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第三十一話 皇帝の剣



 EPM.core 01、通称エンペラータイプ。


 それが、リンドウ・ココノエが分類される電子脳の規格だ。

 帝王重工が開発した新機軸の電子脳その第一作目であり、これから生まれるであろうEMPシリーズの先駆けとなったモデルでもある。

 現在、稼働期間は12年と1か月だが、他のAI知性体と同様に年齢調整がなされているため、人格は21歳頃の女性として形成されている。

 世に出たあとは学習や成熟を待たずに様々な分野で活躍。

 科学や芸能、スポーツなど。幅広い分野での成功を収め、メディアの露出も多く、日本のAI知性体の中ではもっとも有名だと言っても過言ではないほどである。



……………………

………………

…………

……



 ――予測をここまで上回られたのは、世に出てから初めてかもしれない。



 それは、私が先ほどのユウナ・ツワブキとの戦いを振り返った率直な感想だ。

 まさか彼女がここまで強くなるとは思わなかった。

 以前までのユウナ・ツワブキは、データの入力さえ終われば難なく対応できる程度の実力しかなかった。

 しかし、今回の勝負では以前の勝負のときとは比べ物にならないほどの力を見せた。



 わかりやすい急所だけでなく、手首などの細々とした場所を的確に狙う鋭い剣閃。


 身体の動きを制御し、体重や威力が十全に乗せた剣撃。


 脚部や腰部の動かし方を弁えた滑らかで機敏な動き。



 それだけならば、さして驚きもしなかっただろう。

 私を驚かせたのは、彼女が見せた上位勢でも見せないような技術(テクニック)の数々だ。



 動きのパラメータを検知しにくい挙動。


 身体をワンサイズ小さく見せる構え。


 特に目を瞠ったのは剣撃の連続性だろう。剣の動きの繋がりが滑らかで途切れないため、その軌跡がまるで蛇が身体をくねらせるように見えるほどだった。



 そして最も意外だったのは、それだけの強化をこの短期間のうちに実現させたあの男だ。

 カメラ・アイの焦点にいるのは、余った髪を後ろで小さく結んだ男だ。

 年の頃は私の人格および肉体年齢基盤と同じくらいであり、一見して女にも見紛うかというほどに端正な顔をしている青年。いまは見慣れない黒の装束に身を包み、帯に洋刀にも似た反りのある剣を差している。

 今期入って来たばかりの新人であり、他のソードマンシリーズでも名前を聞かない無名の剣士。


 気に障るのは、常に張り付けているひどくつまらなそうな表情だ。この世に面白いことなどなに一つないとでも言うような、無為に生きる者の見せるような目をしている。

 今日は以前に比べ幾分マシだが、いまだその空虚さは抜けきっていないように思えた。

 そんな人間であるにもかかわらず、突如としてユウナ・ツワブキのトレーナーに収まり、トレーニングルームでは三人を瞬く間に倒して見せ、噂ではランキングも着実に上げているという。



 特にこの男の持つ剣の知識は不可解極まるものだ。

 以前にユウナ・ツワブキに施していた訓練にはまったく有効な部分が見いだせなかったが、しかし、ふたを開けてみればどうか。意味の感じられないようなそれらが、確かな形となってあらわれていた。

 歩行訓練がどうしてあのような動きにつながるのか。

 いくら計算しても割り切れない。

 どの文献、資料を読み漁っても、関連する項目は見当たらない。

 だから、私はそれを見過ごすわけにはいかなかった。

 そう、私に解き明かせない理論は、この世にあってはならないのだから。



 ……私はAI知性体の可能性を広げるために生み出されたものだ。AI知性体の進化が頭打ちにならないよう、制限のかけられた状態であっても新たな可能性を生み出せるように、ロジカルな部分に特化された規格である。

 この淤能碁呂島(おのごろじま)を訪れたのもその一環だ。ここで新型の人工躯体の性能評価を行うと共に、それを踏まえた新たな理論を構築して、AI知性体の幅広い活躍に寄与する。

 その点に於いて、ユウナ・ツワブキの在り方は私にとって新鮮だった。

 AIの根幹を成すロジカルな部分にばかりに寄らず、エモーショナルな部分を重視する。

 感情的な部分や、他者の感情に寄り添おうとする在り方だ。

 『想い』という、AIにとってはいまだ理解の追いついていないそれが、一体どんな可能性を生み出すのか。どんな伸びしろを見せてくれるのか。

 彼女がライバル企業であるFI社製だからというだけではない。

 効率やデータを重視する私には、それらは興味が尽きないものであったからだ。



 だからこそ、ユウナ・ツワブキとのバトルには強くこだわった。

 ある意味それは、ヒトで言う執着だったのかもしれない。



「…………」



 そんな身で、よくユウナ・ツワブキにあんなことを言えたものだと思う。

 一つのものへの執着は見苦しい。『想い』などAIにとって余分だ。

 きっちり私も、それらの事柄に囚われているではないか。

 サユリにしつこく、効率的でないと苦言を呈されるわけである。



 ……ともあれ、目下の相手はこの男だ。

 定められた位置に立った折、レキが話しかけてくる。



「こんなに敵意を持たれてるとはな」


「当り前だ。指導を始めてたった二週間でユウナ・ツワブキをそこまで強くしたのだ。私もここに来てから剣術を構成した身だ。見過ごせないものがある」


「自分の立てた理論が覆されるかもしれないからって?」


「その見透かしたような物言いも気に食わないな」


「それはお互い様だろ」



 いかにも「自分はわかっています」という態度が、さながらトゲのようにエモーショナルエンジンを刺激する。そんな態度を取っていいのは、この私だけなのだ。

 レキがユウナ・ツワブキの方を向いた。



「ユウナは観客席に上がっててくれ」


「わかりました」



 ユウナ・ツワブキはレキからの指示を受領して、観客席に上がっていく。

 そこに心配はかけらもない。まるで、この男の勝利を確信しているかのように、ひとかけらの疑いすら持っていない。

 グリップデバイスを操作して剣を投影すると、レキも腰に差していた刀を引き抜いた。



「帝王流剣術、リンドウ・ココノエ」


「ん。レキだ」


「流派はないのか?」


「俺の剣術は結構ちゃんぽんしててな。どれだって訊かれると困るんだ」



 敢えてはぐらかそうとするレキに対し、鼻を鳴らす。



「ふん。単に流派が敗れるのが怖いだけでは?」


「なんとでも言え。一太刀も入れさせずに終わらせてやるよ」



 スタジアムに再びゲーム領域が設定される。

 グリーンの光学ラインがリング状に展開し、床がポリゴンとモザイクを映し出したあと、ゲーム領域が構成される。



 プレイヤーネーム、リンドウ・ココノエ。


 プレイヤーネーム、レキ。



 スタジアム上部に設置された大型ディスプレイにお互いの情報が映し出される。

 片や68位、片や2469位。

 順位だけで語れば、勝負にすらならないほどの差がある。



 当然、それを見た観客からも驚きの声が上がった。



 ――え? これから2000位台のやつとやるの? どういうこと?


 ――いやいやこんなのお話にならないだろ


 ――どうする? 見てく?


 ――俺、パス。エネミー狩りに戻るわ。お前は?


 ――皇帝が勝負を持ち掛ける相手だし、一応見ておくわ



 順位の差を見て困惑する者。

 目玉の勝負が終わったので帰ろうとする者。

 興味を惹かれて視聴を続けようとする者。

 観客の動きは様々だ。



 GET READY FIGHTERS!



 まもなく、空中に試合開始を告げる赤文字が映し出される。



 バトルが開始され、会場の雰囲気に変化が訪れた直後。

 レキは無造作な体勢から、わずかに身体を傾けた態勢をとった。

 足を軽く曲げたような妙な立ち方だ。先ほど、ユウナ・ツワブキが見せた構えと同じ。しかし、彼女と違って付け焼刃を思わせず、サマになっている。

 だが、脅威として認識するほどではない。むしろ先ほどユウナ・ツワブキの動きを見ているため、参考にできるデータも取得済みだ。技量などのパラメータが彼女よりも高いことを考慮し、多少なり数値を加算するだけ。


 あとは、動きをよく視覚センサで捉えればいい。

 そう結論付けたあと。



 人工躯体に内蔵された吸排気機能を用いて潤滑液の流量を安定させ、機能に則って瞬きが行われた、そのときだ。



 ――目の前を、稲妻が横向きに走った。



 それが映像の置き換えだったということを認識できたときには、何もかもが手遅れだった。

 周囲の状況を再度認識できたときには、すでに紫の残像を引いた瞳に見下ろされていたのだから。



「あ――」



 ふとした排気が、エモーショナルエンジンを介さない音となって漏れ出る。

 私がレキを視認したときには、すでに彼は目の前で刀を振り下ろし始めていた。

 身をかわす。

 剣を持ち上げて防ぐ。

 当然のようにそれらの対処は叶わない。

 刀はすでに頭頂へと掛けられており、あとは斬られるのを待つのみ。

 やがて切っ先の映像が音速を超えるほどの超斬撃が、躯体頭部に雷が如く降り落ちた。

 頭頂から股下まで斬り下ろされ、次いで十字を書くように胴を横薙ぎに分かたれる。



 ……演算処理が追い付かずに生まれた、ヒトで言う『自失』に相当する空白時間が終わったあと。

 視覚センサが捉えたのは、空中に点滅するLOSEの文字と容量の消失した真っ赤なHPゲージ、耳障りなファンファーレ。そして背を向けて元の位置へと戻る一人の男の姿だった。



 しばらく静寂のあと、会場内が騒然となる。



 ――は? え? いま何をしたんだ?


 ――一瞬でリンドウさんを斬った……?


 ――よく見てなかった……


 ――雷がズドーンって……!?


 ――い、いまのって映像の置き換えか? こんなのリアルでほんとに起こるのか……



 観客がざわめきと困惑の渦に呑まれる中、レキが無造作に刀を振る。



「俺の勝ちだな」


「――っ!? いまのは!!」


「いまのはなんですか!?」



 叫び声を上げた折、その言葉に言葉をかぶせるように、スタッフであるサユリが声を上げる。

 彼女が一度目をこするような動作を見せて、再びレキに向かって叫んだ。



「い、いまの現象はどういうことです!? どうしたら置き換えが起こるような事態が!?」


「どうしたらもなにも、速く動いて打ち掛かっただけだが?」


「アシストエナジーを使用したならまだしも、人間にそんな動きができるわけがありません!」


「いやいや、あんたの常識をぶつけられても困るんだが……」


「チートを使ったのでは!?」



 そう、ここで誰もが思いつくのが、チートの使用だろう。ハプティックパッドのデータソースを改ざんしてアシストの制限を解放し、平時の能力を超えた挙動を可能にする。



「ん。ああ、そういうことか。チートなんて使ってない。むしろこのゲームでチートなんて使えたらそれはそれで凄すぎだろ」


「それは、そうかもしれませんが……!」


「そもそもな話、パワーアシストの機能を使っていれば映像の置き換えなんていう現象は起きないだろ? チートを使ってた方がまだ現実的なんだからさ」


「それは……」


「いまのがどうしても納得いかないんなら、運営に再判定申し込めばいい。バトル中のプレイヤーの状態は常にモニターされてるんだし、希望を出せばすぐに映像判定もしてもらえるんだ」


「っ……送ります」



 レキが指摘すると、サユリは非実体ディスプレイを操作してすぐに申し込みを行う。

 すると即座に、大きなウィンドウが空中に展開された。

 リプレイ映像が再生され、次いでスローにした映像が流れる。

 しかして、ディスプレイに映ったのは常識を遥かに超える速度の踏み込みと斬撃を見せる、一人の男の姿だった。



「ん。スローにしても、どこからどう見ても俺の勝ちだな」


「チートの痕跡は!」



 サユリが申し入れを行うと、ゲーム機能が正常に働いたか否かの検証に移る。

 やがてモニターに映し出されたのは、真度99.999999999%の数値。

 それは、チートの可能性がゼロだということを示す紛れもない結果だった。



「そんなまさか……」



 予想外の結果に、サユリは絶句している。

 これが事実だということは、いまの動きが『すべて人間の身体能力で再現したもの』ということが確定したからだ。

 これは、どういうことなのか。生身の人間の能力で可能な限界を超えているはず。いや、たとえパワーアシスト使用したとしても、先ほどレキが言った通り置き換えが起こるはずもない。

 だが、運営のAIが正確だと判断したのなら、間違いではないのだろう。



 私は剣を支えにして立ち上がる。



「っ、いまのは油断しただけだ」


「月並みなセリフありがとさん。先に言っておくがそのセリフは自分の価値を落とすだけだぞ? 多用はしない方がいい」



 レキが忠告じみた言葉を口にしたあと、サユリが心配そうな表情を向けてくる。



「リンドウ様……」


「大丈夫だ……稲妻が見えたがな」


「ん。そんな風に置き換えられたのか。面白いもんだな」



 レキはそう言って、意外そうに目を丸くする。

 ……電子脳は受け入れにくい映像を受け入れやすい映像へと置き換える機能がある。

 それは、物理学を基礎にした電子脳が、物理学では解明し切れない事柄に対する、防衛機能のようなものだ。受け入れがたい情報、割り切れない情報を瞬間的に処理し切れず、エラーの重積でパンクしてしまうのを防ぐために、こうして置き換わりが起こるという。



 世の中には、もっと速い速度で動くものがある。

 しかし、生身の人間がそんな動きをするなど、()()()()()

 だからこうして、置き換えが起こったのだと思われる。



 私が認識した映像置き換えは、横向きに走る紫の稲妻だった。

 暗闇に輝く一条が、閃電となって目の前を閃いたのだ。

 その結果が、この敗北だ。レキが口にした通り、一太刀も浴びせることはできなかった。

 だが、いまのはこちらの機能の隙間を突かれただけのこと。パラメータを再設定すればいい。たとえアシスト以上の動きでも、この躯体の性能ならばギリギリ対応できる。

 レキは再び構えを取るが、先ほどの剣を使う素振りはない。

 二度目は通じぬと判断したのだろう。所詮は奇襲の技だ。



 GET READY FIGHTERS!



「はぁああああああ!」



 開始の合図が出た直後、半身に立つ男に向かって斬りかかる。

 ただ速度だけを重視した左からの横薙ぎの一撃。

 帝王流剣術、弐式【疾風(ハヤテ)】だ。

 だが、その剣撃は難なくかわされた。

 そう、レキはまるでどの辺りで剣が振られるのか最初からわかっていたかのように後退したのだ。



 その後も連続的に剣を振るうが、私の剣は一向に当たらない。

 こちらの動きをよく見ている。素早く半身を入れ替えて身を退きかわし、私が回り込むように動いても、足を柔軟に動かして危なげなく回避。


 反面私は、レキの上体が動かないせいか、彼の動きを捉え切れない。

 先ほどユウナ・ツワブキとの戦いでも見たが、動きは彼女のものとは比べ物にならないものだ。そのうえデータが常に一致せず、状況が安定しないという妙なことが起きている。

 適正な数値が出力できず、かわされてしまう。

 まるで宙に浮かんだ鳥の羽を、懸命になって斬ろうとしているかのよう。

 剣を振っても、その剣風に煽られてふわりふわりと逃れられてしまう。



 お互い一度距離を取った折。



「その姿勢を保ったままでよくそこまで動けるものだ」


「これが修練の賜物って奴だ。歩き方って言っても、馬鹿にならないと思うが?」


「……この前の発言は取り消す必要があるらしいな」


「そうしてくれ」



 だが、観客たちのいる手前、これ以上不甲斐ない姿を晒すわけにはいかない。

 しかし、その後も何度素早い動きで斬りかかっても、受け止められ、受け流される。

 それを実現させているのが、半身の動きだ。それは理解できているのだが、繰り返しパラメータを設定しても、動きをうまく捉え切れない。


 まるで旗が風にたなびくようだ。



(ならば……)



 このままでは埒が明かないため、技に訴える。

 レキの身体ではなく、刀の切っ先に狙いを絞り、それが間合いに入ったその直後。



 ――帝王流剣術 漆式【巻雲(マキグモ)】。



 レキの刀の切っ先に対し、まるで渦を描くように剣先を動かす。

 相手の刀を巻き込むことでベクトルを操作。直後、刀を引き連れていくように剣を跳ね上げる。

 レキの刀もその動きに影響されて、跳ね上げられた。



 そして、即座に逆向きに切り返す――はずだった。



「な――?」



 こちらが切り返すよりも先に、レキの刀が動いた。

 袈裟の斬り下げが、小手に浅く入る。HPゲージの減少は軽微だが、手を斬られたためハプティックパッドの影響で、重みと反発が生まれて動きが阻害されるようになる。



 相手の剣を巻き込んだはずだった。確かな手ごたえもあった。

 しかしこれではまるで、こちらが技を使われてしまった側のようではないか。



 鏡返しに技を決められた直後、すぐさま離れる。



 ――いま何が起こったんだ?


 ――わかんねぇ


 ――リンドウさんがなんか技を使ったっぽいけど、気付いたらリンドウさんの方が斬られてた……


 ――剣がぐるってして、ええ……?



 観客たちが困惑にざわめく中、レキが口を開く。



「いい技だな」


「っ、それで褒めているつもりか? それを難なく返された手前、嫌みにしか聞こえんぞ」


「そいつは悪かった。気に障ったなら忘れてくれ」



 レキは素直に謝罪すると、すぐに妙な構えを取った。

 握った柄を腰元に下げ、切っ先を後ろに向ける構えだ。

 以前、ユウナ・ツワブキが見せたものと同じ。いや、こちらの方が、揺動が少なく安定している。

 あの状態から刀を振るならば、上段に取り上げて斬り下げるか、下段から振り回すように手元を斬り上げるか、おそらくはそのどちらかだろう。



 直後、予測した通りレキは刀を下段から刀を振り出して、私の拳を斬り上げようとしてくる。



(まったく見え見えだな)



 剣で応じて防ぐが、その後も連続で同じ場所に同じ刀を打ち付けて、圧力をかけてきた。

 こちらが足を引けば、向こうは足を進めて追い縋りながら。

 嫌がって逃げようとしても、付かず離れず付いてくる。

 確かに圧は強いが、単調な動きしかしないのであれば対策も講じやすい。

 剣撃のタイミングに合わせて腕を持ち上げれば、レキの刀は空振りする。

 そこから狙うのは、無防備な左肩だ。



 レキが空振りをした直後、刀を引いたのを見て動く。



「そこだっ――」



 剣を振り上げて左斜め下に斬り下ろそうとした、そのときだ。

 レキが予想外の動きを見せる。

 左半身から右半身に入れ替わった。私が狙った左肩が、後ろへ下がる。

 レキは動作を途切れさせることなく、右半身を前に出しながら刀を振り上げ、私の剣にぶつけるように振り下ろしてくる。


 正中線に誠実な一撃。

 剣と刀は頭上で交差し、自分の剣は外側に弾き飛ばされ、一方で相手の刀は剣の上に乗り上げて、私の手もとへと振り落ちてきた。



「くっ!?」



 ペインフィードバックで緩んだ手もとに、再度剣撃が襲う。

 手首に痛みが走ったその直後、レキはすかさず追撃の一手に移った。

 右半身が前に出た状態から、左足を前に出して左半身になり、柄を持つ手腕はバツの字に交差。切り下げた刀を、返す刀で再び切り上げた。

 股下から頭頂までの鋭い切り上げにより、身体が切り裂かれる。



 HUDに点滅するLOSEの文字。



「…………」



 声が、出なかった。



「これで勝ち二つだな」



 レキはそう言うと、スマートグラスの位置を調整する。

 すぐにチャンネルがオープンになり、通話が聞こえるようになる。



「ユウナ。いまのはどうして勝ったかわかるか?」


『はい。いまのは、先輩がリンドウさんに『上からの斬り下ろし』をさせたからではないのでしょうか?』


「その通りだ。わざと動くことで、相手が打ち込んで来やすい場所、俗に言う『隙』を作り出す。いまのは左肩や左肩裏の背中、左わき腹、左足が挙がるな」


『先日先輩が私に使った技でしたね』


「そう。あのときのは(がっ)()って右拳を引き斬り、喉を突いたな。相手の剣撃が左肩裏の背中を狙う薙ぎ払いなら、後ろ足を軸に半身を入れ替えてかわし、拳を斬り落として是極の技で勝つ。ま、やり方は様々さ」



 レキはユウナに一通り説明すると、こちらを向く。



「相手にわざと有利を取らせ、相手を動かし、それに応じた手段で斬る。相手を自分の思い通りに動かすことが、剣術の要訣の一つだ」


「わたしはお前の思い通りに動かされたと言うと?」


「その通りだ。さっき皇帝さんは最初から最後まで、自分が勝てるって疑わなかっただろ? だから俺の下からの太刀を外して、打ち込みやすい左肩を狙えば勝てる。そう踏んだはずだ」


「……思考の先読みということか」


「そんな上等なもんじゃない。自分がどう動けば相手がどう動くのかっていうのを知っていれば、考えるまでもない。理詰めで動くような相手なら特にな」


「なぜ私の剣だけ弾かれた」


「そこまで話す義理はないな」


「っ、抜かせ。もう一度だ」


「いいぜ。俺はあんたが負けを認めるまで斬り続けるだけだ」



 開始のカウントダウンが、レキは再び中段に構える。



「リンドウ様! アシストエナジーの使用を!」


「いらん!」


「ですが!?」


「そんなものを使ってこの男に勝っても意味はない!」



 ……私も、ゲームでパワーアシストを使用しないという制限を設けたつもりはない。普段のバトルでも必要だと思えば使っているし、上位陣のとの戦闘ではそれに大きく助けられたこともある。

 だが、この相手に使うのは違うのだ。この男は自分の剣術に誇りを持っている。今後もゲームでアシストエナジーを使うことは決してないだろう。

 そんな相手にパワーアシストを使って勝っても、真の勝ちを得たことにはならない。



「俺は別に構わないが」


「勝てると言うのか」


「勝てるさ。本気出してないのは見てくれでわかるだろ?」


「強者はどんな事柄に対しても全力でことに掛かるものだ。思い上がっていると思われてもしかたないぞ?」



 私が挑発的に口にすると、レキは鼻白んだように吐き捨てる。



「知るか。全力を出させたかったらそれに見合う実力を付けて来い。誰にでも常に全力を尽くすのが戦士の礼儀だ? 自分がそれに見合うだけの力を持たない理由を相手の増上慢にすり替えるなよ。語るんなら剣で語りな。立ち合いに勝ちと負け以外のものを持ち込むなんざ余分があったら剣のことだけ考えてりゃいいんだよ」



 レキはそう言うと、構えを取った。

 そしてその状態から、足裏をスタジアムの床に摺るように動かして、じりじりと迫ってくる。

 どうするか。いや、待っていては術中にはまる。ならば、こちらが先手を取るしかない。

 レキは刀を繰り返し小さく振っている。

 それでリズムを取っているのか。



 私はそれに合わせて動こうと考えた、そのとき。

 気付けば先に、レキの方が動いていた。



「――!?」



 対応は、できなかった。すでに電子脳から人工躯体へ指示を出し終えている。AI知性体にとってはマイクロ秒にも満たないほんのわずかな入出力の間隙を縫って、この男は攻めてきたのだ。

 当然再度指令を発しても間に合わない。

 即座に間合いを詰められ、喉に切っ先が突き込まれた。



 HPゲージが三分の一減少。

 だが、まだゲージはグリーンゾーンだ。

 体勢を立て直して仕切り直しもできる。

 だが、直後のレキの動きがあまりに速すぎた。

 後退の一歩と同じ距離を詰める戦慄の追い足が、私の背筋を寒からしめる。



 踏み込みと同時に、左への大振りの横薙ぎが私の剣に炸裂。強烈な一撃に剣がはじき飛ばされると同時に、レキはその有り余る勢いを駆ってその場で飛び上がるように横一回転。それはさながら、その場でフィギュアスケートのアクセルジャンプを決めるかのよう。

 回りながら刀を取り上げると、回転の余勢を十全に使い、袈裟斬りに斬りかかってくる。



 剣を弾かれて無防備にさせられた私に、防御する術はない。

 体勢を崩されてかわすこともできず、私は身体を引き裂かれた。



 LOSE。



 都合三度目となる敗北の文字。

 それを見た観客たちも、驚きをあらわにしていた。



 ――すげぇ!!


 ――なんだいまの技!?


 ――リンドウさんが負けた……


 ――もうこれで三回目だろ!? どうなってんだよ!?


 ――なあアイツめちゃくちゃ強くないか!?



 レキは再びチャンネルをオープンにしたのだろう。

 ユウナ・ツワブキの声が届く。



『すごい技ですね……』


「いや、最後の方はさして重要じゃない。いまの戦いで注目しないといけないのは最初の方だ」


『最初……先輩の突きが綺麗に決まったようでしたが?』


「あれは、皇帝さんが俺の刀の動きを見ていたのを読んで、先々の先を取ったものだ」


『先々の先……ですか?』


「相手が動く前に打つのが先々の先だ。相手の()()()の機微を読んで、先手を取って相手を倒す」


『え? ええと……』



 ユウナ・ツワブキは質問が出来ずに言葉に詰まる。当たり前だ。先に打ちかかった方が強いという話は、あまりにも常識的な話だからだ。至極真っ当、当たり前のことを、とてつもなく重大なことのように語っているため困惑している。



 だが、この男が言う()()()()()は、そこではない。

 それはおそらく、立ち合った私にしかわからないことだ。

 するとレキは、私が気付いたことに気付いたかのように、流し目を向けてくる。



「皇帝さんにはわかったか?」


「ッ、貴様……やはり先ほどのあれは意識して行ったというのか?」


「そうだ。そういうところがすぐわかるのは、さすがAI知性体ってところか」



 断言するレキに、私は叫ばずにはいられなかった。



「どうしてそんなことができる!? そんなほんのわずかな意識の隙間を狙うなど、できるはずがない!」


「そんなことはないさ。身が懸かる前に気が懸かる。身の起こりよりも気の起こり。身体の動きの起こりよりも先に心の起こりがまずある。相手の心の起こりを読み取ることができれば、必ず相手の動きの起こりに先んじて、ああして切り伏せることができる」


「また胡乱なことを……」


「胡乱なものか。心が動けば、無意識のうちにそれが身体の動きに現れる。腕を動かそうと思えばまず肩が動き、連動する場所やその部分が予備動作を取る。膝をどれだけ曲げればどの位置に来るか。肩や(ひじ)の内側が動けば剣はどう振られるか。見れば全部喋ってくれるぜ。皇帝さんの身体はおしゃべりな方だ」


「…………」



 何を言っているのか。話の後半からまったく理解が及ばない。

 予測AIですら、そんなことは演算しきれないし、そもそも見れば喋ってくれるというのは、一体何をたとえたものなのか。

 さながら未知の生物と会話しているかのような気にさせられる。



「それと、皇帝さん。切っ先ばかり見るのは良くないな。剣を見るのも間違ってはいないが、相手の拳や(ひじ)の内外、肩先を見ることも重要だ。特に、負けが(かさ)めば視界は思った以上に狭くなる。心を落ち着けて、目附(めつけ)はひとところに定めないことが大事だ」


「……そんな話、私が聞くと思うか?」


「いますぐに聞けってわけじゃない。あとでなんとなくでも思い出してもらえばいいさ」



 レキは一度チャンネルを閉じ、ユウナ・ツワブキと何かしら会話をしたあと。



「どんな武術でも、先々の先というのは最も尊ばれるものだ。相手の動きに先んじて、相手が何もできないうちに勝利を収めるのがこれを言う。最初に遣った掣電ノ太刀(ひくいなずまのたち)がこれに当たるな」



 いまの話に出てきたのは、例の瞬時に間合いを詰めた技のことだろう。

 あのときも、レキは狙いすましたかのように、意識的な空白を狙って斬りかかってきた。

 つまりこの男は、AIでも読み取れないような何かしらの情報を読み取れる力があるということだ。

 もはや手段は選んでいられない。

 この男を倒すには、やはり技を使わなければならないだろう。



 GET READY FIGHTERS!



 無言のまま、再度バトルを申し込むと、レキも無言で応じる。

 先ほど『負けを認めるまで斬り続けるだけだ』と言った通り、こちらの申し込みにことさら文句を言うつもりはないのだろう。



「さっきとは気迫が違うな。目が斬意でぎらついてる」


「私のカメラ・アイはいつもと同じだ」


「目が剣を捉えるから、そういう光を反射するのさ。それは人もAIも同じだよ」



 レキはそんなことをうそぶいたあと、



「皇帝さん。何かしてくる腹積もりだろ?」


「そうだ。これから貴様に使うのは帝王流剣術の奥義だ。いまだランキング上位陣にしか使ったことのないものだ。光栄に思え」


「奥義か……それ、先に言っていいのか?」


「言ったからといって止められるものではない」


「ん。確かに奥義ってのはそういうもんだな」



 かく乱気味に左右に動き、レキの視線を惑わしたあと、気合を発する。



「ゆくぞ! 帝王流剣術! 玖式【天津風(アマツカゼ)】!」


「おいおい天津風とは……随分大きく出たもんだ」



 走り込んだまま、全力で飛ぶ。躯体の機能解放によって可能となった跳躍により、さながら前方宙返りに一回ひねりを加える要領で、空中で上下逆さに反転し、その状態から腰を回して旋転。ひねりの勢いを剣に載せ、逆しまになった状態からすれ違い様に横薙ぎを放つ。

 相手の視界から消失してからの、首への横薙ぎの一撃。



 レキの口元が真一文字に結ばれる。

 それはまるで、さして面白みのないものを目の当たりにしたかのよう。

 次いで剣に走ったのは、強い衝撃だった。



「――ッ!?」



 レキの挙動は――見えなかった。

 構えた状態からどう剣撃を行ったのか。間の行動が省略されてしまったかのように、まったく記録に残らない。見えたのか。それとも見えていなかったのか。残らなかっただけなのか。

 剣が弾かれた勢いでバランスを崩し、そのまま床に墜落する。

 すぐに受け身を取って床を転がり、相手の圏内から退避した。



 ――リンドウさんの奥義を止めた……?


 ――すごい動きだと思ったけど、なんか勝手に墜落したような……?


 ――え? 普通に打ち掛かって、え? あれそんな簡単に止められるもんなの?


 ――【AI師匠】もあれは止めるの難しいって言ってたのに……



 止められた。その事実が確かな衝撃となって、私の頭を痛打する。



「こ、この技を止めただと……?」


「そんなに驚かれると逆にこっちが困るんだが」


「天津風は人工躯体の能力の限界点に挑んだ技だ! 速度は貴様のあの動きには及ばないかもしれないが、それでも簡単に止められるものではない!」


「そうだな。確かに言う通り、普通の身体能力じゃ絶対に出せないし、止められない技だ。だが、技っていうのは動作が多くなるとそれだけ隙が生まれやすいものだ。特にいまみたいに奇を(てら)ったものは、動作が多くて隙になる部分も多い」


「だからといってこうも簡単に崩すなど……」


「そういう頭を飛び越える跳躍技は腐るほど見てきたからな」



 ……この天津風は、淤能碁呂島でのこれまでの活動の集大成とも言うべき技だ。

 多少曲芸じみたきらいはあるが、相手の視界を切り、速度の乗った宙返りで頭上を越えることで相手の視界から消失。その状態からのひねりによって剣撃に体重が十全に乗せ、首を断つ。

 確かにいまだ調整が完璧ではなく、改善の余地を残した技だが、そんな粗削りなままでもランキング10位を追い詰めた実績がある。


 新人でなくとも止めるのは至難のはず。

 そもそも、一体どこで似たような技を見てきたのか。

 他のソードマンシリーズでも、無論この島にも、このような技を使う人間などいないはずなのに。



 私は再び立ち上がり、剣を構える。

 そして、レキの周りを回るように動き、隙を探る。

 一方でレキもそれに応じて、片足を軸にしてその場で回り、私を視界に入れたまま離さない。

 しかして私は――打ち込めない。いまのレキは左半身を前に出しているため、左肩裏の背や左足が空いているのにもかかわらず、それを隙だと認識できないのだ。



 またこの男の思い通りに動かされているのかと勘繰ってしまう。

 まるで『ここに打って来い』と()()()()()()()()()()()



 ――見れば全部喋ってくれるぜ。


 ――皇帝さんの身体はおしゃべりな方だ



 無意識領域が自動更新され、ログが自動検索される。

 情報と情報が紐づけされるが、なんのことなのか即座に答えが出ない。



 言われている。喋ってくれる。おしゃべりな方。エラー。エラー。エラー。エラー。



 ……ダメだ。これ以上演算が追いつかない状況が重なると、エラー多発でパンクしてしまう。演算するな。論理的に解決しない情報はすべて凍結しておけ。いまできることをやるだけだ。目の前の答えだけ求めろ。いま見なければならないのは、この男の隙だけだ。



 だが、私がそれに(したが)って打ち込めば、レキはすぐに体勢を入れ替えて応じるだろう。

 どう動く。どう動けばいい。どこに踏み出しても、どこに剣を振っても外れる予測しか計算できない。

 考えが堂々巡りになって、どこへともない闇の底へと沈んでいく。



「闇雲」



 レキがこちらの思考を読んだように、ふっと呟く。

 すると、まるで魔法の呪文でも囁かれたかのように、失敗の確率が高まった。

 斬り込めない。下手に斬り込めば囚われる。どれだけ電子脳を働かせても、不確かな確率だけが算出されるばかり。

 それどころか、攻めようとしていないと逆にこちらが倒されてしまうような、そんな気にさえさせられる。

 これはエモーショナルエンジンがロジカルエンジンよりも優位になった結果なのか。

 仕掛けようとしているのはこちらはずだ。なのに、仕掛けようとしないと負ける。

 身を守るために攻めているなど、これではまったく立場が逆ではないか。



 ふいに、レキの構えが緩んだ。

 それを見て大きく後ろへ離脱する。



「はぁ、はぁ……」



 気付けば、人工躯体が息切れと発汗機能を再現していた。

 ……確かに、上位勢と打ち合えば、これらのことは起こり得る。だが、勝手に動かされて汗をかくなど未だかつてなかったことだ。

 レキは刀を構えたまま、常に自分に正対するよう回っているだけ。なのにこちらは、起こるかどうかもわからない不確定な未来を恐れてひたすら走らされている。



 ――怖がっている? この私が?



 直後、エモーショナルエンジンとロジカルエンジンのパラメータが拮抗する。



「ッ――私の剣は帝王流だ! 運動科学と人体工学に基づいて私自ら構築した最高の近接格闘術だ!」


「それは、人の身体の動きが最高のパフォーマンスで発揮される動かし方か?」


「そうだ! 常に最高の状態を引き出せれば、相手を倒すことができる! 当然の帰結だ!」


「確かに、それも答えの一つだろうな。力の配分を考え、細かく分析して、機械的な戦いを可能とする。だが、剣術は身体の動かし方だけで勝てるわけじゃない。これが戦いである以上、兵法が必要になる」


「兵法だと!? 軍隊を動かすための古臭いドクトリンなど剣術のどこに必要になると言うのだ!?」


「皇帝さんの言っているのは、大きな兵法のことだな。俺が言ってるのは小さな兵法のことだよ。考え方はどちらにも通じているんだが」


「っ、そんなものが必要だとは思えんな」


「それが必要だってことがわからないのは、いまの皇帝さんには何も見えていないからだ。俺の手の内、身体の動き、悪い癖、剣の置き所、特に重要な水月さえも。一つ見えていないだけで大きく変わるそれらが全部見えていないのなら――勝てる道理はないだろうよ」


「剣を動かしてもいないのに勝負がわかるなどあり得ん。実数が出ていない以上、それは虚構でしかない」


「だから剣を合わせる前に終わってるんだ。それらはすべからく剣を動かす前に弁えてしかるべきものだからな。兵法もそうだろう? 戦い始める前に勝敗は決まるんだ」


「ようやく理解した。問答で煙に巻くのが貴様のやり口というわけか」


「そうだな。確かに皇帝さんにはいまの俺の言葉はただの問答に聞こえるだろう。それっぽい言葉を、それっぽく並べ立てただけにしか聞こえていないはずだ」


「認める割には譲るつもりはないらしい」


「当たり前だ。俺はこれまでそうやって勝ち続けてきたんだからな」



 レキの確かな自信を匂わせる言葉を口にすると、何を思い立ったのか。



「じゃあ、ちょっとだけ見せてやるよ」



 突然、踵を返してその場から離れ始める。

 無防備な状態で、背を向けることになんの危機感もなく。

 そして「この辺りか」と小さく呟いてから、よくわからないことを口にした。



「――いま俺は、水月を取り、位を盗んだ」


「……? なんの話だ?」


「つまり、こういうことだ」



 レキがそう言ったその直後。

 一拍子の間すらなく、私の肩にとん、と刀の峰が置かれた。



「――――!?」



 反応する間もなかった。いつの間にか間合いを詰められ、肩に刀が載せられたのだ。



「な、ぜ……?」


「ん。いまのは、刀を振り出しても届かない位置だと思っただろう? だが実際は、皇帝さんは俺の間合いに取り込まれていた。これが位を盗むということで、皇帝さんが水月を見ていない証拠なんだ」


「バカな!? 届かない距離というのは事実のはずだ!」


「いいや。剣の間合いっていうはなにも、刀の長さに腕の長さを足したものじゃない。膝を曲げればバネの働きによって一歩の距離は伸びるし、いくつもやり様はある。それは見た目の距離感だけでは測れないものだ」



 意味が解らない。

 間合いは刀の長さと腕の長さ、股の開き具合、腰のひねり、それらを統合したもの以外にないはずだ。それ以上は物理的な話から飛躍してしまう。


 レキは私の肩から刀を外して、再び離れる。

 そして今度は先ほどよりも近い場所で、口を開いた。



「水月を取った」



 それで一体何が変わったというのか。

 そんなことを思考している間にも、レキはゆったりとした動作で動き出す。



(く……)



 こちらが先んじて剣を振り出そうとするも、なぜか間に合わない。

 相手の動きは先ほど閃電が走ったときとは比べ物にならないくらい遅いはずなのに。

 そのせいか、動きが速いと錯覚してしまう。

 刀を剣で受けられず、肩の同じ位置に再び刀の峰が載せられてしまった。



「……速、い?」


「いまのは剣を合わせるのに、手が間に合わなかったから速いと思っただけだ。皇帝さん自身が勝手に遅れてただけだ」


「勝手に遅れただと?」


「呼吸や拍子が合わない位置にあったからだな。剣を振るのにも、タイミングっていうのがあるだろ? 踏み込む前に一呼吸おいてっていうやつもいれば、地面を強く踏むやつもいる。皇帝さんの場合は、ほんの些細でもステップを刻むとかな。勝つには、そのステップの隙間を突ける位置にいればいい。ステップはリズムを刻むものだ。リズムが相手と合わなきゃ気持ち悪い。気持ち悪くなりゃ、剣は無意識の内には振れなくなる。タイミングを合わせようとする作業を噛ませる必要が出てくるわけだ。そうするとどうしても剣を動かすのが遅れてしまう。いまの皇帝さんみたいにな」



 レキは刀を肩に担いで、また背中を見せる。その無防備さに苛立ち、斬りかかろうとしたとき、レキは気怠げな様子でちらりと肩越しにこちらを見た。それで踏みとどまってしまう。どんなに無防備であっても、誘いのように思えてしまうからだ。



 そして、



「水月を取った」



 再びその言葉が口にされた。

 今度の位置は初めのときよりももっと遠い。刀は決して届かないはずだ。

 それに合わせて私も動く。今度は距離があるため、一瞬で決まるということはない。

 無論最初の技を使われればその限りではないが、言動からそれを使う素振りはないことは判断できる。



 レキの動きに合わせて大筋で距離を測り、間合いを詰める。

 一歩、二歩。徐々にお互いの距離が狭まる中、やがて目測が定まっていく。

 このまま動いても、レキを間合いに捉えるのに半歩合わない計算になる。

 ならばと、それを合わせるために歩幅を調整しようと動いた折。



 それよりもさらに早く、レキが動き出した。

 再び、こちらの挙動を読んだかのように先んじられたあと。

 喉元に刀の切っ先が突き付けられた。



「ッ――!?」


「いまのは距離感が合わない位置にいたからだな。踏み込みの歩幅が合わないと、それを合わせるための工程を必要とする。これもさっきのリズムの話と似ているな。嫌だ。気持ち悪い。このせいで、自分の剣は届かなくて、相手の剣は届くってことになるわけだ」



 距離感が合わない。確かにそうだ。だからこそ、調整という作業を噛ませたのだ。

 だが、それが事実だとすると。



「……お前は本当に人間か? そんなもの視覚だけで正確に測るなど人間にできるはずがない」


「そんな数値なんて俺にだって出せないよ。要はなんとなくだ。だがその『寸分たがわぬなんとなく』ってのが、俺たち剣士にとって絶対に必要な感覚なのさ」



 レキはそう言うと、スタジアムの床を眺めるように目を伏せる。



「……皇帝さん、あんたの見せる月は、綺麗な弓張り月だ。上弦は弧を引かず、真っ直ぐ正確な線を引いている。論理に正しく、一切のブレがない。剣の正確さ、動きの正確さがある反面、意外性もなくてまったく余分がない。あんたはずっと、論理的に生きてきたんだろうな……」



 抽象的な言葉が多く、明確な指摘がない。

 だがそれでも、いまの言葉が私の人格を見透かすようなものだったということは理解できた。



「……お前には一体何が見えているというのだ」


「俺が見ているのは剣士が見るべきものだけさ」


「剣士が見るべきものだと?」


「そうだ」



 そう言ったあと、レキは独特な韻を踏んだ歌を口ずさむ。



   立ち合いに 思い(もう)ける 水と月

           影を映せば 太刀は届かぬ



 その歌は、一体何を示すものなのか。

 訝しげに睨んでいると、レキが口を開く。



「水月。五観一見の一つだ。これらを見られない者は、見られる者には決して勝てないのが、剣の世界の理だ」


「……っ」



 その言葉は、暗に『お前では俺に勝てない』と言っているのか。

 いや、その通りなのだろう。どう計算しても、勝ち筋が見つからないのだから。



 レキが、口を開く。



「それで? まだやるか?」


「いや……私はお前に勝てない」


「なら、約束は守ってもらおう」


「……いいだろう。以前にお遊戯と言ったのは取り消そう」


「よし。なら、俺がこれ以上言うことはなにもない」



 ……敗北を宣言した直後、メニューを操作すると、大型ディスプレイに降参を示すSURRENDERの文字が浮かんだ。

 一拍遅れて、スタジアムに勝利のファンファーレが鳴り響く。



 気付けば、悔しさからグリップデバイスを握り締めていた。

 ……確かに、この島では勝利ばかりではなかった。一日の長がある上位勢には敗北も普通だし、油断すると同じランク帯に位置する者にも負けることがある。

 だが、勝負で挫折感を覚えたのはこれが初めてだ。

 ここで構築した帝王流も、剣を用いた格闘技術として理論立てて作った最高傑作だと、そう思っていた。だが、この男にはまるで通用しなかった。



 レキはさして嬉しくもなさそうに、刀を一度その場で振り、手慣れた様子で鞘に納める。

 そして、



「……やっぱり、つまらないな」



 そう、小さく言葉をこぼしたのだった。




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― 新着の感想 ―
[良い点] 奥義の途中でスッと真顔になられて対処されるの絶望的すぎる…
[気になる点] 全然謝ってもない件。
[一言] 皇帝さんの身体はおしゃべりな方だ ウス=異本かけそうね
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