第二十三話 暗躍する者たち
淤能碁呂島の中央部には、『八尋殿』や『天御柱』の他に、古い工場地帯をイメージした区画がある。
この場所を構成するのは、現在主流であるマスプロダクションが前提となったフラットな造形の建築でなく、旧時代の海岸線にあるような要塞じみた外観の建造物群だ。
スチールグレーの建物には配線やチューブ、パイプがまるで血管のように張り巡らされ、人一人簡単に通れそうなダクトが大蛇のように巻き付いている。見上げれば昼間障害標識仕様の赤と白の煙突があり、夜になればスモークとライトによって『らしい』雰囲気が演出されるという。
ところどころに付いた錆は、すべて専用の塗装技術を用いた演出だ。昔はテーマパークで、専門の職人が手作業で色付けしていた『古臭さを醸し出す塗装』だが、いまは機械を使えば簡単に同様の技術を再現できる。
区画内部の構造は、有体に言えば迷路だ。あらゆる場所に通路が張り巡らされているし、見上げればすぐにキャットウォークが目に付くため、ナビに頼り慣れた未来の人間たちはすぐに迷ってしまうのだという。
そんな現代の迷宮じみた場所に、一人の男が姿を見せる。
それは、レキが行きの高速船で出会った男だ。
作業着を着た痩躯は軽い猫背なのか、肩は前に下がり気味。顔にはカミソリのように鋭い目と、向こう傷が縦に一本、治療し切らずに残してある。
腰には、二振りの刀が交差するように差してあった。
――男、屋敷冥加は、同志たちが集まるねぐらへ向かって歩いていた。
屋敷は両手をポケットに突っ込みながら、迷いない足取りで工場区画の奥へ向かう。
しばらく歩くと、シャッターの空いた倉庫が彼の視界に入った。
倉庫の奥に置かれていたのは、二機のパワーローダーだ。型落ち品だが軍用で、まるで素人が改造したプラモデルのように、ちぐはぐなパーツが取り付けられている。
蟹のハサミを思わせるあのいかにもなアームは取り外され、代わりに大型のマニピュレータと機関砲に高周波振動ブレード。二足兵器で心もとなくなりがちな脚部には、トタン屋根に不出来な補修を施したようなちぐはぐな追加の装甲。そのくせ足の底部は最新型のホイールに取り換えられているという妙な気の使いよう。
これがあれば、島の警備員など簡単に蹴散らすことができるだろう。
いや、腕時計の連中とて、てこずるに違いない。重武装のパワーローダーは戦車を向こうに回しても大立ち回りが可能だ。
だが、
――予想が当たれば、これでも足りねえんだろうな。
軍用の武装を前にしても、屋敷が抱くのは拭いきれない憂慮だった。人員は訓練された二個分隊、そのうえ改造パワーローダーという過剰な戦力まで有している。制圧になれば話はまた変わるが、ただのテーマパークで暴れるには十分すぎる人員と装備だ。だがそれでも、屋敷は自分の予想が当たったときのことを考えずにはいられない。
もしこの憂慮が現実のものになったとき、きっとこの計画はこの身ごと、その憂慮によって真っ二つに叩き斬られてしまうのだろうな、と。
屋敷はパワーローダーの脚部に寄り掛かり、胸ポケットから紙たばこの箱を取り出す。
銘柄は海外の老舗メーカーが取り扱うもので、甘ったるいバニラの香りが強く、屋敷の好みからは大きく外れたフレーバーだ。
箱から紙たばこを一本押し出して、先端部に火を点ける。一度吸い込んで肺を煙で満たし、天井に向かって大きく吐き出した。
紫煙が霞んで溶けていく。
屋敷は煙を味わいながら、胸ポケットから写真を取り出す。
そこに映っているのは軍服を着た屋敷と、もう一人。別の国の軍服を身にまとった男だった。
「悪ィな。約束、果たせそうにないかもしれねえ」
屋敷は謝罪の言葉を口にして、写真をしまい込む。
思い出すのは、二日ほど前に動画サイトにアップロードされた一幕だ。
白髪の女AIが紫髪の男に立ち合いを求め、一太刀も浴びせられずに斬り伏せられた。
その手の界隈ではそれなりに騒ぎになったらしく、動画や切り抜きが三日と待たずに目に付くようになったほど。
目を瞠るのは、男が最後に見せた稲妻のような斬撃だろう。
女AIとの間合いを一瞬で詰め、防御する間もなく叩き斬っていた。
AIにはディスプレイ越しであっても、稲妻が走ったようにしか見えなかったという。
まったく、理の外にある技術と言えるだろう。
――掣電ノ太刀。
以前、師に聞いたのは、そんな名前だったはずだ。
不破の剣士が操るという、八訣の内の一つ。
その太刀は、またたきの間に敵を斬り、その疾雷の如き動きは、誰の目にも見えないのだと。
「……いかづちの、ひらめくさまを、しかと見よ、まじろぎの間に、太刀ははたたく」
それは、武術界に広く伝わる有名な武術歌だ。五箇を超える一刀と呼ばれし雷神の剣を詠み表し、その剣の深奥を語ったもの。
屋敷はそんな予想に思いを馳せながら、刀を鞘から引き抜く。
それは屋敷が手掛けた、金属ガラス製の打刀だ。
屋敷は表面を検めるように、刀身を覗き込む。鏡面のようなそこに写し出された顔には、喜色が確かに滲んでいた。
思った以上ににやけている。
予想が是非にでも当たって欲しいなど、まったくひどい裏切りではないか。
約束のためにここまで来たはずなのに、それを放り捨てようとしている己がいる。
楽しみと約束。決して両立しないそれらに屋敷は「ままならないな」と、ため息を吐きつつ、火の消えた紙たばこを投げ捨てた。
屋敷がアジトに戻ると、静寂から一転、そこは不穏な騒がしさに包まれていた。
一人の男が、他の同志たちと何らかの話をしている。
同志たちと話している男の名は樫野。作業員の帽子を被り、色付きのサングラスと黒のフェイスマスクを付けた男で、同志たちを取りまとめる立場にある。
部屋の隅の椅子にはいかにも武闘派という見た目の巨躯の男が座っており、一方で痩せぎすの男が蛇のように長い舌を出しながら、スタンウィップの調子を確かめている。
彼らの近くには、屋敷が高速船で一緒だった女もいた。
視線を向けると、気のありそうな流し目を送ってくる。どことなく不気味で不穏さが滲んだ視線だ。この女は、それを誰にでも向けている。
服装もそう。露出も多く、さながらリゾートにバカンスに出てきた道楽女の様相。集まった者たちとは異なった雰囲気をまとっている。今回の作戦を行うに当たって、協力者として一時的に引き込まれた。プログラムに関する知識が深く、であればその活躍を見込まれて。
エリス・コドウ。女はそう名乗った。気になるのはファミリーネームだろう。その名前にも、過去の日本を生きた屋敷には、覚えがあったからだ。
ふと屋敷は、樫野と、彼と話す同志たちに目を向けた。
一人は何事もないようだが、一人は顔の一部が内出血で紫色に腫れており、一人が肩口に怪我を負っている。
妙に思った屋敷は樫野に声を掛けた。
「樫野、一体どうした?」
「少々トラブルがあってな」
樫野はそう答えて、疲労の混じったため息を吐く。
それはいかにも億劫な事態が起きたというような態度だった。
「トラブルだと?」
「『アドバイザー』から何人か動かしてくれと連絡があった。それで三人を向かわせた」
「俺たちは奴の私兵じゃないんだ。そんなの適当言って断っとけよ」
「そうもいかん。こうして島に潜入できたのも、ここでAI共の計画を挫くことができるのも、すべてはアドバイザーの力あってのものだ。それに、計画の微調整もしなければならない」
「結果は?」
「見ての通りだ」
この怪我が答えだということは、まず成功したとは考えられない。負けてほうほうのていで逃げ帰ってきたのが目蓋の裏にありありと浮かぶ。
「なるほど、このざまかよ。一体何させた?」
「アドバイザーが、例の女AIを確保できるならいまの内に確保してくれと」
「……計画の実行はまだのはずだろ? それに、例の女AIはそこまで腕が立つわけじゃなかったはずだが?」
「なんでも男が一人引っ付いているらしい。『アドバイザー』もその男が邪魔になるかならないかを確かめるのに、ひと当てして欲しかったようだが」
「おいおい、ってことはまさかあれか? つまりお前らは島の警備じゃなくてそいつにのされてきたってのかよ?」
「そうだ。それで『アドバイザー』も、計画を少し変える必要があるかもしれないと言ってきた」
「……まあ、必要な調査だったと思えばいいか。だが、行動を起こして本人にも島の警備にも警戒されるのは不用意だったんじゃねえのか?」
「それに関しては問題ないだろう。その辺りはアドバイザーが上手く誤魔化してくれるはずだ」
屋敷は肩に怪我を負った同志を見やる。
「……深そうだな。ナイフか?」
「奪い取ったナイフを投げ飛ばしてきたそうだ」
「ほう? そいつはなかなか容赦ねえな。治療はいいのか?」
「あとでアドバイザーが治療の設備を手配してくれる段取りになっている」
「そうか。で? その腕の立つ男ってのはFI社の護衛か何かなのかよ? そういうのは居ないって話だったはずだが?」
「それが違うようだ。そもそもFI社でもあの女AIの扱いは二分していると聞いている」
「ってことはこの島で作ったボーイフレンドってところか。訓練を受けた人間三人がかりでこれとは……いまの世の中じゃ考えられねえ話だな」
屋敷は、怪我を負った同志たち言葉を掛ける。
「それで? お前らはデカい青あざやらを作って、逃げ帰ってきたと」
「いえ! 計算機の駒さえ集まってこなければあのまま倒して、あの女AIも……」
「なら銃を使うなりしてさっさとやりゃあ良かったんだよ。腕時計の連中ならまだしも、ゲームのプレイヤーにやられるなんざなまってるんじゃねえのか? ええ?」
「……申し訳ありません」
屋敷の厳しい言いように、同志たちは項垂れるように頭を下げた。
「まったくよ……しかも、そのうえ尾けられたなんざ、失態なんてもんじゃねえな」
「え――?」
「っ、屋敷、それは」
「来るぞ。全員窓から離れろ。マスクも忘れるな」
屋敷が敵襲を予言した折、窓に使われた強化ガラスがけたたましい音を上げて破壊される。
次いで何かが転がる音のあとに、強烈な発光とスモークが室内を蹂躙。
やがてスモークが晴れると、窓際に三人の男の姿があった。
見た目は人間だが、目の輝きがどこか違う。姿形も、三つ子かと見紛うほどにそっくりだ。
ハンティングロイド。過激派の天敵である、国際テロ対策機構のマシンエージェントだ。電子脳を製作するにあたって意図的に知性をオミットした、戦闘用機械である。
先制のスタングレネードで無事だったのは、屋敷と樫野、巨躯の男、痩せぎすの男の四人だ。
樫野が大声で叫んだ。
「チィ、腕時計の人形共か!」
「樫野、怪我人どもを部屋の端に引っ張っておけ」
「了解した! 屋敷!」
「ああ、任せときな」
ハンティングロイドは肘関節部のサーボモータをぎちぎちと鳴らしながら、視覚センサを不気味なほどに赤く光らせている。
そして、無機質な声を揃えて、こう宣言した。
「排除する」
「排除する」
「排除する」
彼らが携えているのは、軍用のアサルトライフルと違法改造された致死性のあるスタンロッドだ。彼らのプログラムデータの中に逮捕や捕縛の文字などない。あるは対象の抹殺だけだ。
「矢頭! お前も出ろ!」
樫野の声に巨躯の男は無言で頷き、三体の内の一体に近づいていく。
ハンティングロイドが矢頭にアサルトライフルを斉射すると、彼は顔を守るように腕を構える。するとアサルトライフルの弾丸はまるで硬質な金属盾にでも当たったかのように、すべてが弾かれてしまった。
矢頭はその巨躯に似合わない俊敏さでハンティングロイドとの間合いを詰めると、手に持った高周波振動剣を叩きつけた。
ハンティングロイドが縦真っ二つに切り裂かれる。
そんな攻防が繰り広げられた一方で、屋敷の方はといえば――すでに終わっていた。
「つまらねえな」
屋敷がふいに漏らしたのは、そんな無味なものにでも送るような感想だった。言葉にはどこか諦観めいたものが混じっており、ハンティングロイドの後方でさも面白くなさそうにため息を吐く。
床に伏したハンティングロイドは二体とも、胴から真っ二つに断ち切られていた。
その様子を見ていた女――エリスが、驚きの声を上げる。
彼女も閃光と音を免れたのか。口に手を当てるような素振りが、やたらと仰々しい。
「まあ。腕時計のハンティングロイド二体を同時に、こんなあっさりとお倒しになられるとは」
「たかが人形如きどうってことねえよ。せめて水月くらいは見てねえと話にもならねえ」
「これはこれは手厳しいことで。ですが、屋敷さまのお眼鏡に適う相手など、この世にいらっしゃらないのでは?」
「そんなことはねえさ」
「あら、そうでして?」
「そんなことより――チィ」
屋敷は舌打ちをする。
直後、どこからともなく人影が現れ、その手に持った拳銃の銃口をエリスの方に向けた。
「動くな! 全員武器を捨てろ!」
室内に響いたのは、ハンティングロイドが発する無機質な音声ではなく、感情を明確に宿す生の声帯から発せられる音だ。
黒いスーツを着込んだ角刈りの男。
エリスは「あら?」ととぼけた声を出す。
「ハンティングロイドを先行させたか……」
樫野の言葉に、現れたエージェントが仏頂面を向けた。
一方で、屋敷は呆れたように息を吐いて、自分のうなじを掻く。
樫野が、エージェントに向かって鼻を鳴らした。
「ふん。仮にも腕時計所属のエリート様が人質を取るとはな――そもそもテロリスト相手に人質が通じると思ってるのか?」
「普通に考えれば通らんだろうな。だが、こいつは話が別だろう?」
「なんの話だ?」
「しらばっくれる必要はない。調べはすでに付いている。貴様らが何をしようとしているのかまではわからんが、この女がいなければ計画は実行できまい」
「……っ」
「もう一度言う。全員武器を捨てろ」
エージェントはこうして武装を解除させたあと、応援を呼ぶ算段だろう。
「おい、お嬢ちゃん」
「あーれー、屋敷さまー、助けてくださいましー」
屋敷が声を掛けると、エリスがふざけたことを口から吐き出す。
彼はその演技過剰な物言いに対し、白けた様子で吐き捨てた。
「テメェでやれよテメェで。それくらいどうにでもできるだろうが」
「そんなぁ。こんなか弱い女をお見捨てになるのですか? そんなご無体な……」
「チ、テメェも気付いていたクセによく言うぜ……」
だが、エリスにやる気は全くないらしい。
屋敷はやはり呟くように吐き捨てて、一度ため息を吐き、樫野に言った。
「樫野。銃、下ろしとけ」
「だが」
「いいから、ここは俺に任せときな」
樫野は屋敷に促され、拳銃を床に置いた。
「いい判断だ」
「そいつはどうも」
「貴様も剣を置け」
「そいつは困るな。さて、おんきりきり、おんきりきり」
屋敷は一方の刀を立てて持つと、突然妙な言葉を呟き始める。
「何をしている? おまじないのつもりか?」
「へえ、よくわかったな。その通りだ」
「……胡乱なことを」
屋敷の嘲笑うような物言いに、エージェントが苛立たしげに眉を動かす。
そんな中も、屋敷は妙な言葉を紡ぐのを止めない。
ふいに、屋敷が刀に左手を添えた。
その行為をエージェントが銃で以て咎めようとしたその瞬間。
――おんきりうん、きゃくうん。
屋敷の呟きと共に、機構のエージェントの動きがピタリと止まった。
それはまるで、鎖で身体を雁字搦めに縛られたかのよう。
「ぐ、あ……」
「う……」
降って湧いた金縛りに、エージェントの男が冷や汗を垂らす。
「成功っと。クク、おまじないって言ってもバカにならねえだろ?」
「き、さま、いったい、なに、を……」
「おまじないっつってんだろ? いまのはそれ以上でもそれ以下でもねえよ」
「何を言って……そ、そうか、これ、は……ジン、ツー……」
「だからそんなんじゃねえっての」
屋敷はエージェントに向かって乱暴な言葉をぶつけると、樫野に向かって銃を撃つ仕草を見せる。
それを見た樫野は、床に置いた拳銃を拾い上げ、その銃口をエージェントの頭に押し当てた。
「まっ、まて、やめ――」
バン!
室内に発砲音が響き、エージェントが頭から血を噴き出して倒れた。
屋敷はエージェントの生死を確かめるように、彼のもとへ歩み寄る。
「……でと、腕時計のエージェントさんのお名前はっと、千住石博人さんか。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏っと」
再び妙な言葉を口走る屋敷に、樫野が声を掛けた。
「屋敷、さっきのは……いや、なんでもない」
「後片付けは任せたぜ。俺はやることがある」
「場所が割れた以上、ここに長居はできん。すぐにアドバイザーに連絡を取って他のポイントに移る」
「あいよ。今度は警備の連中も手出しできねえような場所にしてもらえよ」
「そのつもりだ」
屋敷は返事をすると、一人掛けのソファに腰を下ろした。
そのまま、先ほどレキに倒されてきた同志に視線を向ける。
「――それで、さっきの話の続きなんだが、ターゲットに引っ付いていたのは一体どんな色男だ?」
「若い男です。あまった髪を後ろで結んで、紐みたいな髪飾りを片方の横髪に巻いた、紫の髪と瞳の……」
「ほう?」
「そのプレイヤーのことはこちらでも早急に調べておく。もしものときは屋敷」
「ああ、俺もそのつもりだ」
屋敷はソファに座ったまま、ラジオに耳を傾ける。
スピーカーはしばらく軽快な音楽を流していたが、ふいにエリスが歩み寄る。
「先ほどはありがとうございました。おかげで命拾いいたしましたわ」
「礼を言われるほどのことでもねえよ。それに、俺がどうにかしなくてもお前ならなんとかできただろ?」
「あら? そんなことはありませんわ。先ほども申しました通り、わたくしはか弱い女の身。荒事などには嵐の前の枯れ枝の如く折れてしまいますわ」
「よく言う。いま一番島内で胡散臭いのはお前だろうな」
屋敷がそう言うと、エリスが笑う。
屋敷はその不穏な笑みを見て、やはりなと確信を強めた。
そんな折、
「屋敷さま。わたくし、少々気になったことがございまして」
「なんだ」
「先ほど屋敷さまは、つまらない、とおっしゃっていましたが、あれはどういう意味だったのでしょう?」
「あん?」
「ハンティングロイドを倒したときに呟いていた言葉です」
「そんなこと言ったか?」
「ええ、それはもうはっきりと」
エリスはそのまま、言葉を続ける。
「確かにおっしゃった通り、屋敷さまはいつもつまらなさそうにしていました。わたくしと会ったときからずっとです。普通にしているはずなのに、どこか空虚で。そう、抜け殻みたいに」
「…………」
やけにねっとりとした声音だ。おまけに、見透かしていると言ったような、不躾な視線も付いてくる。
屋敷はラジオのスイッチを動かして、流れていた音声を遮った。
「なあ、お嬢ちゃんよ。突然世界から、自分の好きなものがなにもかにもなくなっちまったら、どう思う?」
「どう、とは……そんなの面白くないに決まっていますわ」
「そうだろ? つまり、そういうことだ」
「そういうこと? それならここで楽しんでいけばよろしいのではありません? ここには、屋敷さまが求めるものが、それこそそこら中に転がっているのでは?」
「それは勘違いだ。ここにはねえ」
「どういうことです? ここにはたくさんの剣士がいますでしょう?」
「違うな。ここには剣士なんていないのさ。いや、ここだけじゃねえ。世界中どこにもだ」
「はあ……」
「まったくどうしてこんなことになっちまったのかねえ……」
屋敷はパッドタイプの端末を取り出して、操作を始める。
「そう言えば、先ほどは何を受け取りに行っていたのでしょう?」
「これだ」
屋敷がそう言って見せたのは、手に持った端末とは別の小型の携帯機器だった。
「サルベージキットですか? 電子の海で何か探し物でも?」
「そういうことだ。もしこの予想が当たれば、俺の無味乾燥な生活が少しは華々しくなる。まあ、予想が当たることを祈っててくれ……ただ、それが叶った暁には、この計画もおじゃんになるかもしれねえがな」
「……どういうことでしょう?」
屋敷はエリスの問いには答えず、再びパッドを操作する。
やがて、目当てのものが見つかったのか。
「ビンゴだ。く、ククククククク……」
屋敷は笑いをこらえるように背中を丸めるが、忍び笑いが漏れ出ている。
何か良い報告でも聞いたときのように、とても愉快そうな笑い声。
エリスも付き合いは短いが、この男がこんな風に笑うなど初めて見た。
「屋敷さま?」
「お嬢ちゃん、ちょっと見てみな?」
「これは随分古い形式ですね。なんでしょう……C.E.? 500年も前の情報ピースですか?」
「そうだ。それの一番下の項目だ」
「一番下……? 剣士の……これは」
エリスはスクロールバーを動かし、さらに下部の情報を閲覧する。
そこに映し出されたのは、一人の青年だ。黒髪を肩口より少し上くらいまでのショートカットにした細面。紫の瞳。目鼻立ちはよく整い、格好さえそうであれば女と言われても通ってしまうような端正さがある。あまった髪を後ろで結び、片方の横髪は長く、そこに紐状の髪飾りが巻かれていた。
その容貌にはエリスにも見覚えがあった。
屋敷が彼女からパッドを取り上げ、他の者に見えるようにモニターを向ける。
「おい。お前らをのしたのはこいつだろ? 髪の色は違うが、この顔だ」
「あ、ああ! そうだ! その男だ!」
「やっぱりな」
「屋敷さま。確かこの方は高速船にいた方ですわね?」
「そうだ。こいつだ」
「一体なぜその方の情報がここにあるのでしょう? それにこれは500年も前の記録では……」
「さあな。ま、昔の亡霊とでも思っておけばいいだろ」
「亡霊? それはどういう……」
エリスが訊ねても、屋敷はその疑問に答えない。
「いいねぇ。つまらねえつまらねえと思っていた世の中だが、案外楽しめそうじゃねえか。ククククク……」
屋敷はまた、一人掛けのソファの上で、背中を丸めて笑い始めたのだった。




