第三十八話 雷神、鳴守靂
備州長船兼光、備前長船兼光。
鳴守靂、レキ。
どちらも表記しています。
――まさか、再びこうしてこの刀を握ることになるとは思わなかった。
刀を受け取った鳴守靂が抱いたのは、そんな懐かしさにも似た感懐だった。
彫られた銘は備州長船兼光。またの名を竹俣兼光。雷切、鉄砲切の異名を取る刀であり、不破家重代の宝刀。刃長は二尺八寸あり、峰に彫られた棒樋の中には三鈷柄の利剣があしらわれ、金剛夜叉明王を表すウーンの梵字が添えられている。
自身が次代の不破を受け継いだのち、ずっと一緒に駆け抜けてきたものだ。
これが再びこの手に舞い戻ったのは望外の僥倖であり、やはりと言うべきか、纏綿と続く剣士の宿命というものを感じさせた。
ふいに耳に聞こえてくる、松籟のような風の音。
それは緑化のために据えられた木々を揺らして、猛り切った場の空気を冷たく引き締めるかのように吹き抜けていく。
レキがそれらを感じたのは、ほんのわずかな時間でしかない。人が瞬きをする程度の間だ。
目を落とすと、そこにはやはり備前長船兼光が変わらずある。拵えは同じく、多少、手を加えてから戻したような痕跡はあるものの、いまはあのとき、自分があの女に斬られたときとまったく同じ、あのままだ。
ヒヒイロカネの質感もあり、寝刃も合わせてある。
これならすぐにでも敵を斬ることができるだろう。
……刀から冷厳な雰囲気が手を通して伝わってくる。
柄をしっかりと握ると、剣精が息を吹き返した。
ふいに、雷鳴が呼応する。どこか遠くの離れた場所で、遠雷が産声を上げたのだ。
雷気をまとう斬意に当てられた風が軋みのような悲鳴を上げて、周囲のものを脅かす。
――やはり、刀あってこその剣士だろう。
そんな至極当たり前のことを思い浮かべたのち、テロリストたちがアサルトライフルを構え、狙いを付ける。
その場にあったすべての銃口が、こちらを向いた。
三人が後ろで必死に叫んでいる。戻れ。逃げろ。早く。だが、そんな後ろ向きの声は、とうの昔に振り切ったものだ。すでに一顧だにする余地もない。
刀を腰に差して、鍔に親指をかけて押し出し、鯉口を切る。鍔と鞘口のわずかな間に紫電が走った。兼光を取り戻したことで、本来の力が戻ったのだ。
しかして、アサルトライフルの引き金にテロリストの指がかかるのと、足が駆け出すのはまったくの同時だった。
「撃て!」
アサルトライフルの銃口が一斉に火を噴いた。
引き伸ばされた意識の中、弾丸のいくつもが硝煙の白い筋を引いて殺到する。
一方こちらはその間隙をすり抜けるように、稲妻を描くような疾走で回避。
銃弾が頬横を掠め抜け、空気を引き裂く音が内耳をどよもす。
しかし、弾丸はただの一発も当たることはない。
こちらの速度域はすでにテロリストたちの反応を凌駕するものであり、ともすれば狙いを安定させられないからだ。
二回目の斉射が終わるまでのそのわずかな時間に、近場のテロリストに肉薄。刀を袈裟掛けに斬り付けると、白刃が鳥の鳴き声のような風鳴りの音を引き連れて唸った。
噴く血しぶき。左肩から右脇腹まで断ち切られたテロリストの身体が、遅れてずるりと滑り落ちる。
他のテロリストの意識は、いまだこちらには追いついていない。
すぐ横にあった腕を斬り飛ばす。
胴を斬り裂く。
背後に回り込み、首を飛ばした。
斬り付けの勢いを殺さぬまま一回転し、テロリストたちと正対。
一度血振りを行い、刃に付いた血糊を撥ね飛ばす。
棒樋が奏でる特徴的な風切り音が空に消えると、瞬く間に四つの死体が出来上がった。
「なっ――!?」
「これは……?」
「だから言ったんだよ。あーあー、もうどうなっても知らねえからな……」
瞬く間に作り上げられた惨状を見て、絶句する者が一人、口に手を当てる女が一人、ため息を吐く男が一人。
呆れの声は、やはり屋敷のものなのだろう。
構えを取ると、再度その刀身に紫電が走った。
「スタンブレードだ! 気を付けろ!」
ふとした折、そんな警戒の声が聞こえてくる。
どうやら連中は兼光のことを、未来のメジャーな武器と勘違いしているらしい。
確かに電撃を発する武器が何かと訊ねれば、大抵の未来の人間はスタンブレードを連想するだろう。魔剣妖刀霊刀神剣、それらの類を知らなければ、そんな思い違いをしてもおかしくはないのかもしれない。
テロリストが二人、大振りのヒートナイフを抜いて自身の前に立ちはだかる。
二方向から同時に迫ろうというのだろう。
人間はこうして同時に迫られると、一方にしか対応できないためだ。
そう、普通ならば。
レキがその場で刀を振ると、塵と舞い上がった血液が血霞となって周囲を覆う。
直後、トラツグミが鳴いた。甲高い笛の音のような声だ。それが二つ。
テロリストが鮮血を噴き上げ、その身体がくずおれる。レキに迫った二人共だ。
レキの腕は交差され、右手に持っていた刀はいつの間にか左手にある。
そう、その迅雷のような二つの突きは、誰の目にも留まらなかった。
「――不破御雷流、雷電ノ太刀、陰陽連鎖」
一方に雷が、もう一方には電が迸り、剣尖がその喉笛を貫いたのだ。
どこからか、しゃくりあげるような声が聞こえてくる。
それは、仲間の死体が次々と出来上がる惨状を前にしての恐れのものか。
それとも、銃火の前に晒しても一向に討ち取れない現状に狼狽してのものか。
「ガキが! プロを舐めるな!」
テロリストの一人が、大きく声を張り上げる。
しかし、そんな己を奮い立たせる雄叫びに、続く声は一切なかった。
紫電が地面を奔る。それは、テロリストたちにとっては比喩ではなかった。眼球では捉えられない疾走は、彼らの視覚からレキの姿を消失させ、地を這う紫電として認めさせる。
ただ兼光が発する紫の稲妻だけを目の当たりにしながら、しかし何もできず。
彼らにできることは、銃火の矛先を出鱈目に向けることくらいか。
レキは飛来する銃弾の雨あられをかわしながら、街灯の根元を切り裂く。斜めに刃が入れられた街灯は自重で滑り、右翼を固めていたテロリストたちの方へと倒れ込んだ。
「さっ、下がれ!!」
テロリストたちは焦りの滲んだ叫びの指示を聞いて、すぐに後退る。
倒壊のあと、街灯が倒れたにしては不自然なほど塵が舞い上がり、煙霧となった。
ガスか、霧か。粉塵が晴れ、レキは再度狙いを付けられる前に、テロリストたちの一塊へと飛び込んだ。
まもなく、短い悲鳴が上がる。
舞い上がった灰色の煙が、噴き出した血しぶきで赤く染まった。
それを振り払うように兼光で切り裂くと、辺りを覆っていた血霞は横一閃に切り裂かれ、すでに斬り終えていた三つの死体が、その場にどさりと倒れ伏した。
「これで七人か。残りは……十人前後だな」
小さく、言葉を呟く。平時ならば、それだけいれば脅威となる数だろうが、こうなってしまえば十や二十いようと最早関係はない。ただ一心に斬り捨てるのみと断じ、じろりじろりと歩を進める。
そんな中、空に浮かんだ月に雲がかかった。
レキは身に充溢させていた剣威を失せさせ、刀を下段に落とす。
深編笠の前部を摘まむように掴んでその位置を確かめると、広場に暗く、影が差した。
やがて、レキの姿は陰影に呑まれたきり、どこへともなく見えなくなった。
「どこへ行った!?」
「消えただと!?」
「なんだ! なんなんだアイツは!?」
テロリストたちが騒がしい声を上げ始める。どこに行った。何をしたんだ。聞こえてくるのは、そんな狼狽の声ばかりだ。
冷静に周囲を窺っているのは屋敷だけ。
他のテロリストはみな、レキの姿を捉えられなくなったことで混乱している。
そんな中、寒気がするほどに透き通った声が場に響いた。
夜に浮かぶ 二つの月は みずかがみ
月隠れれば 影もまた去る
月影の歌を詠むのは、ハクヤ・ヒジリか。
雲に身を隠した月を見上げて、その恐ろしく透き通った声で歌い上げる。
それで気付けたのは、やはり屋敷だけだった。
やがて雲が天の月から離れ、その場にあったものが再び月光のもとに明らかとなる。
レキは一人のテロリストの背後に立つと、手元の月を天に掲げた。
さながらそれは土壇場で罪人の首を落とす、首斬り役人の立ち姿か。
テロリストを転がして、地面に手を突いたのを見計らった折。
ぎらぎらとした月光を反映する刃を、真下へ一気に振り下ろした。
ごとり。電影ノ太刀を受けたテロリストの首が、アスファルトの上に落ちる。
「チィ――レーザーライフルを使え!!」
樫野が指示を飛ばすと、大きな肩に載せた
レーザーライフル。これは高エネルギーレーザーを利用した光学兵器だ。
目標物に対し、40キロワットの高エネルギーを照射して対象を焼き払うという。
未来ではレーザー生成およびレーザー制御装置、エネルギーパックの小型化に成功しているため、人間が携行して運用できる。
総重量二十キロ。相当な重量物だが、パワーアーマーや強化義肢が存在する未来世界では、さして枷ともなりえない。随分とSFチックな兵器だが、科学技術が進んだ未来では軍隊では一般的に普及している。
テロリストがレキに照準を据えると、集束レンズから高エネルギーレーザーが照射される。断続的に放たれる緑色の閃光。それらが、きら、きら、と瞬くのと同時に、レキの曲芸機動が始まった。
それは、相手にとってまったく意味不明な動きだっただろう。レキがその場で大きく飛び跳ねたあと、宙で身体をひねるたびに、レーザーがその脇を面白いようにすり抜けて行く。レーザーの輝きを軸にして、輪投げの輪がピンに掛かってその周りをくるくると回りながら落ちていくように。
あるいは胴と脇のわずかな隙間を通し。
あるいは顔面のすぐ真横を横切らせ。
あるいは角度を付けた鎬に反射させることで、光の槍をかわしていった。
着地と同時に、レーザーライフルを持ったテロリストの横合いをすり抜けながら、その身体をレーザーライフルの銃身ごと切り裂いた。
真っ二つになったレーザーライフルは小規模の爆発を起こし、その衝撃で斬り分けられた上半身が吹き飛んだ。
後方へ抜けたレキは振り向きざまに火炎と黒煙を切り払って、やはりテロリストたちに剣尖を向けた。
「か、構うな! 撃て! 撃てぇっ!」
再度、アサルトライフルから実弾の斉射が始まる。
だが、レーザーを凌げる以上は、それよりも遅い銃弾など、なんということはない。
発砲に合わせて刀を振る。レキの姿が、舞い上がった白煙に包まれた。
やがて白煙が晴れ、鼻に付く硝煙の香りがほどける。
そこには頭を傾け深編笠で顔を隠したレキがおり、彼が突き出した刀の棟には、銃弾が揃えられたように一列に並んでいた。
血振るいに伴い刀身に紫電が走ると、まるで磁石にくっ付いていたマグネットボールを指でなぞって落とすかのように、銃弾がバラバラとアスファルトに上に落ちていく。
その様を目撃したテロリストの一人が、震え声を漏らした。
身体を小刻みに揺らし、手に持ったアサルトライフルをカタカタと鳴らしながら。
「バカな……十人がかりで撃ち込んでいるんだぞ……? なのにどうして倒せない……どうしてあんなことができる……」
その恐れはまるで、武器が通用しない怪物でも相手にしているかのよう。
樫野が焦燥の表情で、背後に向かって叫ぶ。
「っ、屋敷! お前も手を貸せ!」
「俺が? この状況でか? まさか俺ごと蜂の巣にする気かよ?」
「そういうわけではないが……」
「ならさっさと銃撃を止めろ。早く俺とあいつを一対一にさせてくれ」
「そ、そう言うわけにもいかん!」
「じゃあどうするって言うんだよ? 矛盾してねえか?」
「ではこの前のあれを! あれを使えば……」
「あんな小手先の技、あの男には効かねえよ」
「だが! このままではあのガキにすべてを台無しにされかねんぞ!」
「だから俺は言ったんだよ。やるならきちんと準備しておけってな」
「うぐっ……」
樫野は言葉に詰まって押し黙るが、さらに屋敷は畳みかける。
「で、どうすんだ? まだやるのか?」
「当たり前だ!」
「そうかよ。それなら大人しく全滅しとけ。あと言っておくが、不破の剣士は剣で斬られなきゃ死なねえからな?」
屋敷は酷薄に笑っている。しかし、あくまで愉快そうに、楽しそうに。きっと他のテロリストたちには、彼の姿が悪魔のように見えたことだろう。
深編笠の切れ目から、まなざしを送る。
「仲間だと思ったが?」
「あん? そうだが?」
「にしては随分淡白なことだな」
「確かにそうだ。だが、それよりも大事なものがあるってだけだ。お前だって、そうだろう? だからそうして、俺の仲間を眉も動かさず斬り捨てて回ってる」
「……そうか。そういうことか」
「そうだ。だからさっさと倒してくれ。それが俺のためであり、お前のためだ」
「……ふん」
レキは不機嫌そうに鼻を鳴らして、再び動き出す。
樫野が声を上げた。
「矢頭ぁ!」
「おう!」
レキの前に立ちはだかったのは巨躯の男だ。手には高周波振動剣――通称悲鳴の剣が握られている。
だんびらのような形状をしており、改造しているということが窺えた。
相当な大物だが、図体がデカいためか、小ぶりに見える。
矢頭と呼ばれた大男は、耳障りな音を出す風情のない刀剣を、フェイントのようにくるくると振り回している。まるでグラディウスを扱う剣闘士だ。
だがこの大男も、当然のように剣士が見るべきものを見ていない。
目の付け所は、顔と刀ばかりだ。まずは悲鳴の剣の切れ味を利用して、刀から破壊しようと言う算段だろう。見え透いている。
刀を狙う男の動きに合わせ、刀を振り上げる。
空を切ると同時に、男の右手を斬り付けた。
「む――?」
うっすらとした金属音と共に、兼光の切っ先が弾かれる。斬った手ごたえはない。意図せず金属を斬りつけたときのような感覚とよく似ていた。
矢頭がニィと、笑う。
なるほど強化義肢か。おそらく特殊合金でも仕込んでいるのだろう。
矢頭は巨躯に似合わぬ俊敏な動きを見せ、回転させた剣の機動に巻き込むかのように間合いを詰めてくる。
こちらはその斬撃を、右半身、左半身を交互に入れ替えながら、後ろに下がりつつ回避。矢頭の動きに一区切りつくタイミングを見計らって、やはり正面から向かい合う。
突進しつつ斬りかかってくる矢頭の一撃を、横に飛んで回避。矢頭はそのまま回転する勢いで大振りの横薙ぎを繰り出し、レキはそれを閃電のような疾走ですり抜けて後方へ。
背後から眼光を送ると、すぐに矢頭は振り向いた。
矢頭は悲鳴の剣を前に出し、腕を盾にするよう持ち上げる。
その堅固な防御は城郭を思わせるが、隙がなければ作ればいいだけのこと。
矢頭の腕と刀の物打ち、視線を一直線にしながら、切っ先を揺らす。真正面から腕に向かって打ち込むぞ、打ち込むぞという前のめりな斬意を臭わせると、矢頭もそれに応えるように踏み出した。
こちらの刀を敢えて腕で受けて、止めたところを斬る算段だ。
それは特殊合金の頑強さに全幅の信頼を寄せるがゆえのものでもある。
こちらが同じ悲鳴の剣を持っていないからこその戦法だ。
そのまま、間合いを詰めて打ち掛かる。
「バカめが!」
罵倒の言葉ももっともだ。
特殊合金製の腕に鉄の剣をぶつけるなど、結果は目に見えている。
だが、金属如き斬れずして、何が尋常ならざる剣士というのか。
素直に真っ向から振り出した刀が、強化義肢を両断する。
バッサリと、まるでその道の人間が巻藁でも斬ったかのように、とっかかりもなにもない。
「なに――」
矢頭が驚愕の声を口にするのもつかの間、即座に左足を前に踏み出し、返す刃で顔面を払うように深く斬り裂く。
すると矢頭はアスファルトへと倒れ込み、数回の痙攣ののちにピクリとも動かなくなった。
切り上げた状態のまま残心。棒樋から溢れた血が滴ってしずくとなり、アスファルトの上にぽたりと零れ落ちた。
テロリストたちはすでに戦意が削がれているのか、残弾があるにもかかわらず、一発も撃って来ない。
当然だ。一発でも撃てば、狙いがそちらに向かうのだ。
手を出せば斬られるという事実が、彼らに怠惰をとり憑かせた。
レキはやはり、深編笠の切れ間から、狙いを付けるように眼光を突き刺す。
屋敷以外のテロリストたちは残らずたじろぎ、慄いた様子。
一歩前に踏み出すと、テロリストたちもまた一歩後ろへと下がった。
落ちていた服の切れ端を掴んで、刀に付いた血を拭う。
やはり誰も、撃ってくるような素振りはない。
樫野が驚愕に目を剥く。
「……なんだ。一体なんなんだあれは」
「樫野。滅多に拝めるモンじゃねえから、よく見ておきな。あれが、四聖八達の一角だ。この日本を脅かす者に、いかずちを落とす、鹿島の神の化身。絶世不抜の剣豪共、四聖八達序列七位、鳴守靂」
「な、なんだそれは?」
「剣のイカレさ。さっきお前が言っただろ?」
天御柱前の血に濡れた広場に、場違いな笑声が響く。
レキはその笑い声を気にすることもなく、解体作業へと取り掛かった。




