第十三話 浅き夢見し
ユウナとのバトルを終えたあと。
居住区の部屋に戻ったレキを待ち構えていたのは、妹こころの甲高い声音だった。
「お兄お兄! どう!? どうだった!? 生のソヘヴはどうでしたかー!?」
「初日に感想を求めるなよ。まだ始めたばかりだからわからない」
こころのあまりの勢いに、レキは思わず苦笑する。
部屋に戻るとこころから通知が入っており、通信を開始したら即これだ。
投射型ディスプレイに映っているこころは、可愛らしいパジャマに身を包んでいた。着るのを急いだのか、寝ぼけていたのかはわからないが、着方は相変わらずだらしない。
ボタンの掛け違えのせいで、胸元に大きな穴が開いている。
彼女はのっけからテンションが高く、レキは質問攻めに遭うことになった。
「グリップデバイスの握り心地とか、どう?」
「それは完璧だった。使い心地もしっくりくる。あれにはかなり驚いたな」
「おおぅ……あのお兄のお眼鏡に適うとは! 私もいまから淤能碁呂島に行くのが楽しみだよ!」
「そうだな。きっと楽しめると思うぞ」
「それでそれで! エネミーとかプレイヤーの方は? どうだった?」
「強い奴と立ち会うにはもっと奥のエリアに行かなきゃならないだろうからな。その辺りはまだだ」
「そこは当たって砕けろー!」
「いやいや、ルールは守らなきゃならないだろ。そもそもランクを上げなきゃ立ち合ってもくれないはずだ」
レキは真面目腐った返答をしたあと、それに関する話を切り出す。
「ん。それはそうと、こころ。ランキング上位のことなんだけどな」
「ソヘヴのトップランカー? 強いよ。動画見てても、みんな無茶苦茶すごい動きしてるもん。ふふふ、いくらお兄が強いって言っても、勝てないかもしれないよー?」
「いや、そうじゃなくて、そういえば俺ってランカーのこと全然知らないなって思ってさ」
「つまりそれを私に教えて欲しいってことだね!? ふっふー! このこころちゃんに任せなさい!」
「……よろしく頼む」
画面の前で胸を叩く自信満々な妹に、一抹の不安を覚える。
いちいち演技過剰で心配になるが、そのまま紹介を任せた。
やがて、こころの説明と共に画面にプロモーション映像が流れ始める。
「まず一人目ッ! ランキング不動の一位【闇冥剣】マナ・クリシタ! これまで『ソヘヴ』で行われたバトルでは一度も敗北していないという、とんでもない人! 最強の剣術『閻王泥梨剣』を使う国内最強の剣士! 使う剣は灼剣『螢惑』!」
こころの語りに合わせてディスプレイに映し出されたのは、白い髪と勝色の髪を半分に分けた女の映像だ。
マナ・クリシタ。赤い長剣を持ち、羽織のようなコートを優雅に翻す姿は、その泰然とした立ち姿に相俟ってよく映える。映像では、五十体を超える強力なエネミーたちと戦っている場面が映し出されていた。
マナはあり得ないほどの多人数相手でもまったく引けを取らず戦い、複数殺到するボウガンの矢を難なく斬り払うという出鱈目さを見せている。この様子なら銃弾だろうと剣撃のみで弾き返せるのではないか。そう思えるほどの、高い身体能力と反応速度だ。
そのほかにも、剣に炎をまとわせたり身体から冷気を放出したり、動きが見えなくなるほどの速さで動いたりしている。
前者はもちろんシステム上のエフェクトだろうが、剣士としての質は言わずもがな。
もし立ち合えば、気付く間もなく斬られてしまうのではないか。
「あ、お兄。これ手を加えた映像じゃないからね? リアルなやつだから」
「これでか?」
「無茶苦茶だよね。じゃ、二人目ッ! ランキング第二位【白騎士】ヒジリ・ハクヤ! プロフィールがすべて謎に包まれた謎の剣技を扱う謎の剣士。しかしッ! その剣技は美麗にて華麗! 持ってる剣はわかりませんごめんなさい!」
次に映し出されたのは、白いコートを着た人物だ。コートの裾は足元まで届くほどで、フードも目深に被っており、顔の造形はおろか男なのか女なのかも判然としない。
このプロモーションでは、ハクヤ・ヒジリは立っているだけで何もしていなかった。
確かに謎めいた人物だ。
「白騎士さんの映像は動きないよね。次いこう次!」
こころはそう言うと、
「三人目ッ! 第三位【水星槍】ツカサ・レイゼイ! 流麗美麗な槍使いで、その洗練されたテクニックで敵の武器をまたたく間に絡め落とす。その甘いマスクと言動から、虜になる女性ファン多し! 携えるのは聖槍『ネプチューン』!」
すぐに槍使いの映像に切り替わる。水色よりも薄青い髪の青年、ツカサ・レイゼイ。
槍の扱いが素早く円滑なのはもちろんのこと、目を瞠るのは鋭い突きの連続だ。エネミーはさながら機関銃にでも撃たれたかのように、一瞬で蜂の巣にされてしまった。
人間の腕ではまずこんなことはできないだろう。機械の身体だからこそできる攻撃だ。
槍は水を噴き出し、その旋回に合わせ渦を巻く。
剣を合わせればたちまち巻き取られて無力化され、穴だらけにされるのは必定か。
……しかしこの妹、いつになくノリノリである。
「次々行くよ! 四人目ッ! 第四位【金蓮花】サラ・ミカガミ! 黄金色に輝く鎧ドレスをまとった剣士。風のような動きと踊るような剣技で相手を華麗に倒す『疾走剣』の使い手! 金枝剣『ナスタチューム』を腰に差す!」
金髪の女が映し出される。いわゆる鎧ドレスと呼ばれるような出で立ちで、頭にバイザーを付けているためその顔は判然としない。足甲が自走シューズになっているらしく、アスファルトの上を風のような速度で滑走し、エネミーを斬り倒している。その速度に目測を合わせる力もそうだが、上半身を保つバランス感覚が凄まじい。何らかの機械が搭載されているのか風を巻き起こし、まるでかまいたちでも起きているかのように、剣尖から一寸先が断ち切られている。
風のような剣技だ。一度見失えば、容易には捉えることはできないだろう。
「第五位ッ! 【空木双剣】イヴ・サンズ! 背の低さを活かした戦術と、トリッキーな動きで相手を翻弄するちみっこ双剣使い! 武器は火装剣『フレイ・フレイヤ』!」
ディスプレイに、双剣使いの少女がフェードインする。薄桃色の髪をツインテールにしており、小中学生に見紛うほど可愛らしい。小さな体格にもかかわらず、背の高いエネミーとも引けを取らない戦いぶり。むしろ背が低い分、エネミーが対応に苦慮する有様だ。
速さ、腕力、ともに見た目以上だ。身体を鍛えた成人男性と比較してもそん色ない。
そのうえ、剣は炎をばらまく。
寝転んだり座ったり、そんな不安定な姿勢でも戦えているのには感嘆の息が漏れるほど。
相対すれば、目が回るほど翻弄されるのは間違いない。
「いつのまにかもう後半戦だよ! 第六位ッ! 【重戦騎】ダイチ・サキガケ! その剛腕から繰り出される強烈な一撃の前にはどんな防御も受け流しも通じない。ランカーに挑んだプレイヤーをことごとく粉砕する戦斧使い! 嵐戦斧『ボレアス』を振り回す!」
現れたのは、画面を埋め尽くすほどの鎧姿の巨漢の男だ。
肩幅は広く筋肉質で、その体躯は通常の人工躯体の規格を大きく超えている。
恐るべきはその怪力だ。プロモーションでは金属板を拳でへこませ、岩石をいとも容易く砕いている。ひとたび戦斧を持てば、岩や金属塊をまるで薪を断ち割るかのように難なく叩き斬るほど。剛力自慢にしては行き過ぎだ。パワーアシストや強化義肢を使ってもこうはいかないはず。戦斧が生み出す風圧も馬鹿にならない。
まるで巨大な鉄球が暴風のように暴れているかのよう。
ひとたび彼の前に立てば、その剛腕で容易に叩き潰されることだろう。
「第七位ッ! 【遊王】リュウセイ! あらゆるゲームを制覇したゲームの天才! 今度はコントローラーから剣と盾に持ち替えて、ソードマンシリーズの制覇を目論むゲームマスター! 輝剣・輝盾『アウラ』のコンビネーション!」
カメラの焦点に、外ハネの髪の少年が飛び込んでくる。
その動きは『金蓮花』ほどではないがかなりのものだ。自走シューズやパワーアシストを効果的に使うのもそうだが、彼の武器も他のランカーと同様に特殊なものらしく、盾が見た目の範囲以上に攻撃を防いでいる。
そして、周囲の環境を利用してエネミーの動きを制限し、確実に勝利を得る。
武器も技術もそうだが、戦術がよく練られているのがよくわかる。
一から十までしっかりと計算して戦っているのだろう。
これは他のゲームで培った経験が、いかんなく発揮されているに違いない。
「第八位ッ! 【不良打者】シゲミチ・バンジョーヤ! その腕っぷしから『ソヘヴ』にスカウトされた異色の剣士ならぬ異色のバッター。『打撃殺法』を操る最強のケンカ番長! 爆裂打棒『アグニ』で今日も満塁ホームラン!」
映像には、古臭さの残る長ラン姿。まるで昭和のバンカラを思わせる出で立ちの男だ。
しかも、得物は剣ではなくバットという奇抜さ。戦い方は見た通り相手の剣に積極的に太刀打ちしていくもので、武器破壊を主眼に置いている。
打撃を良く理解しているようだ。不用意に太刀打ちなどすれば、刀はたちまち折られてしまうだろう。
「第九位ッ! 【剣の申し子】クレハ! 首都総合武術館、黒月流洋刀術師範の娘にして、武術館の若きホープ! 日本古来の剣術『黒月流』免許皆伝の天才剣士! 青雲刀『ウラヌス』を構えた姿は必見!」
緑髪をおさげにした制服姿の少女が、カメラの前で剣を構えている。得物はサーベルだ。
黒月流洋刀術と呼ばれる、未来の剣術を使うらしい。
動きもさることながら、剣筋も理にかなった正確なもの。
人体の動きなどもよく研究しているらしい。
戦った相手は針の穴を通すほどの緻密な剣で、防御の合間を縫い留められるに違いない。
「第十位ッ! 【AI師匠】アキヒト・セカイ。見た目は優しそうな近所のお兄さんだけど、その眼鏡の裏では相手を事細かに分析して、それで得たデータをもとに相手を倒す! 情報のスペシャリスト! 手に持つ剣は『アテーナー』!」
画面に現れたのは、眼鏡をかけた青年風の男性だ。
見たところ、戦い方に特徴的な部分は見受けられない。
ただ、その動きは相手の実力を完璧に把握しているようにも見える。
距離感も、あらゆる数値を正確に見抜いているかのよう。
だらだらと戦えばクセなどを掴まれ、追い詰められてしまうのは容易に想像が付く。
やがてすべての説明をし終えたこころは、モニターの前で肩を上下に揺らし始める。
「呼吸が甘いぞ。息継ぎのタイミングは相手に狙われる隙だ」
「早口で叫んだんだもん! 全然空気足りないよ! っていうかこんなときまで剣術の話なの!?」
「剣術はお前がやりたいって言い出したことだと思うが?」
「それはそうだけど! そんなんじゃ小舅だよ! こ じゅ う と!」
「小舅ならまだマシだな。それに、俺はまだ優しい方だぞ?」
「嘘だッ!! お兄はしれっとしながらスパルタする鬼だもん! お兄は鬼!」
「ダジャレにしてはつまらんな」
「ダジャレ言ってるわけじゃないのー!」
だが、稽古は範疇の内だ。そもそも剣を学ぶには、厳しさがなければ上達しない。
そんな風に、兄妹であーだこーだ言い合ったあと。
「ね? ね? プロモーション、どうだった? かっくいーよね?」
「CGを疑うレベルだな。というかいくつかはゲームのエフェクトありきの演出だろ。火とか水とか風とか」
「そうだよ? でもハプティックパッドの効果で衝撃や皮膚感覚は再現されるから」
「じゃああれ実際のバトルでも機械的なアシストで熱かったりとか風圧あったりとか、ダメージ受けたりとかするのか……いいのかそれ?」
「いいもなにもやっぱりゲーム的な部分は外しきれなかったんじゃない? でも、動きの方はマジぽんだって言うよ?」
「それが本当なら六位より上は人間じゃないな」
「だって七位と九位以外全員AIだもん。人工躯体人工躯体。人間じゃないよ」
「そういう意味じゃなくてな……でもこんな感じでよく文句出ないな? 強化してるって言われても否定できない部類だぞ? AIの基本条約無視してないかこれ?」
「うん。やっぱりその辺りはクレーム結構出てるらしいよ? でも、運営は動くつもりないみたい」
「あんなに頭おかしくてもか? VRゲームじゃないんだぞ……どうなってんだ」
「それは私に言われてもわからないよ。一応パワーアシストが使えるからいいって考えなんじゃないの? 特別な武器だってランキングを上げたり、イベントで頑張ったりすれば入手できるみたいだし」
「そんなものなのかねぇ……」
チャンバラがメインとはいえ、ゲームである以上ゲームらしい部分は外せなかったのかもしれないが。
昼間に武藤と不条理がどうこうと話したが、これの方がよっぽど不条理ではないかとすら思う。いま見た映像に比べればフィルズ・ブレイドだってもっと大人しかった。主にグリップデバイスや人工躯体だからこそなせる技なのだろうが、それにしたって行き過ぎている。
人体では成し得ないような動き。
ゲームシステムを利用した効果。
映像ではどのランカーも、地面を覆い尽くすほど大量のエネミーの倒していた。
これを見れば、確かに最強だなんだともてはやされることだろう。
「やっぱりお兄が気になるのは一位の『闇冥剣』と、九位の『剣の申し子』かな?」
「……確かに最強ってのは気になるな。結果はどうあれ、立ち合ってみたいとは思う」
「だよね! お兄ならそそるよね! あと『剣の申し子』!」
「そっちはそこまで」
「え? あの黒月流だよ? 日本古来の剣術の一つって言われてる。コリューコリュー言ってるお兄には興味バリバリなんじゃないの?」
黒月流。日本古来という割には耳慣れない流派名だ。そもそも日本ではサーベル術自体がマイナーであり、帝国陸軍の軍刀操法やサーベル術がもとになっているということも決してあり得ないわけではないが……すでに淘汰されたため可能性はあまりに薄い。
「そもそも黒月流は前に武術館に行ったときに見てるからな」
「え? そうなの?」
「ああ」
レキはこころの聞き返しに対して頷く。
……ともあれそのあとは、VPやこころ垂涎の生鮮食品の話をして、この日の通話を終えた。
レキはベッドに腰掛け、この日あった出来事を振り返る。
初日は、様々なことがあった。新しい友人ができて、エネミーを倒して、武藤に絡まれ、最後にはAIの少女にも挑まれた。
だがやはりというべきか、己が求めてやまなかったもの、己の心を熱くさせたものは未だどこにもない。いや、仕方がない。それらはすべて、時代の流れの中で失われてしまったのだから。
「ゲーム、か……」
まさか立ち合いを求めるあまり、ゲームに参加する羽目になるとは思わなかった。
これも科学技術が発達し、リアルに近づくことができたからこそのものなのだろう。
怪我の心配をせず格闘技に打ち込めるというのは、多くの人間が求めていたことでもあるのだから。
……確かに、映像で見た上位ランカーは強かった。人外の動きや機能はそれこそ戦略兵器を思わせるほどで、行き過ぎた部分がグリップデバイスの見せるエフェクトだということを加味しても、驚異的な部分が多かった。
映像を見たとき、彼らはなにか別のゲームをしているのではないかと思ったくらいだ。
しかしその強さがレキの求めるものなのかと問われれば、一概にそうだとは言えなかった。
エフェクトの話を抜きにしたとしても、あの速さや膂力は脅威と言える。
だが、それでは結局のところVRで戦ったフィルズ・ブレイドと一緒なのだ。
単純に機械的な機能を増やして強化しても、それは剣術ではない。レキは『剣術を競い合いたい』のであって、戦う相手が誰でもいいと言うわけではないのだ。ただ強いだけであれば、パワーアシストを用いた者と立ち会えばいい。パワードスーツで武装した人間や戦闘用の人工躯体、パワーローダーなど、ただ強いだけのモノならば、この未来世界には山ほどあるのだ。
そうでなければ、このような渇きに思い余ることもなかっただろう。
……時代が変われば、戦い方も変わる。性能が向上した武器の前に武術は意味をなさなくなるし、必要になるのはそれらを扱うのに特化した身体操作法だけ。武術は当たり前のようにスポーツ化してしまった。
そもそも争いごとはAIが代行してくれるのだ。武術などは淘汰されるし、ともすれば風化し、化石のように埋もれてしまうのも無理はない。
――どうして自分は、こんな場所に来てしまったのだろうか。
こうして新しい世に生まれ変わりを果たしたが、打ち込めるものもなく、愛刀も失われたまま。ここにいる理由を考えたところで、そもそも何かを成すことができないのなら、こうして頭を悩ませる意味はないだろう。
熱意は失われ、そのうえ口を衝いて出てくるのは『つまらない』だ。
後ろ向きな考えにばかり囚われ、我ながら嫌になる。
『だだをこねる子供の癇癪が多少大人しくなったようなものだ』
そんな、武藤の言葉が思い出される。
確かに、あの男の言う通りだ。熱を注げるものなど探せばいくらでもあるはずなのに、ただ一つのことに固執して、いつまでもいじけているだけ。大人しくなったものとは言われたが、別のものにすぐ飛びつけるだけ、拗ねた子供の方がまだマシだ。
前向きに生きたければ、以前の自分は死んだと忘れて、新しい道を踏み出せばいい。
もちろんそれはレキも理解している。理解してはいるが、どうしてもこの渇きが邪魔をする。
満たされない世の中で、どうすればいいかわからない。
新しいものを探そうと藻掻いても、熱はそれほど高まらない。
叶うならば、誰かと剣を交えたい。心行くまで戦っていたい。そして、いつかのように剣に果てたい。しかし、それはきっと叶わない。
一生この渇きを癒せぬまま、牢獄のような世界に囚われ続けるのか。
それともこれが、剣士として走り続けた自分が落ちてしかるべき地獄だったのか。
そんな考えが、レキの頭の中をぐるぐると回り続ける。
いつものことだ。
生まれ変わってから、幾度何度この考えに頭を悩ませてきたことか。
「……ん」
時計の針が十二時を回った。
ディスプレイに映し出された深夜のバラエティ番組も、いまは耳に入らない。
映像を消して、部屋の明かりをつけたままベッドに身を預ける。
やけに白い天井を見ていると、やがて眠気が襲ってきた。
視界が徐々に狭まり、目の前がすりガラスを透したかのようにぼやけてくる。
ああ、もう落ちるのだな。
そんな漠然とした予感のあと、目の前に闇がわだかまり、渦巻きのようにぐるぐると回り始めた。それはまるで、レキの意識をその懐深き淵に吞み込まんとするかのように。
……底深いまどろみにレキの意識が落ちゆく中、いつか聞いた武術歌が、どこからともなく聞こえてくる。
太刀風の 過ぎ去る先を 目で追うな
そこにあるのは 凍つる月なり
――それは、月光よりも冴えた光を放つ、月凍る一刀を詠んだ歌だ。
刻を凍てつかせ、目に光を焼き付ける月天と氷風の太刀。
陽炎と ほうらいじまを 切り裂くは
水面の月を さらうばかりか
――それは、海辺に見える不知火をまといし、陽炎の双剣を詠んだ詩歌。
刃威斬意をもって陰火を操る、逃げ水の如き魔剣。
影を追う 足の下から 目をはなせ
影を見遣れば 不覚なるべし
――それは、あらゆる影に身をゆだねる、暗殺剣に他ならない。
暗影を渡り歩き、敵をあやまたず撃ち抜く無音の絶刀。
つばくらめ 太刀を落とせど とらわれず
斬ろうとするな 月を知り初め
――それは、空を駆ける玄鳥の羽ばたき。
体勢と歩法を制御し天地上下を飛行する、空間自在の移動術。
霞ませる 二つの剣を 選びとれ
違えたならば 双つに断たれん
――それは、この世に蔓延る魔性のことごとくを討ち果たす、霞の如き剣技。
最強にして最優の魔が生み出した、神と仏の混淆。明王とフツ。
そして――
いかづちの ひらめくさまを しかと見よ
まじろぎの間に 太刀ははたたく
――それは、五剣を超える一刀と謳われし、武甕槌神の化身の太刀。
あまねく敵を上から下へと真っ二つに両断する雷神の咆哮。
なぜ死んだ身でありながら、こうして現世にいるのか。
いまなぜこうして、このまどろみの中、それらが走馬灯のように思い出されるのか。
その答えは、考えるまでもなかった。
「ああ――」
なんの脈絡もなく、胸にすとんと答えが落ちる。
いま自分がここにいることに、もし意味があるのなら。
それはつまり、この世に必要になったからに他ならない。
であるのならばやはり今回も、この六つの因縁が揃うのだろう。
……朦朧たる意識が暗闇の淵に沈み込むまで、剣士、鳴守靂は茫漠とそんな予感に身をゆだねていたのだった。




