第二十七話 金蓮花の憂鬱
淤能碁呂島東区画には、ハイウェイエリアが置かれている。
昔の高速道路を模しているのか立体交差を再現しており、渦を巻くようなカーブや、上下の交差など、複雑な構造になっている。
車道ではあるが、島を巡るプレイヤーの安全性を考慮して、車両の交通はほとんどない。あって物資の運送だが、それが行われるのも深夜であり、車両が通行する際はプレイヤーが入れないよう入場規制がかかる。
夜になると他の区画と同じくライトアップされ、美しい夜景が楽しめるという。
そんな深夜の立体交差を、一人の少女が疾走していた。
色素の薄い金髪を結ってまとめ、その顔は額当て型のバイザーで隠れて杳として知れず。
服装はドレスと鎧を組み合わせたようなコスプレじみた出で立ちで、腰には一振りの直剣を差している。
まるでファンタジー系統のゲームに登場する騎士風のキャラクターのような見た目だ。
足に装着した自走シューズを唸らせてアスファルトの床面を滑る様は、さながらスケートリンクでゴールタイムを競うスプリンターを思わせる。無論その速度は比べ物にならないほど速いのだが。
――サラ・ミカガミ。
ゲームのランキングでは第四位。運営からは『金蓮花』という称号ないし異名を送られた実力者である。島内では名実ともにトップランカー。しかし、彼女はいちプレイヤーであるが、ロンダイトの職員でもあるという特殊な事情を併せ持っていた。
職務は主に島内のパトロールだ。島内を巡回し、警備に当たる。そのほとんどが素行の悪いプレイヤーの取り締まりだが、有事に当たっては不審者の摘発なども行うことも少なくない。島内には多くの警備ロボや警備AIが存在するにもかかわらず、彼女がこうして警備に駆り出されるのは、その権限レベルの高さゆえだ。
セキュリティレベル4以上のアクセス権限を有するため、独自の判断で動けるうえ、ときには各種ロボやAIに命令を下せる立場にある。
(過激派か……)
サラはふと足を止め、夜空を見上げた。
この頃、島内がやたらときな臭い。どうやら招かれざる客人が入島しているらしく、そのせいでこの前も突然朝から呼び出され、怪しいと思われる場所を巡回することになった。
人権過激派。AIを排斥しようという団体の中でも最も急進的な主義主張を行う集団だ。
彼らはAIを攻撃できるのであれば他の被害などお構いなしという連中ばかりで、本土でもたびたびAI関連の事件を起こしている。
一刻も早く見つけて取り締まらなければ、プレイヤー、特にAI知性体たちに被害が出る恐れもあった。
だが、島内の自由な取り締まりには高い壁が立ちはだかる。
島の運営はスポンサーに頼っている面もあるため、場所によってはロンダイトの権限では立ち入れない場所があるのだ。中央区にあるリゾートホテル八尋殿やスタジアムドームは運営が管理しているが、それ以外はどこもスポンサーである他企業の承認なしには出入りすることは難しい。
そう考えると、ゲーム以外のことに関しては意外にロンダイトの権限は高くない。
……枝分かれしたハイウェイの先には、同じ区画内にある工場エリアとはまた違う雰囲気の建物群が立ち並んでいる。
やがて正面に、侵入不可を示す『立入禁止』の文字がホログラム表示された。
この先にはゲームの協賛企業所有の建物が複数ある。協賛企業の技術にかかわる資料も置かれているため、ロンダイトの職員でも自由な立ち入りは制限される。
サラは一旦立ち止まり、バイザーに内蔵された通信装置を用いてオペレーターと連絡を取る。
「こちら『金蓮花』サラ・ミカガミ。オペレーター応答願う」
『はい、サラ様。こちら淤能碁呂島警備本部なのです』
「指定された場所に到着した。それで、不審者がいるのは?」
『はい。この先なのですよ』
やはりと言うべきか、オペレーターが示したのは、立ち入り禁止表示がある向こう側だ。
「……このままいくと協賛企業の管理区域に被る。わたしの権限ではこれ以上の立ち入りは危険が伴う」
『ですが、上からの指示は東区画にいる不審者の捕縛なのです』
「協賛企業と話は付いているのか?」
『いえ、今回の巡回は伏せられたものだそうです』
「…………」
サラは上層部の意図を不審に思う。
不審者の捜索および逮捕を、なぜ協賛企業に伏せる必要があるのか、と。
それではまるで、不審者の捜索を協賛企業に知られたくないようにも思えてしまう。
訝しい部分はいくつもあったが、ともあれこのままでは不審者に対する自動迎撃システムが作動する恐れがある。致死性のものではなく、電気ショック程度だが、それでも危険なことには変わりない。
『サラ様には、このまま捜索の続行をお願いしますのです』
「要はわたしに身を切れと?」
『大変申し訳ないのです』
無許可での突入は危険を伴う行為であるため、なるべくならば力技の侵入は避けたいところ。しかし、オペレーターは上層部に異議を申し立てる権限を持たないため、それを言っても仕方がない。
先ほどから別途で本部を呼び出しているのだが、そちらは知らんぷりだ。本部の警備責任者の思惑が透けて見える。
「まったく面倒だ」
オペレーターとの通信を切って、疲れたように呟く。
こういった仕事のやり方には辟易させられるが、そうも言っていられない。少し前には過激派と見られる連中に友人が襲われたのだ。面倒だから嫌だと言って怠れば、また危険な目に遭わせてしまう可能性も否定できなかった。
――以前の巡回では結局無駄足を踏まされたが、次は必ず挙げなければ。
サラはそう自分に言い聞かせて、剣の柄を握りしめる。
手に持つのは、ゲームで使うグリップデバイスではなく、警備のために作られたスタンソードだ。威力は通常のスタン系武装を凌駕し、人体、人工躯体にかかわらず一撃で行動不能にできるほどの電圧をかけることができる。たとえ絶縁仕様の装備を用いていたとしても、痛撃は免れないだろう。
自走シューズを起動させ、表示された『立入禁止』の文字をすり抜ける。
自動車にも迫る勢いで坂を下る一方、背後では、いまし方すり抜けたホログラムが赤く点滅して、けたたましい警告音を発していた。
やがて、目的のエリアに到着する。
協賛企業が有している建物群の一画だ。
周囲は背の高いフェンスで囲まれており、ところどころに置かれた街灯が敷地内をまばらに照らしている。敷地の端にはパッケージングされた荷物が無造作に積み上げられ、ひどく雑然とした様相。あちらこちらに監視カメラが設置されているが、なぜかそれらが動いているような気配はない。
それを疑問に思いつつも、サラはフェンスを乗り越えて敷地内に侵入。忍ぶように降り立ち、周囲の様子を窺っていると、ふいにサーモカメラが反応する。
バイザーに、人型の熱源が映し出された。
ここは立ち入り禁止区域であるため、プレイヤーはいないはず。
かと言って夜間の巡回は警備ロボや警備AIの領分であるため、人間の警備員がいるはずもない。
熱源の数は三つ。物陰に身を隠しながら覗き込むと、みなまるで倉庫内を整理する業務に就く者が着るような作業服に身を包んでいる。業務を委託している他企業が扱っている作業着であり、社員証のようなカードもぶら下がっている。遠間からの映像を拡大して照会すると、確かに顔の登録もあった。
だが、どうも不自然だ。業務に従事せず、動きは周囲を窺っているようなものにも見える。そもそもここでは作業着が必要な業務は行われていないはず。
サラは彼らの前に躍り出て、すぐにスタンソードの切っ先を向けた。
「止まれ」
「っ!? なんだ貴様!?」
切っ先を向けた相手から誰何の声が上がるが、すぐに他の人間が「金蓮花……」という呟きを発する。トップランカーは公式の露出も多いため、島内では特に有名だ。見覚えがあったのだろう。
「それはこちらのセリフだ。お前たちは何者だ? 名前と所属と言え」
「……照会先がある。そちらでスキャンしてもらいたい」
問い質すが、どうも会話がかみ合わない。
しかし、見せられた社員証と思われるカードは、やはり登録がある。
「確かにそのようだ。だが、報告ではこの時間の作業予定はないはずだが?」
「予定外の作業が入っただけだ。作業と並行して申請を行っている」
「ものは言いようだ。こちらには不審な輩がうろついているという報告が別の企業から入っている。全員黙ってついて来てもらおう」
「横暴だな。そんなことをすれば、ウチの企業から抗議が入るぞ」
「そんなことはわたしには関係ない。なにかあれば責任は上が取ってくれる」
「ロンダイトでも許可のない立ち入りはできないはずだが?」
「それも同じだ。責任を追及したければ上に言え」
「…………っ」
無理やり押し通そうとすると、作業員は言い返せずに口ごもる。
しかし、付いてきそうな素振りはない。身構えたまま、こちらの様子を窺っている。
「あくまで抵抗するということか」
サラがそのまま捕縛に動こうとすると、作業員たちが懐から拳銃を取り出した。
「っ、しゃべる計算機風情がっ!」
作業員が吐き捨てるように言い放つ。それは人権過激派のテロリストがAI知性体に対して使う蔑称だ。普通そんなことを言えばヘイトスピーチで取り締まられるため、口にする者は彼ら以外にはほとんどいない。
すぐさま靴の先を叩いて、自走シューズを起動する。出力は最大。足首から下だけ持っていかれないよう重心を素早く移動させ、上体を前倒しにするような姿勢を取る。
そのまま一気に距離を取ると、発砲音のあと、先ほどまでいた場所に実弾が打ち込まれた。
「チィ、金蓮花の疾走剣か!」
「ゲームと同じだと思ったら大間違いだぞ!」
テロリストたちが警戒を促すように叫ぶ。
確かにゲームと実戦は違う。だが、決してゲームが実戦に劣るものだとは思わない。ゲームとて、真に近付けさえすれば、それは実戦に挑んでいるのと同じなのだから。
サラは走行しながら、テロリストたちの動きを見つつ、脳内に埋め込まれたニューロディテクターを起動。機械の力を用いて反応速度を向上させたあと、狙いを付けようとこちらを窺う銃口の位置を設定。バイザーに搭載された予測AIが銃口の角度からその軌道の演算し、視界の上に重ねられる。
銃のメーカーやそこから想定される残り弾数の表示。m/s。
予測された攻撃線を表す、青い光条。
その軌跡を、撃ち放たれた銃弾がスローで沿っていく。
「あ、当たらない!?」
「気を付けろ! 強化された躯体だぞ!」
サラはそんな見当違いなことを言っているテロリストどもを尻目に、周囲を回りながら翻弄する。実弾ならば弾数に限界があるし、いちいちリロードも必要だ。アサルトライフルならまだしものこと、装備は拳銃で、人数も三人しかいない。一人でも余裕をもって制圧できる。
「無駄撃ちするな!」
「だがっ!」
テロリスト共は銃の扱いにはこなれているのか、リロード速度はなかなかのもの。
しかし、こちらはすでに予測も加速も味方にしている状況にある。
弾丸が切れるタイミングを見定め、急転身で足元に火花を散らしながらテロリストの一人に素早く肉薄した。
「しまっ――」
「ハッ!」
肩口にスタンソードを叩きつけて電気ショックを与える。
テロリストは一瞬突っ張るような挙動を見せたあと、その場に倒れて動かなくなった。
「どんくさ」
一言、失望したようにそう告げると、残されたテロリストたちがにわかに色めき立つ。
そんな中、ふいに背後から物音が聞こえた。
複数の足音だ。すぐに自走シューズを動かして、その場から滑るように離れると、衝撃と電撃が床面を強く叩いた。
「仙波さん!」
テロリストが呼びかけた先から現れたのは、彼らと同じ作業着をまとった痩せぎすの男だった。
頬はこけ、目は落ちくぼみ、前髪は必要以上に長い。
全体的に不気味な雰囲気を醸し出しており、不穏さが際立っていた。
そして、手に握られているのはスタンウィップだ。
先ほどの衝撃と電撃の正体はこれだろう。
「ヒヒッ、よくいまのをかわしたな」
「お前も過激派の仲間か」
「そういうことだ」
「仙波さん、援護を」
「いい、俺にやらせろ。あんな小娘みたいな女AI一人で十分だ」
「小娘とは言ってくれる」
「ヒヒヒヒヒッ! 可愛がってやるぜぇ……」
仙波は不気味な笑いを響かせながら、スタンウィップを振るう。
銀色の蛇がアスファルトの上を波打つようにのたうち、時折青白い稲妻を弾けさせる。手元の動きは、まるで愛玩動物でも撫でるようにゆっくりだが、先端は打って変わってその速度を増していく。
まもなく、その硬質な先端が飛んできた。
サラは自走シューズを操ってそれを回避する。
先端が一瞬、目がくらむようほど発光を示し、打擲された床面が弾けるように砕けた。
「……っ」
縦横無尽な鞭捌きだ。周囲の床面を強く叩きながら動かすさまは、まるで断線した電気ケーブルが跳ねているかのよう。発光の度合いから、おそらくは丸焼きになるような威力があるだろう。
そんな中、ふとスタンウィップの電圧が目に見えて弱まった。
どうしたのか。サラがそう考えていると、仙波がそれを見越したように口を開く。
「ヒヒヒ……一発で機能停止させたんじゃ面白くねえ。嬲ってやるよ」
「……趣味の悪い男だな」
「誉め言葉だねぇ! おらっ、いい声で啼きなぁ!」
仙波と呼ばれた男は蛇のように長い舌を垂らしながら、スタンウィップを激しく動かす。
サラはバシン、バシンという鞭を叩きつける音を間近で聞きながら、飛んでくる合間を縫うようにかわしていく。スタンウィップの動きは不規則だが、『空木双剣』ほどの意外性はない。
予測AIを十全に利用すれば、軌道を読むことは可能だ。
右。左。右。右。左。前。後ろ。表示を良く見て、リズムよくかわしていく。
そんな中、予測AIがバイザーに機会を映し出す。正面が開いた。シューズの出力を最大にさせて、一気に懐まで潜り込む。
そして手元に狙いを付けて、スタンソードを打ち込んだ。
「セイっ!!」
「ぐっ!? 舐めるなぁ!」
しかし、仙波はすんでのところで持ち手を上げ、切っ先から手を守った。
遅れて、スタンウィップ薙ぎ払われる。
それを回避しようと後退するも、圏内から離れる前に、スタンソードの刀身にスタンウィップが巻き付いた。
「くっ……」
「ヒヒヒッ! 油断したなぁ!? ショーはこれからだぜぇ!」
同じスタン系の武器であるため通電はしないが、想像以上に力が強い。スタンウィップを持つ手は片手であるにもかかわらず、踏ん張ろうとしても身体ごと持っていかれそうだ。
痩せぎすのくせに見た目以上の腕力がある。
おそらくは身体の各部をサイボーグ化させているのだろう。
スタンウィップに引っ張られ、身体が浮き上がった。
「なっ……!?」
「しっかり踏ん張ってないと、すぐにボロ切れになるぜぇ!」
仙波がスタンウィップをめちゃくちゃに振り回す。それに引っ張られ、サラの身体も左右に振り回される。先ほどスタンウィップを振るっていたときと同じ、人一人分重量が増えたにもかかわらず、重さなどまるで感じていないかのよう。
コンクリートに叩きつけられないよう身体をうまく操作して、鞭の動きに付いて行く。スタンソードを放せば逃れられるのだろうが、そうすれば応戦できなくなってしまう。
「おらっ、おらっ、おらぁ!」
サラが対応に苦慮する中も、仙波は執拗にスタンウィップを動かして、彼女を責め立てる手を止めようとしない。
「くっ、うっ……」
やがてサラの身体が、敷地端に置かれた荷物に叩きつけられた。
ふいの衝撃のせいで、肺から空気が押し出される。
「ぐっ……あぐっ!!」
「ヒヒヒヒヒッ!! いいねえ、もっと啼けよ! 啼いてみせろよ! テメェら計算機にはそんな価値しかないんだよ!」
膝が擦れる。
まだ。
肘が痛みを訴える。
まだだ。
体勢が大きく崩れそうになる。
もう少し。
サラが痛みに耐えながら隙を狙っていた折、仙波の力がわずかに緩んだ。
スタンウィップが引かれるのに合わせて、全力で跳躍する。
「なっ――!?」
「はぁあああああああ!!」
引かれる力を利用した跳躍で一気に間合いを詰め、仙波の側頭部に蹴りを見舞った。
「ぐぁっ――!」
仙波は衝撃で一瞬意識が飛んだのか、一瞬スタンウィップの戒めが緩む。
すぐにスタンソードをスタンウィップから引き抜いて、それと同時に離脱。
余計な勢いを回転で殺しながらさらに後ろに下がり、スタンソードを構え直した。
「この計算機如きがぁ……」
仙波は頭部に衝撃を受けたせいでふらついていたが、すぐに体勢を立て直し、スタンウィップを構える。
表情は、憎しみでゆがんでいた。
「随分自分の力に自信があるようだが、この程度で調子に乗られては困る。『Swordsman’s HEAVEN』のトッププレイヤーはもっと容赦のない動きをしてくるが?」
「なんだとぉ!? たかが計算機の分際でよくもこの俺にそんなことを言ったな!」
「計算機……計算機か」
「は――なんだ!? 気にでも触ったかよ!?」
「いや、お前たちはいつも言うことが同じだなと思っただけだ。状況によって応答を変える旧式のAIの方がよっぽど頭がいいくらいだ」
「んだとぉ!?」
サラの挑発に対し、仙波は顔を真っ赤にさせて色めき立つ。
それによって戦いがさらに激しくなると思われた、そんなときだった。
「やれやれまーた騒ぎかよ」
億劫そうな物言いと共に、どこからともなく一人の男が現れる。
そこにいたのは、痩躯の男だ。カミソリのように鋭い目つきをしており、顔には向こう傷が縦に一本引かれている。軽い猫背なのか。肩がわずかに前に下がっているようにも見えた。
いまはやけにかったるそうに、後ろ頭を掻いている。
この男も仙波と同じく、銃を持っていない。
それどころか、腰に剣を差していた。
数は二振り。軍用の高周波振動ブレードでも、スタン機能もなさそうな平凡な武器だ。
まるでクレハが使うような洋刀に近い形状をしている。
反りを持った刀身、武骨だがどこか厳かさを感じさせる装飾。
その武器は、最近よく見るようになったものだ。
グリップのデザインも、まったくそれと同じ。
テロリストたちが「屋敷さん……」と声を上げる。先ほどから名前を呼び合っており、不用意に思えるが、名前が露見してもさして問題はないのだろう。
そもそもこの管理が行き届いた社会では、匿名性は保証されない。テロリストとて、身元の露見ありきで動かなければならないはずだ。
屋敷と呼ばれた男が、仙波の方を向く。
「仙波、代われ」
「っ、屋敷さんよ。獲物の横取りは勘弁して欲しんだがな」
「文句があるならさっさと倒しとけよ――そろそろ警備がすっとんで来る。他の連中をまとめて下がれ。命令だ」
「……チッ」
仙波は不服そうに舌打ちすると、大人しく後ろへ下がった。
どうやら立場は屋敷の方が高いらしい。
「次は俺の相手をしてくれ」
屋敷はそう言うとこちらに向かい合い、二振りの内の一振りを引き抜いた。
刀身に反射した月光が一際ギラギラとした光沢となり、刃面をするりとなぞり落ちる。
その様が、恐るべき切れ味を想像させる。まるで金属すら容易に断ち切れそうなほど。
「ガラス金属製……単分子カッターか?」
「おしいな。ちょっと違うが……ま、似たようなもんだ」
「妙なものを持っている」
単分子カッター。刃先が分子一つ分の厚みしかない刃物のことだ。作業用機器や軍用のパワーローダー、軍用ナイフにもよく使われる構造で、その切断能力は高周波ブレードにも匹敵する。だが、似たようなもの。見た目とは裏腹に、別の何かしらなのか。
手は薄手のグローブで守られており、スタン系の武器への対処が窺えた。
屋敷は刀の峰で肩をポンポンと叩きながら、歩み寄ってくる。
「二刀使いのくせに二刀を使わないのか。舐めた真似をする」
「宮本武蔵よろしく、無闇に二刀を使うのが二刀流じゃない……ってな」
「なんの話だ?」
「知らねぇよなぁ。ま、それくらいは知ってるさ」
屋敷はおどけるように肩をすくめると、すぐに構えを取った。
見覚えのある構えだ。足の動かし方や構えなどが、あの青年とひどく似ている。
サラは屋敷の動きに速度が乗る前に動き出す。
一方で屋敷はサラが切っ先を動かすたびに、さながら地面を探るかのようにしきりに右足を動かしている。一体何をしているのか。そんな挙動も、サラにあの青年の動きを想起させた。
サラが剣を繰り出す。
横をすり抜けるような一撃目。
反転して背後への二撃目。
どちらも、屋敷には当たらない。足運びのみで、悠々とかわされてしまう。
屋敷が大きく距離を取った。
そこを狙って、技を打つ。
――疾走剣 一ノ剣 一矢滑走
剣を右手に持って、弓矢を扱うかのように大きく後ろに引き、自走シューズの最大出力を発揮。ホイールがコンクリートを擦過するけたたましい音を鳴らして足元に火花が散り、やがてサラの身体は矢のような速度で前方に飛び出した。
後退中の相手を串刺しにする、渾身の突き。
だが、屋敷はまるでその動きを「見え透いている」とでも言うように一度嗤って、スタンソードの切っ先を刀でそっと受け流した。
「――ッ!?」
サラの剣は右方向に逸らされ、彼女の身体もまた、剣に合わせて屋敷の右側に抜けてしまう。
そんな三撃目をかわされた直後、屋敷が剣を取り上げる。
バイザーの予測AIが彼の剣撃の軌道を示した。
それを避けるように、身体を左に傾ける。
ふいに屋敷の口もとに、不敵な笑みが浮んだ。
「へっ」
「くっ――!?」
屋敷の斬撃が波を描くようにうねる。AIが予測した場所とはまったく見当違いの場所に、刀の物打ちが襲い掛かってきた。
それを、身をよじるようにしてかわすが、刀が頬を浅く切り裂いた。
……ニューロディテクターがなければ、首の動脈を斬り裂かれていただろう。
サラは機能のすべてを最大の出力で使用する。屋敷を惑わすようにジグザグに動き、ひとところに止まらない。並みの相手ならば、視界に捉えておくだけでも精一杯だろう。たとえ強化視覚センサがあっても、そうそう追いつくことはできないはず。
都合八回のフェイントで屋敷の視線を切った直後、即座に肉薄し、剣を袈裟掛けに振るう。
疾走剣 八ノ剣 疾走八破
「せぁあああああああああ!!」
だが、
「よっ……と、おお、速え速え」
その剣撃は何の苦もなく受け流された。まるで樹木の枝葉を払いのけるように、優しく。
カウンターを考慮してすぐに後ろに退避する。
追撃はなかった。だが、受け流されたのは頭に走った衝撃は追撃と同等のものだった。
「そんなバカな……」
強化義肢とニューロディテクターの機能全開で使った一撃だ。
ここまで行くと人間が反応できる速度ではないはずだ。にもかかわらず、目の前の男にはまるで通用しなかった。
「なぜいまのをかわせる……?」
「なぜ? そんなこと決まり切ってるだろうが」
屋敷は嘲るように笑いながら、
立ち合いに 思い設ける 水と月
影を映せば 太刀は届かぬ
そんな、独特の韻を踏んだ歌を口ずさむ。
そしてこちらに忠告するかのように再び口を開いた。
「お前の剣が俺に当たらないのは、お前が『剣士が見るべきもの』を見ていないからだ。立ち合いに必要なことができてなきゃ、剣が届かねえのが道理ってもんよ」
「剣士が見るべきもの、だと?」
「そういうこった」
屋敷が口にした、剣士が見るべきもの。
それは以前、誰かが言っていたのではなかったか。
あの青年も「見る必要のあるものを見ていない」とそんな意味合いのことを口にしていた。
そんなことを思う中、屋敷が動く。
ふいに振るわれた刀を、剣の鍔で受け止めようとしたそのとき。
脳内に、電流が走った。
――鍔を利用した防御をするとき、手指を切られてしまうからだ。
それは、少し前に聞いた言葉だ。刀は反りがあるため、切っ先が鍔を乗り越えてくるのだと。
サラはすぐに己の剣の特徴を思い出す。
この剣の鍔は直線的で細い。いつも扱っているグリップデバイスと違って、剣身と合わせてさながら十字架のような形をしている。
であればと、すかさず指を緩めて持ち手に角度を付けた。小指と薬指で強く握り、人差し指と親指の握りに余裕を作る。それと同時に、刀の刃が先ほど手指のあった場所、鍔元の上をするりと忍び込むように掠めていった。
「っ――!」
まるで影が這うような一刀が通り過ぎたあと、圏内から逃れる。
柄をしっかりと握ったままであれば、いまので手指の腱が斬られていただろう。
「お? 握りをうまく入れ替えたのか、あのタイミングでよく反応できたもんだ」
屋敷の口ぶりは軽やかだ。まるで、良いことをした子供を褒めるかのよう。
余裕を演出しているが、しかしサラはその隙に付け込めない。
ふと、彼が何かに気付いたかのように意味ありげな表情を見せる。
「ま、頭にニューロディテクターでも仕込んでるってところだろ。いまじゃ警備の人間だってそう珍しくねえ話だ」
「…………」
ふいに、屋敷のまなざしが鋭利さを帯びた。
「だが、いまの動きには、古流の息遣いがある。お前、一体それをどこで知った?」
「…………最近は、その古流というのが流行っているのか?」
「流行る廃れるってのはとっくの昔に過ぎ去ったもんだ。だからこそ古流なんて呼ばれてるんだろ」
「聞いたことはない」
「ならどうしていま確認するようなことを言った? まるで他に見たことがあるような物言いだったぜ?」
「さあ?」
「…………」
サラがはぐらかすと、屋敷はどこか考えるような素振りを見せる。
「お前、ウルフカットの男を知っているか? 白のメッシュが入った紫の髪で、紫の瞳の底に刃のようなギラつきがある剣士だ」
「……それがどうした?」
「いや、もし知っているならその男なんだろうなと思っただけさ」
屋敷はそう言うと、また構えを取った。
左半身を前に出して、切っ先を後ろに向けて刀を我が身に隠す構えだ。
……これに対して下手に剣を振るうと、下から回ってきた刀に払われる。
だからと言って上段から肩口を打とうとすれば、上から回ってきた刀がこちらの剣を打ち落とす。
あの青年の剣技が頭をよぎった直後、予測AIが最適な軌道を示す。
しかしてそれは、友人があの青年に剣を打ち落とされて敗北したものと全く同じものだった。
(どういうことだ……)
先ほどから、予測AIがまったく用をなしていない。まるで見当違いな手を、最善手として出力している。
なぜなのか。それはやはり、予測AIもまた見るべきものを見ていないためなのか。
男の刀が半円を描くように振るわれた。すぐさま剣と身を退き、打ち合いから逃れる。
「さすが、打ち合わないか」
「以前にそれで相手の剣を打ち払って、一方的に頭や手を斬るのを見た」
「合し打ちか、一刀両断か……そうだな。当然あいつなら使えるだろうな」
「どうして知っている? その男とは知り合いなのか?」
「情報を知ってるってだけさ。会ったのは前も今も合わせて、ここに来るための船が初めてだ」
屋敷はそんなことを言った折、その身から発せられる圧力を高める。
目に見えない何かしらの波が、サラの皮膚をびりびりと刺激する。
手や膝が自ずから震え。
視線が動かせなくなる。
これは一体なんなのか。
『闇冥剣』マナ・クリシタと相対したときも、こうはならなかった。
やがて、屋敷がもう一振りの刀を抜く。
「――なかなかだが、まだまだだな」
屋敷がそんな言葉をこぼした直後だった。
膨れ上がった殺気がのしかかってくる。
身体が、動かせない。
屋敷はその間も鷹揚に近づき、やがて腕を交差させるように構えた。
予測AIがバイザーに、八の字を描くような軌道を見せる。
屋敷の剣が、太刀風を唸らせた。
これを受ければ死ぬ。
死にたくはない。
そう、まだ自分は死んではいけないのだ。
「あああああああああっ……!!」
サラは腹の底から力ふり絞って声を上げ、それこそなりふり構わず、身を投げ出すようにして切っ先から逃れた。
そのまま地面を転がる。顔や身体をすりむいても、一向に構わなかった。
腕や身体の動きを加えて、距離を延ばす。
多少無防備な時間があったが、しかして屋敷からの追撃は来なかった。
「逃れたかよ。無機質にしている割にはなかなか熱があるじゃねえか」
「っ、貴様……」
「だが、お前のその不穏な月はなんだ? 剣の真っ直ぐさに反して随分と黒いぜ? 何が混ざってる? その混ざり物の何が気に食わない?」
「っ、なんの話だ!?」
「おっとっと」
すぐに立ち上がって乱暴に剣を振るうが、屋敷はひらりと身をかわす。
そのときだ。設置されていた迎撃用の砲塔がこちらを向き、けたたましい警告音を発する。
いつの間にか迎撃システムの設置された領域まで踏み込まされていた。
このままここにいれば、撃たれる。
サラはすぐさまその場から離脱。
気付けばテロリストたちはみな、領域内に下がっていた。
「どうしてお前たちは撃たれない?」
「俺たちは、許可されているからな」
「ハッキングか」
「そういうことだ」
淤能碁呂島内の施設は複数の企業が絡んでいるため、セキュリティの質が高い。それでもこうして支配下に置いていると言うことは、この連中はそれだけ腕のいいハッカーを味方に付けているのだろう。
こうなると追撃は難しい。
やがて、後ろに下がっていた仙波が現れる。
「……屋敷さん。こっちは終わったぜ。いつでもいい」
「そうか。じゃあそろそろお暇させてもらうか」
このままおめおめと見逃すなどしたくはない。だが、銃口に狙われているため手を出すことができない。
それでも、口くらいは出さずにはいられなかった。
「揃いも揃って逃げるのか?」
焦りを隠したままそんな煽り文句を口にすると、仙波が敵意をむき出しにする。
「このっ……」
「悔しかったら、ここまで来て私を倒して見せることだ。貴様には無理な話だろうが」
「覚えてな。テメェは俺がぶっ壊してやるよ……」
仙波がそう言い残して引いていく中、屋敷と呼ばれた男が口を開く。
「金蓮花」
「……なんだ?」
訊ねるが、しかし屋敷は声を出さず、口を動かすのみにとどめた。
その動きをバイザーに記録して、読み取る。
屋敷も少し遅れて、暗闇の中に去っていった。
……まもなく、こちらの応援が現れる。
複数のロンダイト所属の警備AIと、青髪のAI知性体。先ほどバイザー越しに会話していたオペレーターだ。オペレーターはぶかぶかなヘルメットを頭に載せ、手にはスタンロッドを持ち、後ろに円筒型の警備ロボを引き連れている。
「ごめん。取り逃がした」
「いえ、迎撃システムがこれではしかたないのですよ」
「一体どうなっているんだ?」
「調査中です。上層部は内通者の存在を疑っているのですが……」
「やはり今回も横やりが?」
「はいです。各協賛企業が示し合わせたように」
「力のある企業の差し金か、それともすべてか……」
「ロンダイト内部にはいないと思いますが」
「厄介なものだ」
だがこれで、このゲームに出資、協力している企業の内部に、テロリストたちを支援する人物がいるということが確定した。
あとは、それがどの協賛企業なのか、だ。知らぬ存ぜぬを通されれば、特定は難しいし、たとえ特定したとしても、うまく検挙できるかどうか。
ふいに警備AIの中から、一人の男が歩み寄ってくる。
こんな状況にもかかわらず、足取りは悠然としており、態度にも余裕が見える。
悠長という言葉が頭をよぎるが、文句は喉元までで押しとどめた。
黒スーツを着た男。すだれのようなクセのある前髪とコケた頬。まるで幽霊を思わせるような青白い顔と枯れ木のような細身。黒のインヴァネスコートを羽織り、アンティークな杖を突いている。
サラは青髪AIと共に、背筋を伸ばした。
「武藤主任」
「どうだったかね?」
「申し訳ありません。取り逃がしてしまいました」
「いや、君が責任を感じることはない。一人で向かわせた私たちにも責任がある」
よく言う。この男とて、その判断に賛同した者の一人であるはずだ。
「あれはおそらく、蒼褪めた手の構成員だ」
「……確か日本陸軍のOBが集まって結成された秘密結社だと聞いていますが」
「そうだ。構成員のほとんどが戦争経験者という、厄介な連中だよ」
「戦争……では、ドイツで起こったというあの」
「君の推察の通りだ」
ヘルマン・ベッカー戦争。十年ほど前にドイツで起こった武力紛争だ。暴走したAIが軍事施設や兵器、同じAI知性体を乗っ取り人類に反旗を翻した、人間とAI知性体との間に確かな亀裂を生み出す要因となった事件の一つ。
各国が軍を差し向け連合軍を成し、日本も陸軍を派遣して、事態の鎮圧にあたったという。
「ヒトもAIもいまはお互いの関係を修復しようと頑張っているのです……なのに対立を深めるようなことをするなんて」
「彼らには、彼らにしか持ちえない論理があるのだろう。まあ、非効率、非生産的だとは思うがね」
「…………」
「今日君が交戦した連中は相当な手練れだろう。近く応援が来る手はずになっている。やれやれ斑鳩CEOがご不在のときにこのようなことになるとは」
撤収の折、サラはテロリストたちが去っていった方向を振り返る。
――AIのフリをするのも大変だな。
屋敷と呼ばれた男が最後に見せた口の動きは、己の秘密を見透かすようなものだった。




