第十二話 ユウナ・ツワブキ
――私、ユウナ・ツワブキは、AI知性体だ。
AI知性体とは、従来のような決められたプログラムを処理するタイプのAIではなく、人間と同じように物事を考え、感情を再現することが可能な『知性を持つAI』を指す。
電子脳はFI社――ファルファジウム・インダストリー社製。
使用する人工躯体も同社製で統一されている純FI社製のガイノイドだ。
遊歩道で行われたプレイヤー《レキ》とのバトルが終わったあと。
友人であるハレンと別れ、運営から貸与された住居がある居住区画へと戻った。
日課である量子AI『MARIE』へのアクセスとデータ更新が終了。現在は人工躯体をメンテナンスポッドに収納し、仮想領域でのアバターを用いての活動に移行している。
AI知性体の活動は、現実空間だろうと仮想領域だろうと特別大きく変わるものではない。
私たちは現実空間の活動拠点以外にも、電脳空間内の仮想領域にも専用の居住スペースが用意されており、普段からそれらを使い分けて活動している。
現実空間と変わりない風景のもと。
運動メニューをこなし。
食事データを取り込み。
休息や入浴を行い。
睡眠のためスリープモードに移行する。
これら機械にとっては不必要と思えるような行為も、私たちAI知性体にとっては必要不可欠な活動だ。普通、マシンが必要とする各種メンテナンスおよび点検作業のいくつかを、人間の実生活に置き換えたものに過ぎない。
仮想領域内にある自室のウォッシュルームで鏡を見ながら、歯ブラシを握る。
……この歯を磨くという行為だって、『人権派』の人間たちに言わせれば、人間の模倣、何の意味もないものだと言うのだろう。
確かにこれはみな、人間の実生活を模倣したものだ。
彼らから真似っこだと言われても仕方がない。
でも、これらの行為を欠かせば、あらかじめ組み込まれたプログラムに則りアバターが虫歯状態になるし、風呂を欠かせばアバターも汚れて体臭が発生する。当然プログラムが組み込まれているため、アバターだけでなく人工躯体にだってその影響が現れる。
電脳空間に無数無限に漂うウイルスデータに感染すれば、病気にだってなってしまうし、肉体がないのにもかかわらず疲労感を覚える。食事データを取り込まなければ空腹感も再現される。
ただの機械からすれば、こんなものは欠陥だろう。常に一定の性能を求められる機械にとって、その性能を十全に発揮できない状態になるということは致命的と言っていい。
だが、こうした欠陥があるからこそ、私たちAI知性体は知能を得たと言われている。生物とは不完全なもの。不完全であるがゆえに伸びしろがあり、変化の余地を持ち、ともすれば自らより良くなれるよう『思考する』という行動を取れるようになる。そう言われている。
「ユウナ、いる?」
室内の音声スピーカーから、鈴を鳴らしたような声が電子脳に伝達される。
その音声は、友人である『HA=REN』のものだ。
「ハレンちゃん」
「いま大丈夫だった?」
「うん。すぐに行きます」
歯磨きを手早く終わらせ、ウォッシュルームを出て玄関ドアを開ける。
視覚センサに飛び込んできたのは、居住スペースの共用廊下と、ハレンが仮想空間内で活動するためのアバターだ。
アバターと言っても、容姿は普段見ている彼女とほぼ同じなのだが。
ハレンを室内に招いて、リビングのソファに腰掛ける。
するとふいに、ハレンが覆いかぶさるように迫ってきた。
エモーショナルエンジンの結果を反映できない古臭い型番の人工躯体もかくやというほどの無表情で、まじまじとこちらの顔を見詰めてくる。
「その、ハレン、ちゃん?」
「ユウナ、あんまり元気ないよ」
「そんなことありませんよ? 私はいつも通りです」
「ウソ。アバターにきちんと出てる」
「いえ、そもそもそういったパラメータはHUDには表示されないはずですが」
「顔色のことよ。AI知性体はアバターにだってきちんと細かい機微が出る」
「そうなのでしょうか……?」
ミラーモードにして自分の顔を表示するが、ハレンの言うような表情の変化は認識できない。
「さっきのこと、まだ気にしてるんじゃない?」
図星を突かれ、一瞬思考領域に空白が生まれる。
「それは……」
「……やっぱりね。でもあれは仕方ない。相手が悪いよ」
ハレンは隣に腰を落として、手に手のひらを重ねた。
すると、彼女の手から出力されたデータが、アバターを通して伝わってくる。
体温、圧力、心拍数、それらがパラメータとして取得され、感覚として再現された。
「最後のあれだって、きちんと見えた?」
「……わかりません。稲妻が横向きに走ってきたとしか」
「あれ、そういう風に見えたんだ……」
AI知性体は、本当に稀ではあるが、目に映る映像を別のものに置き換えることがある。
AIは人間に比べて知性体としての歴史が浅く、物理法則が基盤にあるため想像力にも限界がある。そのため、いまだ人類が解明できていない現象や、電子脳で演算し切れない現象に遭遇すると、エラーが生まれてしまうのだ。
ログにエラーが溜まれば、処理し切れずにパンクする。
パンクを回避するため演算速度を低下させて、電子脳がそれにもっとも近く、理解しやすい現象に置き換えてしまうのだそうだ。
最後のバトルのとき、真っ暗な空間に紫の稲妻がひらめいた。電子脳が再計算などの処理に追われ、それが終わったときには敗北の文字が空中に投影されていた。
人間であるハレンには、どうやら違うものに見えたらしい。
「ともかく気を落としちゃダメ。ルーキーに負けたんじゃなくて、本職に負けたとそう思いなさい」
「本職……」
「そう。わたしもこの仕事でプレイヤー同士の試合をよく見るからわかるけど、あの男、剣の振り方が素人のそれじゃなかった」
「やっぱり、そうだったんですね」
「気付いてた?」
「とてつもない腕前だということは理解しています。だからああして何度も挑んだんです」
「ああ、それで……」
ハレンは得心が行ったというようにそう言う。
そう、私はこのゲームをプレイするにあたって、確固とした目的を設定している。
それは、FI社のAIとして、学習能力や創造力の優位性、そして現在使用している人工躯体の性能の評価のためだ。
このゲーム『Swordsman’s HEAVEN』は、同じシリーズのVRゲームなどと違って肉体を直接動かすタイプのものだ。ともすれば人工躯体の性能評価にはうってつけであり、ゲームには運営会社ロンダイト独自の技術も使用しているため、様々な方面からも注目されている。
当初は、周りもゲームに慣れない者たちばかりであるため、どうにかこうにかやっていけていた。しかし、彼らも学習するし、もともとの才能も生かされてくるようになる。
そのせいで最近は伸び悩んでおり、優位性どころか勝ちを重ねることも難しい状況に陥っていた。
……メニューを操作し、バトルのアーカイブ動画をモニターに映す。
二日前に行われたプレイヤー同士のバトルだ。
私と同じ第二期受け入れでこの島に来た、同じAI知性体のプレイヤー。
名前をリンドウ・ココノエ。FI社とはライバル関係にある帝王重工が開発した新機軸の電子脳を搭載したAIで、彼女も同社が開発した人工躯体を用いてこのゲームに参加している。
入島は大々的に喧伝され、メディアがインタビューに来たほどだ。
私にとっては追いかける目標であり、絶対に勝たなければいけない相手でもある。
「リンドウさん、ね」
「私はあの方に勝たなければいけません。そのためには、なるべく強い方の動きを学習して、自分の動きに反映しなければいけないんです」
「だからあの男の動きに目を付けたの?」
「はい。あの人の動きは鮮烈なものでした。結局、戦ってもよくわかりませんでしたが……」
そう、私が彼を追いかけたのはそれが理由だ。
思うようにランキングが伸びず、焦っていた折、第三期受け入れ当日の今日、あの青年を見かけたのだ。
特段派手な動きをしているわけでもないのに、軽々とエネミーを倒してしまう。
エネミーの前に立って、剣を構えて、頭を狙って縦に振る。すべて基礎的な動きだ。
だが驚いたのは、ほとんどのエネミーをそれで倒していたことだ。
エネミーがどんな動きをしても変わらない。
エネミーが剣を振り出すのに合わせて一拍早く踏み込んで打ち込む。
エネミーが隙を作ったところに合わせて打ち込む。
エネミーがどんな行動をとっても、どれほど速く動いていても変わらない。
あの青年はエネミーが打ちかかるのに、常に先んじていたのだ。
プログラムデータが動くという指令を出した直後、行動に移すまでのラグの間にだ。
すごいと思った。どんな剣が繰り出されるか、すべてのデータを頭の中にインプットされているかのようだ。AIよりもAIらしい動き。すべてのAI知性体が目指すべき到達点にいるかのような、完成形がそこにあったように思う。
そして、それを人間が行っている。その事実に行き着いたとき、微弱な迷走電流が私の電子脳の回路を蹂躙した。それはまるで、処理しきれない膨大な情報をワンプロセスで受け取ったときのようだった。
再び、モニターの映像を変える。
これはつい先ほど彼と戦ったときの映像だ。
客観的に見ると、どれだけ私が隙を見せていたかがよくわかる。
もちろん彼の高い技量があってこそ、その隙に打ち込まれてしまうわけだが。
根を張った樹木のように泰然としていると思えば、風のように素早い動きを見せる。
最後の動きなどは、何が何だかわからなかった。紫色の稲妻が見えて、視覚の明滅後、処理が追いついたら私の視覚センサの前に青文字でLOSEの文言が表示されていたのだ。
そのあとはしばらくの間、その場で呆然としていた。
ハレンに声を掛けられるまで演算処理さえうまく働かなかったほどだ。
気付いたときには、あの青年はいつの間にかいなくなっていた。
「……知りたいのなら門下生になってもらわないとな」
記憶機能や演算処理を停滞させ、モニターをぼうっと眺めていた折。
ふと彼が言ったことが思い出されたのだった。




