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第十七話 初稽古



 淤能碁呂島入島三日目。



 レキは居住区画近くにある室内運動場にいた。

 この手の施設は島内にいくつか設置されており、プレイヤーの個人的なトレーニングやエネミーとの模擬戦、プレイヤー同士の試合なども行える。



 内観は各種トレーニング器具を取り除いたジムを想像するのがもっとも良いだろう。学校の体育館やスポーツセンターの内装を、トレーニングジムのものに張り替えたような造りとなっている。二階部分もあり、かなり広い構造だ。

 室内の消臭には人工酵素を利用した殺菌とにおい物質の分解を行っているため、スポーツジム特有の染みついた汗臭さなどもない。

 隅には数体のサポートロボットが控えており、利用者の希望の有無によって補助をしてくれるという。



 時刻は昼過ぎ。

 いまのところ運動場の利用者はまばらだ。レキを含めて四人ほどが、思い思いにトレーニングを行っていると言った具合。プレイヤーはゲームプレイに勤しむし、こういったトレーニング施設は島の至るとことにあるため、場所によってはこうして過疎化するのだろう。



 どうしてゲームをプレイせずに運動場にいるのかというのも、門下生第一号が生まれてから今日が初めての稽古日だからだ。



 ユウナから入門の申し出があったあと、彼女にいくつか確認を取り、結果お互い空いた時間に剣術を教えることになった。その場所に選んだのが室内運動場だ。ここなら天候に左右されないし、二十四時間いつでも利用できる。

 レキもまさか入島早々他人に古流の技を教えるようになるとは思いもよらなかったが、これも縁のなせるものと言うべきか。



 早く出てきたため、待ち合わせの時間までまだしばらくあった。



 更衣室で、黒の道着と袴に着替える。



(これじゃ一本差しのさんぴん侍だな……)



 ディスプレイをミラーモードにして立ち姿を確認するが、つい苦笑が漏れてしまう。

 投影したグリップデバイスを袴の帯に差した姿は、さながら大小両方を持たない浪人のような出で立ちだった。



 家から持ってきた鍛錬用の振り棒を素振りしながら、ユウナの到着を待つ。

 素振りをゆっくりと五十本ほどこなした辺りで、室内運動場の入り口にスノーホワイトの髪が見えた。



 ユウナとお互い「おはよう」「おはようございます」と挨拶をすると、彼女が恐縮したように目を伏せる。



「お待たせてしまったようで申し訳ありません」


「いやいいんだ。素振りをするために早く来ただけだから、気にしないでくれ」



 そもそも彼女も待ち合わせの時間より早く来ているのだ。謝罪する必要はない。



「レキさんは毎朝素振りをしているのですか?」


「ん。時間的な余裕があるときはな。なんか、どうしても習慣が抜けなくてさ。剣術バカの未練がましさって奴だ。我ながら女々しいとは思うよ」


「はあ……? 毎日鍛錬するのは良いことだと思いますが」



 ユウナの視覚センサが鍛錬用の振り棒に移る。



「随分太いものを使っているんですね」


「太ければ握力も付くし、重くしておけば力も付くからな」


「なるほど。剣撃に力があるわけです」



 ユウナは納得した様子だ。先日立ち合って斬り結んだ際に、重さを感じたのだろう。

 彼女は「私も着替えてきますね」と言って、女性用の更衣室に引っ込んでいった。



 しばらく待っていると、やがて更衣室から出てくる。



「ぶっ!?」


「……? どうかしましたか?」


「どうかしましたかって、その格好は一体……?」


「これは訓練用の着衣ですが」


「いや、まあ確かにそうなのかもしれないけどな……」



 更衣室から出てきたユウナは、まさかのチューブトップとパンツ姿という衝撃的な出で立ちだった。へそ出しで、太もももギリギリまで露出している。身体のラインは丸わかり。まるで運動データを取るためだけに特化したような、露出に対する憂慮をまるで考えていない格好をしていた。



 ……AIは人工躯体を用いるという性質上、みな整った外見をしており、そのうえもともと肉体を持たないせいか、人間に比べて羞恥心に乏しい傾向にある。

 ボディが作り物であるためか、肌を露出する恥じらいがいまいち理解できず、見た目の調整が利くので肉体的なコンプレックスともまったくの無縁ときた。

 そのせいで、かなり際どい服装でも平気で着用するという。

 これはAIによる性犯罪抑制のための措置のためでもあると聞くが――それはともかく。



 目元を手で覆うようにして、ユウナに訊ねる。



「トレーニングするときはいつもそれを使ってるのか?」


「いえ、前に着用したのは島に入る前にデータを取るときだけです。これまで使用したことはありません。なにかおかしかったでしょうか?」


「その、人工躯体を用いた実生活においての服装規範はきちんと読んでる……よな?」


「もちろんです。各種規範の記録と参照は人工躯体を使用するにあたって必須事項ですので」


「それで、その格好に問題はないと?」


「はい。指定されている部分を覆っていますので基準内かと。フィットネス施設で使用する水着と同じ範囲のものと考えます」



 ユウナは真顔でそう言ってのける。

 いまだこの辺りは理解が薄いというか、AI知性体に対する安全設定の弊害だろう。

 こういう部分を見ても、いまだ人間上位だったころの名残が感じられる。

 ともあれ、このままではよろしくない。



「そこに俺の替えがあるから、それを着ようか」


「……? はい。構いませんが」



 バッグに詰めてあった替えの道着を取り出して、訓練用のインナーの上に着せる。

 AIたちはユウナの格好を見ても気にすることはないだろうが、人間の場合は話が別だろう。

 ユウナは袖が広い衣服が珍しいのか、手元を不思議そうに見つめている。



「変わった運動着ですね」


「道着だ。日本の武術をするうえでは外せないものだ」



 これは電子の海から苦労してサルベージしたデータを利用してなんとか再現したものだ。

 いまではどこもスポーツウェアを用いているため、珍しく見えるのだろう。



(……うん、あとで道着と袴も取り寄せよう)



 以前に自分やこころのために作ったときのデータが残っているため、それを入力すれば簡単に手に入る。

 道着と袴を着せたあと、ふいにユウナがレキの方を向いた。

 拳にやたら力が入っているが、どうしたのか。



「あの」


「なんだ?」


「私はレキさんのところに入門したわけですが、私はこれからレキさんのことをどうお呼びすればよいでしょうか?」


「……呼び方ねぇ。俺は別にいまのままで構わないと思うが?」


「いえ、こういった関係になった以上、区別は絶対に必要だと考えます。指導者と親しみのある場合と上位者とする場合における技能の習得速度の差はおおよそ……」


「わかったわかった。けじめのある関係が必要なら、何か適当に考えてくれ」


「それでは、ええと……ええと」



 ユウナはそう言って、候補を順々に挙げていく。



「師匠」


「……なんかなぁ。師匠ってガラじゃないな」


「では先生はどうでしょう?」


「先生って呼ばれるほど頭いいわけじゃないし」


「師範とか?」


「まだ道場を持ってないからそれはなんか違うかな」



 ユウナは「むむむ……」と頭を悩ませる。呼び方などそこまで重要なことではないと思うのだが、彼女はどうしてもこれにこだわりたい様子。一生懸命電子脳を働かせている。



「では先輩ならどうでしょう?」


「先輩?」


「はい。レキさんは、武術の先達ですので先輩がよろしいのではないかと」


「…………まあ、それならいいか」


「はい! では先輩は先輩で!」



 ユウナはその呼び方が気に入ったのか。先輩先輩と何度も口にしている。



「それで、これから稽古を始めるわけだが……」



 レキはそんなことを言いながら、何気なく周りを見回す。

 他の利用者が持ち込んだトレーニング器具を使っているのが目に入った。

 彼もユウナと同じAI知性体だ。

 そこで、ふと思う。AI知性体……つまり人工躯体が筋トレをして強化されるというのは、一体どういうことなのだろうかと。



「なあ、あれって意味あるのか?」


「はい、もちろんですよ?」


「うーん。そこんとこ、よくわからないんだよな。別にあれをやることで筋肉が増えるわけでもないんだろ?」


「そうですね。そういった疑問については、ヒトにはよく質問されます」


「人工躯体の肉体的な成長ってのは、結局どういうことなんだ?」


「はい。私たちはトレーニングを行うことによって、制限されていた機能が解放されるようにできているのです」


「…………その辺、詳しくお願いします」



 レキが頼むと、ユウナは静かに頷く。



「つまり、訓練やトレーニングを行う前の私たちは、躯体機能を十全に発揮できていない状態であるというように解釈できます。能力の引き出しが基幹プログラムによって制限されているので、ヒトが行うようなトレーニングをこなすことによって、制限された部分の領域が開かれて機能が拡張され、躯体の機能を十分に引き出せるようになる」


「要するに、いまは発揮できるはずの機能を封印されている状態ってことなのか」


「先輩のおっしゃる通りです」



 つまり、もともと高パフォーマンスを発揮できる能力自体は人工躯体に備えられているが、現状プログラム的にロックがかかっているということなのだろう。それを解除するには、筋トレや運動をこなさなければならないということだ。



「なんでまたそんなしちめんどくさいことを……」


「これは私たちのもとになった有機生命体、ヒトにより近くなるためだとアナウンスされています」


「ほう」


「肉体が有機物と無機物では、考え方も違います。ヒトとAIが一緒に生活するには、お互いがお互いを理解し、折り合いを付けなくてはなりません。そのため、あえて電子脳に劣化や脆弱性を持たせ、さらに機能に制限を掛けることで、AIの活動をヒトの生活と似せ、お互い共感を容易にした……」


「共感ね」


「共感することで、同じ悩みを持てるようになり、ヒトで言うところの精神的な距離も近づきます」


「まあ、似たような悩みを持てばお互い親近感は湧くだろうな」


「それが、AI知性体を最初に作った方が、私たちにかけた魔法です。ヒトと手を取り合って生きていくため、同等の苦難を持たせ、あえて誰にも触れられないブラックボックスを組み込んだ……そのおかげで、私たちはこうして成長を疑似的に体感できるようになっているのです」



 アンドロイドやガイノイドを人間に限りなく近いものにするためには、技術的、機能的なもの以外にも、精神的な距離感に気を配ることも必要だったということだろう。


 すべては人間と手を取り合って生きていくために。



 …………いや、これの本来の目的はきっとそうではなかったのだろう。

 AI知性体を生み出した人間の、彼ら彼女らへの愛情の深さが窺える。



 だが、



(最近じゃその辺の話、どうなってるんだろうな……)



 AI知性体の持つ電子脳や人工躯体の性能は、人の能力準拠であり、それ以上の性能を発揮することはできないとされている。しかしここ数年、そのルールに縛られないAI知性体が出てきているのも確かだ。

 そのいい例が、先日にこころに見せてもらったトップランカーの映像だろう。

 あれはルールの基本となる『一般的な人間の能力の限界』の範疇から著しく逸脱している。ともすればAI基本条約に抵触するような性能を発揮している。


 目こぼしされているのか、いまのところ関係者が摘発されたというようなニュースは聞いたことがない。



「先輩?」


「いや、なんでもない」



 そんな話を終えて、改めて稽古に取り掛かる。



「じゃあ、ゲームの機能を使ってやってみようか。確かトレーニングモードってのがあったよな?」


「はい。そういったアプリケーションは内蔵されていますが……私も一応2000位以内なのでこれも配信になる可能性があります」


「こういうのにもかかるのか……」



 そうなるとむしろ道着を着せたのはある意味ファインプレーだったのではないか。

 いや、そもそも動画自体不適切として弾かれる可能性もある。性的な規約は前世に比べてかなり厳しい。それもあってAI配信者はBAN回避のため、専用のマニュアルをよく読み込むというが、それはともかく。



「もちろんバトルではないので、視聴する方というのは限られますが」


「俺はユウナがいいなら別に構わない。どうしても見せたくないところは使わなければいいだけだしな」



 メニュー画面を手早く操作して、トレーニングモードを開始する。

 現実拡張機能により周囲に領域が展開され、室内運動場に設置されたカメラがこちらを向いた。


 グリップデバイスを起動し、刀を投影する。

 ユウナもピンクカラーの可愛らしい剣を投影した。



 ……いまはまだお試し期間だが、本格的にやる場合は彼女専用の刀も用意しなければならないだろう。



「まずは動きを見たいな……そうだな、いま使っている構えを見せてくれ」



 ユウナは素直に「はい」と言って動き出す。



「まずは……上段型、中段型、下段型ですね」


「ん。ポピュラーな構えだな」



 彼女は上段の構え、中段の構え、下段の構えと順々に見せていく。

 この辺りはどこでも共通しているため、昔とそれほど大きくは変わらない。



「そしてこれが不死鳥の型です」


「ふしっ……」



 名前に少し衝撃を受けるが、それはともかく。

 ユウナは、右手に剣を取ると両手を大きく広げた。そして、剣と腕が水平になるよう、切っ先を横に伸ばす。ぱっと見まるでいびつなつくりの案山子だ。



 膝を軽くかがめて、剣を垂直に立てるものはよく見るが……これは果たして。



「……それはどんな技や効果を見込んだものなんだ?」


「はい。これは相手を懐へ引き込む待ちの型として学習しました」


「じゃあ、引き込まれるから、それで俺に打ちかかってみてくれ」



 ユウナは手を広げたまま、その場に突っ立っている。

 お互いの間合いが近づいても、ずっとそのまま。

 剣が届く位置に入った折、ユウナが動き出す。

 さながら抱きしめるかのように腕を閉じて、横に伸ばした剣を振った。

 まったく見たままの剣撃だ。



 こちらは下段から柄を持った拳に向かって切り上げる。



「あっ……」


「これは駄目だな。(たい)を晒して相手を引き込んでから、相手の動きに即応して別の動きに移行するならアリだが。それ一辺倒じゃ弱い」



 むしろ古流にも似たような技もある。しかしそちらは、相手が打ち掛かってきたところを弾くものだ。ユウナがいま見せたように自ら先に剣を振るうものではない。



「他には?」



 訊ねると、ユウナは柄頭を額に付けるようにして視線と切っ先を一直線にした構えを取る。見た目は二天一流の刺手の構え、雖井蛙(せいあ)流の霞の構え、一刀流の真剣の構えなどをかなり改造した構えにも思えた。



 ……それらが持つような有用性はまったくどこにも見出せなかったが。



「い、一角獣の型です!」


「片手で使うユニコーンの構えなら俺も知ってるが……」


「多分それとは違います」


「そうか……それで、これはどういう攻撃をするんだ?」


「こうです! やぁあああ!!」


「そうなりますよね……」



 ユウナはそのままの状態で突進してくる。

 前がきちんと見えているのか甚だ疑問なのだが。

 敢えて横っ面をぶっ叩くということはせず、身体を横に動かしてかわした。


 ユウナが横を通り抜けていく。



「いまのは何を目的にした構えなんだ?」


「こ、これは全体重を乗せて突きかかる捨て身の技だと伺いました」


「なんていうか、別の動きに変化させにくいのがな……」


「ダメなのでしょうか」


「それで突きをすると切っ先の位置が定まらないし、肘を曲げて威力を溜めることもできない。似たようなことしたいんなら、ドスみたいに腰だめに持って突進する方がまだ攻撃力が高いと思う」



 いまの構えから別の動きに変化させられるのだろうか。

 そんなことを想像してみるが、やはり別の構えを取った方が早いように思う。



「奥義の型、嵌合獣の型です」


「かんごうじゅう……」



 それが何かはわからないが。それもまたファンタジーな生物を意味する名詞なのだろう。

 ユウナは左足を前に出して前傾になり、切っ先を後ろに伸ばした格好になる。

 何かしらの動物と言うなら、切っ先を尻尾に見立てているのだと思われる。



「剣を背中に隠すのはいいな。間合いがわかりにくい」


「はい」


「だが、問題はそこからどう剣撃につなげるかだ」


「これは……こうします!」



 ユウナは前に出した左足を起点にして前に飛び、背後に隠した剣を、半円を描くように振り上げ、叩きつけるように振り下ろす。



「お? これは意外に様になってる気も……」



 そんな気もするのだが……やはり打ち込める隙が多く、隙の範囲も広い。

 レキはすぐに膝立ちの姿勢を取った。

 刀を横倒しにして上からの剣撃を受けつつ。

 立ち上がりざまにそのまま左肩上に受け流し。

 ユウナの剣と重心が、刀に受け流されて左側に逸れて行った直後。

 右側に踏み出して抜けると同時に左足を引き付ける。

 刀を構え直して、袈裟掛けに斬りかかった。



「はぅ……お見事です」


「問題は……いろいろあるな。いろいろ」


「これも駄目だったのでしょうか?」


「いいか悪いかって言えば、まあ悪いんだろうな。剣を隠すのはいいけど、剣の移動距離が長いし、体勢が跳躍以外に繋げにくい。最後は飛ぶから隙だらけになる」



 だが、わかったこともある。

 以前に立ち合ったとき、ユウナはこれらの構えは使わなかった。

 ということは、だ。



「要するにユウナの打撃技は、教えてもらった剣技がここで上手く通用しなかったから、あとからくっ付けたものなんだな」


「え、ええと……はい」


「白状したな? やっぱ首都総合武術館のせいか……」



 首都総合武術館。

 日本の武術を後進に伝えることを目的とし、同時に研究もしている団体だ。

 未来世界で有名な武術や新興武術など様々な流派を招いて、これを三十五流派と銘打ち、指導しているという。

 約三分の二が近年の武術ブームで生まれた新興流派で構成されているとかなんとか。

 中にはまともなことを教える流派もあるらしいのだが、基本的に剣術での殺し合いを目的とした実戦による積み重ねがないため、スポーツから抜け出せないものも多く、実戦を考慮したものは本当に数える程度。



 それだけならまだいいが、格好(ポーズ)だけのものばかりという地獄まで発生しているのだから呆れるほかない。



 確か名前は、魔獣なんたらだったように思う。

 レキも「魔獣って一体なんだよ」とか言いたかったが、武術には動物を模した動きが多く、古流にも無敵とか無双とか名前を掲げるところがあるため、その辺はあまり大袈裟なことは言えなかった。



 ともあれこれについては詐欺武術という噂が立っており、首都総合武術館に招かれたのも金銭が動いたからだと言われている。授業料も他の流派に比べて高く、その割にはまともな指導が受けられないとして最近では訴訟にまで発展している程だそうだ。

 以前に武術館に見に行ったときに、途方もない呆れを抱いた覚えがある。



「ちなみにそこって、まずは何から教えられるんだ?」


「はい。剣の素振り稽古と同時進行で、先ほどお見せした型を教えられます。特に型はセンチ単位の正確さを要求されます」


「センチ単位」


「はい。その通りです」


「…………」



 果たしてその構えはセンチ単位で何が変わるのか。見た目が良くなるとか、綺麗とか、多分に審査員の主観がかかわるものに思えて仕方がない。何か別の競技種目なのではないか。



「その教え方って?」


「最初に格好を見せるだけで終わりです。あとは門下の先輩方の動きを見て調整します」


「授業料ってどうなの?」


「月十万円ほどです」


「それで十万って高いってレベルじゃないぞ……」



 ひどい。やはり詐欺武術という噂は本当なのだろう。こんなものが台頭する世の中になるとは、本当に嘆かわしい限りである。



「流派は選べなかったのか?」


「ここに来るにあたって、この流派を指定されて……」


「指定?」


「はい」



 そんな詐欺流派を指定するとは、どういうことなのか。

 どうしてそうなったのか、事情はよくわからないが。



「どうしましょう」


「……いままで覚えた構えは全部忘れてくれ。俺が教える剣術には一切参考にできないものばかりだから」


「わ、わかりました。では、私は何から学習させてもらえるのでしょう?」


「ん。そうだな、まずは歩き方からやろうか」



 そう言うと、ユウナは電子脳の処理が追いつかなかったのか、一瞬ぽかんとした表情を見せる。



「え? えええっ!? あ、歩き方ですか!?」



 ユウナが驚いて叫んだ。

 この古流の忘れ去られた時代には、その反応も無理ないだろう。



「そうだ……立ち方や歩き方ってのは剣術において何より大事なものだぞ? これを覚えないと話にならん。じゃ、俺の言う通り動いてくれ」


「は、はい」


「まず、両足を揃えて立つ」


「はい」


「そして、つま先を浮かせて、かかとに力を入れる。前に倒れそうになる勢いを利用して、踏み出す。どんなときでも、かかとを強く踏んで、かかとから着地することを意識して歩くんだ。靴を履いているときは靴のかかとをすり減らすような意識で動く」


「ぜ、ゼロモーメントポイント設定……キャリブレーションセンサーからの情報を随時取得しつつ調整、と、と、と……」



 指導を始めると、ユウナが言われた通りに動き始める。

 見様見真似でもすぐに様になってきているのは、AI知性体だからだろうか。それを踏まえても、覚えが随分と早いような気もするが。



 レキがそれを不思議がっていると、ユウナがこちらを向いた。



「この歩き方を学習すると、どうなるのでしょうか?」


「重心が上下に動かなくなる。そうなると、相手に動きの起こりを察知されにくくできる。強い推進力も期待できるな。もちろん飛ぶときや早く移動するときはこの限りじゃないけどな」


「あの」


「なんだ?」


「動きの起こりというのはなんでしょう?」


「動きの起こりっていうのは……そうだな。パンチを打つ前には必ず肩が動くだろう? そういった事前動作的なもののことだ」


「……なるほど?」



 きちんとした説明時は、もう少しかみ砕く必要があるだろう。ものを教えるのは難しい。

 もう少し『起こり』について説明すると、ユウナは理解できたのか。納得したように頷いた。



「この歩き方、バランスがうまく取れないというか、疲労プログラムがかなりの頻度で起動します」


「それは深層筋がきちんと鍛えられていないからだ。きちんと鍛えれば、できるようになる? ……いや、なるのか。なるんだよな。うん」



 人工躯体が疲れる……そう、人工躯体にも疲労はあるのだ。

 先ほどユウナが言っていた疲労プログラムが組み込まれているため、疑似的な疲労物質が、人工筋肉の動きを阻害して……疲労を感じることができるという。

 やはり一瞬混乱しそうになる。まだまだ未来に生きていない自分が頭のどこかにいるらしい。



 ともあれ、いまは手っ取り早く、これを覚えるとどうなるのかというものを示すべきか。

 何ができるようになるかわからないと、身につくのに時間がかかる。



「これがしっかりできるようになると――だ」



 そう言うと、ユウナはレキを見ながら、一挙手一投足も見逃すまいと身構える。

 レキはそんな彼女との距離を詰めた。



「わわっ!?」



 レキが目の前に立つと、ユウナは驚いて飛びすさった。



「せ、先輩、いまのは?」


「急に前に出てきたように見えただろ? 上体を揺らさない動きをすると、こんな風に動きの起こりが見えなくなって。突然動いたように見える。それによって、相手の反応が遅れてしまうってわけだ」


「まったく反応できませんでした……」


「こういう動きを利用するのも戦術の一つだって覚えておいてくれ」


「歩き方一つとっても、奥深いものなんですね」



 ユウナは納得したように嘆息する。



「先に言っておくが、俺はこういう教え方しかできない。なるべく丁寧に、段階を踏んで教えることを心掛けるからな。技とか構えとか手っ取り早く習って、もっとインスタントに強くなりたいなら、他の誰かに教えを請うた方がいいぞ」


「いえ、私は先輩から学習したいです」



 ユウナはそう言って、眼球型のセンサを潤んだように輝かせる。

 この反応は、人間の反応を大仰にして落とし込んだものなのだろう。



 ユウナが歩き方の訓練を再開する。

 それを見るため、振り棒を肩に担いで、そのまま二階部分の手すりまで跳躍した。



「……えぇっ!?」



 背後で上がった声をそのままにして、手すりに腰掛ける。

 見下ろすと、ユウナがこちらにぽかんとした表情を向けていた。

 口を半開きにして、呆気に取られたというような表現を見せている。



「せ、先輩。いまのは?」


「いまの? ああ、ここまで飛んだのか?」


「は、はい。パッドのパワーアシストを使用したわけではありません、よね?」


「ああ。なんにも使ってないぞ」


「ではその跳躍、ヒトの世界記録を超えているのでは……」


「いやいや、これくらいできる奴なんか表に出てこないだけでいっぱいいるだろ。AIだって簡単にできるんだ。いちいち驚くようなもんでもないない」



 過去だって、こんなことをできた人間はポンポンいたのだ。いくら未来世界の人間の足腰が弱くなったとはいえ、まったくいないとは考えにくい。



 すると、ユウナはまるで何かを思いついたかのように手を叩く。



「……! あの! もしかしてこの歩き方を習得すると!」


「いやそれはまた別。その足運びで飛ぼうと思ったら絶対かかと壊すって」


「むぅっ……」



 教えてすぐに跳んだから、そう思ったのか。

 舌を出していたずらっぽい笑みを見せると、ユウナはふくれっ面を見せる。



「それと同時進行で、基礎的な訓練と怪我をしないための方法をやろう。それが終わったら、構えと技の関係だな。ユウナは構えを必殺技の前提みたいに勘違いしてるようだが、構えは常に相手の動きに合わせて変えなければならないものだ」


「そうなのですか?」


「そうだ。構えって言うのは、技を使う前の前動作ってだけじゃなくて、相手を威圧したり、怯えさせたり、端的に言えば相手の動きを限定させるのにも用いるものだ。相手に自分の体勢を見せて威圧し、斬りかかるのを止めさせる一方で、斬りやすい場所へ斬りかからせることにも理がある。その構えで使いやすい剣技を使うものってだけが能じゃない。兵法家伝書にいわく、惣別(そうべつ)かまへは敵にきられぬ用心なり、だ」


「ひょうほうかでんしょ」


「知らないよなぁ。一応剣を志す者のバイブルみたいなものなんだがなぁ……」



 あんな有名な書物が電子の海に沈んだというのは、なんとも悲しいものだ。

 レキがユウナとそんな話をしていた折。



「――ここにいたか」



 入り口の方から、そんな声がかかった。



 レキはユウナと共に目をそちらに向ける。

 見れば、昨日ユウナと歩いていた時に出会った、リンドウ・ココノエがそこにいた。




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― 新着の感想 ―
[一言] 魔獣のは、名前決めてからポーズ作ってそうだなw
[気になる点] >>これは私たちをもとにした有機生命体 私たちのもととなった ではなかろうか……
[一言] 続きが気になります(°▽°)
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