第二十九話 再戦の日
淤能碁呂島中央区画には、小規模だがスタジアムがある。
未来世界のスタジアム・ドームと言えば、その日の天候や使用目的に合わせ機能的に変形するようになっているが、ここにあるのは現在では見られなくなったエアー・サポーテッド・ドームであり、どことなく古めかしさを感じさせる。楕円形の全体像に、バルーンを敷き詰めたような膜状のテクスチャーが乗せられたこのスタジアムは、主にイベント戦やトーナメント戦などで使用され、公式のイベントにもなると観客席はいつも満員になるという。
「まさか、島のスタジアムを貸し切りとはなぁ」
「リンドウさんには私と違って帝王重工のサポートがありますから、おそらくはそのコネクションを利用したのではないかと」
レキはユウナと共にスタジアムを見上げながらそう話す。
この日はリンドウから通知があった再戦の日。
天候は生憎の曇りで、時刻は夕刻であるため普段なら茜空が見える頃だが、スタジアムの上にはどんよりとした雲がかかっている。
一方でユウナの表情の方も、晴れやかなものではなかった。
面持ちは硬く、気負っているのが如実にわかる感情を出力している。
「…………」
「そう固くなるな。これまで覚えたものを出し尽くせばいい」
「でも、もし負けてしまったら……」
「ユウナは全力を尽くしたんだ。それに、負けるのが嫌だから頑張ったんだろ? それとも、これまでのことは全部無駄だったか?」
「い、いえ! そんなことはありません!」
「大丈夫。ユウナは強くなったよ。そこは俺が保証する」
「……はい!」
いまの励ましで、ユウナには元気が戻ったのか、良い声が返ってくる。
この日のレキの服装は、黒の道着と袴姿だ。腰にはグリップデバイスを投影したまま差しているため、一本差しではあるがそれなりに様になった出で立ちと言える。
一方でユウナは道着ではなく、ミニジャケットとショートパンツという出で立ちだ。本人いわく、勝負服のようなものらしく、何かあるときはこれを着るのだという。
グリップデバイスは投影せずに腰に差しており、刀の柄部分だけが見えると言った具合だ。
ドーム内に入ると、二人はまずは人だかりに出迎えられた。
入り口正面にはテイクアウト専門の売店が並んでいるため、みなそこで軽食を買い求めているらしい。
その中でも、一際賑わっている売店がった。
レキとユウナが何を売っているのか脇から覗いてみると、
「あ! 炭火焼チキンサンドです! 最近売り出されたらしくて、すごく人気らしいですよ!」
「お、おう……」
これについては、レキは覚えがあるというか当事者だ。
島に到着した翌日の朝に、青髪AI少女から要望を受けたものに間違いない。
ユウナの話ではどうやらすでに島のいろいろな店に出回っているらしく、かなりの人気を博しているらしい。
人間の客はラッピングされたものを持ち、AI知性体はデータを受け取って映像を投射。疑似的な食事をしている。
どちらもサンドにかぶりつきながら、「うまいけど、なんで炭なんだろ?」「これはきっと神の食べ物」などと言っていた。
……ふと確認した、ロイヤリティ、キャッシュデータが物凄いことになっていることに目を逸らしつつ。
レキとユウナはまず階段を上り、観客席へと向かう。
スタジアムの客席といえば雑然としたもの連想させるが、客席は白く塗られて清潔感があり、まるで映画館やファーストクラスのシートのようなラグジュアリー感を醸し出している。ここだけ見ると島のコンセプトから外れているが、その辺り観客の快適な観戦とは引き換えにできなかったのだろう。
客席の埋まり具合はそこそこと言ったところ。ゲームイベントでもない、個人の決闘でこれなのだ。二人の戦いが、いかに注目されているのかがよくわかる。
いや、ただのプレイヤーならまだしも、日本のAI知性体の中でもとびきりの有名人と、そのライバル企業のAI知性体だ。ネットでささやかれる企業同士の代理戦争の噂もあって、注目度はかなり高いのだろう。
二人は観客席を見終えたあと、コートへと降りる。
その途中、ユウナが何かを見つけたのか、顔をぱあっと明るくさせた。
彼女の視線の先には、通路の壁に寄り掛かる人影が一つ。
「ハレンちゃん!」
「こんばんは、ユウナ」
ライトの影から剥がれるように現れたのは、アイドル歌手ハレンだ。
色素の薄い金髪をカントリースタイルのツインテールにした少女。仕事のあとに駆け付けたのか、上からフリルブラウスとオープンバストのコルセット、チェック柄のフリルスカートに黒のガーターという出で立ち。今日はマイクを担いでおらず、以前よりも身軽そうにしている。
「来てくれたんですね」
「当たり前でしょ。ユウナの晴れ舞台なんだから」
「ありがとうございます」
「ううん。いいの」
二人は穏やかな笑顔を咲かせる。
そんな中、ふとユウナが何かに気付いたように小さく驚いた。
「ハレンちゃん、顔……」
「ああ、これね。ちょっと切っちゃって」
ハレンは気付いて欲しくないところに気付かれたというように、軽く慌てたような表情を見せる。かなり目立たないようにしているが、ハレンの顔には絆創膏が貼り付けられていた。
「大丈夫なんですか?」
「こうして絆創膏とファンデで目立たなくすれば問題ないから。近くに来るまで、わからなかったでしょ?」
「はい……あ! ここをこうすると、もっと目立たなくなりますよ」
ユウナはそう言うと、腰のポーチから化粧道具にしては随分といかつい器具類を取り出して、ハレンの顔に近付ける。それに対してハレンは少し引きつった顔を見せるが――
やがてメイクらしき行為が終わると、ハレンの絆創膏はさらに目立たなくなっていた。
ユウナは非実体ディスプレイをミラーモードにして、ハレンに見せる。
「どうでしょう」
「ほんとだ。わたしがやったのより自然ね……でも、同じの使っても大丈夫なの?」
「はい。人工躯体に使用するコスメも人体には害はないようになっていますので、大丈夫です」
「うん。ありがと」
そんなやり取りのあと、ハレンもユウナの表情から何かを読み取ったのか。
「ユウナ。やっぱり不安?」
「あはは……はい。不安がないと言えば嘘になります」
「大丈夫。ユウナはこれまで頑張ってきたじゃない」
「…………はい!」
「それに、たくさん稽古したんでしょ?」
「…………はい」
稽古。ふいにその言葉を聞いたユウナの顔が、一瞬で曇った。
どうしたのか。視覚センサの輝きが失われており、さながら一時停止したかのように返事に乏しくなった。声のトーンもどことなく落ちている。
ハレンも、ユウナのそんな態度の変化を察したのか、レキに鋭い視線を向けてきた。
「ちょっと君、ユウナになにしたんだ?」
「なにって、稽古を付けただけだが?」
「稽古でこんなことになるものか。もしかしてユウナに無茶苦茶なことやらせたんじゃ……」
「無茶苦茶って人聞きの悪い。常識の範囲内だ。常識の範囲内」
「君、自分の常識を疑ったことは?」
「俺の場合、常に疑わなきゃいけない環境だから」
レキはハレンにそんなことをうそぶく。
そもそもレキは過去の人間なのだ。いまはかなり未来世界に染まってはいるが、時折未来人たちとの常識に齟齬に戸惑うほど。二度目は疑ってばかりの人生である。
レキがハレンの攻めるような視線を受け止める中、突然黙っていたユウナが口を開いた。
「ハレンちゃん。大丈夫です」
「大丈夫ってユウナ、いくらなんでも限度ってものがあるじゃな――」
「ハレンちゃん。大丈夫です。ハレンちゃん。大丈夫です。ハレンちゃ……」
「ちょっ!? ゆ、ユウナ!? ちょっとユウナ! しっかり、しっかりして!」
ユウナはさながら定型文しか言えないNPCのように、同じ言葉を繰り返し続ける。
一方でハレンは、それを止めようとユウナに声を掛け続けた。
……しばらくして、ユウナは状態が落ち着いたらしく。
「すみません。稽古の内容を思い出したら、演算機能がうまく働かなくなってしまって」
「君、やっぱり……」
「いえ、ハレンちゃん! 先輩はきちんと指導してくださったので大丈夫です!」
「ほんと? 何かあったらすぐに言いなさい。代わりにわたしが言ってあげるから」
「大丈夫です! 本当に大丈夫ですので!」
ユウナはレキに睨みかかっていくハレンを、引き止めようとする。
やがて、ユウナは時間に気付いたのか。己に活を入れるように、表情を引き締める。
「では、そろそろ時間なので」
「うん。リンドウさんとの勝負、頑張って」
「はい!」
ユウナとハレンは肩を抱き合って、お互い笑顔を見せる。
そうしていると、二人の絆の深さが窺えた。
直後ハレンが見せたレキを見る目は、ユウナに向けていたものと比べると色彩を失ったように冷たかったが。
レキはそのままスタジアムの中央まで付き添うと、反対側の通路からリンドウたちが現れる。
そのままお互い歩み寄り、コートの中央で対峙した。
「リンドウさん」
「逃げずに来たか」
「逃げるなんて! 私はそんなことしません!」
「そうだな。そうでなくては私も張り合いがない」
リンドウはそう言うと、改めて口を開く。
「語ることはない。試合で示せ」
「……はい!」
音声は観客席にも聞こえるようになっているのだろう。
観客の方も、大いに盛り上がっているらしい。ざわめきが徐々に強くなってくる。
「ユウナ。頑張れ」
「はい! ここで成果を見せます!」
レキはユウナに声を掛けたあと、一人観客席に戻る。
さてどこに陣取ろうかと考えていると、先に観客席に戻っていたハレンが、こっちへ来いと言うように首を回した。彼女が示した場所には、二席分の空きがあった。先にハレンが席に着くと、隣に座れと言うように椅子を叩く。
周囲から好奇の視線が集まったような気がするが、それはともあれ。
「君に聞きたいんだけど」
「なんだ?」
「ユウナはリンドウさんに勝てると思う?」
「いいや。負けるな」
レキは臆面もなく、ばっさりと斬り捨てた。
そんな仮借ない発言にハレンが表情を硬くする中、ふと、ユウナがレキを見る。
レキが彼女に向かって軽く笑顔を作って手を振り返すと、ハレンの灰色の瞳がさらに鋭さを増した。
「そんな台詞を吐いておいてよくそんな顔ができる」
「人にものを教えるためには演技も必要ってことさ」
「まだ戦ってもいないのにそんなことを言うのか。それに、ユウナに剣術を教えたのは君だ」
「だからこそわかるのさ。まだユウナはそこまでの実力を得られていないってな。それに、ほら、見てみろ。ユウナは位負けしてる」
「位負け?」
「皇帝さんに威圧されて、しり込みしてる。あれは気持ちで負けてる状態だ。もともと力量に差がある以上、あれを覆すのは難しい」
立ち合いにおいて、気の持ちようは重要だ。相手に気持ちで負けていると、積極的な行動がとれず、何事も後手になりがちだ。戦いに先手必勝の理がある以上、そういった、表面化してくる『行動の遅れ』というのは致命的なもの。
「勝而後戦、だ。剣術だって結局のところは兵法の一部だ。打ち合う前に勝たなきゃならない。勝ちの要素と負けの要素の足し算で、負けの要素が大きければ負けるのは当り前だ」
「だけどそれだと」
「期間中、びっくりさせる秘策をいくつか仕込んでおいた。どれも変剣難剣と呼ばれるものだが、一時しのぎには十分だろ。この場は皇帝さんにユウナの実力を認めさせられればいい」
「それはこの前言ってた技のことか?」
レキはハレンの訊ねに頷く。
「ん。今回のは勉強だな。ここでさらに皇帝さんの動きの幅を引き出して、ユウナにデータの収集をさせる」
「それだと悠長じゃないか?」
「次の退去日まで、まだ時間はあるさ。それまでに俺がユウナを強くする。いまはそれまでしのげればいい」
「本当にそれで大丈夫なの?」
「ああ、大丈夫だ。俺がユウナを必ず勝たせる。勝てるようにする」
レキはハレンの憂慮に、力強く返答する。
それはある意味、レキ自身に言い聞かせるような言葉でもあった。
彼女を必ず、勝たせるのだと。彼女の願いを、必ず叶えさせるのだと。
そんな中、ふとハレンが意外なものでも見たかのような表情を見せる。
「君、例の顔しなくなった」
「ん?」
「あのどこを見てるかわからない顔のことだ」
「ああ……」
確かにハレンの言う通り、それはユウナにも指摘されたことだ。
だが、それもユウナと話したことで、考え方も変わりつつあった。
「ユウナにな、世の中やっぱ楽しいなって思わせてもらった」
「世の中楽しいのは当たり前だ」
「ははは、そうだな」
ハレンがばっさりと斬り捨てるということは、それだけ当たり前のことだということだ。
そんなことにも気付けないとは。よほど考えが固執していたらしい。
「でも、そう言うってことは、デートはうまく行ったんだ」
「やっぱりあれはユウナが相談を?」
「そう。どこに行ったらいいかって訊かれたから。どうせ何が好きなのかわからないんだから、それなら自分の好きなところに連れて行った方がいいって」
「そうか。今度は俺が連れ回さないとな」
「そうした方がいい」
レキが笑っていると、ふとユウナの顔が少し膨れたような気がした。通信は切っているため勝ち負けの話は聞こえないはずだが、なにが気に障るようなことでもあったのか。訊ねるような視線を向けると、ぷいとそっぽを向くように視線を外された。
その様子にさらに眉をひそめていると、ふいにハレンが聞こえよがしなため息を吐いて、やけに冷たい灰色の視線をくれる。
「どんくさ」
そして、そんなひどい言い草を浴びせかけられた。なぜなのか。
……リンドウがグリップデバイスを抜き、剣を投影する。身幅の広いロングソードであり、金と銀があしらわれた宝飾剣のような見た目をしている。
一方でユウナもグリップデバイスを抜いて、刀身を投影する。
システムが剣の投影をお互いの同意と認識したか。スタジアム中央に光学ラインが引かれる。スタジアム仕様らしく、展開されたゲーム領域は野良のバトルよりも派手であり、フィールドも広く取られていた。
観客たちの歓声が、にわかに大きくなる。
スタジアム上部に非実体ディスプレイが投影され、ユウナとリンドウの一部情報が公開された。
観客たちの手元にも、小規模な非実体ディスプレイが投影される。
ALL OR NOTHING!
宣言される文言も、二人の戦いに誂えたかのよう。
リンドウはともかくとしても、ユウナにとってはすべてを賭けなければならない戦いだ。
……やがて、ユウナとリンドウの勝負が始まった。
毎日更新はここまでです……
残りは区切りのいいところまで、パラパラと更新していく感じになります。




