第二十一話 夕影に落ちる
稽古を始めたのが昼過ぎであったため、すでに外の景色は茜色に変わっていた。
もうそろそろ日も沈み切るかというところ。
レキとユウナは居住用の区画へ向かうため、二人並んで道路を歩いていた。
淤能碁呂島に張り巡らされた道路のほとんどは車道扱いだが、通るのは定期運航するオートドライブのシャトルバスくらいのものだ。
左脇には法面と雑木林があり、道路の反対側には白いフェンスを境に広大な空き地が広がっている。
背の高い雑草群が穏やかな風にたなびき、その先に夕日が顔をのぞかせていた。これだけならば、なんの変哲もない無造作な空き地だが――近くに行けばすぐにわかる。
神経質なほど徹底して均された平面な人工土の上に、雑草が一定の間隔で植えられている。その植え付け方にはランダム性などかけらもない。未来人が感じたことのない郷愁を感じさせようとしているわりには、こういったところにまで気が回っていないのが間の抜けたところか。
周囲から聞こえてくる虫の音が、その証拠だろう。人工土と植物を管理する小さな虫型ロボットが、サウンドセラピーに基づいた心地よい音を響かせているのだが、季節感がまったくない。
だがそれでも、こういった風景はレキに落ち着きを感じさせた。
ふと目を閉じると、目蓋の裏側にとある光景が浮かぶ。夕暮れ時のローカル線の窓から見えるおだやかな田園風景。窓ガラスに散乱する光の眩しさに顔をしかめながら、流れて行く風景をいつまでもいつまでも眺めていたあの頃。もう二度と見ることのできないいつかの過去。西日に照らされた稲や葦が風に吹かれて、若草色の波を見せる。
そんな情景が、目蓋の裏に蘇る。
……本土の都市部はどこもかしこもキラキラしていて目に痛い。こんな空き地などという無駄なスペースは一切なく、建造物がところ狭しと立ち並び、その壁面に目を向ければホログラム広告が色とりどりの花を咲かせ、それを少し視界に入れるだけでスマートグラス伝いに聞きたくもない音声が耳に飛び込んでくる。これが嫌だからといってスマートグラスを外せば日常生活に手間が生じるし、だからといって広告ブロッカーに財布のリソースを割く気にもなれないため、結局は付き合っていくしかない。
以前にこころが、「目玉を気軽に取っ替えられるのはAIだけなんだぞー」と憤慨していたのを思い出す。
クリスタルのような輝きを放つエネミーシンボルを避けながらの、室内運動場からの帰り道。ユウナは思いのほか消沈していた。
あのあとも室内運動場で立ち方、歩き方の練習を続けたのだが、ユウナはどこか集中し切れない様子だった。
リンドウに負けたことが尾を引いているのか。いや、実際そうなのだろう。負けたときのことを何度も何度も繰り返し考えて、堂々巡りになっていることが如実にわかる。ただの学習AIであればログを検めるだけの作業も、AI知性体はなまじエモーショナルエンジンがあるせいで、フィードバックに支障が出るのかもしれない。
レキは隣を歩くユウナに声を掛ける。
「大丈夫か?」
覗き込むように訊ねるが、当然返事に元気はない。
「……はい。ご心配をおかけしました」
「あまり気にするな。勝負は勝った方が出れば負けた方も出るんだから」
「いえ、ああして挑んだ手前、私は一矢報いることもできず負けてしまいました。そのうえ先輩の剣技まで貶めるようなことになってしまって……」
「いいんだ」
「ですが」
「皇帝さんだってユウナと戦ったときに驚いてたし、そのあとだって俺がきちんと戦えることを見せた。だから大丈夫さ」
心配するなと表情を柔らかくするが、ユウナは浮かない顔を見せたままだ。
「……先輩があの三人を倒したときの動き、すごかったです」
「ん。あれくらい自慢するようなレベルじゃない。きちんと剣術を学んでいれば、大抵はできるようになる」
「私にもあんな風にできるのでしょうか?」
「できるさ。基礎さえ覚えればすぐにでも」
「それはどのくらいの時間で――いえ、すみません」
ユウナは言いかけて謝る。どれくらい早くできるのか。どのくらい強くなるのか。それは強さに急ぐ人間がよく口にする言葉だ。
「焦る必要はない。ゆっくり強くなっていけばいい。もちろん、あんまり悠長にやるのはよくないだろうが」
「……いいえ、それではダメなんです」
「ん?」
返ってきたのは、思いがけない否定の言葉だ。
見れば、ユウナはひどく深刻そうな表情を浮かべていた。
「ダメってのは……どういうことだ?」
「先輩。私は、リンドウさんに勝たなければいけません。なるべく早く、私がリンドウさんに匹敵する、いいえ、リンドウさんよりも優れていることを示さなければならないんです」
控えめな彼女にしては、随分と我が強い言動だ。
「強くなるとかじゃなくて、優れているか。皇帝さんもそうだったが、お互いやたらと意識してるんだな」
「はい、それにはその、いろいろ理由がありまして……」
ユウナがその理由を答えようとした折。
「っと、その前にだ。ユウナ、俺の後ろに下がってくれ」
「えっと、なにかありましたか?」
「いやな――今日はお客さんばっかりだなって思ってな」
「お客さん、ですか? 私の外界センサは誰も捉えていませんが……」
ユウナは周囲を見回すが、気付く様子はない。
レキが軽く顎をしゃくると、やがて道の先の曲がり角、法面の陰から三つの人影が現れる。
もちろんそれは、先ほど運動場に来た連中ではない。
夕焼けの中から姿を表したのは、作業着に身を包んだ男たちだった。
それを目の当たりにしたことで、不審が確信に変わる。島内での各種作業にはメンテナンスロボを従事させるため、人間の作業員はいないからだ。
視線の動かし方や身体の向きなどから、こちらに意識を向けていることが如実にわかる。
なんらかの意図を持って立ちはだかとうとしているのは明白だった。
「あの方たちは……」
「……プレイヤーってガラじゃないな。なんか知らんが随分剣呑な気を放ってやがる」
「はい。表情筋の動きから害意の存在が見受けられます」
レキは近付かれ過ぎる前に、先んじて声を掛ける。
「俺たちに何か用か?」
「…………」
しかし、作業着の男たちは答えない。三人、一定の間隔を保ったまま、その場で立ち止まる。
レキは再度、強めの語気で訊ねた。
「聞いてるのか? 耳が付いてるならきちんと答えて欲しいんだが?」
「そこの女AIをこちらに引き渡してもらおう」
「……?」
「え……?」
思いがけない言葉に、ユウナが戸惑った表情を見せる。
だが、
「女AI、ね。変質者が襲う女をご指名するとは、おかしな時代になったもんだな」
「黙れ」
「あなたたちは一体何者ですか? 何が目的で私を――」
「AI如きが口を利くな」
「っ……!」
作業着の男が発した強い言葉のせいで、ユウナの戸惑いに怯えが混じる。
どうやら目の前の人間たちはAIに対して並々ならぬ嫌悪を抱いているらしい。
「おたくらプレイヤーじゃないだろ? 身許を証明するものを出してもらおうか」
「…………」
「だんまりかよ……ならとっちめて運営に突き出してやればいいか?」
「貴様、庇いだてするのか?」
「当り前だろ。AI知性体はモノじゃないんだ。寄越せって言われてはいどうぞなんて言えるかよ?」
「たかが計算機如きに情を移して」
「…………は? いや計算機って……お前それ一体いつの時代の話をしてるんだ? AI知性体だぞ?」
「計算機は計算機だ」
「アホ抜かせよ。いまの時代電卓なんてとっくの昔になくなってんだろうが。そもそも実物見たことあるのかよ?」
「似たようなものだ」
「マジで言ってんのか全然違うわ。もっと歴史の勉強してからAIに土下座で謝れ」
不審者たちは、AIを電卓と同一のものと考えているらしい。旧時代の揶揄的言い回しがそのまま現在まで残ったせいで、意味の分からない勘違いをしているらしい。
そんな中、突然「先輩、実物の電卓とは」と場違いな驚きを口にするユウナに対し、「いまはそれどころじゃないだろ」となだめる。
ともあれ、レキにもわかったこともある。
AIに対する極端なまでの嫌悪感と、『計算機』という妙な物言い。
そして、しきりに脇腹下を気にするような妙な挙動。
「まったく……お前らあれだな? 人権過激派とか言うテロ屋だろ」
「テロ屋だと!? 我らは崇高な理念を掲げる――」
「何が崇高だ。他人様に迷惑かけてる時点で崇高もクソもないだろうが」
レキが言葉をかぶせると、作業着の男は忌々しげに吐き捨てる。
「っ、何も知らないガキが……」
「そりゃあ知らんさ。お前らのことなんて俺にはほんとどうでもいいことだ」
テロリストたちは正面の男の合図と共に、一斉にナイフを取り出した。
刃を革鞘から外すと、現れたのは金属ガラス製の刀身だった。
銀色でシンプルな形状だが、刃部が大ぶりで悪辣な突起をいくつも背面に付けている。
軍用ナイフだ。
「せ、先輩!」
「ユウナ。運営に通報を」
「はい!」
レキはユウナに稽古道具を預けつつ、前に出る。
一方でテロリストたちは機敏な動きで、すぐさまレキを取り囲みにかかった。
正面の相手の構えはやや半身にした正対だ。
左手を前に出し、相手を誘うようにゆらゆらと動かしている。
両脇はナイフの刃先を前に出してけん制するように、レキの動きを窺っている
「シャッ――」
テロリストたちが示し合わせたように一斉に襲い掛かってくる。
身を低くしたまま走り、動きは一定にならず、まるで入り乱れるような連携だ。
レキにナイフの刃が迫る。それを回避すると、今度はそれを見計らっていたかのように後続がナイフを突き出してきた。
レキはそれをスウェーの要領で仰け反るように回避する。
そこへ向かって、最後の三人目が、ナイフの刃を横薙ぎに滑らせた。
白刃がレキの頬を掠める。薄皮一枚。
すぐに後ろへ大きく退がる。
(チィ……こいつら訓練されてるな)
レキはテロリストたちを視界に収めたまま、目を細める。連携力が尋常ではない。訓練されていなければこのような動きはできないだろう。こちらが下手な動きをすれば、たちまち急所を断たれてお陀仏なのは明白だ。
「うまくかわしたか」
「…………」
テロリストは、嘲笑うようなセリフ回しと、余裕の笑みを見せる。
連携はそれで一旦区切りなのか、テロリストたちはそれぞれの位置へ散開し、ナイフを構えたままこちらの挙動を窺い始める。
「すぐに庇い立てした勇気は認めるが、相手が悪かったな」
「そうかな? ここでゲームプレイしている人間とどっこいどっこいだと思うが?」
「ふん。ゲームのプレイヤー如きが舐めた口を利く。実戦の経験がある者とそうでない者には決定的な違いがあることを教えてやろう」
「実戦、ね……」
そんな話の最中、レキをけん制していた右隣りが対象をユウナに切り替え、彼女に襲い掛かろうとする。
レキはすぐにそれを追い掛け、無防備になった横っ面を殴りつけた。
「ぐうっ!?」
テロリストが悲鳴を上げてぶっ飛んだ直後、レキは背後に襲い掛かってくる機を窺う。
そのまま即座に横に動いて身をかわすと、それまでいた場所にナイフの刃先と手元が飛び出してきた。
レキはすかさずその手を取って、ナイフを奪い取って地面に叩きつけるように投げ倒す。
「がはっ!?」
肺から空気が吐き出されたような悲鳴を聞きながら、ユウナへと襲い掛かっていった残りの男に、奪い取ったナイフを棒手裏剣の如く投げつけた。
「ぐあっ……!?」
上から振り下ろすような動作と、ビュン、という風切り音のすぐあとに、ナイフがテロリストの肩に突き刺さる。
血しぶきが跳ねた。
足元に転がった者たちが距離を取ろうとする動きに合わせ、レキも位置を取り直すため、ユウナのもとへと歩み寄った。
「そう簡単にはやらせないさ」
「このっ、舐めやがって……!」
先ほどレキが殴り飛ばした男と、投げ飛ばした男が立ちあがる。
二人が懐から取り出したのは、拳銃だった。
「っ、おいおいそんなものまで持ち込んでるのかよ……」
持ち込みをすり抜けたか、それとも別の手段のでの侵入なのか。
本物ということは間違いない。銃口の傾き具合を修正する手の動きには確かな重みが見て取れるし、鼻を利かせるとありもしない硝煙の匂いまで覚えるほどだ。
二つの銃口が、一斉にレキの方を向いた。
「だ、ダメです! やめて……!」
ユウナが声を上げると、テロリストの一人が口を開いた。
「動くな」
「って言われてもな」
「貴様、状況がわかっているのか?」
「そっちこそどうなんだよ。もうそろ警備ロボたちがすっ飛んでくるぜ? そんな悠長に俺たちに構っている暇があるのかよ?」
「貴様を撃って女を回収すればいい」
直後、発砲音が鳴り響く。アスファルトの地面に、銃弾が反射したあとが黒く残った。
ユウナが小さな悲鳴を上げる。
「どけ」
「そんなつもりはない」
「減らず口を。これを見てもよくそんな強気でいられるものだ」
「残念ながら、俺は剣で斬られないと死ななくてな」
「ぬかせっ!」
レキが挑発気味に首をすくめると、テロリストが照準を彼に合わせた。
余裕をうそぶいたものの、レキにも焦りがないわけではない。
拳銃は脅威だ。そのうえ、その性能は過去世界のものとは比べ物にならない。
周囲に遮蔽物になり得るものもなく、盾にできるような持ち合わせもない。
だが、ここで怯むような素振りを取れば、相手の思うつぼだし、ユウナにもそれが伝わって余計に不安にさせてしまう。そうなれば、警備が到着する前に状況が悪化しかねない。
……徐々に空気の肌触りが変わってくる。
奥歯を強く噛むと、歯の根が軋んだ。
「せ、先輩……」
「大丈夫だ。俺の後ろにいろ」
レキはテロリストたちに視線を向けたまま、ユウナに預けていたバッグに手を突っ込んで、振り棒の柄を掴む。
バッグがどさりと落ち、振り棒の全体があらわになった。
「そんなもので銃を持った相手に勝てるとでも思っているのか」
「思ってなけりゃこんなことはしないさ」
レキはそう吐き捨てると、振り棒を高く掲げるように持ち上げる。
柄を顔の右隣に引き寄せ、右手はしっかりと柄を握り、左腕はできるだけ力を抜いて前腕部に引きつけ、握りはほぼ添えるだけ。
左肘はぴったりと胸にくっつけて、やはり力を抜いたまま。
降り棒と腕を一体として、先端は上に。
ひくいなずま。
レキが構えを取る一方で、テロリストたちは狙いを付けているのか、いまだ動かない。
だが、引き金を引く前の、引き絞られるような感覚がレキの方にまで伝わってくる。
やがて、撃つか撃たないかの緊張が限界まで張り詰めたそのみぎり。
「う、うわぁあああああああああああ!?」
テロリストの一人が恐れともつかない絶叫を上げて、引き金を引いた。
乾いた音が辺りに響き、右腕の服と皮膚が弾けた。銃弾がかすめたのだ。花びらを散らしたように鮮血が飛ぶ。その後も一発二発と乾いた音が連続し、銃弾がレキの身体をかすめていく。
だが、レキはたじろぎもしない。視線を送る場所をわずかにも変えず、テロリストたちを射抜いたまま。少しでも気後れすれば最後、さらなる発砲を許すことになるからだ。
後ろからユウナの声が聞こえてくる。切迫した悲鳴だ。何かしらを叫んでいるようだが、それは意識の内から除外する。
集中する。撃たれて死ぬことへの恐れはすでにない。
そう、剣を抜けば、剣に死するのが剣士の定めであるならば。
撃たれたときの帰結も、受け入れてしかるべきなのだから。
相討ち上等。
勝利度外視。
肺の中の空気をゆっくりと交換する。
「眼は流星に似て、機は掣電の如し」
レキが禅語の一節を、まるで呪文のように唱えた直後。
テロリストたちの表情が、焦りに満ちたものへと変わる。
そのこめかみの横に、冷や汗が流れ落ちたのが見えた。
「うっ、撃て! 撃てぇえええええええええええええええ!!」
引き金を引く指に力が入ったそのとき。
夕日が地平線に顔を隠すその間際、夕影が一層強く辺りを照らし。
やがて、辺りが闇に落ちた。
「――やめてぇええええええええ!!」
ユウナが悲鳴を上げる。絹を引き裂くような音声が鼓膜に突き刺さる。
彼女が大きく叫んだ途端だった。
周囲に設置された機械が一斉に警報音をばらまく。
電灯などの灯火がすべて警光灯の赤色になり替わり、辺りは騒然。やがて遠間から、けたたましい音が聞こえてきた。
おそらく島内を巡回する警備ロボや、バケツ君だろう。
先ほどユウナに通報してもらっていたため、それが間に合ったのだ。
「っ、ひっ! 退くぞ!」
テロリストたちはそれで引き際を悟ったのか、慌てた様子で逃げ去っていった。




