第四十三話 剣士の一分
――俺に、大義なんてものは特にはなかった。
過激派の他の連中は、ことあるごとに人間の未来のためにだの、世界の正常な在り方だの、何かにつけてそんなことを説いて回るが、俺にとっては人間が上位であろうが、AIが上位であろうが、正直なところ、どうでもいい話だった。
それが、人々が安んじて過ごせて、自分の生活に実害がなければ、別段気にするようなことでもない。
確かに、世の様々なものがAIに取って代わられるというのは、多少なり癪に障る部分もある。先達たちが苦労して築き上げてきた世の中の在り様を、よくわからない存在にかっ攫われてしまうのだ。これまで意識せずとも、危機感だったり、不快感だったりを抱くのは至極当然とも言える。
……そんなものは単に、人間という生物のみみっちいプライドの表れなのかもしれないが。
だが、これも時代が進んだ結果だ。多くの人間たちが選択してきた未来であり、同じ人間が受け入れなければならないものでもある。
それは、人々が積み上げてきた娯楽など様々な文化も同じだ。AIたちが提唱した効率至上主義の弊害で、多くのものが廃れていった。
俺にとっては、武術がそれだ。生まれ変わったときには、この世から剣士なんてものはほとんど姿を消していた。
確かに、つまらない世の中になったなと思いはした。
だが、それでも仕方ないと思っていた。これが、人殺しの道具を作る男に閻魔が誂えた地獄だったのだろうと。そのまま、何もない場所で腐って死んで行けということだったのだろうと。
ただ一つ、過激派なんぞに身を置いた理由があるとすれば。
「――随分つまらなさそうにしてるからな、ほっとけなくてさ」
きっかけになったそいつは、俺にそんな声を掛けて、一本の煙草を差し出してきた。
パッケージは海外の老舗メーカーのもので、誰でも耳にしたことのある銘柄の一つだった。
「俺は煙草は吸わない主義だ」
「いいから吸ってみろよ」
そいつは俺が一服を断っても、しつこく煙草を勧めてきた。
正直そのときは鬱陶しかったが、かといって邪険にすることができなかったのも事実だ。
差し出された一本をしぶしぶ手に取ると、男は慣れた手付きで火を点けた。
甘ったるいバニラの香りのせいか、一息に吸い込むと、ついむせてしまったのをよく覚えている。
「……げほっ! やたら甘いじゃねえか!? お前よくこんなもん吸えるな……」
「ははは。ティーンのガキっぽいって?」
「っ、そうは言わねえがよ。いまじゃ煙草なんて毛嫌いされてるものの筆頭だろ」
「そうか? スラムで過ごしてりゃあガキでも吸ってるけどな」
「日本の話をしてくれよ」
……俺がこの男と出会ったのは、AIが起こした暴動を鎮圧するため、戦地に赴いたことがきっかけだった。
通称ヘルマン・ベッカー戦争。
完全戦闘型AI知性体という、戦うために造られたAI知性体の内の一つである『ヘルマン・ベッカー』が、AIのさらなる権利拡充を求め、人間に反旗を翻した。それに伴って『ヘルマン・ベッカー』は多くのAIを支配下に置き、人類から兵器を奪取。その後は戦争へと発展した。
当時、陸軍に所属していた俺は、部隊共々連合軍に編成され、現地に飛んだ。
男は外国の軍に所属しており、別に同僚というわけでも、戦友というわけでもなかった。
少しの間任務で一緒になっただけの、ただの顔見知り程度という存在だ。だが、俺の何が気に入ったのか、空き時間になると何かにつけて話しかけにきて、満足すると去っていくというのを習慣にしていた。
煙草を吸い終わったあと、男が話しかけてきた。
「……お前、なんで軍人になったんだ?」
「別に。こういうところにいりゃあ少しは剣を振るう機会が来るかと思っただけだ」
「剣を振るうって……国を守るためじゃないのか?」
「理由なんて人それぞれだろ。地位や名誉のためって奴もいれば、金のためっていう奴もいる」
「それがまたなんで剣なんだよ?」
「いいだろそんなもん。俺の勝手だ勝手」
俺は煙たがるように男の追及を遮って、逆に訊ねた。
「そっちはなんで軍に入った?」
「俺か? 俺のことなんて聞いても楽しくないぜ?」
「こっちの理由を聞いたんだ。そっちも話せよ」
「たまたまさ。スラムのガキが食い扶持を探してたら、自然とこんな恰好をする羽目になったってだけさ」
「なんだよ。高尚な理由じゃねのはお互い様じゃねえか」
「はははっ」
俺が揚げ足を取ると、男は何が面白かったのか機嫌良さそうに笑い出す。
やがて男は煙草をもう一本手に取り、何故か笑みをひそめた。
「……お前はさ、AIたちと戦ってみて、どう思った?」
「なんだ急に」
「いや、少し気になっただけだ。軍人になった理由が剣を振るうためなんて言う奴は、AIたちのことをどう思ってるのかってな」
「さてな。話が通じる連中は普通だが、敵に回った連中はただの機械だ。巻藁で作った人形を斬ってるのとそう変わらねえ。強いて言えば虚しいだけだな」
俺がそう言うと、そいつは確かな憂いを見せる。
「……悲しいよな。あいつらだって、こんなことをするために作られたわけじゃないってのにさ」
「同情したって仕方ねえことだとは思うがな」
「なんだ。結構冷たいんだな」
「この世の中『どうすることもできない』なんてことはよくあるモンだろ。ほとんどの人間は自分一人生かすことで手一杯で、そのうえそれすらままならねえ。なんでもかんでも助けたいとか考えるのは、欲張りってもんだぜ?」
「じゃあ俺は、底なしの欲張りなのかもな」
「…………」
男は遠くを眺めながら、憂いの言葉を吐き出す。
そのときの俺には、男がそんなことを言った理由がわからなかった。
ともあれ男は、その後もことあるごとに話しかけてきた。
「いい煙草が支給されたんだが、一本どうだ?」
あるときは、いつものように俺を煙草に誘い。
「旧時代のカードゲームなんだが、お前も一緒にやらないか?」
またあるときは、暇つぶしの欠員を埋めるために呼び出され。
「今日の効率食はゲロマズだった。そっちはどうだった?」
支給される食事への文句は、唯一お互いの意見が合致する話題だった。
そいつと一緒にいるときは、そんな他愛のない話ばかりしていたように思う。
小うるさいのに付きまとわれることになったなとは思ったが、それほど悪くはなかった。
ただ気になったのは、そいつがことあるごとにAIへ向けた同情を口にしていたことだ。
こんなことになったAIたちは可哀そうだ。
こうなる前に、どうにかならなかったのか。
いつもずっと、そんなことを言っていたように思う。
……だけど結局、そいつはあの戦いで死んでしまった。
自分を殺した奴らを、最後まで憐れみながら。
それは、連合軍側が優勢になり始めた折のことだ。
ヘルマン・ベッカーの支配下にあるAIの部隊に、一つの街が襲われた。
避難が遅れた住民を対象にして、AIが殺戮行為を始めたのだ。
もちろん連合軍はすぐさま救援部隊を出して対応に当たった。
その中には、俺に煙草をくれたあの男のいる部隊も編成された。
編成された大隊はすぐに現地に急行した。だがそれは、AI共の狡猾な作戦だった。非武装の者たちを襲撃することによって、敵の戦力を徐々におびき出し、各個撃破していくという人道から大きく外れたものだったのだ。
倫理を失い、効率性、論理性を求める存在が結果のみを追及したのだ。
このような作戦を打ち出すのも、ある意味当然の帰結だろう。
それが分かった連合軍上層部は、救援対象もろとも、救援部隊を見捨てることを選択した。
当然、抗議の声は上がったが、聞き届けられることはなかった。
それは上層部がこれ以上の損耗を嫌ったゆえだ。
無論俺も、反対の声を上げた者の一人だった。
あの部隊には俺みたいな奴に声を掛けてくれたあいつがいるのだ。
気付けば声を上げていたし、それが当然のことだとも思った。
たとえ世の中がつまらないと吐き捨てても、それでも道義を貫くのが、俺の剣士としての守り通さなければならない一分だったからだ。
だが、軍大学を出た身であっても、俺は一下士官でしかない。
軍上層部の方針は変えられず、気付いたときには制止の声も振り切って、飛び出していた。
そのあとに待つ軍法会議など、どうでもよかった。
……やがてどうにかこうにかたどり着いた街の惨状は、目に余るものだった。
エモーショナルエンジンの機能を失ったAI知性体が、悲鳴を上げて逃げ惑う人々を、ただひたすら無機質に殺していくという、まさに地獄さながらの光景がそこでは繰り広げられていたのだ。
まるでコンベアーの流れ作業を見ているかのように。
そう、昔、誰もが映画で見たような。
そう、昔、誰もが思い描いたような。
あの、AIが人間を支配するという光景の一部が、確かにそこにはあったのだ。
だから俺は斬って斬って斬り倒した。
それこそ己のすべてを出し尽くして。
人間だろうがAIだろうが、関係なかった。そんな景色があるということ自体が、俺には許せなかっただけなのだ。
以前、剣の師から何度も聞かせられた。
人を殺すのは、どんな理由をあろうと悪行である。しかし、剣士である以上、その罪業からは逃れることはできないものだと。
だから必ず、殺した相手に敬意を持て。
そして、その名を生涯忘れるな、と。
それを失った者はただ一つの例外なく、魔道へと堕ちるのだと。
その教えは、世のすべての剣士がすべからく守るべきものだ。
他者の命を顧みる心があるからこそ、人殺しの咎を負っても畜生にならずにいられる。
だが、ここにはそんな最低限の尊厳すらすらなかったのだ。
相手の生を尊重することもなければ、己の誇りを守ることもない。
なにもない。そう、なにも。なにもなかった。ここにはまるで。
…………気付いたときには、俺に向かってくるものはなくなっていた。
だがそれでも、救援は間に合わなかった。
派遣された部隊は、残りわずかの生き残りたちが孤軍奮闘していた。
男も生きてはいたものの、負っていた怪我が致命的だった。
俺がAI共を掃討したときには、何もかもが手遅れだったのだ。
「……屋敷、頼みがある」
「なんだよ」
「いいだろ? どうせいつもつまらないって言って暇してるんだ。俺の頼みくらい聞いてもバチは当たらないだろ?」
「言うだけ言ってみな」
俺がそう言うと、男はこんな妙なことを言ってきた。
「俺がこの戦争で、やたらとAIたちに同情していたのは、お前も知ってるよな?」
「そうだな。妙なくらい肩入れしてたな」
「……こいつらみたいな奴が出てこないような。そんな世の中にして欲しい」
「は……人一人にお願いするには、随分と大それた頼みじゃねえか」
「お前にならできる。だってこんなに強いんだ」
「強いだけじゃ世の中のことは変えられないぜ?」
「だが、世の中を変えてきたのはいつだって強い奴だ。これまであった変革は、全部暴力が解決してきた。それは歴史が証明してる」
「そういうのは、とんでもない力を持った奴だけに許された特権だ」
俺はそう言ったが、男は穏やかに首を振った。
「いや、お前ならできるよ。誰かのために行動して、自分の命だって顧みないお前なら」
「いつもつまらねぇつまらねぇ言ってるような奴だぜ? 俺がそんなことをする人間だと?」
「そうだと思ったが?」
「……俺のは単なる暇つぶしだ。なにもかにもな」
「嘘だな。気のない風を装ったりしてるが、お前には、信念や信条ってものが確かにある。何かを守ったり、何かを助けようとしたり、お前はそのために何かをやり続けてきた人間だ。その何かってのは、わからないけどさ」
「それは……」
「だってそうだろ? そうじゃなけりゃ、俺たちを助けるために、こんなところに一人で来るはずない」
「…………」
俺はそいつの視線を追うように、周囲を見渡した。
周りに散らばっているもののほとんどは、俺が斬り倒したAI供の残骸だった。
「……どうしてそこまで、AIなんぞにこだわる。自分をこんな目に遭わせた連中だぜ?」
俺がそう訊ねると、男は胸ポケットに忍ばせていた一枚の写真を取り出した。
それには一組の男女が写っており、女の方は知らないが、片方はいま俺が話しかけている男だった。
「そいつは?」
「俺の恋人さ。イルザっていうんだ。ブロンドが綺麗な女だ」
「いい女だな」
「そうだろ? AIだけどな」
それで、なんとなく察することができた。この時代、人とほとんど変わりのないAI知性体との恋愛は、さほど特殊なものでもない。いまだ偏見は少なからずあるものの、ごく一般的なものと言っていい。
「ずっと一緒に居ようって話をしててさ。まだ、AIと人間が添い遂げるなんておままごとだなんて馬鹿にする奴もいるけどさ、俺は本気だったんだ」
しばしの沈黙のあと、俺は男に訊ねる。
「……で、その女と、お前のお願いがどう関係するんだ?」
「イルザはヘルマン・ベッカーの野郎のせいで、暴走しちまった」
「直すのは」
「無理だ」
「だが上も言ってただろ。大元さえどうにかすりゃあ、まだどうにかなるって」
「無理なんだよ。もう……」
男は悲しげに首を横に振った。答えはそれで十分だった。
その女AIは、すでに破壊されたのか。それとも男が自ら破壊したのか。そのどちらかだったのだ。そして男の願いは、今後そんな悲劇が生まれるのを、防いで欲しいというものだった。
「頼む。とんでもないわがままだってことはわかってるが、こんなことを頼めるのはお前くらいしかいない」
「……俺の刀は高いぜ」
「お互い安月給のよしみで何とかならないか?」
「……たばこをくれ」
俺はそう言うと、勝手に男の胸ポケットをまさぐった。
「おい」
「良かったな。ちょうど二本あるぜ」
一つを咥えさせ、もう一つを自分で咥え、火を点けた。
「代金はこれで勘弁してやるよ」
「いいのか?」
「お互い、安月給にはお似合いだろ」
「ははっ……そうだな。ああ、確かにそうだ……」
……そのあとは結局、命令違反で除隊処分を食らうことになった。当時の上司が図らってくれたため、軍法会議には掛けられなかったが、当たり前だが軍にはいられなくなった。
日本に帰ったあと、俺はすぐに動くことにした。
あの男の願いを叶えるために。もう二度と、あんな光景をこの世に再現させないために。
人間とAI、お互いの権利を尊重し、これ以上の格差が広がらないよう、仲間を集め、デモや訴えなど行動を起こした。
だが、うまくは行かなかった。世は企業に支配され、個々人の訴えなどには耳もかさない。俺たちの訴えはすぐに握りつぶされ、AIの都合のいいように変えられてしまった。デモをしようが、何をしようが、もはや覆すことのできないシステムができあがっていたのだ。
俺がそれに気付いたときには、もう何もかもが手遅れだった。
無力感に打ちひしがれていた俺に、さらに追い打ちをかけたのが規制緩和の法案だ。
表向きはAIの権利拡充に向けた新法だが、実際はAIが人間の上位者になるための土台となる法案だ。
これは間違いなく大きな争いの火種となる。
この法案が通れば、あの男の願った未来も遠のくだろう。
俺がこうして過激派に流れ着いたのは、ある意味必然だったのだろう。
奇しくも過激派は、あの男の言った暴力で問題を解決することを主眼に置いた集団だ。
もしかすれば、あの男もどうにもできないということはわかっていたのかもしれない。
俺たち過激派の意志が通れば、おそらくAIたちは割を食う話になるだろう。権利は制限され、自由はほぼ失われる。だがそうすれば少なくとも、これより先は人間もAIも争うことはなくなる。旧時代の一方的な支配体制に逆戻りしてしまうだろうが、ある意味ではそれが、AIたちとってあるべき姿なのだと思う。
いや、そうでなければ、いつか人間とAIが争う日が来るだろう。
そして、再びあのときの光景が再現されてしまうのだ。
それは、許されないことだ。これではあのときあいつが願ったことが、すべて無駄になってしまう。
……俺がいまこうして動いているのは、他人の願いや理想のためだ。
自分のものではない。ただ借り受けただけのものに過ぎない。
だがそれでも、これがいまの己の願いであることに変わりはない。
そう、誰かの夢を願って、刀を打っていた昔の自分と、何ら変わりはないのだ。
「――さっきの話の続きさ。あのタワーの下には、人工躯体とそのプラントがある。それは、さっき入って確認済みだ」
「だから、全部沈めると? そんなことをしたら多くの人間が犠牲になる」
「だろうな。だが、それはさっきも言った通りさ。何もかにも上手く行く手立てなんざ、ちょどよく転がってるわけじゃねえ。何か大きなことを起こせば、必ず誰かが割を食う。いつの時代も同じことだ」
「だが、島を沈めるのは極端にすぎる。穏便な方法を模索することだってできるはずだ」
「それらしい答えだな。だが、そんな当たり障りのない結論に至ったときの結果はどうだ? 先延ばしになって、結局有耶無耶になって立ち消えになる。いつだってそうじゃねえか」
「なら、プラントだか人工躯体だかのある天御柱の地下だけどうにかすればいい」
「それができねえから、いまこんなことになってるんだろうが! もう、あの戦争が起きたときから、綺麗事じゃ何も変えられねえところまで来ちまってるんだよ!」
直後、お互いがお互いの剣威によってはじけ飛んだ。
俺は二刀を構え直したあと、雷神に切っ先を差し向けた。
「……俺はあのときこの目で見た。人間が機械どもに、それこそケーキみたいに切り分けられる光景をな。残骸はそれこそゴミ掃除のように片付けられていた。それは決して他人事じゃねえ。いますぐにでも手を打っておかなきゃ、いつか必ずやってくる現実なんだ。誰もが命を懸けて守ってきたこの世界を、そんな世界にしちゃあいけねえんだよ」
「だからAIたちを排除すると?」
「そこまでは言わねえさ。だが、それくらいのことをしなきゃならねえのも事実だ。そしてそれをやるのが、俺たち人間の役目だ」
「それは人間のエゴだ」
「そうだ! AIを作ったのも! こんな社会になっちまったのも! 全部テメェの言う通り人間エゴだ! だが綺麗事に囚われて言い訳して、結果そんな芽を野放しにしたらどうなる!? もしそんな世の中になっちまったら。お前にはその責任を負う覚悟があんのか!」
こちらの叫ぶような訴えに、雷神は深く息を吸い込む。
そして、わずかな合間に心を落ち着け、改めて自分の在り方を確認したあと。
「覚悟、か。あいにく俺にはそんなものは必要ない。俺は斬るべきものを斬るだけだ。斬ってはいけないと思えば斬らないし、斬らなければと思えば斬り捨てる。たとえそれがどんなものであってもな」
「AI共の物量や性能は誰だって知っているところだ。行き着くとこまで行きついちまったら、人間じゃ太刀打ちできねえ」
「それがどうした。俺やあんたがこれまで相手にして来た剣豪どもよりははるかにマシだろうよ」
「俺は冗談言ってるわけじゃねえんだ!」
俺は雷神に思い切り刀をぶち当てる。
だがその剣撃を、雷神は振り払うように弾き飛ばした。
そして再び、大きく息を吐く。それは、どこかため息にも似た吐息にも思えた。
「世の中がどうとか、未来がどうとかいう奴らは、みんなお前と同じことを言う」
「……あ?」
「どいつもこいつも勝手に未来に絶望して、どこにあるかもわかりゃあしない未来のために、いま目の前にある未来を蔑ろにしやがる。なぜお前たちは目を前に向けない。なぜ現実を見ようとしない。頭の中で計算して出てきた未来は、どうやってもVRの世界にしかないんだよ」
「予測できるからこそ、だ! だから誰かが動かなきゃならねえ! 泥をひっ被らなきゃならねえんだ!」
「そうかもしれん。だけどな、世界の在り方は、多くの者の想いの集積だ。その時代の多くの者が望んだものが形作られる。猿飛、世の中を変えようとしているのが自分だけだと思うなよ。より良い未来を望んで動いているのは、あんただけじゃない。立場が違う、違うみんなが、いまもより良い未来のために走ってるんだ。それは人間だって、AIだってそうだ。そうやって走り続けるみんながいる限り、あんたが恐れた未来は決して来ない!」
「…………」
かもしれない。他の人間が。自分だけしかいないというのは傲慢な話だ。だが、それでも誰かが口火を切る必要があるのも確かなのだ。
「それは綺麗事だ雷神。具体的な方策のない抽象的な方策をどれだけ謳っても、それはただのお題目でしかねえ」
「そうだな。だが、これまであった大きな危機が、そうやって未然に防がれてきたのもまた事実だ」
「だから、俺を止めると? テメェの言うより良い未来のために?」
「そうだ」
「自分がこの世の総意だとでもいうのかよ?」
「そんなんじゃないさ。だけどな、あんたらの暴走を止めるということは、いま、多くの人間やAIが望んでいる未来だ。俺はそれを、この刀で代わりに実現するだけだ」
雷神が、顕示するようにこちらに刀を差し向ける。
雷神の言うことは、確かに真実だろう。
いま多くの者が、この島が沈んで欲しくないと願っている。
だがそれでも俺は、雷神に切りかかった。
「…………やり方が間違いなのは俺にもわかってんだよ」
「わかっていてなお止められないのか」
「当たり前だろ。そんなことすりゃあ、それまでの責任をすべて放棄することになる!」
「死人に囚われて、自分を見失って、それで本当にいいと思っているのか?」
「それが人の情ってもんだ!」
お互いの想いをぶつけ合うように、刀と刀を叩きつけ合う。
火花や電光が迸り、夜空が何度も明滅する。
そんな激しい剣戟が連続したあと。
ふいに、雷神の剣威が緩んだ。それも当然だろう。
あれだけの戦いこなしてきておいて、無傷であるはずがない。
俺やスカーレットとの戦いもそうだが。
銃撃の嵐を撥ね退けた人知を超える腕前。
レーザーを回避するために見せた肉体の限界を超えた機動。
そしてパワーローダーとの太刀打ちだ。
たとえこの男がどれほど強いと言っても、無事では済むはずがないのだ。外見の傷は大きくなくとも、当たり前だが中身の損耗は避けられない。疲労や筋肉の破断、内出血。雷神の身体は見た目以上にボロボロになっているはずだ。
その証左が、身体の動きと剣撃だ。どちらも、先ほどよりも鈍っている。若くして達人と謳われた剣豪であっても、未来の兵器を凌駕するには相応のものを差し出さなければならなかったということだ。
だがそれでも、決して油断は許されない。
不破御雷流八訣刀。前世の話ではあるが、武界ではこの男以外に、四聖八達の予備役である『序列代行』の先代と当代がその剣技を修めていたという。
夕電ノ太刀。
電影ノ太刀。
飛電ノ太刀。
雷槌ノ太刀。
雷電ノ太刀。
掣電ノ太刀。
雷霆ノ太刀。
神成ノ太刀。
この剣術は、これら八つの要訣から成るという。
先ほど見たのは、電影ノ太刀と雷電ノ太刀。
ウンヨウダンとウンヨウトツには気を付けろ。
不破の剣士が雷を落としたら、なりふり構わず逃げろ。
過去、師からはそんなことを聞いていた。
不破の剣士が上段の構えを取れば、稲妻が降り落ちる。この剣の前には、油断の一切は許されない。『まじろぎの間に、太刀ははたたく』その歌にある通り、これは立ち合う者に瞬きを強要する脅威の魔剣だ。激しい光に目蓋を閉じてしまうように。その速さに対応できる反応力や身体操作だけでなく、不随意運動を制御し切らなければ、次の瞬間には斬られてしまう。
新陰流の上段である雷刀や霞の構え。
示現流の蜻蛉構えにも似た撥草構え。
鹿島新當流における引の構え。
細かな機微はそれぞれ変われども、動きの移り変わりの合間に見られるこれらの上段を見るたび、もう何度背筋を冷たいものが駆け抜けたか。目に捉え切れない一刀をかわすそのたびに、冷や汗がシャツの背部を濡らしていく。
そして、そんな俺を生かす生命線が、足下に幻視される水月だ。
雷神のそれは、恐ろしく広い間合いを見せる。先ほどの飛剣を撃ったスカーレットのそれを遥かに凌駕するほど。そのうえ湖面には常に波が発生し、不規則な寄せ波と引き波のせいで正確な距離感がいまいち掴めない。だがもっとも警戒すべきは、湖面の真ん中に鎮座する朔月だろう。湖面の見せる勝色とも、夜空が映す漆黒とも、まったく違う円い黒。あれが望月に反転し、雷雲を呼び寄せたが最後、雷神が咆吼を上げ、己は瞬く間に斬られてしまうだろう。
(……やるつもりがねえのか、それともできねえのか)
雷神の真意はいまだ杳として知れない。
この男が本来の力を発揮しきれないでいるのは、やはり生まれ変わったことによる弊害なのか。俺は二度目の生で多くの時間を訓練や戦いに充てることができたが、一方で雷神は使いどころのない力を持て余していたのかもしれない。そもそもが年若く、いまだ学生でも通用する年齢だ。たとえ天賦の才を持っていようと、覆せないものは存在するということだろう。
「く……」
雷神の括り付けた編み笠が微細な揺れを見せる。出血を強いたせいで、多少ふらつきが出たか。だが努々油断してはならない。これが相手に状態を誤認させるための『表裏』であることも、考慮しなければならないからだ。
……二階堂平法の剣は単純な構成だ。中条流から戸田流の流れを汲み、刀法は他流の構えや、平の字を描く。平凡な太刀筋ではあるが、それを突き詰めたがゆえの強さがあるのだ。
――二階堂平法 中伝 八文字
右の刀と左の刀をハの字を描くように左右に払う。
この剣は、相手をバツの字に斬る斜十字と違い、剣尖が外側へ逃げるため、遣われた相手は剣撃を止めにくく、また止められたとしても片方の刀しか止められないという性質を持つ。
下手に剣を寝かせて止めようとすれば、相手は柄を持った手を斬られるし。
うまく止めたとしても、相手は二刀の勢いを殺し切れず刀を払い落とされる。
しかしてこの八文字の技に対し、雷神が見せたのは右の片手突きだ。
こちらの右の大刀を狙う突きが、雷のような速度で襲ってくる。
(そんなもんで――)
雷神の一手を嘲笑いかけたそのとき、ある予感が降り落ちる。
そう、この突きは、先ほど見たものだ。同志の喉笛を食い破った、あの雷電の二撃だと。
雷神の突きが八の字の一方を撃ち落としたその直後。
雷神は右手を開いて柄を放し、落ちてきた柄をすぐさま左手で握って即座に突き出す勢いで、八の字のもう一方を撃ち落とした。
「ッツ――!!」
――不破御雷流、雷電ノ太刀。
その要訣の名の通り、まさに雷電の早業だ。
俺は刀が吹き飛ばされぬよう持ち堪えるが、そのせいで無防備な状態になってしまう。
雷神が刀の切っ先を後ろに回して右肩に担ぎ、こちらに柄頭を向けた。
そしてすぐに柄を両手で握り、体勢を低くしながら、猛然と突っ込んでくる。
崩された態勢のままでは、防御もままならない。
がら空きになった俺の胸元へ、柄頭の一撃が叩き込まれた。
「ごはっ!?」
胸に、強い衝撃が走る。心臓はズラしたが、それでも肺への打撃は免れなかった。空気を無理やり放出させられたせいで、意識に空白が生まれる。
そしてそこへ、雷神のさらなる追撃の一手が打たれた。
右肩に担いだ剣を大きく振り上げ、左太刀のまま袈裟斬りを放ってくる。
新陰流九箇の太刀、必勝の勢法にも似た打ち掛かり。
「くっ、ぉおおおおおおおおおおおおお!!」
俺は声を張り上げ、左右の刀を引き戻して受け止める。
直後、足腰に力を込め、『猿飛』の所以となった跳躍によって、弾かれるようにその場から離脱した。
「げほっ――こんな状態でもまだこんな剣が打てるのかよ!」
「打たねば勝てんのなら、ひたすらに打つまでのことだっ!」
再度の応酬の最中、雷神が繰り出した真っ向を、左の小太刀を使って左半身横側へ受け流す。
「くっ――」
雷神の表情に、焦りが浮かんだ。
俺は受け流した状態から小太刀を旋回させて斬りかかり、それと同時に右腕の大刀で死角を突くよう足元を斬り付けた。
「っぐぅ――!」
肉を裂く手ごたえが伝わる。
雷神の足へ、確かな一撃を加えた。
「これは……中条流、四箇の燕廻の変形か」
「……へっ、本来なら小太刀一刀でやるもんだが、なかなか様になってるだろ」
中条流の燕廻は、相手の真っ向斬りを外側に受け流し、廻剣の要領で斬り付けるものだ。
しかしいまのはそれを左片手で行い、そのうえ同時に足を大刀で斬り付けた。
技の流れは汲むものの、ほぼ別物とも言える型である。
……お互い荒い呼吸のまま、向き合う。
体力の消耗。怪我の度合い。お互いに無視できないほどになっていた。
決着のときは近い。そんな予感をひしひしと感じながら、再度構えを取った。
そう、お互い、譲れないもののために――




