第二十五話 デートのお願い
「――先輩先輩! あれ! あれを見てください!」
レキの目の前には、興奮した声でしきりに呼びかけてくるユウナがいる。
見て欲しいものに指を差してはしゃぐ姿は、まるで遊園地に連れてきてもらった子供のよう。
いま彼女が視覚センサの焦点を合わせているのは、どぎつい桃色のペールを頭部に載せた円筒型の物体だ。
島の住人に飲み物を届ける役割を担う、バケツ君に他ならない。
「あれって、あれか。あの妙ないろどりのバケツ君?」
「はい! ピンクのバケツ君です!」
「あー、うん。確かに色は珍しいな」
島をうろちょろしているバケツくんの大半は、頭部に青色のペールを乗せている。
レキも島に来てから日数は浅いが、他の色のペールを見たことはなく、もちろんピンク色のペールは初めて見た。
「あれを視認すると、幸運が訪れるって言われているんですよ?」
「そんなジンクスがあるのか」
「はい!」
意外だ。AI知性体というのはデータを重んじ、科学的な理論を信奉するものだと思っていたが、このような迷信じみたことに興味を示すとは思いも寄らなかった。
レキがそんなことを訊ねると、
「実際世界には数値では計測しきれないことも多々あります。ψの領域や超能力の一種であるJin=2(ジンツー)などもそうですね。因果律などは研究が進んでいますが、いまだ思うようには進んでいないようです。やはり、イレギュラーなケースの収集で躓いているようで……」
ユウナはそんな小話をしてくれたあと、
「ちなみに黄金のバケツ君を見つけると、スマートグラスや視覚センサを介してデータが登録され、次の戦闘で得られるVPが二倍になります!」
「へえ。でも折角見つけたのに、次の戦闘で雑魚エネミーに当たるとかありそうだな」
「はい! それもあるあるです!」
「配信の取れ高はいいだろうな」
折角のボーナスを無駄にしてしまうのは、運が絡むときのお約束だ。
その辺の『おいしい』場面は配信者であるウィルオー辺りが喜びそうな話だろう。
……いま、レキとユウナは淤能碁呂島のモールを連れ立って歩いていた。
この日の朝、レキは突然ユウナからの呼び出しを受けたのだが、開口一番、彼女からこんなことを言われた。
「今日は先輩にお願いがありまして!」
「お願い? なんだ?」
「今日一日、先輩のお時間を私にください!」
「は? はあ……」
ユウナはまるで頭を下げそうな勢いで、力いっぱいそんなことを頼んできた。
稽古をしたいのかと訊ねてみると。
「いえ、そうではなく……」
どこか行きたいところがあるのかと訊ねてみると。
「そうなんですけど、そうじゃなくて……」
「じゃあ、一体?」
「そ、その! 一緒に遊びに行きましょう!!」
そんなわけで、彼女と淤能碁呂島を遊び歩くことになった。
この日のユウナは、初めて出会ったときのような出で立ちだ。
ミニジャケットにホルターネックのシャツ、ショートパンツの下には黒のストッキングを着用している。以前と違うのは髪型と、香水を変えたのか漂ってくる香りもどことなく変化していた。
一方でレキの方はというと、いつもとあまり変わらない出で立ち。黒白のパーカーに、パンツ、色を合わせたブーツ。この時代ではあまり目立たないシックな配色でまとめていた。
ともあれ、二人でショップや屋台が立ち並ぶ区画を散策し始めた折のこと。
飲み物を補充するバケツ君に紛れていたピンク色のバケツ君を見つけたというわけだ。
「幸先がいいです」
「これまでにピンクのバケツ君を見たことはないのか?」
「はい! 私も見るのはこれが初めてです!」
ユウナはぱあっと花咲くような笑顔で、元気な返事をする。
性格も相まって笑顔の似合う少女だなと思いつつ。
「まさかユウナから遊びに行こうって誘われるとはな」
「……ご迷惑だったでしょうか?」
「いや、嬉しかったよ。ここに来てからどう過ごせばいいのか、まだいまいち掴めていなかったからさ」
レキはそんなことを言ってから、ふと思う。
「っていうか、こうしてると目的が何なのかわからなくなってくるな。ゲームしてるはずなのに、どこかに遊びに行くってのはさ」
「そうですね。ここに来る方の大半は遊びに来ているという感覚ですからね」
本来は大人数でチャンバラゲームを楽しもうというのがこのゲームの主目的だが、この島には確固とした目的を持って訪れたという者も多い。
非日常を体験するため。
動画サイトでの人気のため。
VPを稼いで豪遊するため。
ユウナは人工躯体の性能評価試験のため。
しかし、基本的にはこの『Swordsman’s HEAVEN』というゲームを楽しむために来た者たちがほとんどなのだ。
ユウナは息抜きではなく仕事の一環だが、レキの場合は遊びに来ているのにさらにここで遊ぶという妙な状況になっている。
「先輩がここに来たのは、ゲームを楽しむため、でしたよね?」
「そうだな。妹にはそんな理由で送り出されたよ」
「入島日から一週間くらい経ちますが、どうでした?」
「いまのところ目的には届いていないな。ランキングが低くて強いやつと戦えないって理由もあるんだろうけど、思っていたような楽しみ方はできていないよ」
「強い相手、ですか? 勝利するためではなく?」
「ん? ああ、まあそれも目的と言えば目的なんだろうが、根っこは違うかな」
レキはそう言うが、ユウナはいまいちピンと来ていないのか、不思議がっている様子。
「自分より弱い相手と戦っても面白くないだろ? 結果の見えた戦いをしたって、つまらないだけだ」
「ゲームで縛りプレイをする方のような心境でしょうか。難しいオーダーを課して、達成感を覚えるというような」
「う……ん。それともまた違うような。なんて言ったらいいんだろうな。ほら、よく創作物であるだろ。強い敵と戦いたいってのかな?」
「ということは、先輩はギリギリの勝負をするスリルを求めているのでしょうか?」
「あ、いや……そうでもないな。生きている実感が欲しいとか言う奴はいるけど、俺はそういうわけでもないし」
「では」
ユウナの言葉を受け、レキは改めて考える。
自分のこの楽しみの根っこにあるものは、なんなのだろうか、と。
自分はどうして強者を求めるのか。
こんな何もかもがなくなった世にあっても、剣士のままでいたいのか。
未練や退屈を埋めるのではなく、そもそもの根底にあるものは一体なんなのか、と。
「……俺が、いま以上に強くなるために、だな。だから俺は強者を求めるし、強者がいないと楽しくない。強い敵に勝つと言うよりも、その過程に目的を見出しているのかもしれないな」
「強くなるために、強い方と戦いたい、と?」
「そうだな。つまるところは、世界で一番の剣士になりたいから……ってところに行きつくんだろうな」
「世界で一番……すごい目標ですね」
レキの言葉を聞いたユウナは、目をぱちくりさせている。
「でも、それならどうして『ソキル』をプレイなさらなかったんですか? あれでランキング一位を目指すのは、剣で世界一になることだと思うのですが?」
「あれは結局自分の身体を動かしてないからな。それに、実際に動かしたときと勝手も違うし。だからあれで一位とか取ってもなって」
「最強NPCのフィルズ・ブレイドは物凄く強いです」
「そいつはここに来る前に倒してきた」
「えっ」
「倒してきた」
「た、確かに少し前に、フィルズが倒された記録動画が出回りましたが……」
「ん。たぶんそれが俺だ。それでこれ、そのときの俺視点での記録」
「は、拝見します!」
ネットに出回っているらしい動画は全体視点での記録だが、レキが持っていたものは一人称視点のものだ。
パッドから記録を呼び出して、ユウナに見せる。楼閣の上でフィルズ・ブレイドと正面切って大立ち回りをしている場面だ。フィルズの剣撃を紙一重でかわし、この戦いにおける好位置を盗み取って、その流れを殺さないままに一撃で仕留める。
ユウナは「す、すごい……」と言って画面にかぶりつくように何度か繰り返し再生する。
ふと、ネットに上がった転載動画の再生数を覗いてみると、それだけですでに再生数が三百万回を記録していた。それに味を占めた解説動画などがいくつもあるようだが、どれも的を射ておらず、トンチキな解説ばかりだった。他の流派と照らし合わせているものもあるが、それらの流派とは考え方が異なっているため、やはりこれにもズレがある。
ネットやゲーム内でもプレイヤーの捜索が始まっているが、ここに来る前にアバターは消してしまっているため、記録は動画のみとなっていた。
「本気を出したフィルズはこんな動きをするんですね……」
「急に空飛び始めるのは卑怯だよなぁ。あんなのもう剣士の動きじゃないって」
「それでも、先輩は普通に戦っていたような」
「これはお互い剣を使った戦いだからだな。無理に相手の動きに合わせる必要なんてない。自分のペースを崩さずに、自分の戦いに相手を合わせさせればいい」
「なんと言いますか、フィルズが先輩の剣に吸い込まれたように見えました」
「そうだ。相手と呼吸を合わせ、剣が半歩届かない場所に留まる。すると、相手はあと一歩と欲目を出して、ああして剣を届かせようと動いてしまう。その時点で、俺が切っ先を突き出していれば……」
「あたかも切っ先に吸い込まれていくように突き刺さる、ということですね?」
「そうだ……まあ、フィルズに欲目なんていう機微が本当にあったのかはわからないけどな」
そんな風に、動画に対する感想を口にしてから、
「……見ての通り、VRゲームは現実と感覚が異なるし、だからって現実にあるのも妙な新興流派ばっかりだ。総合武術館に行っても面白そうな相手はいないしでな」
「では先輩がつまらないと言っているのはそういう理由で……」
「うん? どうした?」
「い、いえ!? なんでもありません!」
ユウナの小声を聞き取れず、聞き返すが、彼女は何でもないというように手をパタパタ動かす。
「では今日は沢山遊んで楽しみましょう!」
「ああ。そうだな。それもいいな」
そんな話をしながらユウナと二人連れ立って歩いていると、ホワイトの壁に映像広告が映し出される。
『ナインシステムインテグレーター……』
『その目、機能が落ちていませんか?』
『人工躯体のお肌の突起を……』
企業広告や、よくわからない化粧品やらの宣伝広告が開いたり閉じたり忙しない。
「……あのさ、やっぱお肌の突起って、人間で言うニキビとかできものみたいなものなのか?」
「そうですね。人工躯体は定期的にメンテナンスポッドに入れないと皮膚にバリができる仕様なんです」
「……人工躯体ってそこまでめんどくさいのか」
「もちろん常に業務に従事するタイプの人工躯体からはこういった機能はオミットされていますが、ヒトと同じ生活を求める場合はすべてこういった仕様になっています」
「前に話した理由だな。人間とAIが共生するために獲得したものって」
つまり、機械が人間と感覚を共有するには、そこまで性能を落とさなければならないということだろう。高性能を利用して低性能の再現をするというのも、また不思議な話のように感じるが。
通りざま、やけにライトが明るい店舗を見ると、中には筐体が置かれていた。
「ゲームの舞台なのにゲーセンがあるのはこれいかに……」
「あ、あはは……」
二人でなんの気なしにホロ映像のCMを見ていた折。
「先輩! ハレンちゃんのライブ情報です! チケットを買いましょう!」
「お、おう。いい席が当たるといいな」
自社の効率食を売り込むための、自然食品を貶めるパフォーマンスを行う企業の実演が目に入る。
『肥満! 高血圧! 自然食品は病気のもとです! 料理は人間にとって害悪なのです!』
「は? 何言ってんだあいつ。許されねえ……」
「まったくです! あの方たちはお料理の素晴らしさがわかっていません!」
あまりの言いように、二人で揃って憤慨するなど。
そんな風にわいきゃい言いながらモールを見て回っていると、電脳ペットを取り扱う店舗の前に差し掛かった。
店の中は、まるで児童の保育施設のような内装だった。
中では電脳ペットが放し飼いにされている。これらは普通の動物と違って檻に入れる必要はないし、ショップも客とペットが触れ合えるような環境を作って購買意欲を高めようという目論見がある。
「あ! 先輩見てください! ライオネルくんですよ!」
様々な電脳ペットがいる中、ユウナが駆け寄ったのは一匹の子ライオンだった。
最近開発された電脳ペットで、大きさは本物に比べて一回りくらい小さい。
もちろん凶暴性はなく、人に襲いかかる心配もない。
ユウナがしゃがんで迎え入れるような体勢を取ると、ライオネルくんはなんの警戒心もなくユウナに近づいていく。やがてライオネルくんはユウナの腕の中に納まり、可愛らしい唸り声を上げた。
「うわぁ……ふわふわです。先輩も触ってみてください」
近づいて喉元を撫でてやると、ライオネルくんは嫌がるような素振りを見せて、手に軽く噛み付いてきた。
「がうっ」
「うわっ!」
甘噛み程度に抑えられているのだろうが、ハプティックパッドを通してびりっとした感覚が伝わってくる。
「先輩、ライオネル君は喉を撫でられると嫌がるんですよ」
「そうなのか」
「ですので、こうすると……」
ユウナはライオネルくんを優しく抱きしめる。
すると、ライオネルくんは一転大人しくなり、ユウナに甘えるように顔をすりすりと擦り付ける。
「へえ、電脳ネコとは勝手が違うんだな」
電脳ペットの多彩さに感心していると、ユウナがとろけたような声を上げた。
「はう……ライオネル君かわいい……」
ユウナがライオネル君に頬ずりしていると、ぽわぽわと、彼女の周囲に花柄のエフェクトが浮かびあがる。こういったエフェクトの発生も、AI知性体の表現方法の一つらしい。
「やっぱり電脳ペットもいいな……俺もこころの分をある程度使ったら、どれか飼ってみようかな」
「私もライオネル君を飼いたいです!」
ユウナは元気いっぱいにやる気を見せている。本当に感情表現が豊かだ。
いつも、全力で頑張ろうという熱意が感じられる。
こうしていると、人間と変わりない。
レキがライオネルくんを受け取ると、ふいにユウナの手が触れた。
人間の皮膚温度と同程度に設定された人工躯体の皮膚は、人間と全く同じだ。
人肌に触れたような感触が伝わってくる。
「あ……」
どうしたのか、ユウナがさっと手を引いた。
「どうした?」
「い、いえ……なんでもありません……」
「……? そうか?」
「その! 水分パラメータが! ちょっと低くなってきていまして!」
「ああ、なるほど。喉が渇いたと」
時間を気にせず遊んでいたためか、時計を見るとすでに昼を過ぎていた。
ユウナの申し出を受けて店舗を出たあと、モールにあるイートショップに向かった。
妙な味付けの軽食が並び、他方、表示パネルに映し出されているジュースは、人間用とAI用との二つに分かれており、どちらも利用できるようになっている。
人間用は言わずもがなだが、AI用のジュースに中身はない。一見ストローに見えるケーブルを、人工躯体の口腔内にある接続用ポートに取り付け、内蔵されたロムから味覚情報を読み取るのである。
「おすすめは淤能碁呂島限定フレーバーの無重力オレンジ味です!」
「むじゅうりょくおれんじ」
タッチすると、モニターに水しぶきをバックにした不定形の果物の映像が映し出される。オレンジという割には極彩色に彩られているため、まったくオレンジには見えない。代わりに、前世の子供の時分、様々な色のスライムを混ぜたときのことが思い出される。
「……なあこれさ、飲んだらSAN値減らないよな?」
「さん値ですか? 初めて聞く言葉ですが、なんのパラメータでしょう? 私には設定されていませんが……」
「いや、なんでもない。忘れてくれ」
海外生まれの創作物はそこそこ残っているはずだが、さすがに月日が経ちすぎてメジャーではなくなってしまったのだろう。もともとマイナージャンルであったこともあり、その辺りのスラングと共に消えてしまったのか。
二人分のジュースと軽食を購入し、近くのベンチに陣取る。
ジュースや軽食の攻略に取り掛かる最中。
ふいに、ユウナが投影された軽食を口に入れるのが目に入った。
これはデータを取得しているのだろうと思われるが、これがどういう技術になっているのかいまだに疑問だ。飲み物の場合はストロー型のケーブルを使うためそこまで不自然ではないが、食事の場合は映像を使うため据わりが悪い。
その点は、映像とデータの読み込みが連動しているのだろうとは思われるのだが。
「これ、どうなってるんだ? データを取得しているのはわかるんだが」
「はい。これもドリンクデータと同じですよ。ネットワークとリンクすることで、映像に連動して、食事データが取得、更新されます。私たちはこれによってヒトと一緒に食事を楽しむことができるんです」
「……なんか結構面倒なプロセス踏むんだな」
「本来、データの取得は一瞬で済みますので。そうなると、食事も味気ないものになりますから」
「なるほどな」
もし、AI知性体の食事行為をデータの取得のみにするなら、人間とAI知性体が一緒に食事を摂った場合、折角一緒に食べているのに、AIはすぐに終わってしまうことになる。
そうなれば、時間間隔や雰囲気の共有ができなくなる。
そのときどきの感覚を共有するということも、お互いの歩み寄りのため重要だということだ。
「ユウナは食事のこと、どう思っているんだ?」
「娯楽行為の一つだと認識しています。味覚センサを刺激するデータを取得すればエモーショナルエンジンも活性化されますし、とても楽しいです。特にお料理のデータの可能性は無限大です」
ユウナはそう言って、視覚センサをキラキラと輝かせている。
「食事は人生のうるおいだ」
「はい! 電子脳の情報整理にも寄与しますし、とてもいいものだと思います!」
レキはユウナとそんなことを話しながら。
環境に配慮したリユースプラスティック製のカップに入った妙に美味しいジュースを飲みながら、ベンチでだらだらと平和な時間を過ごしていた折のこと。
どこからともなくけたたましい音が聞こえてくる。
レキがそちらに目を向けると、複数のバケツ君が二人の方に向かって走って来ていた。




