないが、風魔法の攻撃魔法であるカマイタチを使えるのだ。
ゆえに、護衛など要らないだろう。
そもそも、貴重品も大してない。
御者に荷運びを手伝ってもらい、帰した後は一人だった。
馬は、一頭、後から運んでもらう予定だ。
サリエルの馬だ。
馬車はそのうち荷馬車を買えばいいだろう。
そんな風にあれこれと考えながら歩いていると奥で物音がする。
サリエルが警戒して音の方を見ていると、老いた執事服姿の男が姿を現した。
「ああ、サリエル殿下ですね。
今日辺りに参られるとお聞きしておりました。
執事のハイネと申します」
ハイネは綺麗にお辞儀をした。銀の髪をきっちりと撫で付けた琥珀の瞳の執事は品が良く、廃墟には不似合いだった。
「……人を雇う余裕はないので人員整理をしておいたはずだが?」
「聞いております。
他の者は一人のこらず、わずかの退職金をいただいて出ていきました。
もとより、給金がほとんど出ていなかったものですから、馬車代だけでもいただいて、紹介状も国が書いてくれましたのですんなりと辞めていきました。
私は、老いすぎておりますので他に行くところがありません。
給金は要らないのでお手伝いできないかと相談しましたところ、サリエル殿下に聞いてくれと言われました」
「そうだったか。
だが、本当に大して金は出せないのだ」
「理解しております。
領地からの収入は向こう10年はないそうですね。
前のヴィオネ伯爵は魔力充填の仕事をしていましたが、ほとんどは生活費と諸々の支払いでなくなってました。
その頃から、もう使用人たちは職業斡旋所を頼ってどんどん減っていたのですよ。
最後まで残っていたのは、夫人付きの侍女と調理場の者だけでしたね。
わずかながら給金が渡されていたのです。
私は、庭の畑の収穫を調理場のものと分けながら暮らしておりました」
「ひどいものだな。
そういうことか……。
ハイネは家族はいないのか?」
「いないこともないのですが。
申し訳ありませんが、行くところがありません。
妻とは離婚はしていませんが、妻がこの邸で侍女をしていたときに辛いことが色々とあったものですから。
私が執事を頑固に続けていたのが許せなかったらしく」
ハイネは言いにくそうだった。
主人の悪口になるからかもしれない。
サリエルは察してそれ以上聞くのをやめた。
行くところがないのなら少しでも手伝ってもらおうと決めた。
ハイネと共に、また邸を見て周り、早急に直した方が良いところなどを検討した。
ハイネは、サリエルが土魔法を使えると聞くと目を輝かせた。
「それは良いですね。
土魔法を使える魔導士様がいると左官代が安く済むのですよ」
「え? そうなのか?」
サリエルはどういうことかと尋ねた。
「それはもう、左官屋は助かるでしょう。
もちろん、サリエル殿下が協力してくださるのなら」
「するよ、もちろん。
それから、ハイネ。
私はもう殿下ではないのだし主人としても大して給料を払えないのだから、サリエルさんくらいにしてもらえないか」
「それは恐れ多い……」
「給料がしっかり払えるようになったら様呼びも検討しよう。
でも、今はその方が気が楽だ」
「……仕方ありません。
主人の命令とあれば……。
ですが、人前ではサリエル様と呼ばせていただきます。
主人が侮られてはいけませんのでね」
「それは好きにしていいよ」
サリエルが詳しく聞いたところによると、土魔法を使えばセメントを捏ねるのが一瞬で済むのだという。
それから、土を掘ったりするのも土魔法で手助けすれば力要らずで終わる。
ハイネは、土魔法の魔導士が、捏ねたセメントを操って蛇のようにセメントが屋根を上っていくところを見たことがあるという。
確かにそれくらいならサリエルにも出来そうだ。
ゆえに、手間を省けるところが色々とあるので、土魔法の魔導士が手伝うから安くしろと頼めば割安でやってくれるだろうと言う。
ハイネの知り合いに左官屋がいるので頼んでみようと言われてサリエルは頷いた。
数日後、サリエルは、ハイネの連れてきた左官屋と相談し、本当に割安でやってもらえることになった。
「王子様をこき使っていいんですかね」
左官屋の頭が若干、半信半疑な顔をしている。
散々、打ち合わせをしたというのに信じきれていないらしい。
「いいよ。遠慮なくこき使ってくれ。
こんなに安くしてもらったからな」
なんと半額なのだ。
サリエルはだいぶ節約できたので機嫌が良かった。
悩んでいた予算がなんとかなりそうなのだから。
「そんじゃま、この土台のだいぶ傷んだところから」
ハイネが心配していた土台の補強から始まった。
土台の周りを片付けて枠を組み、セメントを流す。
土台のひび割れにも強化セメントを埋め込む。
サリエルは、扱い難い強化セメントも土魔法で上手く捏ね上げた。
さらに、ひび割れにその強化セメントを埋め込む作業もやってのけた。ひび割れの奥の奥まで、強化セメントを操りしっかりと充填した。
「おぉ、これは助かるな。
すごい上手ですな」
頭に褒められて、サリエルは素直に嬉しく思った。
王子が左官仕事などと言われそうだが構わない。
魔法を使うのは好きなのだ。
喜んでやった。
その後も、頭に言われるままに作業を進め、土台の補強は6日ほどで済んだ。
7日目。
壊れた煙突の修理だ。
煉瓦を屋根の上に運ぶ作業も、サリエルは身体強化魔法を使ってひょいひょいとやってのけた。
「細く見えて、すごいですな……」
「身体強化魔法ですよ」
サリエルは、にっこりと微笑んで答えた。
「騎士団の凄腕も難しい魔法じゃなかったですか?」
「そうでもない。
魔力操作が巧みなら結構できる。
煉瓦運びはこんなものか?」
「ええ、煉瓦は終わりです。
セメントの方もお願いできますか」
「指示してくれ、できると思うから」
ハイネが見た土魔法使いはセメントを蛇のように動かしていたらしいが、サリエルもそのイメージでやって見たところ、案外、簡単にできた。
後は、仕上げは頭たちに頼んだ。
煙突の修理も1週間でほとんど済んでしまった。
その後、外壁の修理をおこない、左官の手が必要なところは全て20日ほどで完成した。
廃墟だった邸が見違えるようだ。
ハイネが涙を流して喜んだ。
「私がお仕えすることになったときにはすでにだいぶ傷んでおりましたので、こんな綺麗な邸を見るのは初めてでございます」
「いや、まだ泣くほどじゃないだろう、ハイネ。
今度は大工たちに頼まないと。
流石に大工仕事は手伝えないから、普通に頼まないとな。
でも、左官の手間賃がだいぶ節約できたので、それなりに十分な修理を頼めると思うよ」
「左様でございますね。
修理に使う材木は、裏の伸び放題の杉や楢の木などを切って使ったらいかがでしょう?
サリエルさんは、風魔法のカマイタチが使えるんですよね?
そうしたら、伐採して風魔法で乾かして使えるように加工にすれば、材木代が助かるかもしれませんよ」
「……こき使うねぇ、ハイネ」
「それはもう、節約でしたら、ヴィオネ家で修行させていただきましたからね」
ハイネが上品に笑った。
サリエルは、ハイネに指示されながら良さそうな木をカマイタチで伐採した。
サリエルの魔力量がさほど高くない上に、風魔法は土魔法ほどは巧みではないために一日に二本ずつではあったが、10本ほど切り倒した。
サリエルは、ハイネに伐採した木の枝の始末までやらされた。
おかげで、綺麗な木材に仕上がった。
風魔法をさんざん当てて、木材の乾燥までさせられた。
サリエルは、学園にいた頃よりも魔法の修行をしている気がした。
刈り取られた枝は薪にするという。
「今年の冬は薪に困りませんよ」
とハイネは嬉しそうだ。
切り株は、土魔法で掘り起こし、切り株の部分も刻んで乾かして薪にする。
ハイネは、町の大工に「材料の木材はあるから」と、また工事費を割引してもらった。
ハイネが「耕していた」という邸の裏庭の畑はそう大きくはないが充実していた。
この畑の作物で、最後の頃のヴィオネ家は食い繋いでいたという。
肉類はないが、卵は隅の鶏小屋の鶏たちが産んでくれるという。
「ほとんど、自給自足だったんだね?」
サリエルは半ば呆れて、半ば感心した。
「塩などの調味料と油類は買わないとなりませんので、『ほとんど』と言って良いかわかりませんが」
「肉は買ってきた方が良さそうだね。
買い物を頼めるか」
「嬉しいですね。肉類はとても久しぶりです」
「元伯爵は、使用人に賄いを食べさせなかったのかい」
「伯爵は、酒代は惜しみませんが、食費には興味がありませんで。
奥様は、石鹸や香油代には金をかけますが、肉は無い方が太らなくて良いと思う方でらっしゃって」
ハイネは気難しい顔をする。
「……よく辞めなかったね」
「私は、辞めさせられた侍女たちに、伯爵から『紹介状など書くな』と言われたものですからできなかったのです。
伯爵の署名が要りますからね。出来ることなど、職業斡旋所に侍女らの情報を渡して世話を頼んでおくくらいなものです。
そんな私が、自分だけ良いところに転職などできません。
ノエル様が虐待されていたのも知っていましたが、せいぜいお召し物にゼラフィ様のお下がりを差し入れるくらいなものです。
それも、晴れ着は流石にバレますので、普段着だけです。
針と糸もそっと置いておきました。
ゼラフィ様は、普段着は破きますのでね。
私は老眼ですから、縫い物はできませんで。
後は、食べ物の差し入れくらいでしょうか。
食料庫の鍵は、必ず開けておくようにして、パンも余分に置いておくようにしました。
図書室の鍵もです。ノエル様は、ゼラフィ様と違って本を読まれましたから。
机の引き出しには、ペンとノートを入れておくとノエル様は勉強に使われてましたよ。
そういう差し入れのしがいがありましてね。
全く、このお邸はやることがたくさんありました。
やはり、辞めなくて良かったと思いますよ」
サリエルは、この老執事が陰で皆を支えていたことを知った。
大工たちは、サリエルの仕上げた材木を「なかなか良い」と褒めながら使ってくれた。
おかげで、他の工事もかなり安く出来上がった。
◇◇◇
主人をこき使う執事、ハイネは、
「庭もご主人様なら、すっかり綺麗にできますね」
とにこやかに提案をしてきた。
もちろん、やるつもりではあった。
ただ、大工たちがいる間は、邪魔になるのでやめておいたのだが、裏の畑は手入れをしても問題はないだろうとハイネと畑仕事をした。
「畑は、一年中、やることがあるのですよ」
と、上品な執事が草むしりをする。
「ハイネ。
土魔法の『耕し』を試してみるので、種を蒔いていないところを教えてくれ」
「そちらの手前のところは今はまだ種まき前ですよ。
それから、こちらの半分は野菜の残りを収穫してしまったら後はすっかり耕してください」
「そうか。
では、収穫するか」
「この葉物野菜と豆はこれからの貴重な食料です」
「よく実ってるな」
「それはもう、鶏糞と厨房の屑野菜と、それから、暖炉の灰と除草した草を混ぜ合わせて手作りの肥料を作ってますからね。
よく熟成させた2年ものの肥料ですよ」
「執事の仕事を逸脱し過ぎてるな……」
サリエルはハイネに言われたところを土魔法で耕し、ハイネ自慢の肥料もまいてから葉物野菜と根菜の種を蒔いた。
大工の修理も徐々に進んでいった。
サリエルは、修理の終わった部屋からハイネに頼まれて風魔法で掃き掃除をやらされた。
塵を集めて、ハイネが片付ける。
拭き掃除は二人で済ませた。
ハイネは「一人でやります」と言うのだが、高齢のハイネ一人にやらせたいとは思わなかった。
サリエルは、何事も自分でやろうと覚悟を決めてきたのだ。
汚れが取れないところは、浄化魔法を使った。ハイネも浄化魔法はうまく使えた。
聞けば、ハイネは、男爵家の次男だったという。
他の魔法は何かできるのかとハイネに聞かれて、あまり答えたくはないが、サリエルはカップ一杯の水を生成し、指先に火を灯してみせた。
「ほぅ、便利ですね。
災害時には命拾いできますね」
ハイネが感心したように答えた。
「たったこれだけだが……」
王子のくせに自分の魔法が粗末なことは、サリエルは知りすぎるほど知っていた。
「人はものを食べなくても半月くらいは生きられますが、水を飲めないと4日くらいで死んでしまうのですよ」
「そう言われればそうだな」
「薪の焚き付けには、サリエルさんを呼べば良いのですね」
「……まぁ、そうだ」
「ゼラフィ様は、あの物騒な攻撃魔法ばかりを極めずに、色々と修行してくだされば良かったですのにね」
ハイネが遠い目をする。
「本当だな」
彼女は、あんなにも才能に溢れていた。
だが、褒められた魔導士ではなかった。
――私は、ここで、彼女よりも魔導士として活躍しているのだな。
皮肉なものだな、とサリエルは思った。




