第三十話 ユウナの戦い
「はぁあああああああ!」
「あぁあああああああ!」
ユウナの刀とリンドウの剣が衝突する。
立ち合いが始まってすぐのぶつかり合いだ。機や間を測るような機微のない、お互いの剣撃を確かめ合うような袈裟斬り同士の激突である。
その太刀打ちに合わせるように、システムは火花のエフェクトを豪快にまき散らし、激しい金属音を響かせる。スピーカーを通して伝わる二人の裂ぱくの気合が、スタジアムの臨場感を一段高いものへと押し上げた。
刃を押し付け合う鍔迫り合いは手短に、お互い一飛びで後方へ距離を取った。
「押し負けなくなったことは評価してしかるべきだな」
「これが訓練の成果です!」
「そうか。だが、それだけでは強くなったとは言えないぞ!」
リンドウが再びユウナに接近し、剣撃を繰り出す。
一方でユウナはそれを足捌きで回避。さらにリンドウの攻撃が連続するも、右足、左足を交互に動かして、身体を左右に入れ替えることで回避していく。
これも、レキが歩き方や足運びを覚えた成果だ。動き方も組み立てられているため、領域の端に追い詰められることもない。
やがてリンドウの剣のつながりが途切れた折、ユウナが刀を振るった。
「はっ!」
発声と共に、鋭い一撃がリンドウに襲い掛かる。
しかし、リンドウもユウナの一撃を見越していたかのように危なげなく回避した。
「へえ、ツワブキさん。洋刀に変えたのか」
「いや、あれ洋刀じゃなくね?」
「変わった剣だな? カタログのテンプレートにもないよな確か?」
周囲からは、そんな声が聞こえてくる。ユウナの戦いを見たことがある人間ばかりが集まっているのか、どの声も武器を変えたことについて話し合っていた。
ともあれ、二人の立ち合いだが。
ユウナの剣撃は以前よりも格段に鋭い。これは素振りの数を以前よりも増やしたためだ。千回、二千回と徐々に増やしているため、正しい動きが染み込んでいる。
立ち回りもそう。打ち合いは以前に比べるとさまになっており、リンドウに振り回されることなくしっかり食らい付いている。
剣を受け流しつつ、急所を浚うような攻撃。
隙を狙いすましたような密やかな一撃。
一方でリンドウはというと、ユウナの得物と戦術が変わったせいで、戦い方が消極的だ。無論自ら斬り込んではいるものの、大振りなどはせず、挙動もコンパクトなもの止めている。
どちらかと言えば、様子見に回っているというのがしっくりくるのではないか。
手札はまだいくつも手の内に隠されているのだろう。
「以前なら、この辺りでもう手が回らなくなっていたが……訓練の成果というのは虚偽の発言ではないらしい」
「先輩にみっちり鍛えていただきましたから」
「あの男か」
「はい!」
ユウナはリンドウに返事をすると、その場で構えを取る。
古流の中段構えだ。右半身を前に出すような立ち姿で、剣尖を相手の眉間に付けて、刀を持つ手は胸元から少し下に置き止める。
「む――」
ユウナがそんな構えを取った折、リンドウの表情に動きが表れる。
そう、それはユウナが目に見えて小さくなったためだ。
くぐまりだ。身を縮め、膝を緩めることによって、的を小さくさせる技法である。いまのリンドウには、ユウナのことがいつもよりも一回り小さく見えていることだろう。
それと同期して、ユウナは小さい動作で床を滑るように動く。
この状態で起こりの小さい挙動を取れば、相手は遠近感が狂って間合いの把握が難しくなる。
特にパラメータを重視しているリンドウにとっては、それなりに有効な戦術と言えるだろう。いまだユウナの動きの端々には拙さが見て取れるため、完璧なものとは言い難いが、一定の効果は見込めるはず。
一方でリンドウは反応に遅れはないにしろ、ユウナの動きをいまだ把握できずにいるらしい。
ユウナの積極的な攻めも相俟って、かなり消極的に見える。
周囲から、また様々な声が聞こえてきた。
「あれ? ユウナちゃん、ちっちゃくなってないか?」
「リンドウさんが剣を当てられてない?」
「皇帝陛下が……」
「これ、ユウナちゃんが押しているんじゃないか」
「もしかして、もしかしたらがあるかもな」
ユウナの鋭い剣撃に、リンドウが大きく弾かれた。
「くっ……!」
「どうです!」
ユウナは会心の一発を放ったことで、自信に満ちた声を上げる。
だが、リンドウも即座に剣撃を返した。
「はっ!」
「くぅ……!」
ユウナは先ほどのリンドウの動きを再現したかの如く、大きく弾き飛ばされる。
そんな彼女に対し、リンドウは失望したように目を細めた。
「動きの変化が少ない挙動に、身体が小さくなったようにカモフラージュする技法。確かに並の相手にならば有効かもしれんが、その程度の小細工で倒せると思われていたのなら心外だな」
「その程度なんて……」
「必要なデータさえ収集できれば、どうということはない」
「……もうデータ収集が完了したということですか?」
「信じられないか? ならばいま証明してやろう」
リンドウはそう言うと、弾かれたように飛び出す。
足運びが先ほどよりも速く、スムーズだ。
リンドウの動きがさらに早くなったことで、ユウナの表情に驚きが表れる。ユウナもこれまでリンドウのバトルを散々動画で見てきただろうが、実際に目の前にしてそれを実感するのとは話が別なのだろう。
リンドウの苛烈な攻めが始まる。
先ほど、データの収集が完了したような話を匂わせていたのは、どうやら嘘ではないらしい。くぐまりで狂った距離感も、起こりを見せない足運びへの反応にも、きちんと対応できている。
ユウナはリンドウの猛攻に食らいついていたが、やがて動きに遅れが出始めてくる。
リンドウの拳が、ユウナのがら空きになったわき腹をしたたかに打った。
「うっ! くうぅ……」
ユウナのうめき声に反して、HPゲージの減り方は少ない。
このゲームでは打撃技はけん制だ。的確に急所に当てればかなりのダメージソースになるが、剣撃を重要視するため、それ以外のダメージは基本的に少量にとどまる。
ユウナがひるんだところに、リンドウが追撃の手を講じる。
ユウナの正面で足を止めて、上から何度も剣を叩きつけた。
「くっ、うっ……」
ユウナは刀を横倒しにして防御するが、剣圧に負けて徐々に押し込まれてくる。
腕にかかる負荷を鑑みれば、ここは早く抜け出す必要があるだろう。
やがてなんとか横に受け流し、リンドウの剣撃から辛くも逃れた。
だが、いまのでかなり体力を削られたのだろう。HPゲージに減少はないものの、疲労プログラムのせいで吸排気に乱れが生じ、肩が激しく上下している。
隣にいるハレンが、つらそうに目を細めた。
「君、本当にユウナに勝ち筋はないのか?」
「いや、まったくないわけじゃない。ユウナにも、皇帝さんに負けていないものがある」
「それは?」
「『想い』だ」
「想い……?」
レキの断言に対し、ハレンが不思議そうな顔を見せる。
「想いの力ってのはバカにならないぞ。想念は心の強さであって、その心の強さは、追い詰められたときの最後の爆発力になるからな。まあ、AIに想いとか何言ってるんだって思うかもしれないが」
「要はその想いの力を発揮させられれば、ユウナは盤面をひっくり返せるかも……ということか?」
「そうだ。戦いは技術だけじゃない。いろいろな要素が関わってくる。中でも重要なのが、心の強さだ。ユウナが心の強さで皇帝さんを圧倒できれば、あるいは勝機も見えてくる」
「さっき位負けがどうとかって言ってたのは?」
「問題はそこだな。立ち合いの最中にそれを吹き飛ばすことができるかどうかにかかってる」
ユウナも当初は位負けのせいで立ち回りが消極的になるかと思ったが、思った以上に調子に乗ることができている。このまま立ち合いの間に上手く心の強さを引き出せれば、あるいはリンドウに勝つことも不可能ではないのかもしれない。
五分五分とは言わずとも、三分七分、いや四分六分くらいは希望がある。
レキがそう言うと、ハレンの目付きが胡乱げなものになった。
「そこは弟子を信じてあげたら?」
「俺だって信じてやりたいさ。だけどな、俺には見えてしまうんだ。負け筋も勝ち筋も」
「見える?」
「そうだ。あの動きをすればどう動くのか。どの体勢になると次にどの体勢になるかとか。それらが頭に入っていると、実際立ち合いを見たときに、先読みしたみたいに見えるようになるんだよ。そうなってくると、もう偽れなくなる。そうだろ? 予想外を受け入れるっていうことは、それまで自分の積み重ねてきたものを否定することになるんだから」
「自分の実力に随分自信があるんだな」
「それだけ剣を振ってきたからな」
レキはそう言って、ハレンに手のひらを見せる。ほっそりとした甲側に反して、潰れた血豆の跡とタコで巌のようになった手指が、レキのたゆまぬ修練の証だった。
レキは静かに、開いた手のひらを握り締める。
「いまのユウナは質の悪い学びのせいで、かなり出遅れた状態にある。皇帝さんとの実力の開きも大きい。そうなるともう、信じる信じないでどうにかなるようなものじゃなくなってくる」
レキはそう言うと、リンドウに視線を落とす。
「……だが、皇帝さんには病気がある。ユウナが狙うとしたらそこだろう」
「リンドウさんに病気?」
「皇帝さんは、データに頼った戦い方をしているよな? データを取集してパターン化するから、奇策に弱いはずだ」
リンドウはその口ぶり通り、これまで戦ったプレイヤーの傾向をもとにして、戦術を構築する傾向がある。
問題はユウナがそこに、教えた剣をうまく使えるかだ。
●
――剣撃の最中、リンドウさんから蹴撃が飛んでくる。
私は辛うじてそれを防御するも、衝撃が強く大きく吹き飛ばされてしまった。
「うぅうう………!」
剣撃は辛うじて回避出来てはいるが、その代償というように打撃を受けてしまうようになった。
もちろんダメージソースにはならないが、ある程度のレベルの打撃にはハプティックパッドによる反発が発生しないため、打撃がヒットし、人工躯体の痛覚プログラムが起動してしまうのだ。
「はぁ……はぁ……!」
リンドウさんが出力を落としていたことについては、ある程度の予測は立てていた。
リンドウさんはパラメータ重視の戦闘を行うため、相手の動きに合わせて挙動を構築する傾向がある。そのため、そういった予測は電子脳で演算されていたのだ。
わかっていた。こちらが攻め立てていても、リンドウさんはまだ実力を隠しているのだと。
だが、それはわかっていたつもりでしかなかった。
そう、リンドウさんの機能解放値は、予想していた範囲を優に超えていたのだ。
……電子脳の躯体制御機能は、肉体的な訓練を積み重ねることによって解放される。
基本的にはヒトとAI知性体の共感、共生のために存在する機能だが、訓練を突き詰めて躯体の限界に挑むことも可能だという。
その結果がこれだ。リンドウさんの弛まぬ努力によって、人工躯体が発揮できる能力の平均値を遥かに超える力が出力されている。
私はそれに追従するので精一杯で、剣撃すらかすめられない。
私の躯体には、すでに見過ごせないだけの負荷がかかっていた。度重なる打撃と転倒のせいで、躯体全体で疲労プログラムと痛覚プログラムが常に起動している状況にある。
「これで終わりか?」
「ま、まだ……まだ、ですっ!」
食らいつくように立ち上がると、ふいにリンドウさんが怪訝そうな視線を向けてきた。
「これだけ打ち据えられて、よく戦意が萎えないものだ」
「私はリンドウさんに勝たなければならないからです!」
「勝たなければならない、か。ユウナ・ツワブキ。前から気になっていた。何がお前をそこまでさせるのか、とな」
「それは……私はこの評価試験で、この躯体の有用性を示さなければならないからで……」
「お前がこの評価試験に臨む理由は本当にそれだけか? 私はこの評価試験の結果が、お前のその熱心さと釣り合うようには思えない。確かに、負けた方の人工躯体の開発は凍結されるという話もあるが、だからと言って焦るようなものでもあるまい。その躯体が使えなくなったとしても、また新しい躯体を手に入れれば済む話だ。お前の焦燥は過剰すぎる」
「っ――! それは、私にはこの人工躯体が、FI社に関係なく重要なものだからです!」
「関係ない……ではお前はその人工躯体に愛着があるから、勝たなければならないというのか」
「そうです!」
私がそう言うと、リンドウさんはどこか呆れたように眼瞼部分を狭める。
そして、ため息を吐くかのように言い放った。
「AIは効率、能率、生産性を追及するべきものだ。プロセスにばかりこだわり、一つのモノにしがみつく姿勢は、呆れを通り越して見苦しささえ感じるぞ」
「そんな……見苦しい、なんて」
「そうだろう? その方がスマートであり、効率的だ」
リンドウさんの指摘が、私のエモーショナルエンジンをかき乱す。
図らずも口からうめき声が出てしまうほど、彼女の言葉は私にとって重いものだった。
確かに、プロセスにこだわらず結果のみを追い求めるのがAIにとっての基本の姿勢だ。効率、能率を重視し、一つのモノに囚われない。それがAIの個性でもある。
必要ないなら切り捨ててしまえばいい。
より良いものだけ選択することこそが、より良い結果につながる。
だが、それを基本として受け入れてしまえば、これまでいくら計算しても割り切れず、答えの出せなかったこの問題は、一体どこへ行ってしまうと言うのか。
……私は、この人工躯体を切り捨てたくない。
だから私は思うのだ。
「……見苦しくても構いません」
「……ほう?」
「一つのことにこだわることのどこがいけないんですか!? それが『想い』というものなんです!」
そう、それがたとえAIにとって滑稽で、目に余るものなのだとしても。
私にはそれ以上に、大事なことがあるのだ。
それは志半ばでこの世を去った母、かなみのことだ。
母はいつも優しかった。
いつも私に、いろいろなことを教えてくれた。
そんな人が、『想い』の果てに作り上げた成果を、私はどうしても守り通したいのだ。
『この人工躯体はユウナのために作ったものよ。ユウナがこれから、生きていくためにね』
電子脳の無意識領域が、過去のログを表出する。
それは、『凍月』のロールアウト直前に、母が懸けてくれた言葉だ。
私には電子脳にあり得ない機能が搭載されている。それは、あらゆるセキュリティを突破できる規格外の機能だ。そんなものがあれば、当然多くの困難が待つだろう。
この『凍月』はそんな私のためを思って、母が作ってくれたものなのだ。
だからこそ私は、この人工躯体を失いたくない。理論を失いたくない。それらが残ってさえいれば、母の私への『想い』も風化されずに、世に残ることになるからだ。
……FI社と帝王重工のこの約束事を、恨みに思ったことがないわけではない。
どうして上層部がこんな不毛な賭け事を始めたのか。
どうしてそれがこのゲームだったのか。
どちらか一つさえ違っていれば、こんな事態にはならなかったはずなのに。
だが、不平不満を言ったところで、始まってしまったものは仕方がない。
私が取るべき行動は、恨み言を言うのではなく、この状況を打破するべく動くことなのだ。
……リンドウさんが先ほど言った通り、AIにとって効率や能率は尊ばれるものだ。人工躯体が凍結されるというのなら、別の躯体に取り替えればいい。それで実生活は保証されるのだ。一つの躯体にこだわることは、私たちにとって余分や余計、無駄でしかない。
だが、こういった執着があるからこそ『想い』が生まれるのであって、それが行動への原動力になるのではないか。
理解できないものだからといって、決して否定されていいものではないはずなのだ。
「『想い』など我らにとって不確かでしかないものだ。そんな不確かなものに演算処理が左右されれば、それは正常な機能とは言えないぞ!」
「そうかもしれません! ですが、そういったゆらぎがあるからこそ生み出されるものもあるんです!」
私はリンドウさんに強く叫び返す。
それは、私にとって譲れないものだ。
そう、この執着によって生まれたものは確かにある。
いま私が戦い続ける、戦い続けられる理由がそれなのだ。
……リンドウさんの剣に、剣をぶつけて軌道を逸らす。
しかし、リンドウさんはすぐに切り返して剣撃を浴びせてくる。
それに対して、私は守るばかりだ。
一度攻撃すれば、剣撃が倍、いや、その三倍になって返ってくる。
リンドウさんは私にとっては大きな壁だ。いまだ学習途上にある私には、ひどく高くて大きいものである。
だけど、打開策がないわけではない。
そう、だっていまの私には先輩が授けてくれた技術があるのだから。
「――これからユウナに教えるのは、間合いを伸ばしたり、正しい間合いを隠したりする技だ」
リンドウさんとの再戦の日を迎える少し前に、先輩は私にそう言った。
間合いの使い方が、剣の戦いを左右する、と。
「剣士にとって、間合いを読む力は特に重要だ。自分と相手の距離感を正確に把握できれば、自分の剣を当てて、相手の剣をかわすことができる。これは誰に言われるまでもなく、基本的なことだな」
「はい」
「立ち合う場合は、相手がそれを正確に把握しているということを念頭に置いておく必要がある。であるならば、だ。そんな相手に勝利するには、その『正確な把握』を『間違ったもの』にしなければならなくなる。そのためにさっき言った、間合いを伸ばす、間合いを隠す、という技術が必要になるわけだ」
先輩はそう言って一度話を区切ると、詳しい説明に入る。
「『伸ばす』のはやり方さえ知っていればそう難しいことじゃない。柄を握る部分を変えれば剣尖の届く場所は伸びるし、身体の向きによっては持ち手を左右入れ替えればそれだけでも伸びる」
先輩はそう言って、柄の鍔元を持った手を柄尻付近に持ち替えたり、左半身の状態から、柄の鍔元を持った右手を、左手と入れ替えたりする。
確かにそうすれば切っ先の届く場所が伸びるため、間合いが伸びたことになる。
「では隠すというのは、どういうことでしょう?」
「それはそのままさ。『俺の剣が届く場所はここまで』『いくら伸ばす技術を使ってもこの程度までしか届かない』という風に見せておけば、相手は『偽りの間合い』が『本来の間合い』だと思い込んでしまうだろ? だからこれが図に当たれば、相手は虚を突かれて敗北する」
「相手の目を欺瞞した状態に慣れさせるのですね?」
「ん。その通りだ。極端な話、記録したデータをもとにして戦うのはヒトもAIも同じだからな。見たものを主軸にして、その後の広がりを構築する」
「自分の限界を偽って見せておけば、相手はその『間違った情報』をもとにして戦いますから、それだけ隙が多く生まれる……」
「言葉で言うのは簡単だが、これは間合いを伸ばす技術よりも難しい。意識的に自分の間合いをわざと短くしながら戦わなければならないからな。戦っているときは夢中になりやすいものだから、無意識のうちに『本来の間合い』が出てしまうことがよくある。特に足の置き場だ。切っ先の届く位置を意識していても、足は無意識に『ちょうどいい』距離を取ってしまうから、特に気を付けなければならない」
先輩の言う通り、この『隠す』という技法はかなり難度が高い。決められた手順を履行するプログラムAIならば話は別だが、AI知性体はヒトに寄っているため、そこまで細かい結果を出すことはできなくなっている。
ヒトで言う無意識に当たる『演算と演算の間の空白』やエラーの空白処理(オートスルー機能)が発生する以上、ヒトと同じように無意識が発生し、思わず本来の間合いで戦っていたということになりかねないからだ。
そこで、私は思いつく。
「先輩。それは、さっき先輩がおっしゃった『伸ばす』技術を応用すれば『隠す』ことにもつながるのではないでしょうか?」
「そういうことだ。伸ばす技術を最後の最後まで取っておくことでも、同じ結果に繋げることができる。その場合は一回こっきり使い捨てみたいなものになるけどな」
「はい!」
「達人は正しい間合いを隠すことに腐心する。相手にただ一太刀入れるためだけにな。その一太刀が筋や急所を捉えることができれば、相手の動きは鈍り、ひいてはそれが勝利につながる」
先輩はそう言うと、
「理論としてはなんてことはない話だ。もちろん口で言うのと実際やるのではだいぶ違うがな。だが――」
――皇帝さんには、有用な戦術だと思うぞ。
……それが、先輩が私に授けてくれた戦術だ。
本来の間合いを隠して、勝ちを得ろと。
そのためには、相手に手札を出し尽くしたと思わせなければならない。
最初にこれまで覚えた技術を見せ、これ以上出すものがないと思わせることで、相手の心を操り、その心理に隙を生み出す。
新しく覚えた構えも。
足運びも。
くぐまりも。
もちろん戦うための技術ではあるけれど。
すべてはリンドウさんにたった一太刀を浴びせるための欺瞞なのだ。
そんな中ふと、『学習』という言葉がログに表出する。
以前リンドウさんは、私に繰り返しそう言った。
確かに、ログを辿れば、リンドウさんの言う通りだったのかもしれない。
私は頑張っていると言い訳して、現状に甘んじていただけなのだ。
努力とは、ただ時間を浪費することではないのだ。無為に過ごすのではなく、時間を正しく使ってこそのものだ。
先輩との稽古で、それがよく身に染みた。
適当に足掻いているだけでは、決して良い学習はできないのだと。
反面、リンドウさんは常に学習してきたのだろう。それは、私が彼女を尊敬している部分の一つだ。
……再び、ログを辿る。確かめるのは、先輩との稽古のことだ。
先輩とリンドウさんの剣技を比較する。
正確無比な剣さばき。
ラジエータが過剰に働いて全身に冷感を覚えさせるほどの威圧感。
速さ、そして力強さ。
神業とも思えるほどの技術。
それらはどれをとっても、比べ物にならないほどの差があった。
そんな先輩の動きを模倣するように、剣を振るう。
リンドウさんに、負けないために。
「はぁあああああああ!」
「――っ!?」
私が現状発揮させられる最大出力の一撃が、リンドウさんの剣を撥ね退けた。
●
ユウナが気合と共にリンドウの剣を弾き飛ばす。
先ほど押し負けていたときとは比較にならないほどの力だ。
ユウナの太刀ゆきは、さらに鋭く速くなった。
彼女はそのまま、リンドウに反撃の機会を与えないほど攻め立て始める。
これが、彼女の持つ『想い』の力なのだろう。
自分だけでなく、誰かを想うということが、前に進む力に繋がったのだ。
一方でリンドウはユウナの動きが突発的に良くなったことで、その対応に追われている様子。データを再収集するため、守りに回らざるを得なくなっているのだろう。
ユウナが両手持ちのまま、刀を上段に構えた。先ほどの気後れはどこへ行ったのかと言うほど、彼女から斬るぞ斬るぞという前のめりの斬意が見て取れる。
「これならいける!」
「…………」
ハレンがユウナの攻勢を見て、席から身を乗り出した。
彼女が声を上げたように、一見してユウナがリンドウを圧倒している。
だが、油断はできない。まだこれは一時的なものだ。ユウナよりもリンドウの方が躯体の性能を引き出している事実に変わりはない。リンドウがユウナの動きのパラメータの処理さえ終わらせられれば、戦況はまた元の状態へと戻るはず。
リンドウがユウナの剣圧に押され、後退する。
「これでも、プロセスばかりの在り方がいけないものですか!? 私のこの躯体に対する『想い』を、否定しなければいけませんか!?」
ユウナが再びリンドウへ訴えかける。
その訴えにリンドウはしばらく答えなかったが、やがて静かに口を開いた。
「……そうだな。訂正しよう」
「リンドウさん……」
「お前がその人工躯体にかける『想い』というものが、お前を強くした。私のように効率を求める在り方にはないものだ。プロセスを重視することも、これからのAIの在り方の一つなのだろう。それは認めるべきかもしれない」
「……はい!」
「だからと言って、この勝負の勝ち負けとは話が別だ。今回の勝負も私が勝つ」
「いえ! 今回は勝たせていただきます!」
「吼えたな! だが、反復のない学習など結局のところは付け焼刃だ! それを用いて多くのプレイヤーと戦闘したデータを収集していない以上、誤差が出るぞ!」
「そんなことは私にもわかっています! まだ私の学習量では、リンドウさんの学習には追い付いていないことくらい!」
「それは厳然とした『事実』だ。事実は『想い』では覆せないぞ!」
「それでもです! 私には絶対に負けられない理由があるんです!」
「それは私も同じだ! 私にも負けられない理由がある!」
「私は……」
ユウナは一度何かをため込むように言葉を呑み込んだあと。
「私は絶対に負けません!」
身体にまとわりついたリンドウの重圧を跳ね返そうとするように、大きく叫んだ。
直後、両者は弾かれたように肉薄する。
「はぁあああああああああ!」
「せやぁああああああああ!」
刀と剣がぶつかり合い、火花のエフェクトが発生する。
一合、二合、三合。剣撃の応酬が激しい明滅を引き起こし、ちか、ちかと目に瞬く。
それはスタジアムの照明にも負けないほどだ。よく見ていないと発光のコントラストで見失ってしまいそうになる。それほどに、ゲームのシステムは二人のぶつかり合いを、激しいものだと認識しているのだろう。
もちろん、周囲に及ぼす影響はそれだけではない。
お互いのビリビリとするような鬼気が、観客席まで伝わってくる。
――すごい
――ツワブキさんもココノエさんも、こんな戦いするんだな……
――どっちも頑張れ!
観客たちが立ち合いの熱に感化され、大きく盛り上がる。
周囲のざわめきも次第に大きくなる中。
レキの目がユウナの手元を捉えた。
振り抜きの最中、鍔元を握っていたユウナの右手が、柄尻上を握った左手の直上まで、滑っていったのだ。
右手を緩めて、刀を勢いよく投げるように。
しかと掴んだ左手で、刀を押し出すように。
距離にしておおよそ5㎝から7㎝程度。
それによって、剣尖の届く限界点がそれと同じ分だけ伸長する。
さながら流れ星が弧を描いて墜落するように、銀色の光跡がひらめいたその直後。
ユウナの『流星剣』によって、リンドウの手の甲が斬り裂かれた。
「っ――!?」
突発的な距離の変化に、リンドウの対応は追いつかなかった。
ハプティックパッドの効果により、リンドウの手の動きが鈍麻する。
ユウナはその機を逃すことなく踏み込んだ。
「まだです!!」
ユウナの返す剣閃が、次いでリンドウの胸部を斬り付ける。
以前とは比べ物にならない切り返しの早さだ。太刀ゆきの勢いを殺さない『竜の尾』の技に、リンドウの反応が遅れたのだ。
「くっ……!?」
「はぁああああああ!!」
ユウナがリンドウを追い詰める。それを見た観衆がざわめいた。「皇帝が!」「ユウナちゃんの勝ちか!?」「マジかよ!?」そんな驚き交じりの声が聞こえてくる。
「よし!」
いい斬撃を浴びせた。予測を上回る結果に、レキも思わず声を上げる。
本来の立ち合いならば手を深く斬られているためこれで終わりだが、ゲームということを加味しなければならない。
HPゲージを減らし切るまで、まだ勝利ではないのだ。
ユウナの攻勢に対し、圧力を嫌ったリンドウがよろめくように後ろへと下がった。
「いける!」
だが、ハレンが再度叫んだそんな折、レキの顔がにわかに険しくなる。
「……いや、あれは誘いだ。まずい」
「え?」
「ユウナ、勝ちを焦るな……いや、だめか」
レキは額に手を当て、スタジアムの天井を仰ぐ。
結果は、見なくてもわかった。レキには、すでに結果が見えていたのだから。
そう、数瞬あとに、勝ちに焦ったユウナがとどめの一撃を放とうとした瞬間、リンドウが弾かれたように飛ぶのだ。
しかして、上段から真っ向に切り込んだユウナに、リンドウが牙を剥いた。
ユウナとリンドウの一瞬の交差のあと。
「くぅっ……」
やはり、痛みに呻いたのはユウナの方だった。
リンドウが飛び出した速度は、ユウナの想定を完全に上回っていた。
ユウナのHPゲージがゼロになる。
追ってスタジアムにファンファーレが鳴り響き、リンドウの勝利を祝福した。
いまはそれぞれのHUDに、WINNER、LOSE文字が躍っていることだろう。
立ち上がったハレンが、呆然と言葉をこぼす。
「負けた……」
「目先の勝利に目を奪われたな。あそこから二手三手組み立てる必要があるものを、勢いで無理やり決めに行ったんだ。経験の差がものを言ったな……」
ユウナは悔しそうに表情をゆがめ、うつむいた。
レキはすぐに立ち上がって観客席の端まで行くと、そこから飛び降りてユウナのもとに歩み寄る。
見れば、ユウナは悔しそうに唇を噛んでいた。
「先輩、すみません。負けてしまいました」
「そうだな。だけど、良い戦いだったと思うぞ」
「はい……」
それは、レキの正直な感想だった。
負けの想定はもともとしていた。食らいつくために、策も技も授けた。
しかしそのうえで、ユウナの戦いぶりはレキの予想を上回ったのだ。
これは紛れもない彼女の力だ。手放しで称賛を送るに相応しい。
そんな中、リンドウが歩み寄ってくる。
左後ろにAI知性体のスタッフを引き連れ、前側に揺れた長髪を手で優雅に払い、悠然と歩み寄る姿。
その静謐な表情はまるで彫像のよう。
「ユウナ・ツワブキ」
「リンドウさん」
ユウナの面持ちは険しい。
口を真一文字に結んでいたリンドウが、その表情を緩めた。
「お前の力、見せてもらった」
「リンドウさん……」
「『想い』か。何かに固執するのは我らに取って害でしかないと思っていたが、そうではないのだな」
「はい。私も、効率や能率を突き詰めることは、より良い結果を求めるために不可欠なことだとは思います。ですが、何かを想えるからこそ、その『想い』を遂げるために、全力を尽くせるのだと思います」
「そうか……そうだな」
「その、生意気を言って申し訳ありません……」
ユウナが恐縮したように頭を下げると、リンドウはそう納得したように頷く。
「試合にいいも悪いもないが、あえて言わせてもらおう。今日の試合はいままでで一番いい試合だった。正直お前がここまで強くなるとは思っていなかった」
「……! はい! これも全部先輩のおかげです!」
「そうか」
ユウナが大きく頷くと、リンドウは短くそう返す。
そして、
「これなら私の競争相手に申し分ない。お前の力は、私と競い合うに足るものだ」
「……!? では!?」
「そういうことだ。サユリも、それでいいな」
「……リンドウ様がそうご判断なされたのなら、私はなにも」
「文句がありそうな顔をしているな。割り切れない数値でも出たか?」
「べ、別にそんなことはありません! 私の演算能力はいつも精密です!」
焦ったように否定するスタッフに、リンドウがわずかに笑みを見せる。
しかしすぐにユウナの方を向いて、その表情を引き締めた。
「だが、それでいい気になって学習を怠ることはないようにしろ。競う必要がないと思えば、その旨容赦なく上層部に伝えるつもりだ」
「わかっています」
「ならいい」
リンドウはそう言うと、ユウナに右手を差し出す。
「リンドウさん?」
「ユウナ・ツワブキ。また私に、お前の強さを見せて欲しい」
「はい!」
ユウナがリンドウの手を握り返す。
二人の握手で、会場が試合の盛り上がりに負けないほど大きく湧きあがった。
そこで、レキはふと気付く。
「なんだかんだユウナのこと気にかけてるんだな」
「……別に」
「んー? 実は本当は仲良くしたいとかそんなんなんじゃないのか」
「そんなわけがないだろう! 貴様おかしな発言をするのをいますぐ止めろ!」
そんな力いっぱいな否定の仕方をすれば、本音が丸わかりだ。何度も接触したり、厳しい発言をしていたりしたのも、要するに彼女のことを心配しての行動だったのだろう。
「くくく、ツンデレ乙」
「貴様……」
からかい交じりにネットスラングを口にすると、リンドウから物凄い顔で睨まれた。
「リンドウさん……」
ユウナに声をかけられたリンドウは、どこか照れ臭そうにしていたが。
ともあれこれで、いましばらくの時間を稼ぐことができた。
「先輩ありがとうございます」
「いや、今日の戦いはユウナの努力の結果だ。俺はそれを後押ししただけにすぎないよ」
そんな話をしながら、ユウナと共に戻ろうと踵を返した折のこと。
ふいに、レキがリンドウに呼び止められる。
「何を帰ろうとしている。次は貴様だ。剣を持て」
「ん? 俺ともやるのか?」
「ユウナ・ツワブキとの勝負が終わったのだ。もう貴様を制限する事由はないだろう」
「まだ最終的な勝負があると思うんだが?」
「そこまで私を待たせるつもりか?」
「皇帝さん。随分と乗り気なんだな」
「前からその気に食わない顔を叩きのめしたいと思っていたからな」
「いやぁ……顔の造形はどうしようもないんだけどなぁ」
困ったような顔を見せるレキに、リンドウが返答を迫る。
「それで?」
「わかった。だけどそれなら、この前健康科学とかお遊戯って言ったこと、全部取り消してもらおう」
「いいだろう」
話が決まると、両者はそれぞれの位置に向かう。
しかして、誰に取っても予想外の二試合目が、いまここに始まったのだった。




