第三十五話 ハッキング
ユウナはテロリストたちに拘束されたあと、ビークルに載せられ、淤能碁呂島のとある場所へ連れて行かれた。
そこは、先ほどリンドウが『テロリストの向かう場所』として推測した施設だ。
淤能碁呂島中央区画に存在する、このゲームの象徴でもある『天御柱』である。
違法な増改築を繰り返した高層建築。
パーツを極限まで取り払った積み木崩し。
いびつにねじれた巨大な樹木。
この施設をたとえるために使われる表現は枚挙に暇がないだろう。
だが、やはりここはレキが評した通り、まったく戦艦扶桑の艦橋だ。
いまは夕刻も過ぎた宵の頃であるため、美しくライトアップされている。
出入り口の特殊金属製の重厚な扉はすでにハッキングされて開かれており、テロリストが内部に突入した形跡がそこかしこに刻まれている。いまでこそ閉じられてはいるものの、それはテロリスト以外の侵入者を拒むための措置だ。
天御柱内部は無人であり、プログラムAIが積み込まれた作業機械によって運営されている。本来ならば侵入者の存在に各種センサーが反応すべきところだが、いまは警告音も発せず、しんと静まり返っていた。
ユウナは後ろ手に縛られたままテロリストたちに連行され、やがて天御柱の中枢部の一つであるメインルームに到着した。
そこにはすでに幾人かのテロリストが侵入しており、各々作業に従事している。
モニターをくまなく監視する者。
しきりに外部と連絡を取っている者。
忙しなくデバイスを操作している者。
メインルームには複数のモニターが設置され、淤能碁呂島全体の様子が窺える。
中でも一際大きなモニターには、港に殺到するプレイヤーたちの姿が映されていた。
「先輩……」
ユウナはモニターを見るが、レキやハレン、リンドウたちの姿はない。
そんな中、デバイスで操作をしていた女が、椅子ごとくるりと回って振り向いた。
「さ、準備完了。何からなさいます? オーダーしていただければ、いつでもいけましてよ?」
「そうか。少し待て」
「あら、よろしいのですか? 時間は有限。お金で買い戻すことができない代物です。遅れは取り戻した方がよろしいのではございませんか?」
「まだ急がなければならない段階ではない。いいからお前は大人しくしておけ」
「はいはい。承知致しましたわ」
女は、つまらなさそうに背を反って伸びをしたあと、テロリストのリーダー格らしき男の言葉に従い、待機に入る。
……女性にしては高め、すらりとした長身。オレンジの髪と赤髪を組み合わせたようなグラデーションカラーのポニーテールを持っており、いまはライダース風のボディスーツに身を包み、顔には狐らしき動物を模したような黒い仮面を装着している。
テロリストの一味とは到底思えないような風体。もちろん、『蒼褪めた手』エンブレムも見当たらない。
だが、ユウナにはその姿に見覚えがあった。
「怪盗、スカーレット……?」
「あら、わたくしのこと、ご存じでして? これはこれは……」
「ど、どうしてあなたがテロリストたちと一緒にいるのですか?」
「さあ? どうしてでしょうね?」
「怪盗スカーレットは義賊という話だったはずでは」
「義賊? 義賊でございますか? おあいにくさま、わたくしは自分からそういうことを言った記憶はございませんし、そんなことをしているつもりもございません。あなたのおっしゃるそれは、メディアやネットの憶測というもの。その根も葉もないお話を鵜呑みになるのはいかがなことかと」
ユウナがスカーレットと呼んだ女は、あでやかに笑う。
その笑みにはどこかミステリアスを感じさせる不敵さがあった。
怪盗スカーレット。
それはアジア圏で活動する盗賊にしてハッカーだ。
大企業や政府を標的とし、建造物への侵入やときにはハッキングを駆使して数々の悪事を暴き、レッドハットハッカーとして社会に貢献しているという。
過去あった、ハッカーのみで運営される抗議活動集団や機密情報を告発する匿名サイトの運営などにも似た活動だが、彼女もまた読み物に出てくるような義賊として活躍しており、そのビジュアルもあってネットなどではアイドル並みの人気を博しているという。
こうしてここにいるということは、テロリストに協力しているということか。メディアやネットで目にする彼女の活動からはかけ離れているが、これが彼女の実態なのだろうか。
いまは天御柱の一部機能を掌握したのだろう。彼女自身をデフォルメしたキャラクターアイコンが、モニター内でくるくるとダンスを踊っている。
ユウナが驚いていると、リンドウのスタッフだった男が現れる。
それは、スーツを着こなした若い優男だ。
髪は整髪料で整えられ、胸ポケットには櫛を差し、スーツやシャツにも丁寧にアイロンがけがされ、見た目はまさに企業のエリートサラリーマンといった風貌。身だしなみによく気を付けているような姿勢が、この場ではどうにも場違いな雰囲気を醸している。
「桂木さん……でしたね」
「ほう。私のことを覚えていましたか。さすがAI、記憶力だけはいい」
「あなたは人権過激派のテロリストだったんですか?」
「ええ。見たままですよ。こうして活動に加わっている以上、その括りに入るでしょう? それとも、いちいち言って聞かせなければわかりませんか?」
桂木は返答一つにも逐一ネチネチとした嫌みを織り交ぜる。
ユウナはそれをスルーしつつ、さらに訊ねた。
「……リンドウさんはこのことを?」
「あの女AIは知りませんよ。きちんと隠していましたからね。そもそもあれは、会長の思い付きで作られただけの人形ですから、気付かないのも無理はないでしょうが」
ふいに見せた皮肉げな笑みは、リンドウを馬鹿にしたものだ。
「……先ほどプロパガンダでは島を沈めると言っていましたが、本当にそんなことができるとでも思っているんですか?」
「思っていますとも。浮体を操作して、淤能碁呂島を沈める。至極単純な図式です」
「外部の人間が浮体のセーフティーを解除できるとは思えません」
「それに関しては簡単ですよ。なにせ、お前の持つ力を使えばいいのですから」
お前の持つ力。
桂木が口にしたその言葉に、ユウナは図星を突かれたような衝撃を受ける。
しかし、それを悟られぬよう、ロジカルエンジンを優位にして平静を保つ。
「……なんのことですか」
「とぼけても無駄ですよ。お前が、あらゆるAIをひれ伏せさせる力を持っているのは、ここにいる者はみな知っています」
「…………」
ユウナは周囲を見回す。
この場にいる誰もが、桂木の言葉に疑いを持っていないし、わけ知ったような表情を見せている。ということは、彼らに取っては周知の事実ということか。
だがそもそもな話、桂木やテロリストたちは何故そのことを知っているのか。
この力について知っている者はごく少数に限られる。これがテロリストたちに漏れるとは考えにくい。
だがその答えを演算するには、情報が足りな過ぎた。
ユウナが演算に詰まる一方で、桂木は強張った表情を見せる。
「私もそれを始めて知ったときは驚きましたよ。本来ならば量子AIである『MARIE』しか持ちえないようなAIへの命令権を持つAIが、こうして密かに作られているとはね」
「私にそんなことなんてできません。そもそもそんな力を持っていたとしても、あらゆるAIをひれ伏せさせるなんてこと、できるわけが――」
「よく言う。お前がその気になればどんな機械だろうと強制的に動かすことができるだろうが」
「っ……それは違います! 私が持っている権限はそんなことのために使うものではなくて……」
「ではなんのために使うというのですか? AIの日常生活に、そんな命令権など不必要だ。そして、それが必要となるのは、AIの人間への反逆のためでしかない」
「そ、それは論理が飛躍し過ぎています!」
「いいや、飛躍でもなんでもない。AIの行き過ぎた権限や能力。その結果がAIの暴走事件やヘルマン・ベッカー戦争なのですから」
桂木はそう言うと、ユウナに冷ややかな視線を向ける。
「お前の存在は、AIの人類に対する裏切りの表れだ」
「それは……」
「否定できないでしょう。実際にこうして、条約に違反した力を持っているのですから。それとも、自己を押し通しますか? お前を必要とするということは、この世界の秩序を乱そうということに他ならないのですよ? そうでしょう?」
「っ…………」
桂木の容赦ない言葉に、エモーショナルエンジンがかき乱される。それはまるで人間で言う頭部をハンマーで殴りつけられたような衝撃だった。
この力の是非は、ずっと思い悩んでいたものだ。それを改めて他人から突きつけられるということが、これほどエモーショナルエンジンを揺さぶるとは思わなかった。
電子脳の空白領域が、勝手に言葉を出力する。
いいのか。
自分は存在していても。
この男の言う通り、存在してはいけないものなのではないのか。
自己を糾弾する考えが、奔流となって押し寄せてくる。
そんな中、ふいに影が立った。
「――そこまでにしとけよ」
ユウナは声がした方に視線を向ける。
そこにいたのは、顔に傷のある男だ。細面で痩躯。背丈はレキと同程度と言ったところ。よれた戦闘服に身を包み、両手をポケットに突っ込んで、軽い猫背を思わせる立ち姿。身体には、たばこなのか甘ったるいバニラの香気がまとわりついている。
気になるのは、腰に差した得物だ。腰に二振り、日本刀を差している。
彼の言葉に、桂木が顔をしかめた。
「屋敷さん。そこまでにしておけ、とは?」
「そのままの意味に決まってるだろ」
「たかだかAIでしょう? まさか、計算機如き情けをかけるのですか?」
「別にそういうわけじゃねえよ。だが、AIだろうと女は女だ。無為にいたぶるのはやめろ」
「AIを人間と同列に扱ってどうするのですか。こいつらは所詮どこまで行ってもモノでしかないのですよ?」
「そうかもな。だが俺がお前らみたいに思想に拘ってねえのは知ってるだろ。耳障りなんだよ」
「こんなものに情を移すなど……」
桂木が、屋敷という男にそう言いかけたそのとき。
エモーショナルエンジンをかき乱すような、強烈な変調が襲ってくる。
それは以前にレキがトレーニングジムで見せたものを遥かに超えるものだ。
殺気。殺意。それらに分類される感情の発露に、誰もが身体を硬直させる。
平然としているのは、怪盗スカーレットのみだ。
「口を閉じろよ桂木。俺はお前の八つ当たりに付き合う気はねえんだ。ここで俺に斬られるか大人しく口をつぐむか、どっちか選びな」
いつの間に抜いたのか。気付けば日本刀の刀身が、桂木の首筋に当てられていた。
「や、屋敷、さん……」
屋敷の恫喝じみた行動に、桂木は気圧されたようにしゃくりあげる。
あと一言でも何か口にすれば、容赦なくその刃を首筋に食い込ませるだろう。
電子脳に複雑な演算を課すまでもない。
ユウナの電子脳にそのビジョンが、明確に出力された。
……エモーショナルエンジンは、人間の感情を再現するシステムだ。人間と同じように感情を持つのではなく、周囲の人間の感情を読み取り、その都度都度に言動から予測、そこから適切な感情を推測し、出力する。
判断材料は表情、態度、言葉、声質などを微細な変化だ。
特に感情の発露には敏感で、その知覚力は人間を超えるとまで言われている。
しかし、ここまで大きな変調はそうそうあることではない。
たった一人の感情の動きのみで、このようなことができるなどとは、異常とさえ言える。
屋敷が刀の刃を首から離すと、桂木はその場に大きく尻もちをついた。
ユウナは呆然とした様子で、屋敷の方を見る。
「あなたは……」
「……運がなかったな。恨むんなら、お前さんにそんな力を持たせた『MARIE』を恨みな」
屋敷から向けられたのは、ものを見るような冷たい視線だ。それは、人形や置物に向けるような視線をそっくりそのまま置き換えたようなものだった。
気になどしていない。気に留める必要がない。
読み取れるのはそんな感情であるにも関わらず、光、揺らぎ、微細な表情の動きから、どこか憐みのような感情も見て取れた。
テロリストの一人が屋敷に声をかける。
色付きのサングラスとフェイスマスクを付けた男だ。
「屋敷、そちらは?」
「抵抗されそうなモンはあらかた潰してきた。あとはこの島を沈めるだけだ。時間は?」
「押している。スタジアムでの時間が予想外にかかったからな」
「そうか。まあそれなら仕方ねえな」
屋敷が肩をすくめると、テロリストは訝しげな声を発する。
「訊くが、そうまでしてあの男をこの女AIから切り離さなければならなかったのか?」
「そうだ。そうじゃなかったらそのAIをスタジアムからかっ攫ってくることもできなかっただろうぜ」
「俺はそうは思えないが」
「は――樫野、お前映像見てねえのか? あいつは人間の目には捉えられない動きをするんだぜ? それともなにか? お前らは目で見えないモンも銃で正確に撃ち抜けるってのか?」
「それは……」
「奴が一足飛びで間合いを詰めれる場所にいて、接近戦を挑まれりゃそれこそ終わりだ。あの手の奴は有事になりゃ人殺しの忌避感なんて綺麗さっぱり消えてなくなる。素手だろうがなんだろうがプロテクターの隙間をやられてお陀仏だ」
屋敷はそう言うが、しかし樫野と呼ばれた男は納得がいっていない様子。
当たり前だ。常識的に考えれば、銃で制圧できないということはない。それゆえ、屋敷の過剰な危惧の理由が理解できないのだろう。
「……で、パワーローダーの準備はできてんのか?」
「そちらは必要ないだろう。協賛企業を配慮したのかロンダイトの動きは予想以上に鈍い」
「おい! 俺は準備しておけって言ったはずだぞ! まさか倉庫で寝かせてるとか言うんじゃないだろうな!?」
「……いまチェックさせているところだ。こちらも人員は限られている。後回しになるのは仕方ないだろう」
「っ、だがよ……」
「屋敷。お前は一体何を恐れている? たかが剣術の腕が立つだけの小僧一匹、それほどまでに恐れなければならないものか? どれほど身体能力が高かろうと、生身の人間などアサルトライフル一つで事足りる」
樫野がそう言うと、屋敷は鼻白んだように冷めた視線を向ける。
「樫野よ。その理屈じゃあ俺だって剣術の腕が立つだけの男だ。そうじゃねえか?」
「お前は別だ。剣二つで武装しただけでAI戦力に突っ込めるような人間を普通とは言わん」
「要はそれが他にもいるってことなんだよ」
「だがいくらなんでも改造パワーローダーは行き過ぎだ。戦力が釣り合わん」
「ち……あとから泣き言ほざいても知らねえからな……」
屋敷はそう吐き捨てると、空いていた椅子に腰かけた。
やはり彼は、レキのことを言っているのだろう。何かしら知っているような素振りだが、ユウナにそれを確かめる術はない。
桂木がスカーレットの方を向いた。
「スカーレットさん。そちらの準備は整ったのですね?」
「ええ。先ほど申しました通りですわ。いつでもいけましてよ」
「では」
桂木がそう言うと、スカーレットは椅子から立ち上がる。
すぐにユウナに対して向き合うと、顔を近付けて優しく微笑んだ。
それはまるで、看護師が注射を打つ際に患者をなだめる声のよう。
「少々失礼いたしますわ。少しの間、我慢なさってくださいましね?」
「え……?」
「私、女性には比較的優しいのですが、今回ばかりはそうも言っていられませんので」
スカーレットがケーブルを手に持つと、別のテロリストたちがユウナの腕を掴み、押さえつけに掛かった。
「な、一体なにを!?」
「簡単なことです。一番使いやすいポートを使用させていただくだけですわ」
その言葉ですぐに思い付いたのは、口内にある接続端子だった。
「あっ、がっ……!?」
ユウナはテロリストたちに無理やり口を開けさせられる。しばしの間抵抗するものの、わずかに開いた隙間から医療用の開口器をねじ込まれ、口腔部内にある接続端子部分に対してケーブルが挿入された。
「ぐっ!」
「チューブ接続完了」
「ひゃ、ひゃめへ――」
「では、ハッキング開始いたしますわ」
スカーレットはそう言うと、デバイスの入力を開始する。
「ごっ! があGぃあああAAAgいぃいいいいiiiiっ!!」
発声器官である小型のスピーカーから、苦悶の悲鳴が出力される。
それは無理やり侵入される不快感と、電気が回路を逆流するかのような痛烈な痛みによるものだ。AI知性体が備え持つ自己防衛が難なく突破され、一部プログラムの解析と書き換えが同時に進行。徐々に機能の掌握が難しくなっていく。
どこからともなく聞こえてくるのは、諦観じみた呆れの声だ。
「無理やり侵入されるのはさぞ痛いでしょうねえ? 放棄すればすぐに楽になるのですよ?」
「わ、わらひっ! はっ、ぁああGAAAA!」
「そうですか。あくまで抵抗なさると。貴女のその胆力……いえ、責任感に敬意を表しますわ」
スカーレットはそう言うと、無表情のまま作業を続ける。
ユウナの中枢へのハッキングは進み、
桂木が抵抗するユウナを一瞥する。
「……ふん。AI如きが無駄なあがきを」
「おい」
「わかっていますよ」
屋敷の咎めの声に、桂木が応える。
やがて作業が終わったのか。作業の締め括りにキーボードを強く叩いたときのような高音が室内に響いた。
ユウナは意識をシャットアウトされており、脱力したように項垂れている。
人工躯体の操作権限は完全に奪われ、脱水機能のせいで座り込んだ場所には水溜まりができているという有様だった。
「掌握できましたわ……あら? これは」
「……とんでもないな。指令権のほとんどが。セキュリティレベル7以上の権限も」
モニターを見ていたスカーレットと樫野が、そのパフォーマンスに驚きの声を上げる。
「さすがは、FI社と言ったところ……でしょうか?」
「さあな。だが、連中は裏でこんなものを作っているとは……」
樫野の背後からモニターを覗いていた桂木が、彼に促す。
「樫野さん」
「ああ。まずは手始めにオンライン中の人工躯体の停止。その後すぐに、メガフロート下部の浮体の操作だ。予定時刻まであと5分しかないぞ! 急げ!」
室内に樫野の指示が響き渡った。




