第四十話 怪盗スカーレット
ここにきて、斬り裂いた数は都合八人。
久しぶりの戦いにしては随分と血なまぐさいことになったなと、レキは短く嘆息する。
ある意味それは、荒事を求める剣士の宿命ではあるのだが。
望むような立ち合いを求めることは、やはり難しいのかもしれない。
レキはそんなことを想いながら、前に向かって歩をするすると進めていると、天御柱から声が飛んでくる。
屋敷のものだ。
「四四式の斉射も通じねえか」
「兼光の異名は有名だろう。これがあれば銃などいくつあっても一緒だ」
「鉄砲切か。そうか、そういうことかよ」
刀の所以を耳にした屋敷は、また愉快そうに「ククッ」と笑う。
そんな会話で、多少斬意が緩んだからだろう。
レキの前に、まだ気概のある者が数人立ちはだかった。
及び腰は抜けきらないが、それでもアサルトライフルを構えて気丈に立ち振る舞う姿は、訓練された者たちの意地というところか。
中にはやたらと長いスタンウィップを持った痩躯の男――先日サラが交戦した仙波や、樫野と呼ばれているリーダー格の男の姿もある。屋敷はまだ動かない。
屋敷は頑なに、一対一の状況を作りたいらしい。ある意味、この場においてはそこにしか勝機がないのだから、当然と言えば当然か。
レキがテロリストに歩み寄ろうと歩を進める中、ふいに彼の目の端にサラが動き出したのが映った。
数が減ったため、ここを好機と見たのだろう。
彼女にわずか遅れて、ウィルオーやリンドウも前に出てくる。
ウィルオーやリンドウはテロリストたちの狙いを分散させようと考えているのか、お互い別方向から回り込むように動き出す。
確かに、銃口の数さえ減ればハプティックパッドのパワーアシストでも十分対応できる。
それは先ほど、ここに来る前に証明されたことだ。
しかしてその思惑通り、銃口は分散。両者とも二、三程度の小銃ならば問題ないらしく、うまくかわしつつ翻弄している。
一方でサラは、一人の男に狙いを付ける。仙波だ。
彼もまた、いまだ闘志を萎えさせずに、レキの前に立ちはだかった者の一人だった。
レキがサラに声をかける。
「どうした?」
「あの男はわたしが倒す。手を出すな」
彼女の声音には、静かな敵意が渦巻いていた。因縁でもあるのか。その予想を裏付けるかのように、仙波もまた、彼女に対して怒気を発している。
「女ぁッ!」
仙波はスタンウィップを叩きつけて、破裂音を響かせる。
シルバーカラーの鞭全体に青白い電流が走り、鞭自体もそれに触発されて地面をのたうつ。さながらそれは大蛇のよう。
一方でサラは自走シューズを用いて、仙波の視線を切ろうと疾駆する。
正面に直行せず翻弄から入るのは、彼女の常套手段なのか。
得物のリーチの差を考えれば、手堅い戦法と言えるだろう。
俊敏な機動だ。高速でありながら、描くカーブは滑らかであり、身体能力の高さを窺わせる。鎧ドレスという格好も相俟って、膝の曲げ伸ばしが掴み切れない。
だが、痩躯の男はサラの動きをよく見ているのか。彼女の先読みのさらに上を行くようにスタンウィップを叩きつけ、彼女を近付けさせない。
これは得物の長さの差が如実に表れたということだろう。
周囲を縦横無尽に走行するサラに対し、スタンウィップをアトランダムに打ち付ける痩躯の男、仙波。動ける範囲が制限されるため、サラにとっては相性が良くない相手と言える。
目を瞠るのは、仙波の操るスタンウィップの長さだ。全長はかなりあり、決して使いやすい長さとは言えない。むしろ長さと重さで、よほど腕力がなければ先端を動かすことすら難しい。たとえ振るうことができたとしても、先端が叩きつけられる前に先々の動きを入力しなければならないため、自由自在とは言い難い。
だが、それを自分のものにできた人間が享受できる恩恵は絶大だ。長さが余っているため長距離、広範囲をカバーできるし、叩きつけたときの威力も凄まじい。鞭へのコーティングも相俟って、アスファルトが砕けて弾けるほどに強烈だ。
無造作に振るっているだけで、周囲が灰色の粉塵に包まれる。
しかして、いま仙波の周囲には、スタンウィップによって結界が形成されていた。迂闊に近づけば鞭撃の餌食になるし、スタンウィップの高電圧も大きな脅威だ。サラもやはりそれを危惧してか、迂闊に近づくことはできない。
サラが隙間を探して突入しようとするが、その瞬間、不規則な軌道を描いたスタンウィップの先端が、彼女の籠手を痛烈に叩いた。
直後籠手は破裂したようにバラバラにはじけ飛び、剣を握った彼女の腕もまた、身体ごと大きく弾かれる。
「うぐっ!」
「ハッ――この前の威勢はどうした? テメェ、なんて言ったか? 悔しかったらここまで来い……だったか? 俺に近付けもしねえ計算機如きがよくそんなこと言えたもんだな!」
「ちぃ、ペラペラと……」
悪態を吐きながら体勢を立て直すサラに、仙波が煽るような罵声を浴びせる。
そんな中、鞭の一部が外側にたわみ、レキを脅かす。
彼はその動きを特に見もしないまま、刀の峰ではじき返した。
「ちぃ――」
仙波が、苛立ったような声を出す。
予想外の衝撃に鞭の操作にブレが生じたのか、結界に穴が開いたのだ。
レキはその穴を通って、わずかにサラの方に近づく。
「手はいるか?」
「いらん! わたしが倒すと言った!」
「なら口くらいは出させろ――鞭は持っている手元の動きをよく見るのが肝要だ。鞭の動きは不規則に見えてその実、動きに規則性がある。先端が必ず、手元の動きに連動する。片手の長剣を振るっているイメージを持って臨め。あとはタイミングを掴めるかどうかだ」
「…………」
レキが刀の剣尖を仙波の手元に差し向けると、サラは返事もせずに、再び駆け出していく。
オムニホイールのから耳障りな駆動音と擦過音を響かせながらの疾駆が再開。仙波の周囲を回りつつ、再び切り込む隙を窺っている。
……彼女が倒さなければならないと見定めているなら、これ以上口を出すのは無粋というもの。レキはそう考えながら、テロリストをけん制。
リンドウもサラから受け取ったワンタイムキーのおかげで戦えるらしく、銃火器で武装した相手でも問題なく渡り合っている。その点は高性能な人工躯体を用いたAI知性体ゆえだろう。銃を撃つタイミングをよく見計らい、そして予測し、手堅い攻めを行っている。
ウィルオーも、緩急の付け方が巧い。ここぞというときにパワーアシストを発揮することで、テロリストに隙を誘発させ、そこを的確に突くという戦術を取っている。
戦い方はリンドウやサラ以上にテクニカルなのではないかとすら思えるほどだ。
ウィルオーがテロリストの隙を突いて斬りかかる。
「おらっ!」
「ぐっ!?」
テロリストは回避や迎撃が間に合わず、その場に倒れ込んだ。
レキが声をかける。
「ウィルオー」
「へへ、俺だってやるときはやるんだぜ――って、おっとっと!」
昏倒にまで行かなかったのだろう。ウィルオーはふいに起き上がってきたテロリストに、練習用の剣を追加で突き込む。
これで確実に一人倒した。
一方で、激しい戦いを繰り広げているのはサラの方だ。
滑走の勢いは先ほどよりも増しており、今度は仙波の方が合わせるのに苦慮している様子。レキのアドバイスも役に立っているのか、サラは打ち付けられるスタンウィップの軌道を読んで、剣撃ではじき返してもいる。
「ちょろちょろと……!」
そんな中、仙波がスタンウィップうねらせて、アスファルトを叩いた。
狙いをサラから床に変えたのだろう。
衝撃でアスファルトの表面が砕け、飛び散った破片がサラを襲った。
「っ、貴様……姑息な真似を!」
「これならどうだぁ!? もう生意気な口も叩けねえだろうが! ヒヒヒ……」
仙波はそう言い放って、何度もアスファルトを叩く。
一方でサラは飛び散る破片に襲われるだけでなく、地面を崩されるせいで滑走を制限される始末。
そんな状態ではさすがに拡散する破片を防御するのも難しいのか。すでに鎧ドレスの布の部分はボロボロだ。鎧の部分は守られるものの、そちらも鞭撃によって少なからずダメージを受けている。
ジリ貧という言葉が彼女の背後にチラつき始める。
無論彼女にもそれはわかっているのだろう。バイザーで隠れていない口もとに、わずかに焦りが浮かんでいた。
だが、その一方でスタンウィップの動きを冷静に見極めようとする動きが見えるのも確かだ。
やがて、サラは何かの機会を見出したのか、仙波に向かって突進していく。
一見して無謀に見えるが、レキの目にはサラの進行方向に道筋が見えた。
それは、このあとに訪れるだろう少し先の未来。鞭が襲ってこない空間がはっきりと知覚される。
だがそれも途中までだ。その千載一遇の機会を、どう活かすかにかかっている。
スタンウィップの軌道が変わり、鞭撃が彼女を襲う。
「ぐうっ……」
強烈な一撃が肩口に入るものの、サラはそれを耐え抜いた。
だが鞭撃は一度では終わらず、さらに連続する。サラが近付きすぎていることに加え、いまの一発に比べれば小刻みな動きであるため、それほど威力は高くないものの、鎧が砕かれ、騎士装束が裂け、ところどころから白い肌が露出する。
仙波は身を打たれつつも着実に向かってくるサラに対して、危険を感じ取ったのか、表情に焦りを浮かび上がらせた。
「止まれ! このっ! 止まりやがれ!」
「誰が止まるかっ……!」
「こいつ……どうしてそこまでっ!」
「うるさい! わたしにも……わたしにも守りたいものがあるんだっ!」
サラが咆哮し、そしてスタンソードを振りかぶる。
意地と想いの籠った一撃だ。
相応の痛手と引き換えに、彼女のスタンソードが仙波の肩口に食い込む。
「ギッ――きさ」
「これで終わりだっっっ!!」
直後、サラの得物であるスタンソードから高電圧がかけられる。
目に見えるほどの電流と、弾けるような音が辺りに響いたあと。
仙波は悲鳴の声をも上げられぬまま、一度だけ大きく痙攣し、その場に倒れ伏した。
残った電流のせいで、スタンウィップがアスファルトをのたうつ。
サラはそれを一瞥したあと、手に持った剣で弾き飛ばした。
これで、残り数人。
……そんな風に、レキたちが戦っている一方で、天御柱の門扉付近に陣取っている屋敷たちはと言えば。
「――どうも旗色が悪くなってきましたわね。わたしく、そろそろおいとまさせていただきますわ」
怪盗スカーレットが、目の前で繰り広げられる戦いを尻目にそう切り出す。
声にはどこか達観したような音色が滲んでおり、戦いに対する冷静な洞察を窺わせた。
屋敷は彼女の申し出を気にした様子もない。
「そうか。まあお嬢ちゃんの仕事はもう終わってるからな、勝手にしな」
「ではそれにあたって、今回の報酬を頂きたいのですが」
屋敷はその求めに応えるように、バッグから一振りの刀を取り出す。
それは、柳生拵えの逸品だ。柄巻は紺色。もちろん刀身は屋敷が持っているものと同じガラス金属製で、鍛刀の伝法は相州伝を踏襲したもの。無論、白鋼と同じ製法を踏めないため、似せているだけではあるのだが。
屋敷はそれを、軽い手振りで投げ渡した。
「ほらよ。持っていきな」
「しかと」
「で? お嬢ちゃんはこの状況で一体どこから帰るんだ?」
「そんなもの、正面からに決まっているでしょう?」
屋敷が顎をしゃくると、エリスは不敵な笑みを口元に忍ばせ、その場から陰影と共に消え失せた。屋敷は彼女が向かうだろう先を視線で追うと、そこにはいまもテロリストたちを圧倒しているレキの姿がある。
「おいおい、俺の獲物を取らないでくれよ」
屋敷の呆れ声が空に溶け消える中、レキはさながら矢のように飛んでくる女を迎え撃つ。
スカーレットが刀を鞘から抜いた。ガラス金属製の白刃が、月光を反射てレキの頭部に襲い掛かる。彼はその一刀を笠の切れ目からじっと見つめながら、太刀風を読みつつ、半身を入れ替えた。
レキはそのまま襲い掛かる太刀をかわすと、スカーレットに返礼の一撃を見舞う。
頭部を狙う一撃はしかし、彼女の応手によって防御された。
刀と刀のぶつかり合いで、激しく火花が散る。
太刀打ちは一度、二度、三度。そのたびに、甲高い音と火花が弾けて夜に明滅。余波のように生まれた太刀風が、周囲に冷たく吹き抜け散っていく。
その後は一定の距離を取って対峙。両者構えを取ったまま、探り合いに移る。
「……ほう」
そんな太刀打ちを経て、レキの口から漏れたのは感嘆の声だった。
巧いな、と。
それは、社交的なお世辞でも、過大評価でもない、嘘偽りない感想だった。
対峙するときの構えも堂に入ったもの。
剣術を学ばなければ決してできない構えに他ならない。
古流の中段から刀を持ち上げ、柄を自らの顔に付けるように手を置く。
右足を前に出した半身であり、剣尖は相手の左目に付けている。
多少の違いはあるものの、城郭に引き籠ったそれは、新陰流によく見るものだ。
スカーレットはその構えを取ったまま、レキに向かって突撃してくる。
刀が頭部にかかっているため、真っ向は受け流されるし、かといって胴打ちの機を見せればそのまま剣尖をこちらの頭部に突き込まれる。
レキが飛び退いた瞬間、その太刀が諸手突きに変じた。
彼の喉元に剣尖が伸びてくる。
レキがその突きを払いのけると、スカーレットはその勢いを利用して一回転。右側からの大振りの一撃を繰り出す。
「これはどうでしょうか――」
「読めているさ」
レキの刀が、竜の尾を描くように滑らかに翻り、スカーレットの刀の軌道を逸らす。
レキがそこからさらに上向きに切り返そうとするそんな中、スカーレットの袖口からワイヤーが伸びた。ワイヤーの先端がアスファルトの床を噛むように取り付くと、そこを起点に、彼女の身体が引っ張られるように加速。間一髪で、返しの刃から逃れてしまった。
「む……」
スカーレットは両腕から交互にワイヤーを発射し、縦横無尽な機動と跳躍を繰り返す。
あるいは緊急回避に利用し、あるいは斬り付ける際の疾走に加速を付け加えるように。
数回の交錯があったものの、どちらも相手の身体に太刀を食い込ませることはできなかった。
レキはスカーレットの出方を窺うように、下段に構えを取る。
……余計な軽業は多いものの、久しくなかった太刀打ちだ。こんなときでなければ心行くまで楽しんだものをと、そんなふとした残念さが、レキの胸の内にわだかまる。
仮面の女スカーレットはその内意を悟ったのか、口元に不穏な笑みを浮かべた。
「あらあなた、わたくしと同類ですわね」
「業腹だが、そうらしい」
そんな言葉を交わしながら、レキはスカーレットと斬り結ぶ。
手元を狙えば綺麗に外され。
頭や身体は遠く、切っ先は常に近くあり。
太刀筋は常に人中路を意識。
かと思えば定石から外れた逆胴までも狙ってくる。
右半身と左半身を入れ替えて相手の剣撃を外す『陰陽の足捌き』。
上半身と下半身の浮き沈みによって相手を惑わし、粘りのある剣撃を繰る『浮沈』。
右の敵、左の敵のどちらにも対応できるように機敏さと滑らかさを両立した『左右』。
己の動き、相手の動きに必ず円を意識する『円転自在』。
相手に仕掛けるような動きを見せ、駆け引きとする、機前の術である『表裏』。
脱力を操り、自在な切り返しを見せる『竜の尾』。
身体を小さく見せる『くぐまり』もしくは『縮身』。
そのうえで刀の裏に身を隠す『刀中蔵』。
手の内は軽やかに、しなやかに、融通無碍に。
どれも古流の剣士が重視するものであり、それらに則った動きをしている。
これならば、相手の動き見ないようにして盗み見る『偸眼』も会得しているのだろう。
「…………」
レキはスカーレットの足下を窺う。
意識するのは右足と剣尖、月が映し出した刀の影。やがて地面の境が曖昧になり、両者の水月が広がった。
スカーレットの水月は、薄暗い湖面に浮かぶ新月だ。
水面には境目がなく、映る月も暈が輪郭のように浮かぶのみ。
いや、ふとすればその輪郭さえも見失ってしまうかのような儚ささえある。
距離感が掴みにくい。どころか、いまどこにいるのかさえもわからなくなってしまいそうになる。
だがそれでも、確固たる斬意を感じるのはこの女が剣士だからだろう。
レキはその斬意を頼りにして、スカーレットの剣に応じる。
一撃目を受け、二撃目を外した。
すると、スカーレットが右足を前に出して右上段に構える。
レキはそれを見計らって、彼女の右半身に真っ向斬りを浴びせようと機を見せた。
その直後のこと。
極限の集中によって何もかもが停滞する最中、スカーレットの右足がレキの右側に踏み込まれた。
――外される。いや。
真っ向斬りを、相手の右側に踏み込むことで己の右肩裏の背中に外す。これはよくある手だ。だが、いまもってスカーレットの刀は右上段にあるままだ。となれば、この動きはただかわすのではなく、技を仕掛けてくる流れに相違ない。
(これは新陰流……)
レキがそんな直感を得ると同時に、スカーレットは頭上で刀を時計回りに軽く旋回。刀を右上段から上段に入れ替え、そのまま上から刀ごと、レキの右の手腕に真っ向打ち下ろしを繰り出して来る。
刀と右足、左足は揃えたように一直線。体勢も、折敷くためか沈み込むような機を見せており、間違いない。
レキはそれがわかった瞬間、すぐさま腕を左に大きく払った。
「っ、まさか!?」
鋭利な輝きが空を斬る。しかして果断の剣は、からぶった。
一方でレキは、返す刃で横薙ぎの一閃。しかしそれも、スカーレットの類稀な反応力によって回避された。
正対し直した折、レキは素直な感懐を口にする。
「驚きだな。まさかこんな時代に斬釘截鉄が見られるとは思わなかった」
「この技の名をご存じなので?」
スカーレットが困惑の色を見せる中、天御柱の方から声が飛んでくる。
「お嬢ちゃん。新陰流の技はそいつには通じないぜ」
「……っ、まさか屋敷さまもご存じであられたとは」
「まあ、新陰流、一刀流、神道流辺りのものは遣う遣わないに限らず、俺たちにとって必修科目だからな」
屋敷は笑いながら、そんなことをうそぶく。
これらは使い手が多いうえ、多くの剣術の元となったものと言える流派だ。ならばたとえ己が遣わずとも、覚えておかなければ勝ちはそれだけ遠くなる。
「にしても――」
そう言ってレキが呟くのは、新陰流の歌の一部だ。
「温良や、恭倹譲は新陰の、奥意なりけり、大事なりけり」
「あら。わたくしにはそんな教え無縁のものですわ。剣や剣術は人を斬るためにあってこそ。そうではありません?」
「そうだな。確かにそうだ」
レキは、スカーレットのどこ吹く風という態度に、素直に頷く。
同類の匂いのする女への問いとしては、間違いなく不適切だった。
新陰流を使うことが明らかとなったためか、スカーレットがその本性をあらわにする。
柄を持つ手は龍の口に、足は膝をわずかに『曲げる』だけの、直立つたる身から。
十太刀の車。
撥草の構え。
構えが種々と変化していく。
やがて間境にかかった折、スカーレットは刀を掲げ、横雷刀の機を見せた。
刀を頭上に掲げて刀の平地を向け、剣先を右に傾ける様は、まるで頭の上に三日月がかかっているかのよう。
そこから、飛びかかるような素早い一撃が繰り出される。
「撃石火」
レキは頭部を狙う真っ向を打ち落とし。
「閃電光」
二の太刀の頸部を狙う突きを撥ね退ける。
どちらも、目眩く素早い一撃だ。
五灯会元にある「此事如撃石火、似閃電光」を表したものでもある。
スカーレットはレキが言い当てたことがお気に召したのか。
「ご説明はいらないようですわね」
「ぬかせよ――」
玩弄する言葉を払いのけると、彼女の口元の笑みがさらに深まる。
己の剣技が通じないことを悟ったにしては、態度が妙だ。
「なら、こんなのはいかがでしょう?」
「む――?」
スカーレットの口元の笑みが深まった直後、周囲から音が消失する。
音が消失したせいで、感覚に不和が生まれ、レキの反応にわずかばかりのズレが生じる。
のみならず、耳から音が遠のくばかりか、世界が徐々にその色彩を失っていく。
レキにはこの感覚に、覚えがあった。
陰翳を帯びたスカーレットの面が、ゆっくりと静かに歌いあげる。
「――散る花は、苔に落として、音もなし、心しずめて、風水を聞け」
鶯渡し、無音絶界。
そんな名前が、レキの脳裏をよぎった。
直後、スカーレットが後ろに大きく飛んで間合いを開け、刀を鞘に納める。
彼女がそのまま居合の態勢を取ると、レキの水月が一瞬でスカーレットの水月に取り込まれた。
――飛剣。
レキはそんな稲妻のような直感を受け、首を横に倒すように動かした。
直後、パンっという風船を破裂させたような音が首の横を突き抜けていく。
一方でスカーレットは突きを放った姿勢のまま、仮面の向こうで驚愕に目を剥いていた。
「これが、かわされた……?」
「かわせるさ。その剣は知っている。音無の剣士が遣う遠居合の技だ」
レキがそう言い当てると、女の口もとから鼻に付くような薄ら笑いが消える。
「まさか、流派のことをご存じになられる方がいらっしゃるとは」
「やっぱりか。まさかこんな時代に五剣の人間に会うとは思わなかったが……なるほど」
レキは一人納得したように目を伏せる。
いつかまどろみに聞こえてきたあの歌が、現実のものになるのか、と。
影を追う 足の下から 目を離せ
影を見遣れば 不覚なるべし
その武術歌が表す通り、やはり彼女の足下の影が不安定にゆらゆらと揺れている。
ということは、このスカーレットという女は、音無の剣士で間違いない。
……ならば、油断はできない相手だ。銃火器で武装したテロリスト十数人よりも、レキにとってはこの女の方がよほど脅威である。
五剣の剣士とは、それほどのもの。
長らく刀を誇りとした国にあって、滅びずに永らえ続けてきた剣術の使い手である。
敵に回れば、四聖八達並みの恐ろしさがあるといっても過言ではない。当然だ。いつの時代にも、五剣のいずれかが四聖八達に名を連ねているのだから。
時折、刀身が暗影にその姿を失せさせる。常ならば月光をギラギラと反射させ、目に軌跡を残すそれも、音無の剣士にかかればまるで何事もないように隠される。
新月の夜は、決して剣士と争うなとは、さて一体誰の言葉だったか。
音無の剣士はいずれの月齢であっても、新月の夜にしてしまう。
刀身が映す目を突き刺すようなギラギラとした光は、頼りにできない。
だがなるほどとも思う。だからこそ、剣技の端々に陰流の息遣いがあったのだ。
新陰流ならば活人刀の気が強いが、なるほど音無の剣士ならば確かに殺人刀の気が強いのも頷ける。
「ということは、あんたもご同類か?」
「剣術家……という意味でならそうですが、先ほど屋敷さまと話されていたことでしたら、わかりかねますわ」
「そうか」
では違うのか。ということは、だ。音無の剣は、絶えさせぬままに続けられていったということになる。
やがて、再びの斬り合いが始まる。
刀を振れば止められ、かわされ、右を脅かそうとすれば左にすかさず逃れられる。
テロリストには捉えられない疾走も、彼女には捉えることができるか。
太刀打ちとなり、剣撃が入り始める。
レキの刀がスカーレットの仮面を掠め、一方でスカーレットの刀がレキの腕を浅く斬る。
肉薄すると同時に、スカーレットが体当たり気味に腕をぶつけてきた。
レキはそれを、同じく腕で防御するが、ワイヤーを仕込んでいるためなのか随分と当たりが強い。
痺れるような痛みに耐えながら、足腰に力を入れて、大きく弾き飛ばした。
「やりますわね」
「お互いにな」
だが、それでもお互い本腰を入れた斬り合いにならないのは、いまだテロリストが銃口を向けているためだ。スカーレットには彼らの動向を気にしている素振りがあり、当然レキの方も動きに気を遣わなければならない。
そんな立ち合いで場の状況が停滞する中、ふいにそれらを破るものが現れる。
アスファルトが振動を伝え、天御柱の後方から耳障りな機械音が響いてきた。
「む……?」
「これは……」
やがてテロリストたちの後方から飛び出してきたのは、大きく武骨な人型のシルエット。腕部に機関砲と大型のブレードを備えるそれの正体とは。
「パワーローダーだと!?」
「嘘だろこんなものまで持って来てんのかよこいつら!?」
「バカな! 一体どこからどうやって運び込んだのだ……」
リンドウたちが突如現れた闖入者を見て叫ぶ。
その一方で、顔に喜色を浮かべるのは樫野だ。
「来たか! これさえあればっ……」
パワーローダー。もともとはフォークリフトに汎用性を追加し、作業性を高めたもので、これはそれを戦闘用に改修したのだ。時折報道が軍や警察、テロ対策機構が暴徒鎮圧のために運用しているものをよく映すが、おそらくはそれの型落ち品だろうと思われる。
金属の塊とはいえ、鈍重とはまるで無縁の代物だ。脚部に取り付けられた走行用ローラーにより、舗装された道の上ならばという条件は付くが、かなりの速度で移動できる。
……パワーローダーが脚部を軽く屈めると、踵部分のローラータイヤが解放される。
タイヤがアスファルトを削らんばかりに回転し、仙波の攻撃で開いた穴を器用に避けつつ移動。横に動くときはまるでスキーのパラレルターンのようなフォームを取りながら、態勢を下げて迫ってくる。
腕部ブレードはその高出力と相俟って、鋼鉄の板でさえも容易に切り裂くことができるという。人の身体など薄い紙きれと同じだ。軽く触れただけでも切断される。
「っ、邪魔を……」
スカーレットは無粋な闖入者に、苛立ったように吐き捨てる。
であれば彼女は、少なからずこの立ち合いを楽しんでいたということだろう。
レキは機関砲の銃撃をかわしながら、しかしスカーレットに気を向けるのも忘れない。
彼女も同じようにパワーローダーとの距離を測っているようだが、このうえも斬り結ぼうというのだろう。レキの総身に確かな斬意が伝わってくる。
しかし、やはり、パワーローダーの存在は邪魔だ。
レキは剣尖を、パワーローダーに据える。
「戦いになると思っているのか!」
「さっきから似たようなことを何度か聞いたが……結局は一方的だったと思うが?」
「このっ……イカレ頭が!!」
樫野は苛立ち交じりに発砲してくるが、無論銃弾は当たらない。
レキが狙いを完全にパワーローダーに切り替えると、スカーレットは何を思ったのかレキを対象から外し、パワーローダーの方を向いた。
彼女としても、パワーローダーが動いている場で斬り結んではいられないということだろう。
機関砲を避けて動き回る。
アスファルトの上を駆け抜け。
設置物を利用して建物の上に飛び上がり。
建物の壁面を滑り落ちるようにして着地。
ウィルオーたちも同じように、機関砲の射程域に入らないよう大きく散開。
無事機関砲は当たらず、パワーローダーはそのまま後方へすり抜けて行く。
それを見計らって、ウィルオーが焦った様子で近寄ってくる。
「おいおいレキ! やべえぞどうする!?」
「俺のことはいい。余裕があるならサラさんのフォローに入ってくれ」
「そ、それはいいけどよ……お前はどうすんだ?」
「なんとかする」
「なんとかするってお前――って、うおっ!?」
「っ――面倒な……」
ウィルオーと二人そんな話をする中、反転したパワーローダーがブレードを赤熱させて迫ってくる。
馬力に任せて蹴散らそうというのだろう。
ウィルオーと共にすぐにその場から飛び退り、体当たりを回避。
パワーローダーはその場で旋回すると、ブレードを滅茶苦茶に振るってくる。
このままでは、ウィルオーに害が及ぶ可能性も否めない。
レキは自らが相手をするため、すぐにパワーローダーの前に出る。
巨大な鉄塊の前に身を差し出すなど、自殺行為だ。
袈裟掛けの斬撃が襲ってきた折、レキはブレードを刀で、円く、柔らかく受け流した。
川を下る水の流れのように。
強い風を弱める枝のように。
しなやかに。
「――くっ!」
流し切れなかった力が、レキの腕に襲い掛かる。
さすがのレキも、その重さには苦悶の声を禁じ得ない。
一方でパワーローダーの搭乗者は、目を見開いている。まさかちっぽけな刀程度に、受け流されるとは思わなかったのだろう。
パワーローダーは距離を離そうとはしない。
大きさや重量を頼みにして、圧し潰してしまおうという考えなのか。
だが、自ら間合いに入ってきてくれるのは好都合というもの。
パワーローダーはコンピュータによって姿勢制御がなされているが、二足歩行である以上、不安定なのには変わりない。片方の足でも斬り落とせば、バランスを崩して転倒する。
レキは至近距離からの発砲をかわしつつ、ブレードに我が身を与えるように、間合いに踏み込む。搭乗者が嗤った。だがそれはレキの思惑だ。斬りやすい部分を敢えて見せることで、相手の動きを操作する古流における常套手段である。
ブレードがレキの思った通りの軌道を描いたことで、レキはそれを容易く回避。
そこからさらに踏み込んで、パワーローダーの足元へ。
その場で脚部のつなぎ目を狙って刀を振るった。
レキの斬鉄の技によって、金属部が容易く切り裂かれ、バランスを崩したパワーローダーは当然のように倒れ込んでくる。
そんな折。
「――では、あとはわたくしが」
スカーレットはそれに合わせるように、崩れてきたボディに刀を一閃。斬鉄の極意も会得しているのか、それとも刀の性能なのか、特殊金属がさながら豆腐やプリンのように切り裂かれた。
配線部分を切断したのか、電流がバチバチと弾ける。スカーレットはそれを見もせずに大きく後ろに跳んだ。直後、操縦者を防護する強化プラスチック面に弾痕のような穴が開き、遅れて激しい太刀風が駆け抜けた。
パンっと弾けるように、パワーローダーのコックピットに血の花が散る。
操縦していたテロリストは頭を撃ち抜かれて絶命。一方でレキの背後には、居合の状態から剣尖をパワーローダーに差し向けたスカーレットの姿があった。
樫野が顔に驚愕を張り付ける。
「そ、そんなバカな……型落ち品とはいえ戦闘用のパワーローダーだぞ……それを剣だけで破壊できるというのか……」
樫野は目の前で起こっていることが信じられないというように、呆然と立ち尽くしている。勝利を確信していた彼にとっては、この上ない悪夢だろう。
そしてハッと気づいたように、スカーレットに向かって怒鳴り声を上げた。
「スカーレット! 貴様一体なんのつもりだ!?」
「なんのつもりもなにも、わたくしすでにこうして報酬もいただき、契約は完了したと存じておりますが? それに、いまのはわたくしごと撃ち殺そうという腹積もりだったのではありませんこと?」
「ぐっ……」
樫野は図星を突かれたことで言葉に詰まる。
すると彼はすぐに小型のレシーバーに向かって怒鳴り声を浴びせた。
わずかの通話のあと、アスファルトにレシーバー叩きつける。
それを見た屋敷が樫野に訊ねる。
「どうした?」
「どうしたもこうしたもない! もう一基と連絡がつかんのだ!」
「そういや二基一緒に出てこなかったな。こいつはトラブったかね……」
「クソっ……」
二人がそんなやり取りを交わす中、ふいにスカーレットは息を吐いて残心を解いた。
「ここまでのようですわね」
「どういうつもりだ?」
「そのままの意味ですわ。すでに潮時。この辺りで退散させていただきます」
「……決着を付けずに退くと?」
「ええ。いまのあなたさまでは、少々物足りなく」
「立ち合いは拮抗していたと思うが?」
「本心で、そうお思いで?」
「…………」
レキはスカーレットの眼光を受け止める。
無論、レキも自分の実力が劣っているとは思っていない。スカーレットに水月を見ている素振りはなく、お互い位を盗み合う動きにはならなかったからだ。いや、それも騙し合いの術である『表裏』の内だったのかもしれないが――
だが、あの仮面を剝ぎ取ることができなかったのも確かだ。
ということは、やはり消耗が見抜かれているということだろう。
それにこちらも、無理に戦いを増やす必要はない。
レキが敵意を伏せると、スカーレットの顔に笑みがこぼれる。
面白い玩具を見つけたと言うような、そんな顔だ。
やがてスカーレットは刀を納め、レキの脇をすり抜けていく。
直後、彼女の口が動いた。
「………………………………ですわ」
耳元で何かしらを呟いた女は、ワイヤーを使って飛びあがり、建物の上に着地する。
すると、再び声が投げかけられた。
「忘れておりました。あなたさまのお名前、お伺いしても?」
「鳴守靂だ」
「レキさまですね。覚えておきましょう」
「それと、一つ聞きたいことができた」
「わたくしの方は名前をお教えすることはできませんよ?」
「あのときカードを落としたのは、わざとか?」
訊ねるが、女は答えなかった。代わりに、再び薄ら笑いを見せる。だが、レキにはそれで十分だった。
残りは、屋敷を含めすでに二人。
レキが刀を向けると、樫野が慌てて銃口を向けてくる。
発砲の折、レキはすぐさま肉薄。刀を返して峰で打ち掛かった。
「ぐあっ……」
樫野は衝撃で倒れ込んだ。レキはアサルトライフルを蹴って遠ざけ、他の武器も剥ぎ取る。
やがてウィルオー、リンドウ、サラが集った。
「これで、あとは一人だな」
「んで、その一人が、あれ、と……」
「気を付けろ。あの男、他のテロリストとはわけが違う」
エントランスのステップの上から、屋敷が降り立った。
殺気らしい殺気はないものの、確かな斬意が伝わってくる。
こっちを向けと、向かねば斬るぞと。そんな意志がひしひしと感じられた。
レキは刀に付いた血を拭い、迎え撃つように歩き出した。




