第二十二話 ユウナの理由
テロリストを追い払った現場には、すぐにセキュリティロボや警備AIたちが詰めかけた。
レーザーライトで規制線が張られ、周辺区画はARによる通行規制が展開。
すぐに現場保全とテロリストの捜索が行われ、周囲はにわかに騒然となった。
レキはユウナと共に集まった警備AIに事情を説明したあと、次いで防犯カメラの確認を行い、テロリストとの会話内容や特徴などを伝えたのちに、今度は運営会社の人間に状況を説明して、やがて解放された。
個人的につながりのある武藤にも連絡を取り、一通りの事情聴取が終わったのが、夜の九時を過ぎたころ。
レキはユウナを部屋に送って、いまはそのまま彼女の部屋にいる。
……ユウナの部屋は、誰もがイメージする通りの女の子の部屋だった。六畳のワンルームは、ホワイトやピンクのカラーで統一され、置かれている家具は至ってシンプルなものばかり。ベッドの上には可愛らしい動物のぬいぐるみが座らされたり寝かしつけられたり。布製品も全体的にふわふわだ。
だが、やはりというか、ところどころにAI知性体の部屋を思わせるものも置いてある。
可愛らしいポーチに収められた『工具キット』。
ラメやビーズでデコレーションされた『各種コード』と『端子』の数々。
バッグパックを模した着脱式の『補助バッテリー』。
お高めのボディーソープを思わせるような『潤滑油』の詰め替えパック。
カード型の『記憶装置』とそれらをまとめておく『ホルダー』。
あからさまに性能の良さそうな『デバイス』。
部屋の隅の一角には、内装とはまったく場違いでメカメカしい縦置き型の『メンテナンスポット』が置かれている。
部屋の真ん中にあるホワイトウッドのテーブルの上には、そのほとんどの面積を化粧鏡と人工躯体用の化粧品が占有していた。
……コンシーラーなどはいいとして、化粧水というのはどうなのか。メンテナンスポッドに入れておけば人工皮膚の調子は整えられると思うのだが、こんなにあって一体何に使うのかよくわからない。頓着のない男には一生分からない話である。
「――なんか災難だったみたいだな」
「ああ、まったくひどい目にあったよ」
「怪我とかは大丈夫だったか?」
「それが何ヶ所か撃たれて」
「ほんとかよ!?」
「そんなに驚かなくても大丈夫だって。どこもかすめただけだから」
「そ、そうか。びっくりさせないでくれよ……」
「悪い悪い。ウィルオーも気を付けろ」
「ああ、そうしとく。折角のゲームなのに、おかしなことに巻き込まれるのはたまらないからな」
レキは廊下で通話をしていた。会話の相手は行きの船で知り合ったウィルオーである。
ウィルオーは運営からの一斉通知のあと、何の気なしにレキに連絡を入れ、話してみたら当事者だったことを知ったというわけだ。
身の安全や無事についての話をしたあとは、世間話や近況に移るわけで。
「そうそう! 例のゲームのおかげで視聴者が爆増したぞ! 五万人くらい!」
「あれでそんなに伸びるものなのか」
「だって大昔の電子ゲームだぜ? データを公開してくれって通知の数がえぐいえぐい」
「それはよかった」
「いやほんとにレキさまさまだよ! ありがとうごぜえますー!」
ウィルオーはおどけたようにお礼を言う。
動画サイトでの彼のページを確認すると、登録者数はまさかの三十万超えだった。
「っていうか、ウィルオー、ガチの人気実況者だったんだな」
「いや、ははは……」
過去よりも随分と人口の減った日本で、三十万の登録者というのはかなり多い部類に入る。どうやらウィルオーはソキル実況でも常に高いランクに位置しているらしい。
プレイ動画を見ても、かなり良い動きをしていた。
まったく素人とは思えないくらいに。
「でもまさかレキがユウナちゃんと一緒にいるとはな」
「ん? ユウナのこと知ってるのか?」
「そりゃユウナちゃんと皇帝の話はネットでも有名だからな。よくバトルしてるみたいだし。やっぱ帝王重工とFI社のことが関係してるんじゃないかって。これはネット仕込みの憶測だからなんとも言えないんだけどよ」
帝王重工とFI社。どちらも日本の電子産業、機械工業の雄であり、AI開発とそれに付随する人工躯体開発をけん引する企業だ。
「そんな話があるのか」
「ネット情報だけどな」
噂話はともあれ。
「不審者の方は運営がどうにかしてくれるだろうけど、レキも気を付けろよ」
「ああ、ありがとう。それじゃあな」
そんなやり取りを締めに、レキはウィルオーとの通話を終了し、部屋の様子を窺う。
レキがウィルオーと話していた一方で、ユウナはハレンと通話をしていたらしい。
ユウナの「大丈夫です大丈夫です」という相手を安心させるための言葉がひっきりなしに聞こえてくる。おそらくは保護者ポジションにいるハレンがお節介を焼いているのだろう。
レキはその会話が終わるのを見計らって、ドアを開けた。
ふいに、紅茶系の香りがほのかに鼻腔をくすぐる。
「とんだ目に遭ったな」
「はい。ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
「申し訳ありませんって、あれはユウナのせいじゃないんだからそんな風に言わなくてもさ」
「ですがあの人たちは私を狙っていたので、先輩に迷惑をかけたのは私ということに……」
「それは違う。迷惑をかけた連中が絶対的に悪いんだ。自分に責任を追及したってどうしようもない」
レキが否定すると、ユウナは神妙な様子で頷いた。
「……ユウナには、なにか狙われる心当たりでもあるのか?」
「それについては……私にもよく」
「わからないか。聴取でもなんとなく聞いたが、やっぱりあれは人権過激派ってのなのか?」
「はい。私もそう判断します」
人権過激派。もとは『人権派』という、AI知性体から権利のほとんどを取り上げて、人間優位の社会構築を目指す団体から、さらに急進的な思想を持つ者たちが立ち上げた集団だ。『人権派』と違って武力の行使もいとわないテロリストで、日本にもいくつか存在する。
先ほどの男たちは、おそらくそういった組織に属する人間に間違いないだろう。
ただ、それが人工島まで赴いて、一介のAI知性体の身柄を求めるというのが腑に落ちない。こういった連中の狙いはAIの大量破壊活動や、AIに有利になる政策を推し進める権力者の命と相場が決まっている。
それが、ユウナを指定した。しかも、破壊するのではなく連れて行こうとしていた。
(いや、俺が考えてもわからんことか)
こうしてことが大きくなった以上、運営も対策を講じてくれるだろう。淤能碁呂島ではロンダイトが自社で持っている警備組織の他に、外部組織にも一部の警備を委託していると聞く。
ただ――
(この状況を考えると内部に協力者がいるだろうな……)
いくらこのメガフロートが広大とはいえ、テロリストが内部に潜入したまま尻尾を掴ませないのはどう考えてもおかしい。島内の至るところに監視カメラがあるし、動画撮影のためのドローンも上空をひっきりなしに飛んでいる。運営会社もしくは協力企業に協力者がいるということはまず間違いないだろう。それが部所間、企業間の折衝の問題で調査の手が鈍くなるということを考えれば、この件、容易には解決しないものだと思われる。
「連中、一体何がしたかったんだろうな」
「…………」
それもそうだが、ユウナには他に訊いておくべきことがある。
レキは座る場所を求めるように部屋の床に目をさまよわせると、それに気付いたユウナが座布団クッションを敷いてくれた。
「ユウナ、訊いてもいいか?」
「なんでしょう?」
「皇帝さんとのことだ。テロ屋が来て話は後回しになったけど、なにか事情があるんだろ?」
「…………はい」
レキが訊ねると、ユウナは神妙な面持ちを見せて頷いた。
「先輩はFI社……ファルフジウム・インダストリー社をご存じでしょうか」
「ああ、電子産業の複合企業だな。AI関連の事業とか機械工業とか、幅広くやってるっていう」
FI社。ウィルオーとの話でも出たが、帝王重工と並ぶ日本の二大電子産業の一つだ。
同じ電子産業、機械工業、重工業を基盤とする帝王重工とはライバル関係にあるという。
「私のボディはそのFI社で新しく採用された、新理論をベースにしたモデルなんです。躯体登録番号F0J08769B5。FI社製人工躯体F型『凍月』」
「ネームドモデルの新型か。つまりそれを使ってるってことは、ユウナはFI社に所属している社員ってことになるのか?」
「そう考えていただいて構いません。似たような扱いではありますので」
「それがこの話とどう関係が?」
「今回、同時期に新型の人工躯体を開発した帝王重工から、一つの提案を持ち掛けられました。『Swordsman’s HEAVEN』でのプレイで、お互いの人工躯体の学習能力や運動能力の性能評価をしてみないかと」
「じゃあ帝王重工で新型の人工躯体を使っているのが」
「はい。リンドウさんです。リンドウさんの人工躯体は、帝王重工製人工躯体零式改『銀河』ですね」
そこで、ふとした疑問が浮かぶ。
「そもそもの話、なんでまた性能評価の試験にゲームが選ばれたんだ?」
「この『Swordsman’s HEAVEN』には、ロンダイトが独自に開発した技術が多く使われています。様々な分野から注目されていますので、データの収集にも対外的な発信にもちょうど良かったのだと思います」
「それでさっき、優劣の話が出てきたのか」
企業のプロジェクトにかかわるため、負けられないという意識が強いということは理解できた。
だが、彼女の話では得心のいかない部分もある。
「正直言うと、そこまで焦る気持ちがわからないな。まあ、企業的に大事なのはわかるが、それにしたって深刻すぎやしないか?」
「それは、その……」
「その辺、言いにくい話か?」
「いえ、そういうわけではないのですが……」
ユウナは思い悩んだように言い淀む。
レキとしても、無理に聞く必要のないことではあったのだが――
「理由があるなら、話して欲しい」
「先輩……」
「ユウナ。伝えてくれなきゃ、ユウナが背負っている重みが俺にはわからないんだ。それがわからないと、足並みを揃えることは難しい」
「……そうですよね。ご指導していただいているのに、事情を話さないというのは卑怯ですね」
そう言うと、ユウナは意を決したのか、理由を滔々と話し始める。
「私が焦っているのは、私の、この人工躯体にかかわることだからです。私がリンドウさんとの勝負に負けてしまった場合、おそらくこの人工躯体は破棄されることになります」
「破棄? いや、負けたから人工躯体を破棄って……それはいくらなんでも話が飛躍し過ぎじゃないか?」
「先輩のおっしゃる通り、普通でしたらそんなことはありません。トライアル用の実験機体でも、量産されなくてもそのまま運用されますから」
「ということは、人工躯体に何か理由が?」
訊ねると、ユウナは神妙そうに頷く。
「この人工躯体は私の母が……私がAIで母がヒトなので、正確に言うと養母なのですが、母が陣頭に立って開発したもので、理論の方も母が立てたものなんです。開発のための企画もかなり無理をしてねじ込んだとのことですので、反対する方も多く、今回帝王重工側から持ちかけられた話をこれ幸いにと、計画の凍結案が持ち上がった……」
「なるほど。社内政治って奴か」
新機軸、新理論とはいえ、社内での扱いは賛否ある。開発をごり押ししたということは、その分、敵も多く作ったのだろう。
だがそう考えると、ユウナが例の詐欺剣術をインプットしてきたのも、反対している側の人間の差し金だということがわかる。
「私がリンドウさんに敗北すれば、計画の凍結は免れられず、躯体の破棄はなくとも、凍結されると思われます」
「だから、自分の人工躯体の有用性を示して、母親の人工躯体や理論をなんとか残そうってことだな?」
「はい」
ふと、ユウナが俯く。
「……私の母は人工躯体完成前に亡くなりました。私とお母さんに血のつながりはありません。そもそも人間とAIですので、お母さんの遺伝子情報から発現する要素を想定、抽出して、電子脳の設計時に組み込んだだけです。ですが、お母さんは私にいろいろなことを教えてくれて、見守ってくださいました。だから私は、お母さんの立てた理論を残したいんです。お母さんが残した『想い』を繋げていきたいんです」
ここでリンドウに勝つのは、ユウナの、娘としての願いなのだろう。そして先ほどこれを言い淀んでいたのは、そのような事情を伝えて負担にさせたくなかったからだ。
「……すみません。このような事情を押し付けるような形になってしまって」
「いいさ。無理して訊いたのは俺だ。それで、評価試験の期間はいつまでなんだ?」
「次の退去日までです。それまでにリンドウさんを倒して、順位をリンドウさんよりも高い位置に付けるのが目標です」
「退去日か。次は確か三か月後だな? 焦るわけだ……ん? いや、確か室内運動場で皇帝さんが上に報告するとかなんとか」
「はい。二週間後のバトルでリンドウさんを認めさせられないと、そこで性能評価も打ち切られるかと」
「そんな権限が皇帝さんにあるのか?」
「私はこれまで負け続きでしたので」
「向こうがだいぶ優位に立ってるってことか」
それならそれでもっと早めに見切りを付けられていそうなものだが、その辺りは向こうもなにか考えがあるのだろう。
「だけど二週間か。思ったより時間がないな」
「私もわがままだとはわかっていますが、どうかご指導の方お願いできないでしょうか」
ユウナはそう言って、頭を下げる。
レキにも、特に断る理由はなかった。
それに、弟子にした以上はきちんと面倒を見るのが筋でもある。
「わかった。だが、急ぐとなると厳しくなるぞ」
「構いません。私にはもうあとがありませんので」
「なんていうか責任重大だな」
「……申し訳ありません。先輩にはなんの義理もないのに、こんなことをお願いしてしまって」
沈黙が流れる中、レキは手を出す。
手のひらを上に向け、視線を合わせる。
ユウナは一瞬きょとんとしたような表情を見せたあと、どういうことか分かったのか。彼女はレキの手を、包み込むように両手で握った。
お互いの信頼を確かめ合うように。
そして、
「それに、俺にも理由はあるしな」
「理由ですか?」
「古流のことをエセ健康科学なんて言われたままにはしておけないからな。ユウナを強くしてきちんと決着をつけないとならない。俺も責任重大だが、ユウナも責任重大だぞ? なんてったってこっちには千年近い重みがあるんだからな。頑張ってくれよ」
「は、はい! 一緒にがんばりましょう!」
ユウナは気負ったように返事をする。
こうして同じように責任を共有すれば、少しは気持ちも楽になるだろう。
「当面の目標は次の試合だな」
「はい。そこでリンドウさんに、私がライバルに値すると認めてもらいます」
「やってみようか」
「はい!」
ひとまず話に区切りが付いた折のこと。
ふと、モニターの画面がチューニング音のようなノイズと共に揺れ動く。
故障か、と思っていると、やがて画面にマークが映し出された。
黒抜きの画面に、青白い手のシンボルが浮かび上がった。
それを見たユウナの顔付きが険しくなる。
「これは、蒼褪めた手の……」
その名前は、レキも知っていた。蒼褪めた手。日本で活動する人権過激派組織の一つだ。
画面が突然変わったのは、電波ジャックだろう。
過激派組織がよくやる手だ。電波放送を乗っ取って、自分たちの活動を知らしめようとしているのだ。
『――我々は、蒼褪めた手である。この放送を見ているすべての人間たちに、お聞き願いたい。我ら人間は、AIの台頭を許してはならない。この地球の正当な後継者は我々人類である。AIは人間の意志のもと、正しく管理されるべきである。そうでなければ、やがてAIは我々人間にその隠していた牙を剥き、襲い掛かってくるだろう。人間よ、立ち上がるのだ。穏やかな隣人の皮を被った、残忍な機械たちに、裁きの鉄槌を与えるべく……』
……最近、こういった者たちがことさら多くなった。やれAIは危険だの、やれ人間を支配するつもりだのとわけのわからないことを喧伝して大衆の危機感を煽り、人間とAI知性体の対立を深めようとしている。
AIたちにはすでに数々の制限があるというのに、まだ自分たちの優位を求めようというのだ。
モニターからテロリストたちのシンボルが消え、今度は爆炎と火災が映し出された。
どうやら、AI知性体に関連する企業の施設を攻撃したときの映像らしい。
『今回のこの攻撃も、やむを得ないものと知って欲しい。我々は決して人々を傷つけたいわけではないということを。我らの活動はすべて我ら人類の未来のために行っていることを理解して欲しい』
よく言う。自分たちの目的のために、関係のない者を犠牲にしても構わないというやり方を取っている時点で、正義などどこにもないというのに。
テロリストにかどわかされそうになったいまのユウナには、面白くない映像だろう。
「先輩、消してもよろしいでしょうか?」
「俺もあんまり見たくない類のものだからそれは願ったりかなったりだが、これ、できるのか?」
現在、電波ジャックで強制的に見せられている状況にある。ディスプレイがあれば話は別だが、投影された非実体のものであるため、コマンドを受け付けない可能性が高い。
しかし、ユウナは「はい」と頷く。
「映像を消してください。『お願い』です」
ユウナが音声を飛ばすと、非実体ディスプレイが消えた。
音声も映像も、ぷっつりと途切れる。
そうして、室内が静かになったあと。
「テロ行為やら電波ジャックやら、いい加減にして欲しいもんだ」
「これまでヒトとAIは手を取り合って、一緒に繁栄してきました。確かに事故は何度もありましたが、それは私たちAIだけの問題ではありませんし……やはり理解できません。人類の未来のためにと言うなら、もっと健全な方法があるはずだと思います」
ユウナは悲しそうだ。
「人類の未来、か。連中の考える未来には、AIの居場所はないんだろ」
「私たちだって、自分たちが作ったようなものなのに。どうしてあの人たちは自分たちが滅ぼされるなんて考えるんでしょう」
「人間より優秀なものが、より身近になったからだろうな」
目に見えてわかりやすい脅威であり、それが自分たちと似ているからこそ、自分たちの生活を乗っ取られてしまうという考えにつながるのだ。
だが、
「だけど、そんなことで滅びるなら、とっくの昔に人類なんてものは滅んでるよ」
「先輩?」
「未来なんざ、誰が何をやっても変わるんだ。時代の流れは止められない。その時代、その世界の都合がいいように、最適化されてしまう。どんなになくなって欲しくないものでも、ちょっとしたことでこの世から綺麗さっぱり消えるんだ……」
レキのこぼした言葉に、ユウナはわずかに戸惑ったような表情を見せていた。




