第二話 いざゲームの舞台へ
――未来ってのは思っていた以上につまらないものなんだな。
それが、鳴守靂がこの未来世界の日本で18年過ごして抱いた印象だった。
未来と言えば誰もが、華やかさがあり、娯楽に溢れ、働かなくても遊んで過ごせるという、そんな漠然としたイメージを持っているだろう。
レキも、生まれ変わる前はなんとはなしにそんなことを考えていた。
しかし実際に生まれ変わってみると、そんなものは想像力を膨らませて盛りに盛っただけの幻想なのだということに気付かされた。
確かに未来的な建築物は増えたし、ファッションも先鋭的だ。
科学技術は過去のものから及ぶべくもないほど発達したと言える。
だが、娯楽に関しては様々な規制のせいで増えるどころか少なくなったし、働かなければ食べていけないことには変わりはなかった。
……レキは過去の時代からの転生者だ。
前世ではとある事情で死んでしまい、遠い未来で生まれ変わりを果たした。
転生する前は、幼少の頃から古流剣術に打ち込んでいたという風変わりな経歴を持つ。
それもあって今世でも剣術に励もうとしていたのだが、彼の前に時代が進んだゆえの大きな問題が立ちはだかった。
レキが生まれ変わった未来には、日本の古流剣術の大半が失われていたのだ。
新西暦242年。西暦で数えると2521年だという。
この未来はレキが生活していた時代からの地続きのものであるらしいのだが、前世の彼が死んでから約500年の間に起こった度重なるパラダイムシフトのせいで、日本の主だった文化や歴史はそのほとんどが失われてしまっていた。
歴史にかかわるものが多く失われたため、教科書の中身はすべてが刷新されており、建築物や服装など、日本文化はどこにも見当たらず、特に娯楽に関しては顕著であった。映画、小説、漫画、ゲームそれらの概念自体は残ったものの、過去に名作と呼ばれたもののほとんどは電脳世界のロスト・シーに沈んでいると言う始末。
格闘技に関しては、空手や柔術など主だった武術自体は生き残りを果たしたものの、もともと人口が少なかった古流武術はほぼ全滅。古流剣術はおろか学校のクラブ活動であれだけメジャーだった剣道さえもなくなっているという状況であった。
ともすれば、相手すらまともにいない状況であり、立ち合いなんて夢のまた夢。
それでも鍛錬は続けていたが、充実とは程遠いものがあった。
妹こころも、それを見抜いていたのだろう。
だからこそレキに『Swordsman’s HEAVEN』のプレイヤーにならないかという話を持ち掛けたのだ。
『Swordsman’s HEAVEN』とは、大規模対戦格闘型XRゲームに分類されるタイプのゲームだ。
大規模という言葉の通り、運営が用意した一つの広大なフィールドで、多人数参加のもと行われるゲームであり、クロスリアリティ、つまり仮想現実や拡張現実、複合現実などの技術を利用した対戦が楽しめる。
ゲーム内容は、有体に言ってしまえば物凄くリアルなチャンバラゲームだと言えるだろう。
プレイヤーたちはウェアラブルデバイスであるスマートグラスを装着し、運営側が配置した立体映像のエネミーを撃破したり、他のプレイヤーたちと対戦したりしてスコアを競う。
これは西暦2520年3月31日に始動した一大ゲームプロジェクトで、太平洋沖にある巨大メガフロート『淤能碁呂島』を舞台に展開されている。
現在は北米、ユーラシア、ヨーロッパなどでも広く展開されているほどだ。
常時3000人のプレイヤーを擁し、常にプレイヤーの応募が絶えないほどの人気を博している。
そのうえ、プレイヤーたちのバトルは各種動画サイトでネット配信されており、中でもトッププレイヤーの生配信は人気で、以前に開催されたトーナメント形式の大会では同時接続数50万を記録したこともあるという。
こうした人気爆発の理由はやはり、内容を数値化したことが大きいだろう。これまで協議にするには曖昧な部分が多すぎた武術というジャンルを、わかりやすく数値化して、比較の仕方をはっきりさせ、またランキングなども定めたのが一般に大きく受け入れられたのだ。
レキ自身も、もともとこのゲームの存在は知っていた。
人工島まるまる一つを使ったアミューズメントで、開始された当初からあちこちで大々的に宣伝されていたためだ。
動画サイトのゲーム配信のジャンルでも、24時間内のランキングに必ず数個は『Swordsman’s HEAVEN』の配信がランクインしているほどだ。ゲーム内ランキング十位内のプレイヤーの配信はとりわけ人気が高いことで知られている。
そのおかげか一定のプレイヤーならば、企業案件も付きやすいらしく、配信動画にCMが付いたり、プレイヤーが企業のロゴが入った商品を身に付けていたりするのをよく見かけるほど。
最近ではこのゲームの人気のせいか新興流派が乱立するほどらしく、ここでの宣伝も馬鹿にならないそうだ。
こころに話を持ち掛けられたあと、この話を彼女に持ってきたゲームの運営会社の社員に連絡を取って、第三期受け入れの審査枠に滑り込み、そこから各種審査を受け、晴れて合格。ゲームの舞台である人工島行きのチケットを手に入れた。
こころから「楽しんで来てね~」という緩いエールを頂いたあと、首都圏内の港に移動。
レキは現在、太平洋沖海上、大型高速船『みやこどり』に乗っていた。
向かうは人工島、淤能碁呂島だ。太平洋沖に建設された大規模メガフロートで、その大きさは政令指定都市がまるまる一つ収まるほどの大きさを誇るという。
レキが客船ターミナルから高速船に乗り込んで、すでに三十分ほど。
船外に出て波を切る音に耳を傾けていると、海鳥の声が聞こえてくる。見上げると、プロジェクターによって投射された海鳥の立体映像が、青い空をバックに高速船の周りを旋回していた。
そんな粋なサービスを受けつつ、船の白い手すりに触れる。
前世のフェリーや高速船と言えば、船体保護の都合上、定期的に塗料が塗布され表面がでこぼこざらざらしていたのが印象的だ。しかし、未来世界の船舶は丹念に磨き込まれたようにつるつるとしており、外観も曲線を取り入れたスタイリッシュな造形をしている。
合成金属と加工技術のおかげで、塩分による錆や劣化とはまったくの無縁らしい。
フェリーに乗ったときの潮臭さ、独特な生臭さもない。
プロムナードデッキの手すりに肘を置き、立体映像をぼうっと眺めていると、後ろの方から声がかかる。
「お、あんた一人か?」
「ん? ああ、そうだけど?」
「よかったよかった。ようやく話が出来そうな人間がいたぜ」
振り向くと、そこには人懐っこそうな顔をした茶髪の青年が立っていた。
パフの付いたライトグリーンの派手なアウターに身を包み、赤のスポーツシューズを履いている。全体的に未来チックでサイケデリックさがマシマシで、過去を生きた人間の感性でなくても顔をしかめるような逸脱した色使いの服装をしていた。
髪色が落ち着いているだけマシだろう。いまは遺伝子操作の影響なのか、日本人でも様々な髪色の者が増え、それが一般化しているほどなのだ。多少奇抜な色使いで驚いては生きてはいけない時代になっている。
青年の表情はにこやかだ。開いた口元から白い歯が見える。
「いやー、誰か話し相手がいないか探してたんだ。それでさっきから船の端から端まで上から下に行ったり来たり。もう足が痛いのなんの」
「他の奴らは?」
「ほとんどのヤツからは船酔い中でそっとしておいてくれって言われたぜ。いまはキャビンでゾンビみたいになってるか、電脳世界へ現実逃避しに行ってるよ」
「船酔いは船旅の付き物なのに、薬とか準備してこなかったのかね」
「船に乗るなんてよっぽど特殊な環境下にないと一生あるかないかだぜ? 船酔いって症状があること自体、今日知ったってヤツばかりさ」
「大丈夫そうなのはオープンデッキにいるみたいだけどな」
「あっちも行ったけど、みんな景色に夢中でそれどころじゃなさそうだったな。いまはもうアマチュア写真家でいっぱいだ」
「みんな海なんて仮想空間でしか見たことないだろうから」
「それはかくいう俺もなんだけど」
「こんな時代なんだ。みんなそうさ」
未来では大規模な地殻変動のせいで水位が上昇し、陸地はどこも高い外壁で囲まれるようになった。そのせいで海水浴はおろか、リアルの海を見るなんてことすらできることではなくなったという。オーシャンビューを望める一戸建てなどという不動産屋業界および建築業界の謳い文句はすでに大昔のものなり果てた。
青年が、グッドサインよろしく親指を立てて自己紹介を始める。
「俺の名前は〈ウィルオー〉……って言ってもここでのプレイヤーネームだけど」
「ん。〈レキ〉だ。ウィルオー……ってその名前」
なんとなくだが、その名前にはとっかかりを覚える。特徴的な名前で、どこかで聞いたような、そうでないような。
すると、ウィルオーは照れ臭そうに笑いながら、人差し指で頬を掻いた。
「お? いやー、俺のこと知ってた? やぱり有名人はツライねー」
「……誰だっけ?」
「おぃいいいいいいいい!? そこはあの『ウィルオー』さんですか! わー声かけられちゃったどうしよう! って言うとこじゃね!? 握手とかサインとか求められたりするとこじゃね!?」
「うん……なんだ、その、悪い」
「あ、いや、マジで謝られても。俺、実はそこまで有名ってわけでもないし、ちょっとゲーム配信してただけなんだ」
ウィルオーは、恥ずかしそうにしながら力なく笑う。
レキもその名前はどこかで聞いたような覚えがあるのだが、詳しくは思い出せなかった。
「ってことは、ウィルオーは『ソキル』からのプレイヤーなのか?」
『ソキル』とは、『Swordsman’s Kill each other』という、淤能碁呂島で行われている『Swordsman’s HEAVEN』の前身となったゲームのことだ。レキがこころから話を持ち掛けられる前にプレイしていたゲームでもある。こちらは現実空間を拡張するARゲームと違い、ゲーム専用仮想空間でゲームを楽しむ『VRゲーム』に分類されるもので、長く不動の人気を誇っている。
「そうそ。『ソキル』のゲーム配信。応募は一期からずっとしてたんだけど、やっとこの第三期受け入れで念願のプレイチケットを得られたっていうわけよ」
ウィルオーは嬉しそうだ。配信もそうだが、純粋にゲームを楽しみに来たのだろう。
「そうなのか。おめでとう」
「ありがとさん。レキもおめでとう」
「ああ」
満面の笑みで祝福してくれるウィルオーに対し、レキは静かに頷く。
実はそこまで乗り気ではないと言えない雰囲気だ。
ウィルオーと朗らかなやり取りをして、その後も世間話に興じていると。
ふいに船内通路から出てきた人物が、ウィルオーの背中にどん、とぶつかった。
「痛って……」
背後からの突然の衝撃に、ウィルオーが顔をしかめる。
「あら、これはごめんあそばせ」
返ってきたのは、お嬢様言葉を思わせる丁寧で慇懃な女のセリフ。
プロムナードデッキに現われたのは、一人の女性だった。
女性と言っても、顔立ちは少女と大人の女の境界にあるような童顔で、年上か年下か一目見ただけでは判別がつきにくい。
女性にしては高い、すらりとした長身。
オレンジの髪と赤髪を組み合わせたようなポニーテール。
服装は夏らしいロング丈のノースリーブカーディガンにベアトップ。
腕出し、へそ出し、膝出し。出で立ちは目の置き所に困るほど露出が多い。
出しなの不意な接触にも、女の様子は落ち着いていた。
ぶつかった相手であるウィルオーに対し、その身を案じるように声を掛ける。
「もし、大丈夫でしたでしょうか? お怪我はなく?」
「え? ええ、ちょっとびっくりしただけですので……そっちこそお怪我はありませんか?」
「ええ、わたくしはこのとおり何事も。この度はわたくしの不注意でぶつかってしまい、大変申し訳ありません」
女は目を閉じて会釈し、ぶつかったことを丁寧に謝罪する。
「そこまで謝ってもらわなくても大丈夫ですよ。俺もこんなところで立ち話しなんかしてたんだし、ぶつかったのは俺のせいでもあるし……なんて」
「そう言っていただけると助かりますわ」
「いえいえ」
ウィルオーとの間で朗らかな会話が交わされる中、女はふと何かに気付いたようなそぶりを見せる。
「……もしや、お二人はゲームのプレイヤーの?」
「はい。そうですよ。俺たち今日から『ソヘヴ』のプレイヤーなんです」
「それはそれは……そうでございましたか」
話を聞いた女は、笑顔を作る。
ふとそんな中、船のフローリングの上に一枚のカードが落ちていたのが見えた。
女の足もとに近いということは、女がさっきの接触で落としてしまったのだろう。
カードはまるで社員証のような作りで、左上に証明写真が表示されている。
ウィルオーも、カードに視線を落した。
「えっと……あのそれ、あなたのですか?」
「はい。確かにわたくしので間違いありませんが……もしかして、見ましたかしら? 見えてしまいましたかしら?」
「ええ」
「これはこれは……あなた方はこれを見てしまわれたのですね? これは困りましたわ」
それを見られて一体何が困るというのか。女はしきりに「困った困った」と言っている。
しかし、その口ぶりに反して、顔に張り付いているのは笑顔だ。困っているようにはまるで見ない。
そんな態度に、違和感が拭えない。
まるで能の演者が面を取るのを忘れたまま、別の演目をこなしているかのよう。
打って変わって口調の方もねっとりとしており、粘度を帯びてきている。
聞いていると、耳ごと脳を絡め取られそうな気分になってくるほどだ。
その一方でまなざしからは、罠にかかった小動物をこれからどう料理しようか、そう眺めながら考えているような、そんな酷薄さが見て取れる。
ウィルオーも女の醸す妙な空気に気付いたか、表情をわずかに硬くさせた。
女は落としたカードを拾い上げると、まるで見せつけるようにこちらに向ける。
「これはとてもとても大事なもの。絶対、他の誰にも、見られるわけにはいかなかったのですが……こうして落としてしまったらどうしようもありませんわよねぇ? そうではなくて?」
レキはウィルオーと入れ替わるようにもう一歩前に出て、女に相対する。
「一体何の話をしてるのかは知らないが、それを見たらどうなるんだ?」
「そうですわね。まことに大変残念ですが、他の方にしゃべらないよう、口を塞いでしまわないといけなくなりますわね」
「……へえ、それじゃ口でも縫い付けるって?」
「いえいえ、それだと糸を解けば自由になってしまわれるでしょう? それはいけませんわ。やるなら二度と口を開けないようにするくらいではないといけません。丁寧に丁寧に、じっくり時間をかけて」
「それは怖い」
「ええ。わたくしも怖いことだと思いますわ」
そんな話をしている中も、女の右手がポケットを外から探るように動いている。
ウィルオーが肩を寄せてきた。
(……お、おい、レキ? こいつなんかおかしいぜ?)
(……ん。そうだな。何言ってるか俺もわからん)
(……一体なにがどうなってんだよ)
妙な空気が漂う中、ウィルオーと小声でそう話していると。
「おいおい、一体何があったんだ?」
船内のドアから、作業着姿の人物が出てくる。
現れたのは、顔に傷のある男だ。細面で痩躯。背丈はレキやウィルオーと同程度。
両手をポケットに突っ込んで、軽い猫背を思わせる立ち姿。足取りは飄々としておりどことなく斜に構えた態度が窺える。
たばこの残り香なのか、煙さとバニラの甘い芳香が感じられた。
「あらあらあら、これは屋敷さま。いかがされましたので?」
「お前さんがいつまでも戻ってこないからこうして様子を見に出てきたんだよ。島に着くまで大人しくしてる約束じゃなかったのか?」
「わたくしは自由を心から愛する女。窮屈なところはあまり好きではありません」
「自由過ぎるのも困るんだが?」
「女は奔放なものですわ。それを温かく見守るのも、殿方の度量。そうではありませんこと?」
「そういうのは彼氏でも作ってそいつに言ってくれ。お前さんならおねだり一つでなんでも言うこと聞いてくれるだろ。俺たちは仕事で来てるんだ。そうだろ? お嬢ちゃん」
「はいはいお仕事お仕事。わたくしめのお仕事ぶりはお気に召すものではなくて?」
「そうは言わねえが、無用なトラブルは避けてくれないとこっちも困る」
「では、いい加減お嬢ちゃん呼ばわりをやめていただきたいのですが」
「それはお前さんの態度次第だ? つーか一体何があった?」
女から屋敷と呼ばれた男は、場にわだかまった剣呑な気配に気付いたのだろう。
呆れたようにそう訊ねると、女はまた猟欲に満ちた笑みを見せる。
「これを、見られてしまいまして」
「……おい」
カードを見た屋敷の声が、一段低くなる。すぐに、女に咎めるような視線を向けた。
「わざとか?」
「いえいえまったくそんなつもりは。わたくしの不注意でポケットから零れ落ちてしまったのです」
「そうは見えねえんだよ。お前が不注意なんぞするタマか」
「タマ……お下品な言葉遣いはよしていただけませんこと?」
「……頼むから自分から騒ぎを起こすのはやめてくれよお嬢ちゃん」
屋敷と女の視線がぶつかる。お互い何かを探り合っているのか。
「ですが、こうして見られてしまったのです。なら、相応の対処が必要ではなくて?」
「いらねえよ。不必要に騒ぎを起こそうとしないでくれ」
「一人や二人くらいどうなっても構わないと、そうは思いません?」
不穏な言葉。ウィルオーは「えっ?」と驚きの声を上げ、レキはそのまま沈黙を保つ。
女の笑みが、二人の方を向いた。
「抵抗しても構いませんよ? わたくしも活きのいい相手は嫌いじゃありません。むしろ楽しむ時間が増えるので」
「おいおい、ははは、冗談はやめてくれよ」
「冗談? これが冗談に聞こえまして?」
女はウィルオーの返答を玩弄するかのように、忍び寄るようにそろそろと足を動かして近づこうとする。
直後、屋敷が口を開いた。
「――おい」
口にした威圧的な声に、女は一度立ち止まる。
しばらく何かを探るように黙っていたが、やがて降伏の意志を示したいのか両手を軽く上げた。
「先ほどそちらの方が言った通り、冗談ですわ。じょ う だ ん。本気にしないでくださいまし」
「いまのはいくらなんでも行き過ぎだっての」
「あら、こんなやり取りなんて殿方との戯れのようなもの。そうですわよね?」
女はレキとウィルオーに同意を求めるようにウィンクするが、もちろん返事はできない。
レキはウィルオーと二人黙ったまま立っていると、屋敷が口を開く。
「まったく……どうしてこんなアブナイお嬢ちゃんの世話なんか押し付けられちまったんだか」
屋敷はそんなことを言いながら、女と入れ替わるように前に出た。
まるで狙ったかのように、間境ちょうど手前で歩みを止める。
両手はポケットに突っ込まれたまま。
猫背のような体勢。
足運びはひょいひょいと足を持ち上げる猫のよう。
ともすれば野暮ったい、田舎臭いと言われそうなそれらと、飄々とした表情とは裏腹に、言葉では表現し切れない威圧感がある。
「悪ぃな。仲間がちょいと失礼した」
「いえ、こちらも船に乗って浮かれていたところで。いい刺激になりました」
「そうか。すまねえな」
屋敷と適当に話を合わせる。
口にした言葉はともかく、和解にしてはいまだ剣呑な空気のままではあったが。
お互い品定めするように対峙して、しばらく。
先に鉾を収めたのは、屋敷の方だった。
「いくぞ」
「あら、本当によろしいんですの? 見られてしまったのですよ?」
「いいんだよ……まあ、お前さんがどーしても海水浴がしたくてしたくて堪らないのなら、これ以上とやかく言うつもりはねえが」
「あら屋敷さま。いくらなんでもそれは剣呑が過ぎるのではありません? わたくしと屋敷さまは言うなればお仲間。なら、契約満了のそのときまで、手と手を取り合ってことに当たるのが正しいあり方。そうではありませんこと?」
「そうだな。だけどそれは、お前さんが大人しくするっていう約束を守ってくれるならの話だ」
「あら、言われてしまいました。ですが、そのような物言いはよろしくないのでは?」
「俺じゃねえよ。俺じゃあな」
「……?」
女には、その言葉の意味が理解できなかったらしい。
そんなやり取りを終えると、女はレキとウィルオーににっこりと微笑みかけてくる。
「お騒がせしましたわ。では、ごめんあそばせ」
屋敷は船内に戻り、やがて女もそれに続くようにして戻って行った。
レキは扉が閉まったのを確認して、身体の緊張を解く。
「……やれやれ、一体なんだったんだか」
「勝手に話して、勝手に帰っていきやがった」
ふと、ウィルオーが何かに気付いたように囁いてくる。
「なあ、あの女、なんか持ってたみたいだったが?」
「それっぽいな。護身具かなんかなのか……なんにしても危ない奴だ。あれもプレイヤーなのかね?」
「いやー、問題を起こしそうな連中は事前の審査で弾かれるはずだぜ? それに、あの話ぶりじゃあプレイヤーっぽくないし」
「うーん」
「あと俺、気になったことがあるんだ」
「それは?」
「レキもあの社員証、見たか?」
「ん。あれか。どっちとも違う顔だったな」
「それと絡んできた女、もう一人の男をプレイヤーネームで呼ばなかった」
「……そう言えばそうだな」
ウィルオーの言う通りだ。ゲームに参加する人間はプレイヤーネームで呼ぶ決まりがある。
それを守っていないということは、作業員かもしくは島を訪れる貴賓ということになる。
作業着を着ていたため、やはり作業員なのだとは思うが。
積極的に問題を起こすスタッフや貴賓もどうかと思うが。
……ともあれそんないざこざはあったが、しばしそのままプロムナードデッキで他愛ない話に興じる。
やがて海の真ん中に建造物が見えてくる。
ゲームの舞台である淤能碁呂島は、高い壁に囲まれていた。
外壁は錆とは無縁の特殊金属で固められており、浸食防止にしては高すぎるうえ、消波ブロックの数も並みではない。
外への防備の手厚さは、まるで要塞を思わせる。
「見えたぜ見せたぜー! ついに淤能碁呂島に来ちまったぜー!」
ウィルオーが元気よく叫ぶ。
……折角妹が気を使ってくれたのだ。
願わくは、求める強者がいることを。
レキはそんなことを考えながら、ふと背後を振り返る。
彼の目に入ったのは、先ほどの男たちが去っていたドアだ。
猟欲がにじんだ女の笑顔も不気味だったが、レキが最も気になったのは屋敷と呼ばれた顔に傷のある男だ。
「屋敷、か」
一見猫背にも見えるような身体の縮め方。
猫や猿を思わせる隙の少ない足運び。
水月を取らせない動き。
最後まで見せなかった手の置き所。
それを見て、レキは思う。
もしあれがプレイヤーだったのなら、この胸にぽっかりと開いた穴も埋められるのではなかろうか、と。
それをどことなく残念に思いつつ、淤能碁呂島に視線を戻したのだった。