第三十七話 窮地に舞い降りる声
天御柱付近の普段の警備は厳重だが、サラが言うにはいまのところ周辺の防衛システムは停止しているらしい。テロリストに悪用され、逆にこちらが狙われるという事態にならないだけ、ありがたいと思うべきだろう。
そんなことを話し合ったあと、事前の打ち合わせ通りサラ・ミカガミが囮になるべく動き出した。
彼女が靴の先端を道路にトントンと打ち付けると、やがてオムニホイールが起動。踵が道路に接地したあとは、靴底から火花を散らして、一気にテロリストに向かって駆けていった。
生半な者ならば、加速の勢いに上半身が置いてきぼりになるものだが、サラの疾走はいつか見た誰かのように危なげがない。身を低く保ちながら剣を構え、氷の上をアイススケートのシューズで滑走するような移動を以て、テロリストたちに迫っていく。
警備に付いていたテロリストたちがサラの接近に気付いたのは、彼女が回り込むように彼らの前に躍り出たそのときだった。
「なんだ!? どうした!?」
「プレイヤーだ! 確かこいつはランキング上位の……」
「AI知性体だ! 撃て! 撃ち殺せ!」
テロリストたちがサラに対して敵意を発し、銃口を向ける。
そこへ、迂回して回り込んだレキたちが襲い掛かった。
「なんだ貴様ら!」
「――ぐあっ!?」
「くそっ、あっちは囮かっ!」
今更レキたちの存在に気付いてももう遅い。
レキ、ウィルオー、リンドウがそれぞれ剣撃を叩き込むと、テロリストたちは昏倒した。
瞬く間に三人を倒したあと。
リンドウが快哉の声を上げる。
「よし。これで」
「――いや、まだだ」
「なに?」
ふとした喜びに水を差されたリンドウが、レキの方を振り向く。
どういうことだと問いかけるような横顔に対し、彼が合わせるのはわずかに焦りが滲んだ表情だ。
そう、レキがそんな言葉を口にしたのは、気配があったからだ。距離が離れすぎていたからか。それとも息の殺し方が巧妙だったか。レキがそれに気付けたのは、サラに気を取られたテロリストたちの背後に回り込んだその直後のこと。
周囲から、身を隠していたテロリストたちが現れる。
「しまった……」
「くっ、一体どこに……私のセンサを誤魔化しただと」
サラとリンドウが、小さく呻く。
やはりと言うべきか、テロリストは周囲に配置されていたらしく、フェンスを背後に、まるで壁に追い詰められたかのように囲まれてしまった。
しかも、どこから運んできたのか様々な武器を持っている。
「アサルトライフルにレーザーライフル……」
「それだけではないな。軍用のヒートブレードに悲鳴の剣まで用意しているぞ」
リンドウの言葉に、ウィルオーが狼狽した声を上げる。
「マジかよこいつらここで戦争でもおっぱじめるつもりかよ……」
「おそらく抵抗されるのを想定してのものだろう。警備ロボやAIを機能停止させられなかったときのための保険だ」
「どうする、レキ?」
「…………」
そんな話をしている間も、テロリストたちはじりじりと間合いを詰めてくる。
やがて、リーダー格らしき者が前に出てくる。
色付きのサングラスとフェイスマスクを付けた男だ。
「報告にあったロンダイトの子飼いとそれに……ふん。迷い込んできたプレイヤー共といったところか? 何しに来た?」
「お前らが連れ去った女を取り返しにきた」
「貴様が例のボディーガードか。部下が世話になったようだな」
「そんな話はどうでもいい。ユウナはどうした」
「あの女AIは我々の目的のために利用させてもらっている。なに、用が済んだら返してやる。まあ、その前に貴様らは穴だらけになっているだろうがな」
「…………」
レキがリーダー格らしき男の話を聞く中、天御柱から二つの影が出てくる。
それは、行きの船で会った屋敷という男と、仮面を着けた奇妙な風体の女だった。
「あれは」
「おいおいあれって怪盗スカーレットじゃないか!?」
ウィルオーの言葉に、レキもその姿を思い起こす。
グラデーションカラーの鮮やかな髪色に、ボンテージルックを想起させるようなライダース風のボディスーツ、顔の上半分を隠す狐を模したような黒仮面。
そう、いまインターネットを賑わせるレッドハットハッカー、怪盗スカーレットの出で立ちそのままだった。
だが、それ以上にレキは彼女に見覚えがあった。
「ウィルオー」
「ああ、まさか行きの船に乗ってた女ってあれ」
「ん。どうやらそうらしい」
髪の色、背格好が同じだ。十中八九当人だろう。
そちらも、レキたちの存在に気付いたようで。
「あら? あちらの方々は……」
「なんとはなくこうなると思ってたがよ。まさかマジできやがるとはな」
スカーレットはこちらの顔を見て驚き、屋敷の方はやたらと嬉しそうににやにやしている。
「あんた、テロ屋だったのか」
「まあな。意外だったか?」
「いや、そんな気はしていた」
「だろうな。んで? 訊くまでもないだろうが、そっちはなんでこんな場所に来た?」
「女を取り返しに来た」
「そか。ご苦労なことだ」
レキが屋敷とそんなやり取りをしたあと、フェイスマスクの男が屋敷の方を向く。
「屋敷。仕事もそろそろ終わりだ。お嬢様には帰っていただけ」
「そうだな――だとよ。お嬢ちゃん」
「いいえ、私ももう少しここに居ようかと」
「あ? なんのつもりだ?」
「ただの興味ですわ。危険とわかってこんなところに来る方々が、一体どんなことをするのか、少しだけ見ておこうかと思いまして」
「そうかよ」
屋敷はそう呆れたように吐き捨てて、持っていたバッグから二振りの刀を取り出す。
それを見たサラが警戒を促した。
「気を付けろ。あれは単分子カッターだ」
「サラさんは奴のことを知ってるのか?」
「この前、警邏中にひと当てした」
「よく斬られなかったな」
「…………」
サラは答えなかったが、バイザーに隠れていない口元が、レキには幾分硬質に見えた。
ということは、冷やりとする場面はあったということだろう。
ともあれ、レキが気になったのは屋敷が手に持っている得物だった。
あの形状は刀――そう、日本刀だ。
鞘に収まった刀身には反りがあり、拵えもしっかりしている。
それこそ中身の白刃が透けて見えてしまうほど真に迫っていた。
レキが呟く。
「刀、か……」
「おうよ。俺が一番使いやすい慶長のころの作刀を真似たものだ。お前さんの使う室町初期のものとは……まあ似てるかもしれんな」
「――!? おい、あんたまさか……」
「そうだ。俺も、お前と同じ過去の亡霊ってことだ。雷神さんよ」
レキは屋敷の言葉に、小さく驚く。
雷神。その呼び名は、過去にレキが呼ばれるときに使われた、あだ名のようなものだ。
日本刀を持ち、そしてそれをこの男が知っているということは、だ。
「……あんた、俺のことも知っているのか」
「当り前だ。剣士にとって目指すべき高みに至った、百剣の第七位。まさかこうしてお目に掛かれるとは思わなかったぜ。光栄なことだ」
「…………」
レキは前世のことを言い当てられたことで、少なからず衝撃を受けた。
まさか、自分と同じような境遇の人間がいるとは思わなかった、と。
だが、それで合点がいったのも事実だった。
この男は初めて会ったあのとき、確かに己の水月を探っていたのだと。
屋敷は取り出した二振りの刀を左右の腰に差すと、一歩前に踏み出す。
「屋敷様?」
先ほどの種明かしのあとだ。このまま斬りかかって来ようと言うのだろう。
それが武界の人間の性であり、剣士の宿命でもあるのだから。
そんな風に、屋敷が前に出ようとしたとき、さらにテロリストが現れる。
「マジかよ、まだいんのかよ……」
「一体どこにこんな数が……」
ウィルオーとリンドウが後退る中、ふいに屋敷がテロリストのリーダー格を睨みつけた。
「……おい樫野。これはどういうことだ」
「撃てば終わりだ。それでいいだろう」
「よかあねえんだよ。そのときになったら、俺がやる約束だぜ?」
「屋敷、なぜそれほどあの小僧にこだわる? 剣で倒すのも銃で倒すのも一緒だろう?」
「お前らにはわからねえ話だ」
屋敷の声は、確かな怒りを含んでいた。
どうやら向こうは、意見を統一できていないらしい。
ならば――どうするか。背後には立ち入りを制限するフェンスと、コンテナがいくつか。
レキは他の三人に小さく告げる。
(……俺が前に出る。三人はその隙に後ろのコンテナの裏に回ってくれ)
(おいレキ!?)
(そんなことをすれば貴様が!)
レキの提案にウィルオーとリンドウは驚き、サラが強い語調で反論する。
(何を言っている! 君にそんなことはさせられない!)
(だが、誰かやらなきゃいけないだろ)
(ならそれはわたしの役目だ!)
(サラさんは、あの銃口の数をどうにかできるのか?)
(それは……)
(大丈夫だ。多少なら踏ん張れる)
レキがそう言って前に出た折、樫野が仲間のテロリストたちに指令を下す。
「――前方のガキに照準合わせ! 見せしめに撃ち殺す!」
「おいバカやめやがれ! 迂闊にそいつに手を出すな!」
「あんなガキがなんだというのだ!」
「だから最初から言ってんだろうが! そいつが一番やべえんだよ!」
「たかが棒切れを持ったガキ一人どうとでもなる! お前の意見は受け入れられん!」
「このわからず屋が! 俺はどうなっても知らねえからな……!」
屋敷は諦めたように額に手を置いた。
三人が後ろに駆け出し、樫野が合図よろしく手を上げる。
直後、アサルトライフルによる発砲が始まった。
レキは三人に射線を重ねないよう、横に大回りするように走りながら、弾丸を回避する。
弾丸の着弾地点がレキを追いかけてくるが、その距離は詰められない。
レキはそのまま横手に回り込み、端のテロリストの裏を取ろうと狙うが、先にアサルトライフルの狙いが追いついてくる。
「チ――」
弾丸をかわしつつ、かわせない弾丸は振り棒を使って防御する。
木片が散り、鉄芯がむき出しになる。振り棒はあっという間にぼろぼろになった。
発砲が集中したせいか、砕けたアスファルトと塵埃が舞い上がり、辺りはたちまちに塵煙包まれてしまった。
「撃ち方やめ――む?」
樫野が発砲を制止し、砂塵が晴れたそこには――レキの姿があった。
大きな怪我をした様子もなく、健在。
右半身に立ちながら、振り棒の先端をテロリストたちに向けている。
衣服が汚れ、銃弾が掠めたような痕はあるが、命中と呼べるようなものは一切なかった。
だがそれと引き換えに、頼みにしている振り棒はボロボロだ。防御に使ったためどこもかしこも銃弾で削られており、複数の場所から鉄芯の鈍い輝きが覗いている。
「バカな、当たっていないだと……」
「その程度の狙いでやられるようじゃあ剣の世界では生きていけなくてな」
「ち――よくそんなことが言える。その棒もすでにボロボロではないか。まさか、そんなもので我らに立ち向かうつもりなのか?」
「テロ屋なんざこれで十分だ」
「イカレめ」
「そりゃあそうだ。剣士はイカレじゃなきゃやってられない。当たり前の話だろ?」
「バカめ。今度こそ穴だらけになって死ぬがいい」
レキは樫野のセリフを鼻で笑うも、しかし劣勢には変わりない。
この状況も多分に考えられたことではあるが、それでも前に進まないわけにはいかなかった。
レキは改めて自問する。まともな武器もないこの状況で、この劣勢を打開できるのか、と。
状況を鑑みれば、かなり難しい。あの銃口の数だ。テロリストの言った通り、倒し切る前に穴だらけになる可能性の方が高い。
問題は、やはり武器が頼りないことだろう。
いくら振り棒には鉄芯が入っているとはいっても、これもすぐに砕けてしまう。振り棒が砕ければ、次の砕けるのは己がその身だ。
だが、覚悟はとうにできていた。こちらはすでに死んだ身。決死の覚悟というものは、もう通り過ぎて後ろにある。それに、自分の命を担保に差し出して賭けに挑むのは、これまでにもやってきたことだ。
いま考えるべきは、何が大切なのか。何を一番に考えるべきかだ。
それは自分の身か。自分の命か。いや、そうではない。あのときああして、笑顔を取り戻そうとしてくれた彼女の方が、自分の命よりもよほど尊かった。
だから、たとえこの身が砕けても。
二度目の命を失ったとしても。
確かにこの場を切り拓く。
それが己の思い描く剣士の姿であるのだから。
息を吸って、吐き出す。ふいにテロリストたちが何かを感じ取ったのか、たじろいだ。
顔が強張り、銃火器を握った手に震えがとり憑く。
斬意に当てられ、恐れ慄くか。
それを機として、レキが飛び出すか否かの、そんなみぎり。
「――だが、刀がないよりは、あった方がよかろう?」
そんな、寒気がするほどに透き通った声が、どこからともなく落ちてきた。
「誰だ!?」
テロリストの内のいずれかが、誰何の声を張り上げる。
レキが声のした方に導かれるように視線を持ち上げると、横手にあった建物の上に、白いコートを着た何者かが立っていた。
いつの間にそこにいたのか、場を掌握していたテロリストたちも、驚いている様子。
顔はフードに隠れているため判然とせず、声質だけでは男か女かもわからない。
だが、その姿を知っていたらしいサラとリンドウが声を上げた。
「白騎士」
「ハクヤ・ヒジリ……」
そう、それはこのゲームのランキングトップに名を連ねる人物の呼び名だ。順位は2位、その白づくめの姿から、白騎士の異名を取るという。
先ほどの言葉は己に向かってかけたものか。
レキがそう考えるのもつかの間、ハクヤ・ヒジリは彼の方を向いた。
「受け取るがよい」
ハクヤはそう言って、手に持っていた何かを、レキに向かって投げて寄越した。
円盤状のものに、袋に包まれたらしい棒状のものくくり付けられたそれを、さながらフリスビーを投げるかのように回転させて投げ飛ばす。
しかしてレキが受け取ったものは――深編笠と刀だ。刀は彼が生まれ変わる前に使っていたものとまったく同じ長さであり、深編笠も以前に彼が使っていたもので、切り込みが入れられた場所も、まったく同様だった。
「――!? これは……」
「汝の笠と刀だ」
「そうじゃない! なぜこれをあんたが――」
レキがハクヤにそう訊ねたみぎり、テロリストの声が飛んでくる。
「――第二射照準! 次はよく狙えよ!」
樫野が再び、発砲の命令を下す。
彼に向かって屋敷が何事かを叫んだ。
その一方で、背後からサラやウィルオーが怒鳴り声を上げる。
「君! 無謀だ! いったん下がれ!」
「レキ、早くこっちに来い!」
「おい! 聞いているのか!」
「……いや」
レキは手早く深編笠を頭に括り付け、刀に巻かれた布を解いていく。
しかしてそこから現れたのは、黒漆打刀拵の一振り。
そう、それは鳴守靂の愛刀、備前長船兼光の作に他ならなかった。




