第三十四話 襲撃
スタジアムでのリンドウとの立ち合いは、レキの勝利で終わった。
勝者が敗者にかける言葉はない。
レキはその暗黙の一条に則り、スタジアムの中央から立ち去ろうと踵を返す。
思い返すのは、立ち合いのことだ。
立ち合いの最中は指摘まがいのことばかりしていたが、悪くない強さだった。
帝王流剣術という身体能力を十全に生かすことを念頭に置いた武術を駆使し、ランキング上位まで上り詰めたその実力は本物だ。おそらく並みの剣士では、彼女に勝ちを得ることは難しいだろう。
剣に向けるひたむきさがなければ、ここまでの強さは得られなかったはずだ。
これを一年にも満たない短い期間で可能としたことは、AI知性体という新しい種故なのか。
終始こちらの言ったことは理解できていないようだったが、どこかそれに気付いた節もあった。
ならば、今後の鍛錬いかんでは化ける可能性もある。
当然それは今後もどん欲に剣を続ける必要があるだろうが。
AI知性体という存在が、人間の剣士のような感覚を得ることができるのか。それはまだ不明確な領域の話だが、しかし確定していないからこそ可能性があるというもの。
つい習慣のように「つまらない」とは呟いてしまったが、こんな未来世界でも、案外自分が望んだ立ち合いが期待できるかもしれない。そんな風に思わせられるものが、彼女との立ち合いでは確かにあった。
しかし、
(この口癖はよくない病気だな……)
満足のいかない立ち合い終わりの空虚さに囚われるとき、つい口にしてしまうあの言葉。前世ではなかったことだが、いつの間にか病気となって取り付かれてしまっていたらしい。
ユウナにも指摘されたゆえ今後は気を付けなければならないなと、レキがそんなことを考えていたみぎり。
ふいに、スタジアム内に爆発めいた破裂音が鳴り響く。
「む……!?」
その音を聞いたレキは、驚いて顔を上げる。
見れば、観客席の出入り口の一部から煙がもうもうと上がっていた。
火災か。それとも事故か。観客たちも、同じようにそちらを見詰めている。
鼻をつく煙臭さに顔をしかめつつ、観客席をよく観察する。
レキが辺りを見回す一方で、いまだ近くにいたリンドウが声を上げた。
「っ、何が起こった!? 状況を確認しろ!」
リンドウは自分のスタッフに指示を飛ばしているらしい。
少女AIは焦りつつも各所に連絡を取り、忙しなく動いている。
突然の事態に観客たちにも混乱が伝播していく中、今度は各所からスモークが噴き出した。
勢いよく噴き出したスモークが目隠しを作っていく様は、まるでマジックショーでよく見る定番の演出のよう。しかし、消灯や色とりどりのスポットライトが当てられるといった演出はいつまで経っても行われない。
やがて、スタジアムを管理するプログラムAIからアナウンスがかかった。
――原因を調査しますのでしばらくそのままでお待ちください。
――AI知性体の皆様は非常時における基本要綱第一条第三項に従って行動してください。
アナウンスが繰り返される中、レキがリンドウに訊ねた。
「これはそっちで用意した演出ってわけじゃないよな?」
「当り前だ。こんな趣味の悪いプログラムがこちらのキャンペーンと思われるのは心外だ」
「ん。やっぱりそうだよな」
「っ、これは一体どうなっている……サユリ、桂木はどうした?」
リンドウが問い質すが、彼女のスタッフも把握していないのか不安そうに首を横に振る。
その後もスマートグラスを用いてしきりに呼びかけるものの、そちらの通信は途絶えているらしい。
ひとまずレキも、観客席にいるユウナと連絡を取るため、スマートグラスを操作する。
向こうはハレンも一緒であるため、問題ないと思うのだが……。
「ユウナ、そっちは大丈夫か? ユウナ?」
レキは訊ねるが、しかし返事らしい返事はない。
ザ、ザ、という小さなノイズのあと、聞こえてきたのは途切れ途切れの呼び声だけだ。
「先輩! せん、ぱ……!」
「ユウナ! どうした!? おいユウナ!?」
レキが繰り返し呼びかけるも、ユウナの声は一向に返ってこない。
スモークにジャマーでも仕込まれていたのか、何度呼びかけてもノイズが走るばかり。
最初にハレンと共に陣取った場所にもスモークは及んでいるため、ユウナがそちらに戻っていれば、巻かれたことになる。
レキが観客席に駆け上がろうとした折、かかっていたスモークが晴れた。
先ほどまでユウナが腰を下ろしていた場所に、彼女の姿はない。
そこにいるのは、ハレンだけだ。煙を吸わないよう身を低くしながら口に手を当てて、周囲を探っている。
レキもユウナの姿を探して視線をさまよわせ、出入り口の方に目を向けたときだった。
霞んだ煙の合間から、ユウナと複数人の男が姿を表した。
「これは……」
レキの目に飛び込んできたのは、都市迷彩を施した戦闘服に身を包み込んだ複数人の男だ。胸の辺りには特徴的なエンブレムが縫い付けられており、手にはアサルトライフルや拳銃など小火器が装備されている。
テロリスト。エンブレムを見るに『蒼褪めた手』のものだ。
「ユウナ!!」
レキは名前を叫ぶが、やはりはっきりとした返事はない。
スマートグラスは「んー、んー!」という抵抗の声を断続的に伝えるのみ。
ユウナは彼らに後ろ手に拘束され、口をふさがれていた。
追って気付いたのか、リンドウが驚きで叫んだ。
「バカな!? 人権過激派のテロリストだと!?」
「このタイミングを狙ってきたのか……」
ハレンもテロリストに対し何かしらを叫んでいるが、悲鳴と怒号に紛れてよく聞こえない。
テロリストたちはアサルトライフルを構え、周囲の人間を近付けないよう威嚇している。
すぐにでも迫ろうと、レキがその場から動こうとしたそのとき。
「――動くな」
スマートグラスから、制止の声が伝達される。
静かに、そしてどことなく丁寧さを感じさせる声音。
それは、レキにも聞き覚えがあった。
スモークの中から、スーツ姿の男が現れる。
それはリンドウのサポートため彼女に付き従っていた優男、桂木だった。
彼の姿を見つけたリンドウが叫ぶ。
「桂木!」
「リンドウ様。先ほどの戦いぶり、こちらでも拝見させていただきましたよ。いえいえ、無様な敗北でしたね」
「っ……そんな与太、いまはどうでもいい! 貴様一体なんのつもりだ! この状況でそこにいるということは……」
「その通り。見たままですよ」
桂木は言外にテロリストたちの仲間だということを告白する。
一方で、レキがユウナに呼びかけた。
「ユウナ! 抵抗を!」
「無理ですよ。AI知性体には、人間に怪我をさせないよう制限が課せられていますからね」
「それは」
「この女AIも、周りのAIも動けないのがいい証拠です」
AI知性体には、過去の時代の名残で、人間に対する暴力が行えないよう行動に制限がかけられている。
非常時への対処のため、ネットワーク経由で申請を行えば抵抗の許可は下りるのだが、こういった状況では手遅れということが多いため、対処法もほぼ有形無実となっている。
周りのAI知性体は――動けない。許可の申請もそうだが、彼ら彼女らは対策マニュアルや基本要綱を守らなければならないのだ。
会場にかかったアナウンスへの優先度。
自衛およびそれに伴う攻撃の制限。
それらのせいで、思うように手が出せない。
「ユウナをどうするつもりだ!?」
「この女AIは、私たちの目的のために利用させてもらいます」
「目的だと?」
「ええ。その内わかりますよ」
桂木は頷くが、それ以上答えない。
そんな中、テロリストの内の一人が彼の下に駆け寄る。
追ってスマートグラスから聞こえてくる「準備整いました」「撤収する」というかすかな会話。
リンドウにもそれが伝わったのか、叫び声を上げる。
「待て! 貴様どこへ行く!」
「いずれわかります。まあ、知ったところであなた方ではどうすることもできないでしょうがね」
桂木がそう言うと、撤収が始まる。
テロリストたちは周囲に銃口を向けてプレイヤーたちが接近しないようけん制しつつ、出入り口へ下がっていった。
ハレンも隙を窺っているような動きをするが、手は出せない。
それはレキも同様だ。銃口は三つ程度。本気でことに掛かれば、かわすのはそう難しくはないが、現状スタジアムには観客が残っているため下手に動けば彼らが流れ弾の餌食になりかねない。
ユウナを「利用する」と言っているため彼女に危害を加えることはないだろうが、だからといって動けないのはもどかしい。
だが、ここからでもできることが、まるきりないわけではない。
……持っている得物は日本刀のみ。それゆえ本身を使ったときとまったく同じようにはできないかもしれないが、尋常ならざる剣技を持ちうる己ならば、、あるいは本身を持った状態と同じことができるかもしれない。
無論それには、技が真に迫ればという条件が付くだろうが。
投影した刀を鞘に納めた状態のまま、居合の態勢を取る。
テロリストたちを横一文字に掻っ捌くようなつもりで、斬線を遠く離れた彼らに合わせ、しばしの集中。目を閉じて己の中に埋没していると、テロリストの一人がこちらの動きを見咎めて、銃口を向けたのが目蓋の裏に朧げに浮かび上がった。
命令に逆らったため、撃ち殺そうというのだろう。
しかしてレキがそこから繰り出すのは、横一閃の抜き放ちだ。
刀を振り抜いたと同時に、起こらないはずの風鳴りが音として耳に届き、テロリストの持っていたアサルトライフルが小規模な爆発を起こした。
「なにっ――く……」
「どうした!? 警備の攻撃か!?」
「違う! これは一体……」
「さっさとしろ! 退くぞ!」
運が良かったのか、テロリストの方はその爆発で怪我をした様子もない。
何が起こったのかわからず、そのまま、出て行こうとしている他の仲間に続くように、スタジアムから出て行った。
「ちぃ――ほとんど不発か」
やはり本身ではないため、横雲の技は成らなかった。
斬撃は届いたものの、思い描いた結果にはほど遠い。
テロリストたちが出入り口から出て行った折、ハレンがすぐに動き出した。
「ちっ――」
「おい!? ハレン!?」
「わたしは連中を追い掛ける! 君は念のため安全な場所に避難していろ!」
レキが声をかけるが、ハレンはスマートグラス伝いにそう言い残して、テロリストたちが消えていった出入り口に走って行った。
見れば、リンドウは半ば呆然としていた。
自分のスタッフがテロリストだったこと。それが淤能碁呂島で、こんな事件を起こしたこと。ユウナを攫って行ったこと。押し寄せてくる情報の奔流に演算処理が追いつかないのだろう。
「桂木が……いや、なぜテロリストがユウナ・ツワブキを連れ去るのだ……?」
「……前にユウナと行動していたときに、テロ屋に襲われたことがある。おそらくはそれだ」
「なんだと!? それは一体どういうことだ」
「理由はわからない。だが、実際に起こったことだ」
「なぜ、ユウナ・ツワブキが……いや、それよりもそのことは運営には伝えたのか?」
「きちんとそのときに連絡してる。もちろんFI社にもだ」
「ロンダイトにFI社、怠慢だぞ……いや、私が言えることではないか」
リンドウの糾弾の語気が弱まったのは、彼女にとっては身内が起こした不祥事だからだろう。責めるに責めきれず、もどかしさばかりが溜まっていく。
ふとそんな中、スタジアムのディスプレイにノイズが走った。
やがてチープで耳障りな機械音と一緒くたになって、画面が真っ黒な映像に切り替わる。
「っ、今度は一体なんだ……!?」
「…………」
リンドウが怒鳴る一方で、レキはそれを見逃さないよう油断なく見詰める。
やがて浮かび上がるように映し出されたのは、見覚えのあるマークだった。
黒の背景に青い手のシンボル。『蒼褪めた手』のものに相違ない。
このタイミングで同組織からの電波ジャック。いやでも関連性が窺える。
『ごきげんよう。我々『蒼褪めた手』は、これよりいままでにない大掛かりな破壊活動を行う。この活動で計算機どもの巻き添えとなり、多くの人命が失われるだろう。しかし、我々は決して人々を傷つけたいわけではない。これは、やむを得ないことと知って欲しい。謝罪しても許されることではないだろうが、人類のために、あなた方の命をいただきたい』
「勝手なことを……」
リンドウが、苦い顔を見せる中も、テロリストの演説は続けられる。
『目標は太平洋沖、100キロ海上、淤能碁呂島だ。我々は30分後、このメガフロートを沈没させる』
沈没。そう、沈没だ。果たしてメガフロートに対し、そんなことが可能なのか。
レキには理解の外にあるため、訊ねるようにリンドウに視線を向けると。
「いや、そんなことは不可能だ。メガフロートは浮体式の構造体の集合だ。沈めようとして簡単に沈むようなものではない」
リンドウが首を横に振って否定するが、それをさらに否定するかのように、テロリストからの言葉が続けられる。
『諸君らの中には、そんなことはできないと思う方もいるかもしれない。しかし我々はすでにその手段を手に入れている。それによって淤能碁呂島を浮上させている各構造体を暴走、構造体内部への注水を行う。10分後、君たちはそれが真実だと知ることになるだろう』
リンドウの否定に対し、しかしテロリストは自分たちが事を起こせるということを、まったく疑っていない様子。
「どうやってそんなことをするつもりだ。たかがテロリストに浮体のセーフティーロックを外せるとは思えん」
浮体へのハッキング操作など、常識的に考えて不可能だ。
これらは島の根幹にかかわるものであり、トラブルが起こってはならないため、厳重に管理されている。無論ロンダイトも、安全性には注力しているだろう。
そのセキュリティを飛び越えて、ことを可能とするには、それこそ『規格外のなにか』が必要になる。
レキにはそれに心当たりがあった。
「……いや、だからユウナを連れて行こうとしていたのか」
「なぜそこでユウナ・ツワブキが出てくる?」
「詳しく話していいのかわからないが、ユウナの能力を利用すれば、そのロックが解除できる可能性があるんだ」
「……? セーフティーの解除には高レベルのセキュリティ権限が必要になるのだぞ? そんなこといちAIができるはずが……」
リンドウがそう言いかけるが、頭ごなしに否定するのは建設的ではないと判断したのだろう。「いや……」と小さく前置きをして、レキに訊ねる。
「ユウナ・ツワブキはそれだけの権限を持っていると?」
「ああ、そうだ。奴らはできる確信があったからこそ、ユウナを攫って行ったんだ」
確かにユウナは『お願い』という、逸脱した権限を持っている。
今回の破壊活動も、それを利用して行おうと企んだのだろう。
そうであるなら、以前にユウナを攫おうとしていたことにも辻褄が合う。
ただテロリストたちがどこでその情報を手に入れたのかという疑問は残るが――
「だが、そんなことやるにしても一体どこでそれを……」
「セキュリティを無視することを前提に考えれば、天御柱だ。あそこしかない」
「つまり、あの中に侵入してやるってことか? あのガチガチの金属扉を破って?」
「そうだ。特殊金属製の扉の方は……開けるだけならそう難しくもないのだろう」
リンドウがスタッフに指示を飛ばす。
「サユリ。お前はすぐに本社と連絡を取れ。桂木がテロリストに加担した。報告も一緒にだ。急げ」
「は、はい! 承知いたしました!」
それを見届けたレキも、テロリストたちを追いかけようと動き出す。
そんな最中、背後から声がかかった。
「おい貴様、どこへ行く?」
「どこへ行くって、そんなの決まってる」
「まさかユウナ・ツワブキを助けに行こうというのか? それは短絡的行動だぞ」
「弟子が攫われたんだ。助けるのが師匠の役目だ」
「何をバカなことを!? 相手は武器を持ったテロリストだぞ!? 人工躯体を持つAIならまだしも、貴様は生身の人間だ! ロンダイトから方策が示されるまで待つのがこの場は最善の方策だ!」
「最善の方策が、最善の結果を生むとは限らないだろ。島が沈むのもそうだが、ユウナに何かあったらことだ」
「だからといってどうするというのだ!?」
「追いかけたあとは、決まっている」
「武装もないだろうが!?」
「俺には身体がある」
「っ、貴様こんなときにまで胡乱なことを……」
「胡乱なもんか。武術ってのはな、こういうときのためにあるんだよ。そうだろ? 有事になんの役にも立たない武術なんぞに意味はない」
「相手は銃火器を持ったテロリストだ! 武術でどうにかなるようなものではない!」
「武術は敵を倒すためにある」
「いつの時代の話だそれは! 確かに軍隊にはCQCの訓練もある。だが実際は銃火器を装備した武装集団の前には武術など無力だ。どこまで行ってもスポーツの範疇からは抜け出せん!」
……確かにそうだ。武術や剣術が銃火器に対して無力だということは、過去の歴史が示している。長槍、投石、弓、銃、砲、ミサイル、時代が進むにつれ、戦いはどんどん遠距離主体のものとなった。リンドウの言ったことは至極真っ当なものだろう。
そのうえ、未来世界ではそれらがさらに進化しているのだ。
だからこそ、彼らにとって武術はスポーツでしかない。戦いに必要なのは武術ではなく、その時代の武装を的確に運用する技術なのだと。
近接格闘技術など、形骸化した、それこそ化石でしかないのだ。
だが、それでも。
「皇帝さんはそういう意識なんだろうが、俺はスポーツをやってるなんて端から思ってなくてな」
「貴様、頭がどうかしているぞ」
「そりゃそうだ。剣士ってのはイカレだからな。皇帝さん。あんたはどうする?」
リンドウにそう訊ねると、彼女は少しの逡巡のあと。
「っ、身内のしでかしたことだ! わたしも行く!」
そう言って、走る背中に付いてきたのだった。




