第八話 武藤高憲
車の構え。
右足を後ろに引いて、左半身となって相手に左肩を見せる。
握った柄を腰元まで下ろして、切っ先を後ろへ向ける。
この状態から身体を前に傾けたり、肘を突き出したり、切っ先を下げたりするものもある。
詳細は流派によって変わる。
脇構え。
新規プレイヤー向けのウェルカムバトルが終わると、本格的に自由な行動が取れるようになった。
自由行動を許されたプレイヤーたちが取る行動はそれぞれだ。
まずは淤能碁呂島内を散策する者。
戦績を稼ぐためエネミーを探し求める者。
そのままプレイヤー同士の戦いを楽しむ者など。
ウィルオーは目的があるようなので、あの場で別れて単独行動となった。
レキは居住施設から徒歩で行ける範囲を散策し、ある程度エネミーを撃破したあと。
いま彼の前にいるのは、島内を自立移動している円筒状の自販機ロボだ。
寸胴鍋のようなフォルムの上に大きな青いバケツを乗せており、中には氷水が入れられ、ペットボトル入りのジュースがしこたま放り込まれている。
これはそのまま、バケツ君と呼ばれているらしい。
「ジュース一つで10VPいただきマス」
「ん。ありがとさん」
「島内でのゴミのポイ捨てはペナルティの対象となりマスのでご注意くだサイ。またのご利用お待ちしておりマス」
バケツ君は妙なイントネーションの言葉遣いを織り交ぜて喋っている。
どうやらこれで、プレイヤーたちに昔のロボットというものをイメージさせたいらしい。
運営の考えはよくわからないが、それはともかくとして。
VPのやり取りを終えると、突然バケツ君が目の部分をピカピカと点灯させる。
レキが「うおっ」と面食らうのもつかの間、バケツ君はロボットアームを伸ばして内部に収納していた警光灯を取り出し、警報を鳴らし始めた。
「ポイ捨て感知! ポイ捨て感知! ポイ捨て犯シスベシ慈悲はないのでありマス!」
「…………」
なんというか、やたらめったらやかましい。
ポイ捨て犯を感知したらしきバケツ君は、ロボットアームをぐるぐるしゃかしゃか動かしながら、下部に取り付けたオムニホイールを稼働させ、物凄い勢いでその場から離れて行った。
遠目に、他の手すきのバケツ君たちと合流しているのが見えた。ポイ捨て犯が数の暴力に晒されている未来が見える。暴力の内容は主に耳がキーンとなりそうな機械音声のお説教なのだろうが……それはともあれ。
レキはバケツ君から購入したジュースを持って近場のベンチへ向かう。
白いタイルが敷かれた小道を歩いていると、すでに座っていた先客がレキの方を向いた。
そこにいたのは、ブラックのスーツを神経質に着こなした男だ。
年齢はレキよりも上で、年はおそらく30歳代といったところ。
すだれのようなクセのある前髪とコケた頬。まるで幽霊を思わせるような青白い顔と枯れ木のような細身。いまの時代では随分と高価になったアンティークな杖を持ち、黒のインヴァネスコートを羽織っている。
顔に張り付いているのは、何らかの底意が感じられる笑みだ。
レキはその妙な笑顔を疎ましく感じつつ、男の隣に座った。
ボトルの口を開けて飲み物を流し込むと、男が口を開く。
「――買ってきたのは自分の分だけなのかね?」
「そうだが? それがなにか?」
「こういった場面では私の分も買うべきだと考慮するが? それが他者に対する気遣いというものではないのか? 剣士殿」
「知るか。あんたに気を利かせるつもりはない。飲み物が欲しかったら自分で買えよ。社員さんは稼ぎがいいんだろ? 俺みたいなガキにタカる必要はないはずだ」
レキの返答はにべもない。
むしろレキをここに呼び出したのがこの男なのだ。ここは呼び出した方が用意しておくのが筋だろう。
レキがそんな返答をすると、スーツの男は肩をすくめて、これ見よがしに大仰な態度を見せる。
「他人とのコミュニケーションを円滑にするには、お互いの歩み寄りが必要だと思うがね」
「そうか。くたばれ」
「くく……これはこれは随分と嫌われたものだ。私は君がこのゲームに参加できるよう、骨を折ったというのに」
「恩着せがましいのはやめろよ。俺はそこまでしてもらうつもりはなかった」
「その言葉は、こころ君の厚意を無為にするものではないかね?」
「論点のすり替えはやめろ。いまの話にこころは関係ないだろ」
男の鬱陶しい物言いに、レキは吐き捨てるように言葉を返す。
一方で男が見せたのは、余裕を思わせる笑みだ。まるで詐欺師や道化がするような口角の吊り上がりようで、見ているとひどく落ち着かない。
スーツ姿の男の名は、武藤高憲。『Swordsman’s HEAVEN』運営会社『ロンダイト』の社員であり、こころに件の話を持ち掛けてきた人物だ。
レキがジュースを飲んでいると、武藤が疑問を口にする。
「聞きたかったのだが、剣士殿はどうして私のことをそこまで嫌ってくれるのかね? 面会したのも二回か三回程度と記録している。その中で別に何かしたような覚えはないのだが?」
「そんなの簡単だ。見た瞬間から、脳があんたのことを気に食わないって奴って判断したからだ」
「これは……私の人となりも判然としていないのにか。それとも何かね? 君の脳には、他者の表情や仕種から、そのルーチンを読み取る機能が備わっているとでも?」
「人ってものはな、意味もなく他人を嫌いになれる生き物なんだよ」
「そうか。記録しておこう」
どうしてそんなことを覚えておく必要があるのか。甚だ疑問に思う。
だが実際、レキが武藤を毛嫌いするのに、理由らしい理由はない。顔が嫌いだとか、性格が嫌いだとか。そんなわかりやすいものを通り越して、この男の存在すべてが受け入れられないのだ。
本当に、なにかをされたわけでもない。
ただ、初めて引き合わされたとき『こいつは敵だ』と本能的に感じ取ったのだ。
油断ならない男。
気を許してはならない男。
相対すれば、斬るべき男。
剣士として培った警戒心が、いまでも警鐘を鳴らしている。
この男が運営になどかかわっていなければ、話なんてしたくもなかった。
「何を飲んでいるのだね?」
「……これだ」
レキはそう言って、ボトルを傾ける。
ラベルに書かれていたのは、マキシマムカンゾウ味。
それを見た武藤が、渋そうな顔を見せる。
「……うまいか?」
「マズいっての。こんなもの人間の飲み物じゃない」
「ふむ、そうか。確かに人気のフレーバーではないな」
レキがえずくようにジュースまみれで茶色くなった舌を出すと、武藤が真面目腐った声で言う。
ともあれ、マキシマムカンゾウ味。
ボトルの口に鼻を近付けると、漢方の粉末を思わせる薬臭さがほんのりと漂ってくる。
風味はまるで薬草と砂糖のごった煮だ。香りは漢方だが、味は前世で飲んだドクター〇ッパーやイエーガーマイスターを思い出す。むしろこちらとしてはそちらが恋しいほどだ。
それくらいマキシマムなんたらというフレーバーはひどい味なのだが。
なぜ未来のフレーバーというのはこんなめちゃくちゃなのか。
「話はもういいか? いいなら行かせてもらうが」
「気忙しいことだ。余裕はないのかね?」
「俺は一分一秒でもあんたと話していたくはないんだよ」
「余裕がないのは、相手によくない心象を与えるぞ?」
「俺はあんたにはどう思われても構わないな。いずれにせよ、俺のあんたに対する印象は変わらん」
レキがそう吐き捨てて立ち上がると、武藤は社員としての顔を持ち出してくる。
「では、プレイヤーとしての義務を果たしてもらおう。消費者としてモニターの役割をこなすのも、このゲームのプレイヤーのれっきとした仕事だ。なに、難しく考えることはない。君の所感を聞かせてもらえればいい」
「…………」
即座に解放してもらえなかったことに対し、レキは小さく歯ぎしりする。
立ち上がった状態から去るにも去れず、再びベンチにどすんと腰を落とした。
ベンチに背中を預け、頭の後ろで腕を組む。
「もう他のエネミーとは戦ったのかね?」
「いまのところ行ける場所にいるエネミーとは何回か戦った」
「現時点で戦える中では……レクリエーションエリアにいるのがそれなりに強いはずだ」
「そっちはもう行った。赤いプロテクターを付けた奴が出るところだな」
「もう戦ったのか? 結果は?」
「一太刀も浴びなかった」
「いや、さすがは剣士殿だ」
武藤はレキに称賛を送る。しかしレキには、それも表面上のものにしか聞こえない。
この男はなぜかレキのことを剣士殿と呼ぶ。
レキは武藤のことをじろりと睨んだ。
「それは嫌みか?」
「純粋な称賛だよ。深読みしないでくれたまえ」
「純粋とはかけ離れたところにいる奴がよくそんなこと言えるもんだ」
「いやいや、これでも君の実力は弁えていたつもりだ。そうでなくても、ソキルプレイヤー『稲妻こころ』に剣を教えた人物だ。まさかソキル自体もほとんどプレイしたことがないというのは意外だったがね」
「ゲームをやってないだけだ。そんなに意外なものでもないだろ」
「君の歳で剣術をやっているのなら、まずソキルをプレイしてるものだ。なんならソキルをプレイして剣術にのめり込んだという人間の方が多いくらいなのだからな」
「…………」
レキはボトルの中身の均一化を図るように、手首を回す。
確かにこの年齢で剣術が好きなら、大体の者はソキルをプレイしている。むしろ現在のVRはすさまじく進化しているため、ソキルを利用して剣の腕を磨く者の方が多いくらいだ。特に新興流派などはソキルのシステムを利用して、VRで道場を開いていたりもするとレキも聞いている。
しかし、ゲームのプレイどころかそういった道場にも通っていないとなれば、なるほど実力に疑いを持ちたくもなるか。
「それでよく審査を通せたもんだ」
「それは剣士殿の実力が評価されたからだ。私が何か計らいをしたわけではないよ」
「そうなのかね」
「そうだとも。だが決定的だったのは、こころくんが持ってきたプレイ動画だろう。まさかあの『フィルズ・ブレイド』をほとんど無傷で倒すとは私も思わなかった」
「は――あんな剣士まがい倒したのがそれほどのことかよ」
「言ってくれる。あれは我が社の開発部が、絶対に勝てないように組んだプログラムAIだ。常に学習し、的確に相手の弱点を突いてくる。開発部の連中があれを見たときはチートを疑ったほどだ。もちろん、そんな痕跡は一切見つからなかったがね」
レキはチートという言葉を聞いて、鼻で笑う。
一方で、武藤が真面目腐った顔で訊ねた。
「ちなみにだが、あれはどうやったのだね?」
「どうやったも何も、普通に戦っただけだ。俺だってわけわからん動きはしていないはずだぞ?」
「だからこそだ。君は常識の範囲内の動きで、普通に勝った。先ほども言った通り、あれは戦って勝てるプログラムではない。どこにも勝てる要素はないはずだった」
「だが、CPUが負ける要素は積んでるんだろ。HPゲージがあって、ダメージが通って、相手の剣が届く設定になっている。なら、システム上敗北がプログラムされてないわけじゃない。それでも誰も勝てないって言うなら、あれが勝手に負ける確率を引いただけさ。どうしても絶対勝てないのを作りたかったら、HPがゼロになっても負けないか、プレイヤーに対する不条理な仕様にするしかない」
「空を飛んでも不条理ではないと?」
「そりゃもっと不条理なことをするのがこの界隈の連中だからな」
「煙に巻くような発言は勘弁願いたいが」
「……プログラムを組んだ奴が剣士じゃなかったからってことに過ぎる。剣士じゃないから剣士の論理がわからない。だからあれはどこまで行ってもただの強い人型エネミーでしかないのさ」
レキはそんなことを言ったあと、以前から聞きたかったことを訊ねる。
「……あんたに聞きたかったんだが、チケットの件はやっぱりこころがわがまま言ったのか?」
「それは、彼女との約束に抵触する。私の口からは言えんよ」
「それがすでに答えだろうが」
「虚偽の回答はできないようになっていてね」
やはり武藤の口ぶりは、人を食ったものから変化しない。
だが、やはりこころがゴリ押ししたのか。その辺りは頭が下がる。
「確かに、こころくんのアピールは熱心だった。それに心打たれたのも事実だ」
「…………」
「なに、気にすることはない。私はプレイヤーを探すのも仕事だ。それに今回の話はある意味渡りに船だった。実力を持ったプレイヤーを島内に招き入れるのが、運営の方針だからな」
「そうかよ」
「こころ君の思いをゆめゆめ忘れないことだ」
「あんたに説教される筋合いはない。いちいち分かったような顔を見せるな」
レキが憎まれ口を叩くと、武藤は薄ら笑いを見せる。
「上位陣はかなり強いぞ」
「……らしいな。なんでもランキングのトップは初期から変わらなくて、その中でも【闇冥剣】や【白騎士】は別次元の強さだって言われてる……だったか?」
「なんだ。知らなかったのかね?」
「ああ。ネットの情報も関連動画もあまり見ていない」
「プレイヤーなら、一度は目にするのが普通だとは思うがね」
「どうせプレイなんてできないだろうって思ってたからな」
「だからソキルのプレイにも消極的だったと?」
「それは別の理由からだ。あれをプレイするともどかしくてたまらないんだよ」
そう、結局VRはどこまで行っても仮想の世界であるため、致命的に肌が合わなかっただけなのだ。結局のところメンタルリハーサルの延長線上にあるものという風に自分の中で決着がついてしまったせいで、逆に触れるのが億劫になってしまったのだ。
「そうつまらなさそうな顔をするな。今期のプレイヤーにも、かなり実力者が入っている」
「そうなのか?」
「いまは一期受け入れからランキングの変動がほとんどない。チャンネルの視聴者たちを飽きさせないよう、三期受け入れのためにいろんなところから実力者をスカウトしたのだよ。『稲妻こころ』に声を掛けたのも、それが理由だ」
「ソキルの配信プレイヤーも結構いたらしいな」
「そちらもそうだが……まあ、いろいろと期待しておいて構わない。きっと満足できる相手が見つかるだろう」
武藤はそう言って、含みのある笑みを見せる。ということはプレイヤーたちに対して何かしらサプライズイベントを用意しているのだろう。
「では私から少し腕試しといこう」
武藤がパッドに何らかの操作を加えると、正面にゲーム領域が展開した。
「……! だから俺は」
「これも義務だ。諦めたまえ。それに、さっきから嫌だ嫌だと言っている割には、私と円滑にコミュニケーションを取っているではないか」
「俺は根が真面目なんだ」
「だろうな。そうでなければ、こうしてわざわざ付き合ってはくれまい。なに、これもモニタリングの一環だと思えばいい。プレイヤーが運営に協力する義務があるのは事実だ」
「問答無用かよ」
「この辺りのエネミーでは物足りないという話だ。かなり強めのエネミーを用意しよう。ああ、心配しなくてもいい。倒せば通常のプレイ通りVPは入るからな」
レキは武藤を一瞥して、展開した領域に侵入する。
渋々グリップデバイスを取り出して刀を抜くと、目の前にエネミーが出現した。
武藤が離れる。
GET READY FIGHTERS!
空中に赤文字で「お互い構えを取れ!」や「両者構えろ!」という文言が表示される。
武藤が出したエネミーは人間タイプのエネミーだった。
古代の剣闘士でもイメージしているのか、上半身裸でグラディウスと呼ばれるタイプの剣を片手に持っている。
こうして睨み合っていると、いまにでもコロッセオの熱気と砂っぽさが漂ってきそうなほどだ。
……このエネミーはこれまで戦ったものと違って、ステップを踏むタイプらしい。
相手の方から一定のリズムを晒してくれるというのはとてもわかりやすい。
一方でレキは、手首のスナップを利用して刀を振る。俗に言われる「文を切る」という動作だ。
向こうのリズムから意図的に外れるように小刻みに動かしているせいで、エネミーは攻撃しにくいのだろう。他のエネミーはこちらの出方に関係なく剣を振り回してくるが、これを把握できるということから、学習型のプログラムが組まれていることがわかる。
圏内手前。エネミーが剣の届かないギリギリの距離まで近づく。
それを見て、レキは車の構えをとった。
右足を後ろに引いて、左半身を前に出す。
間境までにじり寄るまでもない。
エネミーが左わき腹を狙って斬りかかってきた。
すぐに右足を軸にして左足を引き、右足と左足の位置を平行にして正対する。
左わき腹が後ろに下がったことでエネミーの斬撃は空振り。
その一方でレキは、空振った右腕を狙って刀を斬り下ろした。
後の先の技 一刀変 是極。
エネミーは腕が斬られたことで、手と腕の動きが鈍くなる。
本来ならばこれで腕は斬り落とされているのだが、そこはゲームだからだろう。
エネミーが腕を持ち上げて、再度斬りかかってこようとしたところをレキも踏み出す。
刀で剣を押さえ、向かって左側に素早く押しやる。
それに連動して相手の方を向いた切っ先を、喉へと斜めに突き込んだ。
WINNER
展開されていた領域が消え、リザルトでVPが加算される。
「……つまらん」
立ち合いが終わった折、ついそんなことを口にしてしまった。
「なるほど。それが、こころ君が気にしていたことか」
レキは武藤の発した言葉を聞き、咄嗟に視線を武藤へと向けた。
失言を聞かれていたことに、図らずも小さな舌打ちをしてしまう。
「そう睨まないでくれたまえ。彼女がそう言っていたのだよ」
「こころ……余計なことを」
レキが苦い顔を作ると、武藤が冷笑を見せる。
「つまらない、か。君は単に、わがままが通らないことがお気に召さないだけなのではないのかね? 物事が自分の思い通りにいかず、拗ねていているのだ。だだをこねる子供の癇癪が多少大人しくなったようなものとでも考えればいい。歳を取っている分、子供よりもタチが悪いがね」
随分と見透かしたような物言いだ。
レキもそのしたり顔に腹は立ったが、言い返すことはできなかった。
「…………やっぱり俺はあんたが嫌いだよ」
「ふむ。耳に痛い言葉は嫌いかね?」
「誰だってそうだろ。それに、そんなことは俺だってわかってる。わかっててても、どうにもならないんだよ。人の感情ってのはそんなもんだ。あんたにはわからないかもしれないがな」
「おっと、それは差別として受け取られるぞ?」
「うるさい。嫌みが聞きたくないなら説教なんてするな」
「ならば、不用意に口にしないよう気を付けることだ」
「だからその物言いをやめろって言ってるんだよ。あんたも一言多いぞ」
「その意見は記録しておこう。君たちの言葉を借りれば、肝に銘じておこう、かね?」
こんな軽口、いつもならば流せるだろうに、武藤が言うと随分と苛立ってしまう。
つい、投影していた刀の鎺を鞘から押し出してしまったほどだ。
かちゃり。外界の雑音の中にあっても、硬質な音が際立つ。
有り余るほどの斬意を向けても、武藤はせせら笑いを続けたまま。
この男のエモーショナルエンジンにはわずかながらの影響も与えられない。
やはりこの男は気に食わない。
もしここに兼光があれば、迷わず斬り捨てていただろう。
……だが、ここでこんなことをしても、益体のないことか。
レキは刀を鞘に納め、グリップデバイスをオフにする。
その一方で、武藤が先ほどのリプレイを投射した。
「さて剣士殿の所感を聞かせてもらおうか――しかし、簡単に倒すものだ」
「簡単だからな」
レキは胸に憤慨を押しとどめたまま、ベンチに八つ当たり気味に腰を下ろす。
派手な動きもしなかったため、随分地味に見えたのだろう。
「一応相手の挙動を読んで調整して動くタイプの結構強いエネミーだったのだがね」
「だから簡単だったんだよ。こっちの挙動を読んでくれるから、思い通りに動いてくれる。左半身を前にして刀を持ち上げ、わき腹を大きく晒せば、誰でもそこを狙って斬りかかってくるだろ」
「なるほど。打ち込みやすい場所をわざと晒して、相手の動きを限定させるのか」
「そういうことだ。立ち合いでは自分の剣が一番届きやすい場所をまず狙う。逆にこの辺りに出るエネミーはそういった動きをしないから、違和感がひどい」
「考えるものだ」
「そうだ。考える。考えるが、なんとなくにとどめておくのが肝心要だ」
「フム? そういうものは、みっちり計算するものではないのか?」
「いいんだよ。何事もなんとなくが一番いい。そうじゃないとそれが固着して病気になる。AIならまだしも、人間の脳みそなんてそんなに高性能にできてない」
思考は柔軟にする必要があるし、それに囚われれば考えが凝り固まって身からにじみ出る。にじみ出れば察知され、対処されてしまうだろう。それが負けに繋がってしまう。
「病気? それはなんのたとえだね?」
「病気は病気だ。悪い手癖が付いてしまったことを病にたとえた言葉だ」
「悪いクセは病に侵された患者の如く、常に剣士を脅かすから、か。なるほど面白い言い回しだ」
「……これでもういいか? プレイヤーの義務は果たしたと思うが?」
「ああ。必要な意見の収集は終えた。自由にプレイしてくれたまえ」
レキはプレイヤーの義務をこなし、さていい加減去ろうかと立ち上がった折のこと。
ふと、行きの船での出来事を思い出す。
「そうだ。ちょっと気になることがあった」
「なにかね?」
レキは後ろから掛けられた訊ねの声に振り向く。つい考えず口に出してしまった。
己の脇の甘い行動に対して苦い顔を作る。
「あんたに言うのは気が進まないな」
「そこまで言っておいてそれか。私もロンダイトの職員だ。話しておいて損はないと思うが?」
「……ここに来る途中なんだが、船の上でおかしな連中と出くわした」
「おかしな連中とは?」
「記録してある映像データを送った。それを見てくれ」
武藤は再びパッドタイプの端末を取り出し、映像を確認する。
「ふむ。これはまた随分と喧嘩腰だな。船に乗るプレイヤーも貴賓も大概は大人しくしてくれるものなのだが……着用しているのは船内スタッフの作業着。確かにおかしいな」
「あと、おかしな社員証を持っていたのと、絡まれた友人がプレイヤーネームで話していないことにも気付いた。AI勢でもないようだった」
「ふむ。映像を解析してすぐ照会してみよう。報告に礼を言う。だが、欲を言えばもっと迅速に申告して欲しかった」
「いま思い出したんだ」
「つまり剣士殿はそれほど脅威には思わなかったと?」
「そりゃあんたほどじゃないさ…………いや、正直に言うとどっちも不気味だった」
二人ともだ。
女の方はあからさまに不気味な印象を植え付けられたし、男の方は狙ったように圏内手前で足を止めた。
「なにかわかったら君にも連絡しよう」
「……ああ」
そんなやり取りをして、レキは武藤と別れたのだった。