第十五話 翌日の朝
淤能碁呂島入島二日目の朝。
レキは居住施設の一階にある共用スペースにいた。
共有スペースはラウンジとなっており、利用者たちがのびのびとくつろげるよう造られている。当然ラグジュアリー感はホテルのそれとは比較にならないが、小さなカフェも併設されているため、飲食も可能だ。
白で統一された室内には、モダンなソファやローテーブルが並び、脇には観葉植物が置かれ、白の内装にグリーンの差し色。壁面の一方は全面ガラス張りで、そこから朝日が緩やかに差し込んでおり、テーブルとカウンターチェアも据え付けられているため、ここで外の展望も楽しめる。
人もまばらなラウンジで、レキは窓辺のカウンターチェアに腰を下ろした。
そんな中、一匹のネコがテーブルの上を伝って歩いてくる。
黒と白のハチワレだ。
そろりそろりと忍び足でもするかのように静かに歩き、止まったかと思うと前足を出して伸びをしている。どうやらネコは未来でも長いらしい。
おもむろにスマートグラスを持ち上げると、ハチワレネコの姿は見えなくなった。
これは、いわゆる電脳ペットと呼ばれるものだ。学習型のプログラムAIを搭載した立体映像で、未来世界では人気の高いリラクゼーションサービスの一つとされる。視聴にはスマートグラスを必要とし、指先に専用のハプティックパッドを取り付ければ、触れてその感触を確かめることも可能だ。
こういった電脳ペットは愛玩用に作られているため、不用意に近付いても本物のネコのように逃げたりはしない。大半は自ら甘えに来て、利用者を癒してくれる。
近寄ってきた電脳ネコが、にゃあと一声鳴いた。
指で顔を掻いてやると、電脳ネコは気持ちよさそうに喉を鳴らす。
毛の一本一本の触感もある。
体温も伝わってくる。
本物のネコを触っているのとなんら変わりない。
ひとしきりじゃれていると、電脳ネコは満足したのか、やがてラウンジの壁面に据え付けられたキャットウォークに乗ってしまった。
……この未来世界は、どこを向いてもAIがいる。
こういった電脳ペットもそうだし、島内をうろつく自販機ロボもそう。果ては家電まで受け答えで操作ができるし、状況を判断してオンオフを切り替えてくれる。
ショップに行けば、従事するAI知性体が立体映像で対応してくれるし、大抵の対面サービスは彼らが担っていると言っていい。
AIがいなければ生活が成り立たない。いや、つまりはそれだけAIが人間に近しくなったのだと言えるだろう。「人間がいなければ生活が成り立たない」なんてたとえなど、今も昔も使わない。作り物という範疇を飛び越え、人々にとって必要不可欠な隣人となったわけだ。
青髪メイドさんが、注文しておいた食事を持ってきてくれる。
周りにバケツ君に似た円筒型の給仕ロボを従えて歩くさまは、さながら白雪姫と七人のこびとのよう。バケツ君を小人と言うには、ちょっとばかり大きくてずんぐりとした小人だが、それはともかく。
青髪メイドさんが手に持っているトレーの上には、合成ミルク入りのカップとサンドが置かれていた。
彼女もAI知性体だ。あどけない少女をイメージしたタイプで、小柄な人工躯体を、ディアンドルを思わせるメイド服で包み込み、頭には猫耳のようなアンテナが付いている。聴覚センサ用の強化アタッチメントだ。
タイプを見るに、カザン社製の人工躯体だろう。
AI知性体というのは、人工躯体を選ぶ際に目立つものを選ぶ傾向にある。
彼ら彼女らはもともと肉体を持たないため、外見を重視したがるらしい。
おそらくは人間のおしゃれと同じような感覚なのだろう。
男性型であれば筋肉質だったり背が高かったり、女性であれば男性に好まれるプロポーションや愛らしさを求めるらしい。
きわどい露出やコスプレイヤーを思わせる服装など、過去の時代を生きた経験を持つレキからすれば衝撃を受けるような格好も、この時代では普通として受け入れられている。
自分の外見を自分の好みに設定できるのも、AI知性体たちの特権だろう。
「お待ちどうさまなのですよ。ご注文の炭火焼きサンドなのです」
「ん。ありがとう」
青髪メイドが、にっこりと微笑みかけてくる。
トレーを受け取ると、青髪メイドはふいに口元に指を当てて不思議そうに小首を傾げた。
「お客様から具材や調理法を指定されるというのはとても珍しいことなのですよ」
「俺、既存のフレーバーってあんまり好きじゃなくてさ」
「確かにこれはメニューにあるものよりも味覚パラメータを大きく刺激するのです」
「なんだ。作って食べたのか?」
「はいなのですよ。念のため、実物を作る前に電脳キッチンでテストして味見させていただきました。お客様に提供する以上はきちんと確認しなければならないのですよ」
「さすがレジャー施設はそういうとこ徹底してるな」
「当然なのですよ。でも、まさかスペースニワトリがこんなにおいしくなるなんて思いもよらなかったのです」
「宇宙ニワトリは独特な風味があるからなぁ。しっかり下ごしらえしないと美味しくない」
「もし、レキさまはお料理がお得意なのですか?」
「得意っていうか、数少ない趣味というかな」
「……!? そうなのですね!」
青髪メイドはそう言うと、身を乗り出すように迫ってくる。
目をぱっちりと開いて、眼球型センサに内蔵されたライトを仄かに発光させた。
そんな風に目をキラキラと輝かせる様は、さながら美味しい料理を目の前にした子供のよう。
「そんな身を乗り出すほどか」
「それはもう! 私たちAI知性体にとって味覚というものはいまだ未知の部分が多い感覚なのですよ! こうして新しいパラメータを生み出せるということは本当に素晴らしいと思うのです!」
「あー」
話を聞いて、合点がいく。レキも仮想領域にある電脳キッチンを利用してよく料理やお菓子を再現するが、ちょっとレシピをSNSに流しただけで、AI勢が途轍もない量の高評価をくれることもしばしばある。
青髪メイドが言う通り、彼ら彼女らにとって味覚というのは、いまだ未知の部分が多いフロンティアなのかもしれない。
「そこで、レキさまに折り入ってお願いがあるのですよ」
「それは?」
「是非このサンドを島内の食事メニューに加えたいのですよ。すでに本社の方にも了解を得て、権利関係もすでにレキさまのお名前で仮申請済みなのです。あとはご本人の了解を得るだけなのです」
「こんな簡単に作れるサンドで? そこまでするのか?」
「簡単……? 肉の下処理をしたり、パンの表面を焼いたり、香辛料をこまめに塗したり、スペースニワトリの焼き方だって樫の木を使った炭でというとんでもなく細かい指定をして、どこが簡単なのですか。物凄く手間をかけているのです。シェフ並みのハンドワークなのですよ」
「手間って、時間にしても十分十五分程度なんだが」
「製作に一分以上時間のかかる料理は十分手間のかかった料理の括りに入るのですよ。そもそも炭火ってなんなのですか? どうしてそんな原始的な調理法が飛び出てくるのですか。しかも物凄く風味が良くなってるのです。不思議を通り越してもはやJin=2(ジンツー)とか魔法を疑うのですよ」
「うーん……」
青髪メイドが料理に対して熱弁を振るう。
これに納得がいかないのは、自分が過去の時代の人間であるためか。
未来世界で料理と言えば、味覚を再現するフレーバーを掛けて終わりというものが多いためだろう。過去の料理と現在の料理では、すでに概念レベルで違うのだ。
「ん。別にメニューに関しては構わない」
「……! ありがとうございますなのです! シェフAIも喜ぶのです!」
青髪メイドがお辞儀をする。なんだかいろいろ大袈裟だが、これも過去の時代の文化が失われた影響だろう。
「レキさまは今日もバトルなのですか?」
「一応。島を回るついでにな」
「もしプレイヤー間でなにかあればいつでもご連絡くださいなのです。本機には制圧用プログラムもインストールされていますので、暴力的なトラブルにも安心なのですよ。もちろん、事態によっては私がレキさんを制圧することになる可能性もあるのですが」
「それは気を付けないといけないな」
「そうしてくださいなのですよ。プレイヤーさんを捕縛するのは私も心苦しいのです」
「ちなみにどれくらい強いんだ?」
「それはもうどんな方でも相手にならないくらいですよ! エイッ! エイッ! …………数の暴力なのですよ!」
青髪メイドは手に持った警棒をびゅんびゅんと振っている。その動きに合わせて、居住区を回る円筒型の清掃ロボが待機状態から一斉起動。トラブル対策用にも利用できるのか、ロボたちは青髪メイドがする動きとまったく同じ動きを取り始めた。
面白いデモンストレーションである。
青髪メイドは「トラブルを起こしてはダメなのですよ」と言いながら、円筒型のロボットの上に乗っかってスタッフルームに引っ込んでいった。
レキは彼女を見送って、受け取ったトレーに目を落とす。
仕切り付いた白のプレートが何とも味気ない。
……前世ではちょっとおしゃれなカフェに入れば、木製のボウルやストレートプレートなどを使って、いちいち供されるときも工夫が感じられていたが、いまでは効率化の影響で外国の刑務所や給食で使われるような強化プラスチック製の白、もしくは黄色のプレートしか見なくなった。よほど高級な店であれば話は別だが、そんなところはいまのレキとは無縁のもの。
サンドにがぶりとかぶりつくと、炭火で焼いたチキンから肉汁が溢れ出す。
遠赤外線の効果と、それに加えて炭で燻された風味も口の中に広がった。
マヨネーズもいまは主流になった卵白使用でなく、卵黄使用の濃厚タイプ。
「ああ、うめ……」
至福だ。いまの時代、生鮮食品は頭に超の付くレベルのぜいたく品に分類される。食事は各種栄養、たんぱく源が合成されたペースト状の効率食ばかりで、生まれ変わったあとは滅多にというか、まったく食べることはできなかった。
こんなことになってしまったのは、一時期起こった環境変動が原因なのだそうだ。天候不順、大規模な太陽フレア、世界戦争の影響、シンギュラリティの発生。それらが農作や畜産にまで影響してしまい、人類は食文化の転換を余儀なくされた。
そこで間に合わせのため効率食が登場したのだが、結果それがメインになってしまったというひどく悲しい経緯がある。
仮想領域で味覚エンジンを利用した代用食もあったらしいのだが、そのせいで今度は拒食症に陥る者が増えてしまったため発展は見送り。それも現在は多くの希望により復活しているのだが、いかんせんレシピが残っていないため、よくわからない未来的なフレーバーがメニュー表を踊っているという地獄となった。
「やっぱり実物はいいなぁ」
これがあるだけで、島に来てよかったと思えるほどだ。
これまでは仮想空間に入って当時の料理を再現……と言っても自分の場合はお菓子なのだが、それでなんとかかんとか食欲を誤魔化していたものの、やはり実物には敵わない。
うまい。こんなものが自由に食べられなくなった未来に生まれ変わるとは思いもよらなかった。自分の楽しみがほぼ絶滅している未来など、本当に厳しい限りである。
「つらみ」
思わず涙と共に言葉が口からこぼれ落ちる。
まだ荒廃した世界でなかっただけまだマシかもしれない。だがむしろそっちの方が……というサイコパスに寄った思想がないわけでもないのが、その辺はイカレた剣士の業の深さか。
「VP溜まったら、こころに生鮮食品送らないとな。いや、確か家族を招待できるんだったか」
レキはゲームプレイに骨を折ってくれた妹のことも考えつつ。
共用スペースの窓際で、外の景色を眺めながら、炭火焼きサンドに舌鼓を打っていると。
ふと窓の外に白髪が朝日を受けて輝いているのが見えた。
あの髪色には見覚えがある。
というか窓の外に見えたのは、昨日散々立ち合いをした少女の姿だった。
ユウナ・ツワブキ。
スノーホワイトの人工キューティクルをハーフアップにしたAI知性体の少女だ。
おとなしさを感じさせる丁寧な性格に反し、服装はホルターネックのシャツに際どいホットパンツというなかなか主張の激しいものを着用している。
改めて見ると結構目に毒だ。
そもそもどうして彼女がここにいるのか。外にいるということは同じマンションというのも考えにくい。
彼女はこちらの姿を見つけると、挨拶のように軽く会釈をした。
小走りでラウンジに入ってくる。
「あの! おはようございます!」
「おはよう。まさかまたすぐに会うとはな」
「はい、レキさんとどうしてももう一度お話がしたくて……」
「話がしたくてって……? おいおいまさか居住用のマンション全部回ったんじゃ」
「え、ええと……いえ、そこまでは……その」
「…………」
返ってきた言葉は、随分と歯切れの悪いものだった。
エモーショナルエンジンが自動的に吐き出した表現パラメータを、どうにかこうにか平静なものへと変化させようとしている涙ぐましい努力が窺える。
視線を斜め下に逸らす姿があからさまに怪しい。
その後、やっと口から出てきた言葉は、
「し、新人用の住居に行けば見つかるかなと思いまして!」
それで見つかったということは、運がいいということか。やはり即興で取り繕ったようにしか聞こえない。
ともかくだ。
「それで、話ってのは?」
「お話もそうですけど、まずえっと……」
訊ねると、ユウナは一呼吸おいて、腰をしっかりと曲げて頭を下げた。
「昨日はすみませんでした。何度も勝負を挑むのは、やはりマナーに欠ける行為だったとログを振り返って反省しています」
「ああ、そういうことか。別に構わないよ。バトルはルール上のものだし、拒否権もあったんだ。それに俺はその分VPが入ったしな。おかげさまでこうして美味しいものにありつけてる」
立ち合いでは一方的にボコボコにすることになったため、むしろこちらも多少なり罪悪感があるくらいだ。
こうしてわざわざ謝りに訪れるとは、律義なことである。
そんな話をする中、ふと、ユウナの視線がサンドに釘付けになっていることに気が付いた。
彼女の視覚センサがぽわぽわと淡く明滅しており、口もとに涎を模した人工間質液がにじんでいる。
「ん。こんな時間だし、普通は飯でも奢るよ……ってなるんだが、これはまだデータ化されてなくてさ」
「じゅる。そうなのですか? ラウンジのメニュー……にしては確かに見覚えがありません」
「俺がレシピを指定して作ってもらったものだ」
「レキさんはお料理を作れるんですか!?」
「ま、まあな……」
レキが気迫に圧され気味に頷くと、ユウナは「すごいです! すごいです!」と感動したように視覚センサを輝かせる。先ほどの青髪メイドAIと似たような反応だ。
「お気持ちだけ受け取っておきます。名残惜しいですが」
「そ、そうか」
ユウナは、また丁寧なお辞儀を見せる。
「立ち話もなんだ。座らないか?」
「いえ……」
ユウナは切り出し難そうに言い淀むが、やがて意を決したように真剣な眼差しを向けてくる。
そして、何を言うかと思えば。
「あの、レキさんに一つお願いが」
「ふむ」
今日は朝からいろいろ女の子からのお願いが多いなと思っていると、ユウナは腰を九十度近く曲げてこう切り出した。
「私をレキさんの弟子にしてください!」
「…………は?」
突然のお願いに、呆気に取られてしまう。
「えっと……昨日レキさんと戦ったあと、改めてログを振り返って素晴らしい技術だと認識しました。是非弟子入りをお願いしたいと思いまして」
「いや、俺はそういうの受け付けてないっていうか」
「……ダメでしょうか?」
「まあ、な……」
レキが覚えた技には、当然秘技もある。
突然、お願いしたいと言われて、「はい、いいですよ」と軽々に了承できるものではない。
彼女とそんなやり取りをしていた折、ふいにラウンジの自動ドアが開いた。
現れたのは、昨日ユウナと一緒にいたアイドル歌手の『HA=REN』だった。
「ユウナ、いる? あ、やっぱりいた……」
呼びかけ見つけて、頭を抱え出すアイドルさん。降りかかった頭痛を和らげたいのか、こめかみをぐりぐりしながら近づいてくる。
そんな彼女にユウナが訊ねた。
「ハレンちゃん? どうしてここに」
「ユウナが心配だから見に来たの。まったくメッセ飛ばしても全然見ないんだから……」
ハレンはわずかに呆れたような声音で言う。
その一方で、話を聞いたユウナは焦ったように端末を取り出す。
今更メッセージに気が付いて、ハッとした表情を見せた。
「あっ! あはは………その、すみません」
ユウナはハレンにぺっこりと頭を下げる。
「保護者は大変だな」
「べ、別にハレンちゃんは私の管理責任者というわけでは!」
「まったくね。この子は思い付きですぐ動くから」
ユウナの方はそうでもないが、ハレンの方は保護者を自認しているらしい。
変化に乏しい表情のまま、胸の下で腕を組んで斜め立ち。
しょぼんとなって小さくなっているユウナにちょっとした文句を言いつつも、なんだかんだ心配するような言葉を投げかけている。
「それで、一体なんの話をしてたの?」
「レキさんに弟子入りを申し込んだんです」
「それで? 答えは?」
「弟子云々は受け付けてないんだ。悪いけど」
そう言うと、ハレンが咎めるように視線を向けてくる。
「君、昨日門下生がどうとか言ってなかった?」
「昨日……? あっ!」
言われてみればそうだ。確かにそんなことを言ったような覚えがレキにもあった。
「いや、あれはその、その場のノリというか、言葉のあやというか……」
「一度口から吐き出した言葉なら、責任持たなきゃいけないと思うけど?」
「うぐ……」
さすがにそこを突かれると痛い。
レキが弱ったような素振りを見せると、ユウナが擁護してくれる。
「ハレンちゃん、その、無理強いはあまり……」
「ユウナはそれでいいの? ここはちょっと強引でも押しが必要だと思うけど?」
そんな話を聞きながら、レキはふと疑問に思う。
「そもそもどうしてそんな風に考えたんだ?」
「えっと、バトルの最中にいろいろと教えてくれたので」
「ああ、あれでか……」
「なぜあのようなことを?」
「昨日も言ったけど、折角いい動きができるから、もったいないなと思ってさ」
そんな会話をしていると、ハレンが口を挟む。
「それじゃ君はユウナの戦法が悪いって言うの?」
「一概に全部悪いってわけじゃないが、剣技を半端にした状態で打撃を混ぜるのはどうかなって。もちろん俺の言うことが絶対的に正しいってわけじゃないから、そこまで強くは言えないけどさ。斬るなら斬る、打つなら打つ。それがしっかりできてから、効果的に組み込まないと、どっちつかずになってダメになる」
「打撃はいけない、と?」
「そこまで極端な話じゃない。流派によっては小手打ちと同時に金的打つとか、普通に足蹴とかあるしな」
「きんて……」
「ちょっと君……」
「いや、金的は技としては重要だろ。そりゃあ玄人相手になると股閉じるからそうそう打つことはできないけどさ」
「そういう意味じゃない」
ならば釣鐘とでも言い換えればよかったか。いやそれでは通じない恐れがある。
「じゃあアイドルさんはあの戦い見てどう思ったよ?」
「それ、どうしてわたしに訊くの?」
「そりゃあ……まあ、いいや」
レキはハレンの返事を適当に流して、ユウナの方を向く。
「えっと、ユウナ、だったな? あの動きはどっかで習ったのか?」
「あれは首都総合武術館で習ったものを私なりに改良したものです」
「あー、あそこね、あそこ。あそこかぁ……」
「レキさんもご存じなんですね」
「俺も武術は好きだからな。三年くらい前か、一度どんなところなのか見学に行ったことがあるんだ」
「なら、君もあそこ仕込みか?」
「いいや。見には行ったけどそれだけだ。得られるものが何もなくてさ」
「首都総合武術館は国内の武術を広く集めた場所のはずだ。それなのに?」
「国内の武術の、ねぇ……なんていうか、あそこで取り扱ってるののほとんどは、妙な動きだったって印象だがなぁ。よくわからん機械的な動きっていうのもあるし。いや、真っ当なのもあったけどさ。黒月流だっけ? あれは良かったな。うん」
確かに、興味を惹かれる武術がなかったわけではない。
だが、他がダメすぎるのがいけなかった。総合武術館と銘打ってはいるものの、格好だけを気にするようなわけのわからない武術が大半で、実用性のかけらもないものが主流になっているという有様だった。
……以前見学に行ったとき、魔獣新流とかいう妙な名前の剣術流派があったのを思い出す。この流派は構えを重視するタイプという話で、門下生に不死鳥の構えだとか、一角獣の構えだとか多分にファンタジーな名前の構えを教えていた。
これはあとで知ったことだが、その界隈では詐欺武術として有名なところらしい。ネットでは、その流派が首都総合武術館に招かれたのも、あまり綺麗でない金の動きがあったという話だ。
「ちなみに、レキさんはどんな武術を使うのですか?」
「俺は新陰流、新當流、一刀流、一応空手や合気道の知識もあるな」
「えっと、私はカラテしか聞いたことがありません……」
「わたしも聞いたことないけど、どこかの新興流派? ソードマンズシリーズが流行ってるから、最近じゃバーチャル剣術が乱立してるって言うし」
「なんつーかさ、つれぇよ俺は……」
伝統の古流が、新興の流派と勘違いされる。ある意味、時代が進むにつれての淘汰の結果とも言えるのかもしれないが、それと入れ替わって台頭したのが格好だけのものとは本当に忍びない限りである。
色々な悲しみを背負いつつも、炭火焼きサンドを食べ終わった。
合成ミルクを飲み干し、カップをトレーに置く。
小さく「コンッ」と小気味良い音が鳴った。
「んじゃ、俺はそろそろ行かせてもらうよ」
「えっと……」
ユウナが訊ねにくそうに声を掛けてくる。おそらくはさっきの返答を聞きたいのだろう。
ちらりちらりと視線の行き場に困っているような仕種が奥ゆかしいが。
「昨日来たばっかりなんだから好きにさせてくれ。俺もなんだかんだここに来るのを楽しみにしてたんだ」
「そ、そうですよね。すみません」
「動きが気になるなら、また見てやるからさ」
「はい! そのときはよろしくお願いします!」
そう言って、二人とは別れた。
……そのはずだった。




